「よく来てくれたね」
蓮と明智君の二人に向けて、丸喜先生はそう言って笑いかけた。それに対して二人は身構えたまま、警戒を崩すことはない。
「二人は無事なの?」
「無事だよ。最初から危害を加えるつもりは無かった。芳澤さんには彼女の望みを叶える準備を、海藤くんはこの世界から消えてしまわないように保護をしていただけだ」
そう言って丸喜先生は僕と芳澤さんへと振り向く。その視線に釣られるように、蓮と明智君も僕達の方へと視線を移した。
「望みを叶えるって言ってるけど、やってることはただの自己満足で他人を洗脳してるだけだ」
「……っ!」
明智君がそう言い放つと、隣に立つ芳澤さんがぎゅっと拳を握りしめる。その顔は、痛みに耐えるように歪められていた。
「……その自己満足で多くの人が幸せになる。君達が一週間見てきた仲間達は皆、苦しそうにしていたかい?」
丸喜先生がそう問いかければ、蓮の表情が今度は曇る番だった。この不思議な空間で僕も見ていたから分かる。坂本君や、双葉さん、喜多川君のように夢や目標、愛する人と一緒に過ごしていて充実していた姿を見てきた彼女にとって、その問いは否定出来るものじゃない。
「この現実こそが正しい現実だと、そう認めてくれるだけで良いんだ。そうすれば、君も、そして仲間の皆も幸せになれる」
その言葉に、蓮は黙って地面へと視線を落とす。それは迷っているようにも見えるけれど、何かを堪えているような姿にも見えた。隣に立つ芳澤さんが、祈るように手を胸の前に組んでいた。
「……断る」
「え?」
そして蓮が告げた答えに、芳澤さんが小さく声を漏らした。
「この世界では、確かに皆が幸せになってるのかもしれない。でも、その中でも現実を忘れていない、過去の過ちも、受けるべき報いを忘れていない人がいた。悔しいけれど、その姿を見て私は絶対にこの世界を認めるわけにはいかないと思った。自分達が変えるべきだと思った大人が、私達に変わるなと教えてくれた。自分達の選択を、行いを無かったことにするなと……!」
「……そうか、君達はやはりそれを選ぶんだね」
蓮が出した答えは明確な拒絶。それに対する丸喜先生の返答は、残念そうだけれどもどこか予想通りと言いたげなものだった。しかし残念そうに曇った表情はすぐに覆い隠され、丸喜先生はまた顔を上げて蓮達を睨み付ける。
「だけど、それで不幸になる人間がここにいるんだ」
その言葉と共に、芳澤さんが前に進み出て、蓮と明智君の二人と対峙した。
「私は、すみれには戻りたくない。だから、あなた達に負けたくありません……!」
そう言いながら、芳澤さんの姿が赤いコート姿から全身をタイトに覆う黒いコート姿に変わる。蓮が身を包むそれとよく似た姿。顔の上半分を覆う黒い仮面越しに、こちらを振り返った芳澤さんと目が合った。
「たとえ、海藤先輩に会えなくなるとしても……!」
「……追い詰められてる人間の目じゃない。徹、どうせ君が何か言ったんだろう?」
彼女と対峙した明智君が面倒事を増やすなと言わんばかりにこちらを睨み付けてくるので、僕は肩を竦めることしか出来なかった。確かに彼女と言葉を交わしたけれど、選んだのは芳澤さんだ。僕が居ても居なくても、同じ状況になっただろうとは思う。
「悪いけど、俺がやると怪我じゃすまないから君に任せる。……横槍は入れさせないから安心しなよ」
蓮にそう伝えた明智君は、二人から背を向けると彼らの背後にいつの間にか迫っていた白衣姿の黒っぽい異形の人形と対峙する。
「丸喜先生、芳澤さんの選択に干渉するんですか?」
「……横槍を入れさせない為だよ。雌雄を決するなら、一対一にすべきだろう」
僕の言葉に、丸喜先生はそう返す。しかし、眼鏡の奥に隠れた彼の目と僕の目が合うことは無かった。
僕がここに連れてこられた直後のような丸喜先生の余裕は、今は少し翳りが見られるように思える。芳澤さんが蓮に負けたとして、そのときに今の丸喜先生が大人しく芳澤さんが蓮の下へ降ることを許すだろうか、……あるいは。
「私は戻らない、かすみを殺したすみれには! ……サンドリヨン!」
「エキドナ!」
