怪盗団が巨大な骨を足場にして天に浮かぶ台座を目指して駆け上がっていくのを見送った僕は、それを同じように眺めている明智君に視線を向ける。怪盗団と一緒にあの大きな扉から出て来たのに、明智君はここに居ても良いんだろうか。
「俺がアイツらについて行くとでも? 言っておくけど、こんな異常な状況で君一人を置いて行く選択肢は無いよ。何より、俺はアイツらが嫌いなんだ」
僕の視線の意味に気付いたらしい明智君が、僕に呆れたような視線を返す。僕のような一般人が今すぐ危険な目に遭うとはあまり思えないけれど、専門家の明智君の言うことだ。逆らわない方が良いだろう。僕の知らない何かを掴んでいる可能性もあることだし。
「ええっと、明智君……?」
そこで、僕の横で冴さんが目を丸くして明智君を見ているのにも気が付いた。そういえば、彼女はこの荒い口調の明智君を見るのは初めてだったかもしれない。
「ああ、こっちが素ですよ、冴さん。この面子じゃ取り繕う必要もないですしね」
「そう、なのね。少し驚いたわ」
事も無げに言った明智君にやや強引に納得させられた様子の冴さんだったけれど、気を取り直すように咳払いを一つ挟むと、小さく笑みを浮かべて明智君へと右手を差し出していた。
「それなら、もう一度知り合うことから始めましょうか」
「……冴さんも徹から変な影響受けてますね」
差し出された右手を見て、明智君は僅かに頬をヒクつかせていたものの、最後には苦笑いして冴さんと握手を交わす。それを見て堪えきれずに冴さんと僕から笑いが零れた。
「前にも言ったけど、やっぱり悪ぶるのは君には似合わないよ、明智君」
「なんだか、こっちの方が年相応に見えて安心するわ」
僕と冴さんが笑っているのが気に食わないと言わんばかりに、明智君は鼻を鳴らして視線を上に向ける。それに釣られて僕も見上げるけれど、怪盗団の姿は見えなくなってしまっている。しかし微かに聞こえてくる物音で彼らが戦っているのが分かる。
「まるでアニメか何かみたいだね。怪盗団が対峙するのは、大衆がそうあれかしと望んだ鰯の頭だ」
「……君は随分と前からこうなることを予想していたんじゃないのかい?」
「僕が?」
明智君にそう言われ、僕は目を丸くして彼へと視線を戻すことになる。一体誰がこんな映画や特撮のような状況になることを予想できただろう。そう言い返してみるけれど、明智君は何故か僕を疑わし気に睨みつける。僕はそこまで超能力みたいな未來視が出来るようになった覚えは無いのだけど。
そう思っていると、服の裾が誰かに引っ張られる感覚がした。その感覚に従って視線を下に向ければ、僕を見上げる金色の瞳と目が合う。
「えっと……?」
「お初にお目にかかります。ベルベットルームの案内人、ラヴェンツァと申します」
ラヴェンツァ、と名乗ったその少女は、銀髪を揺らしながら青いワンピースの裾を摘まんで優雅に一礼する。そして再び顔を上げた彼女はニコリと微笑みを浮かべて僕を見た。
「今の世界は現実と認知世界が奇妙な融合を果たしている状態。今であれば、さほど力を使わずともこちらに出ることが出来ます。あなたに是非お会いしたいと思っていました、海藤様」
「……初対面、だよね?」
どうして僕は初対面の少女に顔と名前を知られているのだろうか。そう思っていると、明智君が凄い表情でラヴェンツァを見下ろしていた。
「さっさと牢屋に帰ってくれないか。君は徹と何の関係も無いだろう」
「いいえ、もう一人のトリックスター。カロリーヌとジュスティーヌがお世話になりましたから、挨拶をしておきませんと」
詰め寄る明智君に、幼いラヴェンツァは歳に見合わぬ冷静さでむしろ挑発的な笑みを浮かべて返す。間に挟まれている僕が一番何も理解できていない状況だったけれど、それでも彼女の口から出た二人の名前は聞き覚えがあった。随分と前のことのように思えるけれど、蓮の知り合いだという外国人のような双子の名前だ。
「君は二人の知り合いかい、ラヴェンツァ?」
そう問いかけてみれば、彼女はパッと朗らかな笑みに変わって僕へと向き直る。それを見て明智君がまた凄い顔になった。僕はどっちにどんな顔を向ければ良いか迷ったものの、結局は腰を屈めてラヴェンツァと視線を合わせることにした。
「ええ、二人からはあなたのことをよく聞いています」
「なるほど、だから僕の名前も知ってたのね。それはともかく、海藤徹です、よろしくね」
