5 帝国の花嫁 1
馬車から下りた私は、転移門の前に立つと、護衛として付いてきてくれた騎士たちを振り返った。
今日の私は淡い色のドレスに頭からベールを被っており、普段、騎士たちが見慣れている騎士服姿ではなかったけれど、誰一人気にする様子はなかった。
騎士たちはそれどころではないようで、全員が私の輿入れに納得していない表情をしていたのだ。
騎士たちにとって、私は強力な仲間であり、従うべき指揮官であると同時に、幼い頃から面倒を見てきた庇護すべき娘でもある。
だから、彼らは私の嫁入りを、まるで我がことのように憤ってくれているのだ。
「万が一の話ですが、もしもザルデイン帝国がカティア様を不幸にしたら、オレたちは絶対にあの国を許しませんから!!」
「その時はどんな方法でもいいのでお知らせください! オレたちは疾風のように駆けつけ、必ずやカティア様を我が国に連れ戻してみせます!!」
いつだって実直で、自分の感情を素直に表現してくれる騎士たちを見て、私の顔に笑みが浮かぶ。
ああ、私は彼らが大好きだわ。
私が帝国に嫁ぐだけで彼らを守れるのだとしたら、安いものじゃないの。
私は自分自身に彼ら全てを守れるほどの価値があることに感謝した。
「ええ、その時はサファライヌ神聖王国の騎士団の実力を見せてやりましょうね!」
私は勇ましいことを言うと、騎士たちとともに笑い合ったのだった。
その後、騎士たちに見送られながら、私は一人で転移門をくぐった。
サファライヌ神聖王国は島国のため、交易や移動の手段は船が基本だけれど、王族や高位貴族の移動には転移門を使用する。
この門を使用すると、一瞬にして別の場所に移動することができ、今回の移動場所はザルデイン帝国の国境に定められていた。
新たな地に降り立った瞬間、私は不思議な感覚を覚える。
まるで故郷に帰ってきたかのような、心から安心できる不思議な感覚だ。
「まあ、緊張のあまり混乱しているのかしら。むしろ故郷から知らない場所に来たというのに、懐かしさを覚えるなんて……」
一体どういうことかしらと顔に手を当てたところで、頬が濡れていることに気付く。
「えっ?」
どうやら気付かないうちに、泣いていたようだ。
どうして涙が出たのかしら、と不思議に思いながら目を瞬かせていると、聞いたこともないような美声が響いた。
「涙を流すとは、王女殿下は我が帝国の地を踏んだことに感激されたようだな」
それは背筋をぞくりとさせるような、否応なしに心をかき乱す魅惑的な声だった。
驚いて顔を上げると、見たこともないほど整った顔立ちの男性が、少し離れた場所に立って私を見つめていた。
これまで私が知っていた一番の美形はヒューバートだったけれど、全然レベルが違う。
その男性は、『これが完璧な造作だ』と教えるために存在するような、全てのパーツが完璧に整った美貌の主だった。
少し長めの艶やかな黒髪が白い肌を彩り、彫の深い顔立ちを際立たせている。
黒髪の下からは、同じく黒い瞳が覗いているのだけど、まるで黒ダイヤのようにきらきらと輝いていた。
世の中にはこれほどの美形がいるのだわと驚愕しながら見上げたところで、その男性が滅多にないほど豪奢な衣装を身に着けていることに気付く。
さらに、その男性がその場を支配するような圧倒的な覇気を纏っていたため、即座に誰であるのかを理解した。
ザルデイン帝国の皇帝だ。
どうしてこんなところにいるのかしらと思いながら辺りを見回すと、そこは広場で、彼の周囲には多くの側近や騎士らしき者たちが、さらにその周りには国民たちが大勢集まっていた。
どうやら転移門をくぐった先は、聞いていた帝国国境ではなく、帝国内の広場に変更になったらしい。
一体どういうことかしらと戸惑ったけれど、すぐに答えが頭に浮かんだ。
恐らく、皇帝は帝国民に私を紹介する場を設けたのだろう。
私がザルデイン帝国の皇帝に嫁ぐことを、サファライヌ神聖王国の民が受け入れがたかったように、帝国民にとってひ弱な人間族を皇妃として迎えるのは、受け入れがたいことのはずだ。
だから、皇帝は自ら私を出迎えることで、国民に私を認めさせようとしているのじゃないだろうか。
『皇帝自らが出迎える相手なのだから、たとえ人間族であっても皇妃として受け入れるべきだ』、と。
私は皇帝の婚約者候補を不幸にした者の妹だから、皇帝から憎まれていると思ったけれど、そんな私を受け入れる雰囲気を作ってくれるつもりかしら。
皇帝の考えが分からずに首を傾げたところで、頭に被っていたベールがはらりと落ちる。
同時に、頭の上でまとめていた髪もほどけたようで、腰まであるピンク色の髪がふわりとその場に広がった。
しまったと思いながらベールに手を伸ばしたけれど、周りの人々に気を取られてしまい、その手は空を掴んだだけだった。
なぜならその瞬間―――どういうわけか、その場の雰囲気が一変したからだ。
皇帝も、彼の側近も、騎士も、国民も、全員が雷に打たれたかのように体を硬直させ、息を呑んだのだ。
一体どうしたのかしらと戸惑って周りを見回すと、国民は信じられないものを見たとばかりに目を見開いて私を凝視していた。
一方の皇帝と側近たちは、憎々し気に私を睨みつけている。
皆の反応が想定外過ぎて、また、反応が大き過ぎて、何が起こっているのかさっぱり分からない。
けれど、いつまでも立ち尽くしているわけにはいかず、私は外交の基本である穏やかな笑みを浮かべた。
せっかく皇帝が私を紹介する機会を設けてくれたのだから、最大限に利用しようと思ったのだ。
そして、この場で私にできる最大のことは、友好的な笑みを浮かべて、私は決して敵にならないのだと示すことだ。
私は背筋を伸ばすと、笑顔で皆を見回した。
すると、集まった人々は顔を赤らめ、動揺した様子でよろよろと後ろに下がる。
どうして私が笑みを浮かべただけで皆は動揺するのかしら、と不思議に思ったけれど、私は表情に出すことなく、優雅な仕草でドレスを摘まむと、最上級に丁寧な礼を執った。
それから、そのままの姿勢で3秒数えると顔を上げ、満面の笑みを浮かべる。
続けて、完璧なザルデイン帝国語を口にした。
「初めまして、エッカルト皇帝陛下、並びにザルデイン帝国国民の皆様。サファライヌ神聖王国のカティア・サファライヌです」
これで私が友好的であることを少しでも分かってもらえればいいのだけど、と周りを見回すと、どういうわけか国民の全員が顔を真っ赤にして私を見つめていた。
「えっ?」
思っていた反応と全然違うわね。
国民の3割くらいが反発し、残り7割は無関心な態度を取るのかと思ったけれど、全員が私に友好的に見えるわよ。
というか、まるで私を見て興奮しているようだわ。
そう思ったのはあながち間違いでもなかったらしく、次の瞬間、どっと歓声が沸いた。
国民たちは興奮した様子で両手を打ち鳴らすと、これでもかと騒ぎ立て始めたのだ。
「わああああ、万歳! 新しい皇妃様、万歳!!」
「何てことだ! 我が国は最高のお妃様を迎えることになるぞ!!」
「信じられない、今日は最高の日だああぁ!!」
どういうわけか国民たちは頬を紅潮させ、歓喜の表情を浮かべると、私を歓迎する言葉を叫び始めたのだ。
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