僕の心配を余所に、二人は戦いを始める。芳澤さんの言葉に応えるように彼女の背後にはバレリーナのような白いドレスに身を包んだ女性型のロボットのような像。
一方、蓮の背後に現れたのは美しい翼を持った半人半蛇の女性。彼女達が呼び出した存在が互いに互いを葬り去ろうと炎や剣を生み出しては投げ付け合う。
「あれが、ペルソナですか?」
「そうだよ、その人の心を守る鎧が認知世界で具現化した姿。あそこまでハッキリとした形を取れるのは二人の才能によるものだろうけどね」
僕の前に現れたイグを見て丸喜先生はペルソナと言っていたけれど、二人のペルソナを見ていると本当に同じものだろうかと首を傾げてしまう。自分の心が彼女達のそれのように強靭だとはあまり思えないのだけど。
「どうして、分かってくれないんですか!」
「芳澤の選択と私の選択が対立しただけ」
そうしていると、蓮が呼び出したペルソナが蛇の下半身を芳澤さんのペルソナに絡み付け、その動きを封じていた。そして右手に構えた槍が芳澤さんのペルソナを貫いたかと思うと、芳澤さんのペルソナはガラスが割れるような音と共に砕け散り、芳澤さんが苦しそうに片膝を地面に着く。
「……どうして」
「今の芳澤には負けてあげられない」
「やっぱり、今の私は……」
蓮の言葉にどこか納得してしまったように芳澤さんは震える自分の手に視線を落とす。その姿は、こうなることを予想していたようにも見えて。
「……そんな」
その姿を見ていた丸喜先生が小さく溢したのを僕の耳が捉えた。
「終わったみたいだね。……負けた割りには良い顔してるじゃないか」
二人の戦いが終わったのと同時に、明智君も自分の戦いを終えていたのか、二人のもとへと戻ってくる。
「そう、でしょうか……?」
「そうだよ。負けたくせに笑ってるじゃないか」
僕達に背を向けているから芳澤さんの表情は窺い知れない。けれど明智君の言葉を否定しないところを見ると、芳澤さんは本当に笑っているのかもしれない。
「そうかも、しれませんね。私、本当は負けても良いって思ってたのかもしれません」
僕の考えを肯定するように、芳澤さんが口を開く。
「海藤先輩にも言われました。かすみより、すみれとしての私の方が心に残っていると。でも皆の言葉を聞かないように耳を塞いで、私はかすみだって思い込もうとしてました。結局、私は自分の為にかすみになろうとしていた。かすみに成り代わりたいだけだったのかもしれない。そんな私が、先輩に勝てないのも当たり前ですよね……」
「芳澤さん……君は……」
芳澤さんの言葉を聞いた丸喜先生が目を見開いていた。予想が大きく裏切られたとでも言うように、そして、何かに導かれるように丸喜先生も彼女のもとへと歩み始める。
「丸喜先生……?」
声を掛けてみたけれど、丸喜先生は僕の声に反応することすら無い。
「君が諦める必要なんか無いんだ」
「え?」
そうして口を開いた丸喜先生の言葉に、芳澤さんがキョトンとした顔で振り返った。腕を左右に広げ、彼女を迎え入れようとするような体勢で丸喜先生は彼女のもとへと進み続ける。
「雨宮さんが多くの仲間の力を借りたように、僕も君に力を貸せる。自分の為に幸せを追いかけることは何も悪くない。その為に、誰かの力を借りることだって」
「先生……?」
「もう君が苦しまないように……、君が『かすみ』でいられるように。……この力で」
そう言って丸喜先生が顔を上げると同時に、彼の足下から何本もの暗緑色の触手が現れる。
「え……、きゃあ!?」
その触手が芳澤さんを捕らえ、両手足を拘束して持ち上げる。
「丸喜先生! 何をするつもりですか!?」
「彼女の力を引き出してあげるだけだ。それくらいの助力は許されるだろう? 雨宮さんと違って、彼女はずっと一人で戦い続けてきたんだから」
いったい何をしているのかと彼に問うても、具体的な答えは返ってこないまま。けれど、その言葉に、丸喜先生がやろうとしていることは蓮達と顔を合わせる直前に芳澤さんが丸喜先生に伝えていたことを無視する行動だと察した。
「それは彼女の選択を、意志を踏み躙る行いだ!」
「だとしても! これが彼女にとって幸せになれる方法だ! 自分から耐え難い現実に当たって砕けてしまうよりも、僕の救いの方が……!」