既に彼女は僕の名前を知っているようだけど、改めて名乗っておく。黒い手袋に覆われた彼女の手が僕の右手をとった。カロリーヌやジュスティーヌから僕のどんな話を聞いているのかは分からないけれど、随分と心を許してもらったものだと思う。ファーストフードを奢ってもらえるという話でも聞かされたのだろうか。
「はい、トリックスターを導く標に会えて光栄です」
「さっきから言っているトリックスターというのは蓮のこと?」
「その通りです。今まさに偽りの神と対峙している、この世界に変革を齎すもの」
「なるほど。まだ噛み砕けない用語が多いけど置いておこう。それで、僕に会いたかったっていうのは?」
「あの二人だけがこの温かい気配に触れるのはズルいですから」
そう言ってラヴェンツァは自分の指と僕の指を絡めて嬉しそうに笑う。……年相応に中々見えない姿だ。よく分からないことが増えていくばかりだけど、蓮の知り合い、カロリーヌとジュスティーヌも知っているということはこの子も悪い子じゃないのだろうと思い直し、僕は右手をラヴェンツァに掴まれたまま、再び空へと目を向ける。
「ラヴェンツァ、君は蓮の不思議な力を知っているのかな?」
「ええ、知っています」
「なら、空に浮かぶ馬鹿みたいに大きなあれを、蓮達は倒せるかな?」
僕とラヴェンツァが目を向ける先には、白く輝きを放つ巨大な人型の物体。腰には翼のような構造物の他、銃身にも見える白い筒。つるりと鏡面のようになった顔にあたる部分で、先ほどまで杯があった台座と下界を睥睨していた。その姿は、確かに彼女が偽りでも神と呼ぶに相応しい威容を放っていた。
人が抗えるようなものとは思えない存在。それが腕を一度振れば、轟音と共に閃光が眩しい。そんなものと、怪盗団は対峙しているのだ。蓮達のことは信じている。彼女達ならやり遂げるだろうと。けれど、彼女達を案じる気持ちはそれだけで消せるわけでは無かった。
「不安ですか?」
「不安、というより心配かな。彼女達が大怪我でもしたらと思うと」
「……フフ、やはり温かい人ですね。大丈夫ですよ、怪盗団は自らの意志を貫く人達。そしてその姿は、大衆の心を動かすでしょう」
そう言って自信ありげに微笑むラヴェンツァに、僕はといえばあまり彼女の言いたいことが理解出来ないままどう返したものかと頭を悩ませることになった。そうして視線が周囲へと移ったところで、今までとは道行く人々の様子が違うことに気付く。誰もが口をあんぐりと開けて空を見上げている。そして口々に「怪盗団」と呟いているのだ。
「やっちまえ! 怪盗団!」
そんな困惑した群衆の声を斬り裂くように、交差点のど真ん中から声が上がった。
人々の隙間から見えるのは、制服に身を包んだ三島君だった。
「今までアイツらがなんで身体張ってきたと思ってんだ!」
三島君を遠巻きに眺めてヒソヒソと何か呟く声。投げかけられる冷たい視線に、彼も鋭い目で対抗していた。
「いい加減、目を覚ませよ!」
目を覚ませ、という言葉にこれまで無関心だった人達がまた空の異変に目を向ける。彼の言葉が、怪盗団を再び人々に認識させているように。
「いつまで逃げてるつもりなんだよ!」
三島君の言葉に、ついに交差点で立ち止まっていた全員の目が空の異形へと向けられた。その上、彼らが口々にまた怪盗団と声に出し始める。先ほどの三島君のように、怪盗団にエールを送るものまで。もう彼らの中で、怪盗団は居ない者じゃなくなった。この世界が認知の影響を受けるというなら、今この瞬間、怪盗団は再び認知された。まるで熱に浮かされるように怪盗団を望む声が渋谷を埋め尽くしていく。そのことが、怪盗団に力を与えるのだとしたら。
「ほら、言ったでしょう?」
ラヴェンツァの誇らしげな声と共に、雲を割いて悪魔の首魁が姿を現した。
「終わった……?」
白く巨大な神と同等の大きさを誇る悪魔。それが構えた銃から放たれた砲弾が、神の顔に綺麗な穴を開けた瞬間、渋谷を覆っていた巨大な骨の構造体はガラスのような破片に分解されて空へと消えて行ってしまった。それはつまり、認知の影響が現実から消えていることの証拠。赤かった空は今にも降り出しそうな曇り空へと表情を変え、先ほどまで怪盗団に熱狂的な声を送っていた人々はそれが無かったことだったかのようにまた日常へと戻っていた。
