「面白いものは見れたかい?」
「……明智は知ってたの?」
明くる日、蓮からの電話を受けた明智の第一声はそれはもう楽しそうなものだった。それに対して釈然としないものを抱えながら、蓮は問う。
「俺が徹に賭けることを決めた最後のピースが奥村だったからね。当然、奥村は徹のことを覚えていただろうね」
「でも、金城は」
「そっちについては俺が調べを付けておいた」
そう言って電話の向こう側で紙を捲る音が聞こえた。蓮が仲間達と接触していた間、明智も独自に調査を進めていたのは確からしい。
「金城潤矢。平凡な会社員で幸せそうに暮らしてたよ。奴にとってはこの世界は随分と居心地が良いんだろうね。ただ、その場合どうやって君が新島真を怪盗団に引き込んだのかは分からないけど」
どうせ丸喜が矛盾したままどうにかしたんだろうさ。そう言って明智は鼻を鳴らした。徹と関わりがあっても、全員がこの世界に違和感を覚えるわけではない。そのことはむしろ、蓮にとっては安心できる話でもあった。
「徹は私達と変わらない人間だった」
「はぁ? 当たり前じゃないか」
「でも、イグだったり、鴨志田や斑目、奥村を見ていたら徹が普通の人間だっていうのも無理があると思う」
「……そこは否定しないけどね。それで腰が引けてるようじゃ競合に勝つなんて無理なんじゃない?」
「むぅ……」
明智の言葉に蓮は言葉に詰まり、口を尖らせる。それがまた明智にとっては面白かったのか、電話口からはクスクスという笑い声が聞こえてきた。
「ま、それはともかくとして。少し情報も集まったことだし、専門家の話も聞いておくべきだと思わないかい?」
「専門家? この状況の専門家なんて私達以外にいるとは思えないけど」
「いるじゃないか。この状況になったからこそ、認知訶学の権威と言うべき人間が」
この状況になったからこそ、とまで言う明智に、蓮も一人の人間が頭に思い浮かぶ。
「まさか」
「一色若葉だよ。彼女に話を聞くべきだ」
明智の提案でルブランで落ち合うことにした蓮は、店で楽しそうにお喋りに興じる一色若葉と双葉、惣治郎をぼんやりと眺める。コーヒーを口に含み、頭の中に浮かぶ取り留めの無い思考と共に味のしないコーヒーを飲み下す。
蓮から見て、この世界で最も救われているだろう人間は双葉だ。今の双葉は母親と共に暮らしていて、仕事で忙しい若葉の負担を和らげるために惣治郎が店で二人に食事を振る舞うこともある。その暖かな光景を見るたび、蓮の胸には裏腹に重苦しいものが立ち込めるのだ。
そんな蓮の思考を遮るように、ルブランに来客を告げるベルの音が鳴る。入り口に立っているのは、先ほどまで電話していた人物だ。
「いらっしゃい」
「お邪魔します。ああ、一色若葉さんもいらっしゃったんですね」
「あら、私に何か用事かしら?」
最初から店にいることを知っていて来たというのに、そんなことを感じさせない様子で明智は一色若葉の元へと歩いていく。
「本当は雨宮さんにも話があったんですが、是非専門家の意見も聞きたいと思いまして」
「専門家、ということは認知訶学にまつわる話?」
明智に手招きされるままに席に座る蓮。気がつけば、若葉と双葉を前に二人で並んで座る格好になっていた。
「そうですね。怪盗団の改心にまつわる話でもありますね」
「改心……」
明智の言葉に若葉が考え込むように顎に手を当てる。そしてその横では双葉がアワアワと慌てたように手を振っていた。その様子に明智が怪訝そうに顔をしかめるが、すぐに彼女の焦りの原因に気付いたようで、深いため息を吐いた。
「まさか母親に伝えていなかったのかい?」
「い、言えるわけ無いだろー!」
明智の言葉に顔を真っ赤にしてそう返す双葉。怪盗団のことについては、どうやら双葉から若葉に伝えていないということになっているのだと蓮もそのときになってようやく気付いた。
「双葉、何のこと?」
「な、なんでも……」
若葉の言葉に、双葉はあからさまに動揺を見せながら目を逸らす。その微笑ましい様子を目の当たりにして蓮の顔がまた僅かに曇った。
