「いやー、無事に復帰してくれて何よりだよ副店長」
「随分とシフト空けちゃってすみませんでした」
久しぶりに顔を出したバイト先のファミレスで、僕は店長に頭を下げていた。ここしばらくはバイトにも顔を出せない日が続いていた。普段からシフト繰りに苦労している店長を見ているし、何なら、無断欠勤になった日も少なからずあったので店長からの副店長呼びに気楽な返しをすることも出来ないくらいには迷惑を掛けたと思う。
「事情は聞いてたから大丈夫だよん。警察の事情聴取と事件関係者の保護だかなんだかで家出られなかったんでしょ? 君の方も大変だったんだねぇ」
電話で事前に店長には事情を説明していたのだけれど、それにしても随分とあっさり許してくれた。いや、ありがたい話なのだけれど。
「そう言ってもらえると助かります」
「にしても、前から人が好すぎるキライがあった君だけど今回はまた一層面倒なことに巻き込まれてるね?」
「巻き込まれたと言いますか、半分は自分から首を突っ込んだところもありますかね……」
店長には近頃の怪盗団による改心事件関係で警察に事情聴取を受けているということくらいしか伝えていなかったのだけど、呆れたように口許に笑みを浮かべる店長はそれだけじゃないことを分かっているかのように首を左右に振る。次に目が合った時、店長は普段のような緩い笑顔を浮かべてはいなかった。
「君はどうにも自分を軽んじるところがあるよね。自分なら大丈夫、どうにかなるみたいに思ってるし、最悪どうにかならなくても良いかなんて思ってる」
真意の汲み取れない、能面のような表情。丸く、大きなメガネの奥からは無機質な眼光が僕を貫いてくる。これまで見たことの無い彼女の顔に、僕は思わず背筋が伸びた。
「そういうところ、傲慢だよ」
「傲慢、ですか」
「そ、傲慢」
そう言われてすぐに言い返すことが出来なかったのは、自覚があったからだろうか。
「良いかい、徹くん。誰だって一人で生きてないんだよ」
「それは、そうですね……?」
「そう。だから君が無茶して苦しむ人だっているし、自分の伸ばせる手の範囲は限られてるから人と協力する。君は他人よりもそれが少し広いかもしれないけど、だからって君が頑張り過ぎる必要は無いんだよ。そうしなくとも、何とでもなるのがこの世界なんだから」
何とでもなる。どこか確信めいたものを感じさせるその言い方に少し引っ掛かるものもあるけれど、店長の言うことも確かにそうだと頷けた。多分、僕が何もしなくとも怪盗団は改心を成し遂げていただろうし、今の状況を打開する術を見つけていただろうと言われればその通りだと自分も返すからだ。
「だから、無茶は止めようねぇ。無茶をするならうちのシフトにもっと入ってくれるっていう無茶をしてよぉ」
君がいない間は戦力が二人分くらい減った気がして私が大車輪の活躍をする羽目になったんだぞ~。なんて、机にべしゃっと崩れ落ちた店長からは、先ほどまでの不思議な雰囲気は感じられない。いつもの緩い店長に戻ったみたいだった。
「ま、社会の先輩としてのちょっとしたアドバイスだよ」
「……ちょっと沁みました、店長。普段からああだったらカッコいいですよ」
「無茶を言わないで欲しいね。私はのんべんだらり至上主義なんだぞぅ。君も私も、この舞台じゃ主人公どころかエキストラなんだから」
「エキストラ?」
「うむ。だからスポットライトが当たらないようにのほほんと過ごすのだ」
「僕ものほほんと過ごしてるつもりですけどね」
そう返せば、店長はまだまだ甘いねと言って鼻で笑った。
「のほほんと過ごしている人間は警察の取り調べを受けたりしないものだよ?」
「うーん、何も言い返せない」
バイトを何日も休んでしまって負担をかけたという負い目がある為、今日は店長に頭が上がらない。そのことを店長も分かっているのか、椅子から立ち上がると僕の方に近づいて来て肩にポンと手を置かれた。その顔には悪そうな笑みを浮かべて。
「ところで、副店長という言葉を否定しなかったね?」
「ぐぅ……」
「いやー、ようやく観念したかぁ!」
ニコニコ顔の店長にがっしと肩を組まれ、ぐわんぐわんと揺られる。違うと否定したいけれど、なんだかこのやり取りをしていると最近色々と考えていたあれやこれやを忘れられるような気がして、少し気が紛れるのも確かだった。
「店長、僕は今日事情の説明とシフト提出だけですけど、店長はお店の方は大丈夫なんですか? ずっと僕と話してますけど」
「んー? ……あ”」
僕の言葉に、壁に掛かった時計をチラリと見た店長の肩がビクリと跳ねる。どうやら思っていた時間をとっくに過ぎてしまっていたらしい。
「それじゃ、シフトは提出したので。次の出勤からまたよろしくお願いしますね」
「ちょ、ちょっと待って副店長! 可哀想な店長を助けようという殊勝な心掛けは無いかい!?」
「いやー、僕は店長の教え通りのほほん至上主義になろうと思うので」
「ぐえー!」
自分の言ったことがそのまま返ってきた店長が名状しがたい声を上げているのを尻目に、僕は休憩室を後にする。次の出勤日からは頑張って働こう。店長にはお世話になっているのは確かなのだし。
怪盗団が最後の仕事として乗り込んだメメントス。渋谷駅から地下深くに潜っていく大衆のパレスとも言うべきそこを更に下って行けば、おどろおどろしい扉が彼らを出迎えた。
「遠くに見えていた電車は全部この扉の向こうへ向かっていたのか」
