「ええっと、集団幻覚という可能性はまだ残ってたりしますか?」
「……あいにく、そんな可能性は無いってことはあなたも分かるでしょう」
渋谷駅で冴さんと合流した僕は、周囲の異様な光景を見渡してどうしたものかとため息を吐く。
地面から伸びた巨大な生き物の骨は、東京の空を覆い尽くし、渋谷のスクランブル交差点の直上に向けてまるで祭壇のような台を構成している。その上には、杯のような形をした何かが乗っかっているみたいだ。
「あの上にある構造物、いかにも意味ありげじゃないですか?」
「そうだけど、あそこまで上るなんて言い出さないでよ?」
脊柱のような太い骨がお誂え向きに足場となって上っていけそうだけど、流石に僕もそれをする勇気は無かった。この異常事態は僕がどうにか出来るものじゃない。
「流石にそんな無茶はしませんよ」
「どうかしら。これまで散々無茶をして私を心配させてくれたじゃない」
「その節はご心配をお掛けしまして……。だからって手を掴んで逃げないようにすることも無いと思うんですが」
冴さんは僕を欠片たりとも信用してませんと言いたげな目で鋭く睨むと、しっかと僕の右手を握っている。なんだか迷子にならないように手を握られている子どもの気分だ。それだけ心配されているのだと思うのだけど、周囲の人達の視線が少し気になる。今の異常な光景よりも、僕と冴さんが手を繋いでいることの方が気になるのか。
「明智君には相変わらず繋がらないわね……」
冴さんはそう言って耳に当てていたスマホを離すと、画面を睨みつける。冴さんと合流してから何度か明智君に電話をしてみたのだけど、僕達二人の着信は留守電に繋がるだけだった。
「ところで、奥村社長は無事なんでしょうか。こんな異常事態で」
「大丈夫よ。ここに来る前に保護されている様子を見てきた。この異常事態を認識しているようだけど、体調は問題無さそうだったわ」
「ということは、この状況は獅童議員の派閥が引き起こしたことじゃなさそうですね」
もし獅童議員の派閥が一発逆転を狙って何かを仕掛けたのだとすれば、まず真っ先に狙うのは怪盗団。その次に重要な証拠を大量に握っているであろう奥村社長のはずだ。怪盗団は大仕事をする為に彼らの手の届かないところにいるとして、奥村社長の安否が最初の懸念事項だった。
「そもそも、派閥のリーダーを失ってこんなに早く認知訶学的な反撃を出来るとも思えないわ。何より認知訶学で反撃しようにも、こんな大それたことが出来るような技術も、知識も彼らが持っているとは考えづらい。明智君に頼り切りだった彼らがね」
「それもそうですが、だとすると今の状況は誰が、何のために起こしたんでしょうね」
僕の言葉に冴さんは考え込むように空いた手を顎に持って行く。聞いておいて何だけど、僕も自分が呈した疑問を満足させる答えは持ち合わせていなかった。
そもそも、起きている事象の規模が大きい。これまでの個人の精神暴走、廃人化や改心とは訳が違う。僕や冴さんには分かるほどの劇的な変化、しかしその変化が多くの人々には気付かれていないのだから。そうしてぼんやりと道行く人々を眺めていて、ふと気になったことを確かめようと、目の前に聳える骨の柱に手を当ててみた。
「ちょ、ちょっとそんなの触らないで……!」
それを見た冴さんがよくそんな不気味なものを触るわねと言いたげに僕の手を引くが、構わずに僕は骨の柱を掌で撫でる。硬質な感触が掌に伝わり、この柱が確かに物理的に目の前に存在していることが感じられた。ということは、見えているいないにかかわらず、この柱は物理的な干渉をする物だということ。
「冴さん。見えないものを避けることって出来ますか?」
「え……? そんなの無理に決まってるじゃない」
突然何を言い出すのかと首を傾げた冴さんに振り返って、僕は周囲の人々を指差した。