「クリスマス、また独りだよ……」
「総理不在で年越しかよ、この国大丈夫か?」
「でも獅童は無いだろ。自分の出世の為に裏金殺人なんでも有りでしょ?」
「確定って訳じゃ無いけど、自白もしてたしな。ったく、まともな政治家はいないのかね」
ただし、彼らの口から獅童議員を望む声は上がらなかった。
「これで、更生は果たされました」
その声に視線を下に向ければ、ラヴェンツァが嬉しそうに僕を見上げていた。
「怪盗団はやり遂げました、徹」
「みたい、だね。これで一件落着?」
「そうなります。認知世界の核は消え、怪盗団はその力と引き換えに大衆の歪んだ認知を奪いました」
認知世界の核が消えた。その言葉が僕の頭に引っ掛かった。それはつまり、
「もう認知訶学は何の力も持たないオカルトになった?」
「完全に力を失ったわけでは無いでしょう。ですが、以前のような力はもう無いでしょう」
ラヴェンツァは具体的なことには言及しなかったけれど、彼女の言葉が指す意味は何となく理解出来た。もう改心も、廃人化も起こらない。認知訶学は、そのうち認知
「……怪盗団が認知の核になることは無いのかな?」
「怪盗団が……?」
僕がふと零した言葉を、ラヴェンツァは聞き逃さなかったみたいだ。
「いや、何となくだよ。さっきの怪盗団への声援。まるで獅童議員の会見のときと同じように見えたからね」
大衆の認知が何かに集中し、それが核となるのなら。怪盗団自身が核となることだって十分あり得る。僕にはそう思えてならなかった。
「……なんてね。今は、辛い戦いを終えた彼女達を労おうか」
不安そうな表情になってしまったラヴェンツァに、僕はそう言って笑みを見せた。大仕事を終えた蓮達に不穏なことを言って余計な心配を掛ける必要は無いだろう。そう考えて、僕は少し離れたところで冴さん、明智君と話をしている蓮の方へと歩を進めた。
「……獅童は必ず立件して法の裁きを受けさせるわ。あなたの冤罪も任せて」
「泥は僕が被ってやるさ」
近付くにつれて彼らの会話が耳に入って来るけれど、大方話は終わっているようだ。僕が近づいてきたことに気付いた蓮がこちらに視線を向けたかと思えば、何故か鋭く目を細めて僕を迎えた。
「お疲れ様、蓮。皆は先に帰ったのかな?」
「……その通り。徹はどうしてラヴェンツァと手を繋いでるの?」
開口一番、蓮の底冷えするような声で背筋が伸びる。
「一緒に蓮を出迎えようと思ってね」
その言葉と共にラヴェンツァが僕の手を離し、綺麗なカーテシーをする。
「やり遂げましたね、トリックスター。父なる蛇と共に、あなたの勇姿を見ていました」
「……ありがとう」
疲れからか、はたまたラヴェンツァの嬉しそうな顔のおかげか、蓮も僕に対する冷たい声を維持することは出来なかったようで。一つため息をつくと緩く笑みを浮かべた。
「獅童の証言は明智がしてくれるって」
「そう……」
蓮の言葉に明智君の方へと視線を向けると、彼は当然だと言わんばかりに憮然とした表情だった。
「元々そのつもりだったからね。それよりもあれだけの大立ち回りをした後なんだ。さっさと帰って休んだら?」
「うん、そうさせてもらう……」
明智君への返事の声が少し頼りない蓮。僕の方へと向かってきているけれど、その足下も頼りないくらいには疲労困憊らしい。
万が一転んでしまっても支えられるようにと心構えをした瞬間、蓮が足を縺れさせて僕の方へと倒れ込んできたので、慌てて彼女を抱きとめた。
「大丈夫?」
「ん……だい、じょうぶ……」
僕の問いに答えながらも瞼はもう閉じかけていた。そして間もなくすうすうと寝息を立て始める蓮。どうしたものかと明智君と冴さんの方を見てみれば、二人とも苦笑を浮かべていた。
「送って行ってあげなよ」
「私と明智君はこれから獅童の立件に向けて動くわ。そっちは任せも良いかしら?」
一応、僕は男で蓮は女の子なんだけどと思いはしたけれど、立ったまま眠ってしまうくらいに疲れている蓮を起こして歩いて帰らせるのも可哀想だ。
僕は蓮を起こさないように気を付けて背負うと、明智君と冴さん、そしてラヴェンツァの三人に先に帰る旨を告げて渋谷駅へと向かう。
その最中、空からチラと降り始める白い結晶。
「雪か……。本当にお疲れ様、蓮」
背中で穏やかな寝息を立てている蓮に向けて、僕は小さく呟いた。
ようやく無印編終わりました。