扉の上を越えて伸びる線路には、何両もの電車がその向こう側へと乗客を乗せて消えていく。それを見送りながら、祐介は不気味なものを見たと表情を固くして呟く。
「でもこの扉、外からしか開けられない構造になってる……」
メメントス最深部の扉、それが開くところを見た双葉が、何かが気に掛かると言いたげに蓮達の方を振り向く。内側からは開かない扉、それはつまり。
「乗客たちは閉じ込められようとしている?」
「分からないが、ワガハイ達の行き先は変わらない」
蓮の疑問に答えを持つ者は誰もいない。モルガナの言葉に、それもそうだと思い直した一行は扉の奥へと歩を進めた。
扉の向こう側には、中心に向かって底も見えない深い縦穴が続いている。そしてその穴の奥に向かって赤い光を放ちながら脈動する管が何十本も束になって下りていた。
「何だここ……」
「気味ワル過ぎ」
目の前に広がる不気味な景色に、竜司と杏が仮面の奥で目を丸くする。一方で、祐介は穴の奥に向かう管の様子をじっと観察していた。
「この管、メメントスの隅に広がっていたのと同じものか。何かをこの中心に向かって送っているのか?」
「それに周り、牢屋だらけだよ」
祐介に続いて春も周囲を見渡して異様な物を発見する。穴の側面にズラリと並んだ鉄格子。その一つ一つが牢獄であり、その中には人影がある。
「皆はこの世界を何だと思っているの……?」
「クイーンの疑問も尤もだけど、今は先に進もう。この先にあるものが、私達のターゲットだから」
真の言葉に蓮はそう返すと、周囲への警戒を厳にしながら怪盗団は再び歩みを進める。金属か、石なのか判断のつかない素材でできた床を蹴るたび、硬質な足音が周囲に響く。時折遠くから電車が走る音。それは穴の最深部を目指して下るものだろうか。
そうして歩くことしばし、奥へと続く通路を発見した怪盗団の前に、ひと際大きな鉄格子が嵌められた牢獄が姿を現す。それと共に、その中に囚われている多くの人の姿も。
「ん!? なんだ、ここ……?」
部屋に足を踏み入れた双葉がキョロキョロと辺りを見回す。部屋に入ってきたものをぐるりと囲むように、円形に配置された鉄格子。それが頭上遥か高くまで幾重にも階層構造となって続いていた。中にいるのはスーツ姿のサラリーマンや私服姿の学生と思しき人物から、老人に少女まで。性別や年齢も様々な彼らの唯一の共通点は、その足に大きな鉄球が結びつけられていることだった。
「あれ、付けられてるの鎖?」
「やっぱりここは牢獄ということなのね」
双葉の言葉に、真が得心がいったというように頷く。
「牢獄って、誰が捕まってるってんだよ?」
訳が分からないと言いたげな様子で竜司が真の方に振り向くが、真もどう言えば良いか分からないと首を力無く左右に振った。
「誰か、というより皆じゃないかしら……、もしかしたら電車に乗ってここにやって来た人達全員……」
そう言いながら、鉄格子の方へと近づく怪盗団は、牢の中の人間が自分達に向かって何かを話しかけてきているのに気付く。
「そんなところで何してんだよ。お前らもこっちに来いよ」
「入らないなら勝手に開けたりしないでよ? ここに居るのが安心なんだから」
怪盗団に向かって話しかけていたのは若い男女のシャドウ。男はぼんやりとした笑みを浮かべ、女の方は鬱陶しいといった表情で、ただし二人とも虚ろな目を怪盗団に向けていた。
「安心? 何を言っている。牢獄に囚われているんだぞ?」
怪訝な表情でそう返したのは祐介。
「カモシダのところにいた『奴隷』と似てるな。皆自分で何も考えちゃいねえ。ボーっと突っ立ってるだけだ」
牢の中にいるシャドウの姿に、鴨志田のパレスでも目にした奴隷扱いされている生徒の様子が重なって見えたモルガナ。
「そうじゃ。結局ここが一番居心地が良い」
そんなモルガナ達に肯定の返事をしたのは、また別のシャドウ。杖をついた男の老人だった。
「ここは皆の望みを叶えてくれる。何も考えず、自由でいることが出来る」
「自由……? こんな状態のどこが自由だって言うの!?」
老人の言うことが理解出来ないと春が聞き返すが、老人の表情はどこか白昼夢を見ているようなぼんやりとした笑みのまま、彼女の問いに答えを返すことは無かった。
「おいおい、ここの奴らおかしいんじゃねえのか?」
「牢屋に閉じ込められて自由って……」
そう言って竜司と双葉が頭をガシガシと掻きむしるが、それを嘲笑うように牢の中のシャドウが口の端を吊り上げる。
「なんでそんなに自分で考えようとするんだよ? こっちに来たら無駄なことで悩む必要も無いのに」
「そうよ。生きるには知らなくても良いことだってあるのよ」
「そうじゃな。システムも『開かずの独房』も、『異分子』も、知る必要も知ろうとする意味も無い」
「『開かずの独房』? 『異分子』?」
自分達と同じようになれと言うようにこちらに手招きするシャドウ。彼らが発する言葉に引っ掛かるものを感じた蓮が、その言葉を口にした老人のシャドウに問う。
「噂じゃ、真に危険な大罪人が入っておるとかいう独房と、ここのシステムを壊そうとする、世の理を無視する恐ろしい存在。じゃが、誰が自分からそれに触れるものか。目を閉ざし、耳を塞いでおれば悩むことも恐れることも無く生きていけると言うのに……」
「異分子……」
老人のシャドウが言った大罪人という言葉を口の中で転がすように呟く蓮。別の場所でも聞いたような気がするその言葉が、モルガナに急かされて更に奥を目指しながらもずっと蓮の胸の中に残り続けていた。