「まあどうでも良いや。あなたに聞きたいのは認知世界が現実世界と入れ替わる、みたいなことって起こり得ますかということです」
「認知世界と現実が……?」
「認知訶学の権威であるあなたからして、それは実現性がある話ですか?」
明智に問われ、若葉は真剣な顔をして考え込む。そんな明智を見た双葉も彼が冗談や嫌がらせで話を持ち出したわけでは無さそうだと感づいたのか、蓮と明智を交互に眺めては首を傾げている。
「……実現性は無い、わね。少なくとも現時点では」
「…………本当に?」
「そもそも認知世界の観測方法がまだ確立していないのだもの」
「なるほど……。なら、仮定の話で構いません。もし認知世界と現実世界が入れ替わる、あるいは人の認知によって現実が自由に改変出来るようになったとして。現実で死んだ人がその世界で生きていれば、それは本当に生きていると言えますか?」
「現実で死んだ人が、認知世界では生きている……」
「おかしい話じゃないはずだ。例えば誰かの認知世界では、現実では死んでいてもその認知の主がにそれを知らなければ死んだことにはならない」
「理屈上はそうなるかもしれないけれど……」
明智の言葉は徐々に熱を帯び始める。若葉を追い詰めようとしているようにも思える口調で明智は言い募る。
「その通り、理屈上はそうなるんです。現実で生きている人間が、認知世界では死んでいるどころか存在そのものが無かったことにされることもね。もしそれを可能に出来る力が認知訶学にあったとして、それを振るうことを専門家であるあなたは正しいと判断しますか?」
熱弁を振るうあまり腰を半ば浮かしていた明智はそこまで言い終わると自分の状態に気付いたらしく、一息つくように再び腰を下ろした。
「そこまで言う程なら、少なくとも明智くんにとっては信憑性がある話なのよね?」
「ええ、だから専門家の意見を伺いたいんです」
「……分かったわ。きちんと可能性を考えてみるから少し時間を貰える?」
「頼みます。あなたの助言が頼りです」
「ええ。……それと、あなたの言ったことだけど。現実が認知による改変を受けたとして、それで死者が蘇ったとしても死者は死者よ。死んだ人間が生きていると思い込んで生きることは、現実を目の当たりにしたときにもっと辛いことになる。現実で生きている人のそんな心の傷を癒す可能性が認知訶学にはあるはずよ」
「……そうですか。それが聞けただけでも今日は十分です」
「さて、一色若葉には種を蒔いた。これが芽吹くかどうかは分からないけれどね」
「明智、結局彼女からは何を聞き出したかったの?」
一色若葉との会話の後、明智に引っ張られるようにして渋谷駅まで出てきた蓮は、頭のなかに浮かんでいた疑問を口にする。結局、明智が何を聞き出したかったのかが蓮には分からないままだった。
それに対し、明智は少し考え込むように顎に手を当てたかと思うとすぐに口を開いた。
「丸喜の力がどこまで影響しているかを測りたかったんだよ。もし丸喜が蘇らせた人間が丸喜の思想を反映しているのなら、この世界を否定するようなことを口にしたりはしないだろう? そして最後の一色若葉の言葉で、少なくとも丸喜は一色若葉の思考に影響を与えたりはしていないみたいだね」
「認知世界に生きる死者を否定したから?」
「そういうこと。彼女は優秀だからね、こうしてきっかけを与えてやれば自分で気付くかもしれないよ、この世界の奇妙さにね」
「そう、でも……双葉は」
「もしそうなったとして、選ぶのは佐倉双葉だ。喋ってたのは俺だけだし、恨まれるのは君じゃないから安心しなよ」
そう言って明智は蓮の頭に手を置くと乱雑に髪をかき回した。最近、というより年が開けてからというもの明智からの扱いが変わったように感じる蓮だったが、今の明智の方が自然に感じてしまう彼女でもあった。
「……何だか子ども扱いされている気がする」
