6 ラカーシュを避けるべきか? 避けざるべきか? それが問題だ 1
新生ルチアーナは生まれ変わって勉強を頑張るはずだったのだけれど、その日の授業は全く集中することができず、別のことを考えていた。
……あああ、これじゃあ、今までのルチアーナと変わんないわね。
攻略対象者のことを考えていて、授業に集中できないだなんて。
けれど、どうにも気になるし、今はこのもやもやの原因を突き詰めなければいけないように思うのだ。
―――ラカーシュ・フリティラリア。
筆頭公爵家の嫡男で、鉄面皮の美形。
思ったよりも優しい性格だったけれど、それ以外はゲームの設定通り……と思いきや、なぜだか彼の後ろ姿に違和感を覚えたのだ。
何だろう。私は何が気になっているのだろう……
私はずっと、それこそ授業中ずっと考えた。
ゲームの内容に従うならば、私は追放される悪役令嬢だ。
それを回避するためには、全力で、全身全霊で対応しないといけない。
だから、何か気付いたことがあれば、全力でそのことを考えるべきだ。なぜなら、そこに破滅を回避するヒントがあるかもしれないのだから。
そして、やっと、……その日の授業が終わり、下校の時間になって再びラカーシュを目にした時にやっと、私は気付いたのだ。
「あああああああ!」
突然上げた大声に、周りの生徒たちは驚いたように振り返ったけれど、私は自分の気付きに夢中でそれどころではなかった。
歩き方だ! ゲームの中のラカーシュは片足をわずかに引きずっていた!
確か、領地で魔物に襲われたと言っていたはずだ。
魔物―――体の中に魔石を持つ、魔力を持った凶悪で狂暴な生物だ。
多くは森や海に棲み、日常生活で遭遇する確率は低いけれど、遭遇した場合は命の危険に襲われることも多い危険な生物だ。
その魔物に、ラカーシュは公爵領で襲われた。
―――私は一生懸命、前世でプレイしていたゲームの内容を思い出す。
主人公が新入生として入園し、ゲームがスタートした時のラカーシュは3年生だった。
その時は既に足を引きずっていたから、ラカーシュと言えば足を引きずっているイメージだったけれど、考えてみれば、魔物に襲われるまでは普通に歩行していたはずだ。
なるほど、2年の秋の段階では、ラカーシュの歩行に問題はなかったのね。
……私は思い込みによる誤ったラカーシュ情報を上書きしながら、謎が解けたわと心の中で両手を打ち合わせた。
けれど、あれ、もしかして私って、ラカーシュ情報に詳しすぎるかしらと、今度は彼について知り過ぎていることが心配になる。
どうしたものかしらと首をかしげたけれど、数秒後にはこればっかりは仕方がないなと思い直し、諦めることにした。
なぜなら、前世の私は退勤後の時間と休日の大半を、『魔術王国のシンデレラ』をプレイすることに費やしていたからだ。もちろん、ラカーシュルートも攻略済みだ。
つまり、どうしようもないこととして、ラカーシュルートをクリアした時に、彼の個人情報はいただきまくっているのだ!
ラカーシュ、私はあなたのストーカーではないけれど、あなたのことはあなたの家族よりも知っている(かもしれない)わよ! 恥ずかしい秘密をばらされたくなければ、私に近付かないでちょうだい!
……とは言っても、ほとんど夢うつつでプレイしていた時間などもあるし、全てを覚えているってわけではないけれども。
私は謎が解けてすっきりした気分で、帰り支度を始めた。
破滅回避のヒントにはならなかったけれど、もやもやが解消されて晴れやかな気分だった。
丁度その時、ラカーシュが優雅な足取りで私のクラスに入ってくるのが見えた。
何ともなしに見ていると、王太子の前で立ち止まり、2人で話を始める。
……あら、そういえば、私は今日、王太子に挨拶もしていないわね?
3日前のことだけど、王太子との会話中に私は倒れ込んだのだから、一言謝罪だか、お礼だかを言っておくべきじゃあないのかしら?