「この骨の柱は確かに触れます。だけど、僕達しか見えていなさそうだ。なら、それにぶつかる人がいてもおかしくない。なのに誰も怪我したり、こけていたりもしない。だからこの柱は見えていないんじゃない。
「気にならないもの……?」
よく観察してみれば、道行く人はこの骨を意識してか無意識にか、きちんと避けて歩いている。だけどそれは、僕らが普段気にも留めない障害物を、すれ違う人を避けるときと同じような動き。そこにあってもおかしくないものを、不思議にも思わないものを避けているだけ。
「赤い水も、骨も、見えていないんじゃなくて気にしてない。日常だと思ってるわけ?」
「あるいは見えているのに見ようとしていない、とか」
こんな異常なものが当たり前だと思ってるの? と小さく呟いた冴さん。だけど、もし僕の考えが正しいのだとすれば、この異常な現象は誰か個人の思惑で引き起こされたものじゃないと思う。個人が起こせる規模じゃないのなら、これは集団が起こしている事象だ。集団の認知が引き起こしている事態のはずだ。
「これを当たり前だと、見ようとしていない人たちがこの状況の原因じゃないですか?」
「……今この場を歩いている人達がこれを起こしていると言いたいの?」
「自分達が望んだものじゃないと、少なくとも僕達みたいに反応すると思いませんか?」
彼らがこうあって欲しいという願望が何らかの形を為したのが今の状況だとすれば、僕や冴さんのようにそれに違和感を抱き、気味の悪さを感じる条件は何だろうか。恐らく、共通項は怪盗団になるのだろう。
「認知訶学で言うところの認知世界が現実に現れたとしたら、こんな風に見えるのかもしれないですね」
「だとしたら皆は世界を荒れ放題の地獄って認知しているわけね……」
「まあ、僕の考えが正しかったとして、出来ることというのは特に無いんですがね」
僕はそう言って肩を竦める。悲しいことに、僕は蓮や明智君のように特別な力を持っている訳じゃ無い。この状況をどうにか出来るような選ばれた人間じゃない訳で、この異常事態の原因が分かったとしてどうすることも出来ないのだ。
歯痒い思いを誤魔化すように、僕が周囲の様子を窺うために後ろを振り返ってみれば、そこにはつい先ほどまでは影も形も無かった重厚な鉄の扉が鎮座していた。
「……冴さん、この扉ってさっきまでありましたっけ?」
「少なくとも私は今まで見えてなかったわ」
突如現れたその扉に僕と冴さんが身体を強張らせていると、扉は重々しい音を立てて開いて行く。扉の奥には誰かが立っているような気配。その向こうに立っていたのは。
「……蓮?」
「徹……?」
目元を覆う白黒のマスクに黒いロングコートを羽織った蓮が、キョトンとした顔で僕を見つめていた。
「なるほど、その扉の向こうが言わば蓮の認知世界とも呼ぶべき空間になっていて、怪盗団はそこに一時的に避難していたと」
「そういうこと、だと思う」
扉の向こうから続々と姿を現したのは、目元を隠すような仮面を身に付けた一団。ともすればハロウィンの仮装かと思えそうな恰好の彼らは、僕と冴さんを見て驚きに目を丸くしたかと思うと自分達が渋谷に姿を現したことにも驚いている様子だった。
「ここ、渋谷駅の前……?」
「この扉は開かずの独房、つまりはジョーカーがあの聖杯にとって最も危険な囚人だったということか」
赤い豹を象った仮面と、白い狐をモチーフにした和風の仮面を身に付けた男女がキョロキョロと周囲を見回している。
「高巻さんに喜多川君かな?」
「あ、副会長!」
「……今度は本物だな?」
高巻さんは仮面越しでも分かるくらいに嬉しそうに笑みを浮かべ、一方で喜多川君はどこか怪訝な様子で僕を見ていた。本物、というのはどういうことだろう?