何を言われても止めるつもりが無いと分かる強い口調。僕が今まで丸喜先生と話していて、彼がここまで強い口調になるのを聞いたのは初めてだった。
どうすれば止められるかも分からないまま、けれどこのまま手をこまねいているよりはと僕が彼らに近づこうと前に進めば、その前に大量の触手が立ち上がって進路を塞ぐ。蓮と明智君も、何が起こっているのか理解が追い付かない様子で、ただ警戒するように身構えていた。
「自分の本当の願いを押し殺す必要なんか無い。僕ならそれを叶えられるんだ……!」
「うっ、く、きゃあああ!?」
電流のような何かが触手を伝い、芳澤さんへと流れる。その衝撃に悲鳴をあげたと思えば、彼女はぐったりと意識を失ってしまった。
「灰にまみれた居場所なんていらない……!」
それと入れ替わるように、先ほど芳澤さんの背後に現れていたペルソナが、今度はその身を赤く染めて再び顕現する。意識を失った芳澤さんの悲痛な叫びを代弁するかのように叫びながら。
「あの場所にはもう戻らない。ここが、私の居場所なの!」
「……本当の願い。無理矢理引き出した欲望を叶えることが本当に彼女のためになる?」
「僕の力なら、誰も不幸にすること無く叶えられるんだ。どれだけ泥だらけなものだったとしても、それを僕は救い上げられる」
「それは救ったなんて言わない。本当の願いだなんて言って、誰かの欲望を無制限に叶えることが救いになるような世界があるなんて、俺は認めてやらない」
先ほどまで蓮が対峙していたそれよりも数段は力に満ち溢れた姿になった芳澤さんのペルソナを前にして、蓮と明智君は一歩も退こうとはしなかった。
「ハッ、やっぱり自分が正しいって信じて疑わない人間が一番厄介だね」
「今は芳澤を止めるしかない」
明智君と蓮がそう言うと、彼らも自身の背後にペルソナを顕現させる。僕には彼らのペルソナがどれだけの力を秘めているかは分からない。けれど、分が悪そうだということは明智君と蓮の表情を見ていれば自ずと理解できた。それだけ、丸喜先生によって力を引き出された芳澤さんのペルソナが強力だということ。
「戻らないわ……惨めで、悲しみに満ちた灰色の私にはァアアアアアッ!」
芳澤さんの真紅に染まったペルソナが咆哮と共に力を溜めるような仕草をする。
「来るぞ!」
それに対応して、明智君が呼び出した双頭の大蛇が、明智君自身と蓮の二人を守るようにとぐろを巻く。その直後、目を灼くような閃光に、僕は思わず腕を自分の目を庇った。同時に僕の耳をつんざく轟音と衝撃に、後ろによろめき、尻餅をついてしまった。そして光と音が収まった後には、その一撃で全身をボロボロに焼き焦がされた明智君のペルソナが辛うじて立っていた。
「おい、おい……、滅茶苦茶な威力しやがって」
「明智!」
明智君が庇っていた蓮は無事なようだけど、明智君はフラフラと今にも倒れそうな様子だ。
「まだ倒れないのね!」
そして二人がまだ立っていることを見咎めた芳澤さんのペルソナが、再び力を溜めるように両手を頭上に掲げた。
「芳澤さん!」
マズイと思って僕が声をかけても、ぐったりと意識を失ったままの芳澤さんは何の反応も示さない。彼女のペルソナに至っては僕の存在を完全に無視しているようだ。
今の明智君の様子を見て、同じような一撃を再び喰らって大丈夫などとは到底思えない。かといって僕に出来ることは何も思い浮かばないまま、二撃目が二人に襲いかかろうとする。
けれど、芳澤さんと蓮、明智君の二人の間を遮るように彼らの後ろから飛び出す影、その数七つ。
「させるかよ」
「スカルだけに任せらんないし!」
「二人だけでは不足だろう!」
「ああもう、皆飛び出していくなんて!」
「でも、私達らしいかも!」
「肉体労働は私の領分じゃないんだぞ!」
「ここまで運んできてやったワガハイを置いていくなよ!」
そう言いながら彼らは皆、自身の顔を覆う仮面に手を添える。目の前に迫る破滅的な力を秘めた閃光に対して臆することもなく。
「「「ペルソナァ!!!」」」
その言葉と共に現れた七体のペルソナが、今まさに蓮と明智君に襲いかかろうとしていた閃光を吹き飛ばしてしまった。