喜寿を迎えた母に訪れた穏やかな日々
テーマ:生き抜き
立春も雨水も過ぎて日が長くなってきた。あいにくの風の冷たさだが、近所の河津桜は開花していた。そして鶯が何かを啄んでいる
もう早春だなあと実感する。そして天気が変わり易いのもこの時期によくあることだ
閑話休題、本日は路地裏の母の喜寿の誕生日である、なので妻子お供に実家に帰ってお祝いをした
母は苦労人である。30年近く前に祖母が亡くなるまで、祖母がいた介護施設によく足を運んでいた。その後、路地裏の父が心臓を患うようになってからは、パートを掛け持ちして家計を支えていた
路地裏が大学卒業を控えた20年前の1月、父が脊椎損傷で下半身不随となった。必死の看病の甲斐もなく、翌年6月に亡くなった
路地裏はその翌年、実家を出たが、家には大学受験に失敗して司法試験に挑む兄がいた。兄は択一式試験にすら合格できず、また受験仲間との仲も悪くなり撤退し、定職については会社の倒産などもあっていくつかの職を転々としていた
その後、兄は公務員試験に合格し市役所で働くようになった。母は大変うれしそうだった。
兄も家を出て行って、ようやく落ち着いたという矢先、今度は母が乳がんになった。少し進行していたステージ2Aだったと聞いた。切除手術と抗がん剤による闘病生活が始まった
一方で路地裏に長女が生まれた時は初孫を抱けてたいそう喜んでいた
がん治療も落ち着いてきた折、今度は叔母夫婦が不仲で、衰弱した状態で叔母が母のところに頼ってきた
その叔母もかなり弱っており、入院して2カ月足らずで肺炎で亡くなった。叔母が遺した田舎の不動産は誰も引き取り手がいないままであったので地元の顔が利く司法書士に相談して売買をあっせんしてくれた
ホッとした矢先に今度は兄の結婚問題が持ちあがった。ちょうどコロナ禍の時である。兄の新婚生活は1か月と持たなかった、そのあと嫁は実家に引きこもってしまい、義母も娘が戻ってきてくれたうれしさから、兄のマンションには帰らなくてもいいと言っていたそうだ
兄は程なく離婚したが1年近く手続きに時間を要したらしい。そしてその1年後、別の女性と結婚した。結婚式を明治神宮で挙げた。母は大喜びだった。
路地裏もそのころ留学を控えており、ある意味心配をかけてしまった。しかし、母も築44年の実家を取り壊して新築の家を建てると決めた。この時母は74歳である。
新築の母の家が完成したのと同じくして路地裏は渡米した。1年の留学を終えて帰国すると、母は新しい家で元気に暮らしていた
そして今月10日は最後のがん検診を受けたようだ、経過は良好で再発も認められないとのことだった。10年前のがん手術から10年、ようやく母も一つの区切りが訪れたのではと思う
一大決心して家を建て替え、倅も帰国し、がん治療も完了した、ようやく母に穏やかな日々が戻ってきた
3人の孫娘の顔を見て顔がほころぶ。同世代ではもう亡くなっている人もいる。まだ母には父や母について聞きたいことがある、だからこそできるだけ少しでも元気に長生きしてほしい