「本物に決まってるだろうが。見れば分かる」
そんな二人に乱暴な口調で吐き捨てながら僕の方にスタスタと歩いてくるのは、黒い仮面に青と黒のストライプという出で立ちの男。声からすると、多分明智君なんだろうけど、随分と荒れた口調だ。
「やあ、明智君。電話したんだけど、取り込み中だったんだね」
「そうだよ。コイツらがあんまりにも情けないから助け舟を出してやってたってわけ」
そう言いながら、明智君が両手で僕の頬を挟み込むようにしてロックすると、じいっと仮面の奥から僕の目を覗き込んで来る。突然のことに怪盗団の他の皆もぎょっとしたような、ちょっと引いているような様子だった。
「……無事なんだな?」
「えーっと、特に危ない目には遭ってないよ。この異常な状況を無視すればだけど」
「この状況は怪盗団がどうにかする。君が無事なら、それでいい」
何がなんだか分からないけれど、とにかく僕を心配してくれているのは確かなようなので頬を挟まれたままだったけれど僕は笑みを浮かべた。
「心配してくれて、ありがとうね」
「…………普段からもう少し大人しくしてくれよ」
「それについては大人しくしているつもり、ではあるんだけどね」
そう言うと、何故か明智君の手に力が籠められた。ちょっと痛い。
「ちょ、ちょっと近すぎるから!」
そんな僕と明智君の間に割って入ってきたのはピッチリとした黒いスーツに身を包み、無骨な鉄の仮面を身に付けた女の子。仮面をしているけれど、真だってすぐに分かった。
「真、無事で良かったよ」
「え、ええ、ありがと……う? ……どうしてお姉ちゃんと手を繋いでるの?」
僕と相対した真は、何故か仮面越しでもすぐに分かるくらいに僕に向ける視線の温度が下がっていく。彼女の視線が捉えているのは、冴さんの右手が掴まえている僕の左手。そういえばさっきからずっと繋ぎっぱなしだったか。
「こうやって捕まえておかないとすぐに無茶をしそうだと思ったのよ」
冴さんはそう言うと僕の左手をようやく解放してくれる。多分、他にも僕を捕まえてくれるであろう人が増えたからなんだろう。
「捕まえる……ふーん」
そして真は何故か釈然としないといった様子で下から僕の顔を覗き込む。その姿勢は、今のピッチリとした彼女の格好を考えると中々に目のやり場に困るものだった。そのせいで僕は後ろめたいものなんて特に無いはずなのに、彼女から視線を逸らして宙を泳がせることになる。そしてそれは当然、真にあらぬ疑いを生じさせる仕草な訳で。
「どうしてこっちを見ないのかしら?」
「……ちょっとその恰好は刺激が強いと思うんだ」
「恰好……?」
僕が理由を伝えても、真は何を言っているのか分からないと言いたげに首を傾げている。その恰好を見られることは気にならないんだろうか。僕としては身体のラインが出過ぎていてどこを見てもセクハラになるんじゃないかと思うんだけど。どうして真は気にしないんだろう。その恰好に慣れてるんだろうか。
「真、追及するのは後でいくらでも出来る。今は目の前のことに集中」
そんな僕に助け舟、というには物騒な言葉がくっ付いたそれを出してくれたのは蓮。真の肩に手を置いて、やんわりと僕と真の間に入ってくれる。
「徹、私達はこれからこの状況を作り出した原因をどうにかしてくる」
「原因、というとあの空の上にいる杯みたいなあれのこと?」
「……よく見てる。その通り」
僕が指差せば、蓮は何故か不機嫌そうに少し口を尖らせて肯定した。
「後は怪盗団に任せて。正真正銘、最後の戦い」
「……最初から、僕は君達に頼りっぱなしだよ」
任せてと蓮は言うけれど、鴨志田先生のときも、金城のときも、獅童議員のときも、僕は怪盗団の力を頼りっぱなしだ。
それを伝えると、蓮は嬉しそうにはにかんだ笑みを浮かべる。
「同じくらい、私達は徹に助けてもらった。この場にいられるのも、徹の助けがあったから」
「特に何もしてないと思うんだけどなぁ……」
僕としては急に現れた扉から蓮達が出てきただけだ。何をした自覚も無いので、気にしないで欲しいとしか蓮には言えない。
「徹はそれで良い。私が勝手に感謝するから。空のデカブツは私達の獲物。怪盗団の最大のオタカラを奪ってくる。これが、私達のつけるけじめ」
「うん……任せたよ、怪盗団」
それだけ伝えると、蓮達は地面から伸びた骨の柱を駆けあがっていく。最後の戦い、その言葉が指す意味は僕と蓮の中では一つだ。怪盗団はやっぱり、最後は自分達の手でけじめを付ける。彼女らの美学に則って、決着を付けるんだ。