「そう思うなら俺がこうやって慰めてやらなくても良いくらいに開き直ってくれないかな。毎回仲間がー、なんて言って沈まれても困るんだけど」
「ぅ……」
明智の言葉に蓮は言葉に詰まり、明智にされるがままになるしかなかった。事実、明智の言う通りに仲間のことが頭を過り、特に一色若葉が自身の境遇を理解してしまったとき、それを双葉にどう伝えるべきなのか。双葉はこの世界を拒絶することを選ぶのか。
「明智君に雨宮さん……?」
また思考が答えの無い問いの中に入り込みかけたのを、誰かの声が遮る。そちらへと視線を向ければ、蓮と明智の二人を珍しい組み合わせだと言わんばかりに目を丸くして見ている冴と目が合った。
「新島さん、奇遇ですね、と言えば良いんですかね?」
「どうかしらね」
明智の言葉に曖昧に返した冴の視線は、隣に立つもう一人の新島へと注がれる。そこには、暗い表情でキョロキョロと辺りを見回している真の姿があった。
「真……?」
「あ、蓮……」
明智と蓮の二人がいることにも声を掛けられて初めて気付いたと言わんばかりの様子に、二人が目を見合わせる。
「何かあったの?」
「いえ、何も……、そう、何も無いはず、なのよ……」
蓮が気遣わしげに問い掛けるが、真は何も無いと返しつつまた周囲へと視線をさ迷わせる。
「何も無いっていう様子じゃない」
「……何か忘れているような気がするのよ。誰かを、忘れちゃいけない誰かを忘れている気がして」
蓮の言葉に真が独り言のように小さな声でそう呟く。それを聞いた蓮は、真がどうして暗い表情をしているのかに思い至る。
「真、それは誰か分かる?」
「分か、らないのよ……! 思い出そうとしても、頭に靄が掛かったみたいで……」
思い出すように促してみるが、真は苦しそうに頭を押さえるだけだった。
「冴さんは何とも無いんですね?」
「そうね、あなた達二人が揃っている理由についても察しているつもりよ」
明智の質問にそう答えた冴は、黒と灰色のマフラーに鼻先まで埋めて目を細めた。
「けどごめんなさい、私じゃあまり助けになれそうにないわ」
しかし続く冴の言葉に、蓮と明智は怪訝な表情に変わる。二人の目的について察しているのなら、冴も当然それに協力をするものだと特に明智は考えていた。
「何故です?」
「……父がいるのよ、ここには。真にとってはここの方が良いのかもしれない」
冴の言葉に、蓮はかつて真や冴のシャドウが口にしていた彼女らの父の話を思い出す。正義感に溢れた警察官で、しかしある日報復として殺され、姉妹二人だけが残された。この世界は、父が生きていて欲しいと真が望んだ故のものだと、冴は薄々察していた。
「……この真を見ても?」
「それでも、真が気付くのを待つわ」
真はすでにこの世界に違和感を覚え、その違和感の源を探そうとしている。しかし、冴はそれでも真が自分で選択するのを待つと言う。それに釈然としないものを感じたのか、明智が鼻を鳴らして蓮と冴の間に割って入った。
「冴さんはそれで良いと? もしこの世界を選ばれたとしても諦められますか?」
「私は真にこれまでずっと我慢させてきたわ。諦められるかと問われれば……、難しいかもしれないけれど」
「……そうですか。それじゃあ俺達はこの辺で」
聞くべきことは聞いたと言わんばかりに踵を返した明智に蓮も引っ張られるが、それを止めるように冴が声をかける。
「二人とも、もし時間があるなら会って欲しい人がいるの」
「私達に?」
「ええ。私がこの世界がおかしいと気付けたのもその人のお陰なのよ、悔しいことに。あなた達の助けにもなるかもしれない」
「俺達の助けに?」
その言葉に明智が訝しげな表情のまま振り向く。
「もしかしたら会いたくない人物かもしれないけど、ね」
冴がそう言えば、明智の表情が歪む。その顔を見て蓮も脳裏に思い浮かぶ人物がいた。徹が関わり、そして怪盗団も改心に動き、そしてまだ蓮達が接触できていない人物。
「獅童正義。国家転覆未遂でただ一人取り調べを受けている人物よ」