そう思いながらも、私が登園してきていることに気付いているだろうに、クラスメイトである王太子からも「大丈夫だったか?」の一言も掛けてもらってないことに気付く。
穏やかで礼儀正しい親切設定の王太子からすると、あり得ない行動だ。
……ルチアーナったら、本気で王太子に嫌われているなー。
というか、主人公が現れてもいない段階で既に嫌われているって、悪役令嬢としての仕込みは完璧ねと、妙なところで感心しながら私はバッグを手に取った。
よし、王太子にはどうせ嫌われているんだから、私から話しかけられても嫌なだけだろうし、声を掛けずに帰ろうと決める。近寄らないに越したことはないし。
そうして、教室を出ようとしたところで、ラカーシュの声が聞こえた。
「ああ、今から領地に戻る。予定では、水の曜日には学園に戻れると思うが」
ふうん、そうか。明日から週末だものね。それに幾日かプラスして休みを取って、領地に帰るのね。
ラカーシュの言葉を盗み聞きながら、『魔術王国のシンデレラ』の設定を思い返してみる。
あのゲームは日本製で、プレイヤーの大半が日本人だったから、基本設定の多くは日本の習慣に合わせてあった。
つまり、学園が開いているのは1週間のうち5日間で、2日は休みとなっている。
1週間を表現する曜日も、「月の曜日」「火の曜日」「水の曜日」と日本人に分かりやすい親切設定となっていた。
そして、「土の曜日」と「日の曜日」は、学園は休みだった。
学園に通っているのは上級貴族ばかりなので、全員が王都に邸宅を構えている。
毎日通うことは難しくても、週末に戻れないほど遠くはないため、多くの生徒は週末ごとに寮を出て自宅へ戻っていた。
けれど、ラカーシュは今週末、王都にある公爵家の館ではなく、領地に戻るようだ。
まぁ、王国一の貴族だから、領地って言っても王都に隣接していて、大した距離じゃあないんだろうけど。
「お前の父親である公爵の誕生会だったな。時間があれば、私も……」
けれど、聞こえてきた王太子の言葉で、私の足はぴたりと止まった。
後ろの生徒が私にぶつかりそうになり、迷惑そうな表情をしたけれど、私が誰だかわかるとそそくさと迂回して去って行った。
「公爵閣下の誕生会! そ、それだ!」
私は呆然としながら、口の中で小さくつぶやいた。
そうだ。ラカーシュは父親の誕生会に出席するために領地に帰り、そこで魔物に襲われたのだ。
足が引きちぎられ、再接合が不可能なくらいに傷付けられたため、回復魔術の使い手が懸命に治癒したけれど、足を引きずりながら歩くという後遺症が残ってしまった。
私はちらりとラカーシュを見た。
一切の陰りも憂いもない傲慢な上級貴族、それがラカーシュ・フリティラリアだ。
けれど、彼は足を切断されるという事件によって敗北を知るし、足を引きずって歩くことで自分は欠陥品だと思うようになるのだ。
もちろん、ラカーシュの山より高いプライドにより、彼の鬱屈した思いは誰の前でも上手に覆い隠されていたけれど、彼がこの怪我により深く心を傷つけられ、性格がねじ曲がってしまうのは間違いない。
私は思わずラカーシュの前まで歩いていくと、口を開いた。
「ラ、ラカーシュ様、明日、私と王都の街に買い物に行きませんか?」
「…………は?」
唐突な話にラカーシュが訝し気な顔を向ける。
「悪いが、私は今から領地に戻る予定でね。無理だな」
「で、では、観劇などいかがでしょう? 明日の夜、王都で大人気の観劇のバルコニー席を、侯爵家で確保しておりまして」
「うん、だから、明日の私は領地にいる。それに、侯爵家ごときが入手可能なものを、我がフリティラリア公爵家が入手できないはずがないだろう?」
「そう……です、ね……」
それ以上言い募ることができず、私はしょんぼりと肩を落とした。
私の視界の端には、何度も誘い掛ける私を無言で見つめるラカーシュとエルネスト王太子が映った。
「……ルチアーナ嬢、休みが続いていたので心配していたが、元気になったようだな」
王太子が穏やかな表情で口を開いた。
一見すると、数日間休んでいたクラスメイトを心配する、親切で思慮深い王太子の姿だった。
うっすらと微笑む彼の髪に、狙ったようなタイミングで陽がかかり、王太子の艶やかな銀髪がきらきらと輝く。周りの女生徒たちはそれを見て、一斉にほうっとため息をついた。
私はそんな王太子を、どうにも信じられないものを見る表情で見つめた。
……ルチアーナはどうして、王太子を穏やかで優しい人だと憧れていたのかしら?
王太子の口元は笑みの形を刻んでいるけれど、その瞳は全く笑っていなかった。
むしろ、完全に私を馬鹿にしていた。
その証拠に今のセリフは、連続で学園を休み、病み上がりにも関わらず、男性に誘い掛ける私を馬鹿にしたものだった。
それを穏やかそうな表情に隠し、取り方によっては親切に聞こえる言葉に置き換えることで、誰にも気付かれないような形で馬鹿にしているのだ。
彼が言った「元気になったようだな」というのは、「お盛んだな」という意味だったというのに。
そんな王太子の冷酷で冷徹な本性に気付かず、『エルネスト王太子様、優しくて素敵』とか言っていたルチアーナは間抜けだ。
とは言っても、学園中の生徒が王太子は温厚で親切だと信じているので、王太子が1枚上手なだけかもしれないけれど。
けれど、そんな風に王太子は冷酷だと思いながらも、心のどこかでは、『さすが王太子』と感心せざるを得なかった。
なぜなら、ルチアーナは外見だけは、完璧だったから。
並の男性ならば、ふらふらとルチアーナの色香に騙されるだろう。
けれど、王太子はきちんとルチアーナの内面を見てから駄目だと判断し、切り捨てているのだ。
誰にも分からない形で私を馬鹿にするやり方は陰険だけれども、女性を見る目は確かだわ。
古代より、女性に溺れて国を滅ぼした例は幾つもあるというから、そういう意味ではこの国は安泰ね。
私は冷静にそう分析しながら、ほっと溜息をついた。
何にせよこの2人の視線を受け止めている状態は、居心地が悪いなと感じながら。
穏やかな表情に隠された馬鹿にしたようなエルネスト王太子の視線と、真正面から馬鹿にしてくるラカーシュの視線。……これはもう、退散するに限るわね。
そう考えた私は、「ご心配をおかけしました」と口の中でもごもごとつぶやくと、踵を返した。
けれど、残念なことに、すぐにその場を去ることは叶わなかった。
なぜなら、振り返った私の進行を邪魔する位置に、黒髪のすごい美少女が立っていたからだ。