扉を開けると暖かい店内の空気が寒さで冷えきった頬をじんわりと温めてくれる。
「徹……!」
店の奥に立っていた冴さんが目を見開いて僕の名を呼ぶ。蓮達も座っていた椅子から腰を少し浮かせて僕を驚きの表情で迎えた。
「お前さん、出歩いて大丈夫なのかい?」
「ええ。もう大丈夫だと思います。皆さんもテレビで見ていた通りですから」
カウンターの奥から佐倉さんが気遣わしげに聞いてくる。それを安心させるように笑顔で大丈夫だと返せば、なら良いんだけどよと言って後頭部を掻く。相変わらずぶっきらぼうなように見えて優しい人だ。
「副会長、あの……」
そのとき、躊躇いがちに声を上げたのは奥村さんだった。何故か手を挙げて僕の顔を窺っている。
「どうかしたかな、奥村さん?」
彼女が聞きたいことは予想がつく。冴さんが説明してくれているとは思うのだけど、それでも聞きたいと思うのは当然だ。
「その、お父様は……?」
「無事だよ。獅童議員の手が及ばないところに隠れていると思うよ。少なくとも、僕が最後に会った時は元気だったよ」
「良かったっ……!」
僕の言葉を聞いた奥村さんは、両手で口を覆うと椅子に腰を下ろして俯いてしまった。彼女としては不安で仕方なかったのだと思う。奥村社長も安易に娘に連絡を取ることも出来なかっただろうし、無事だと思っていたとしても。
「それで、副会長。一体何をしたのか教えてくれたり……なーんて」
続いて声を上げたのは高巻さん。
「何を、っていうのは?」
「そりゃ何から何までッスよ」
どこから説明したものかと思って聞いてみれば、坂本君が少し怒ったように言う。
「獅童のヤローが急にぶっ倒れたと思ったらパレスが崩壊して、死ぬかと思ったんすよ俺達」
坂本君の言葉に、他の皆も深く頷いた。その様子を見るに、僕と獅童議員が行った勝負はやはり怪盗団に大きな影響を与えてしまっていたらしい。
「パレス、というのは分からないけれど……。君達には迷惑を掛けてしまったね。ごめん」
僕はそう言って頭を下げる。それから今回のことについて説明しようと思ったところで、ふわりとコーヒーの匂いが鼻を擽った。
「まあ待てよ。寒い中で来たんだ。まずは一杯くらい飲んでもバチは当たらねえだろ」
その言葉と共にカウンターにカップを置いた佐倉さんが、僕の顔、それから他の皆も見回す。少し張りつめていた空気が緩んだ気がした。それにお礼を言って、僕はカウンターに腰かけた。
「パレス、恐らくは認知世界のことを言っているのかな。獅童議員のそれが突然崩壊したのは、獅童議員が自分自身を仮死状態にする薬を服用したからだ」
「仮死状態……認知の主体が死んだことでパレスも崩壊した……?」
そう言って首を傾げているのは長い茶髪を垂らし、カタカタと熱心に何やらタイピングしている丸い眼鏡をかけた女の子。僕は会った覚えの無い子、けれどここにいるということは彼女も怪盗団に関わる人物のはずだ。そうだとすると、彼女が誰かということについては思い当たるところがある。
「その通りだよ。佐倉双葉さん、いや、アリババと呼んだ方が良いのかな?」
「っ!?」
佐倉さんと言うとややこしいから勝手に双葉さんと呼ばせてもらおうか。彼女は僕の言葉にビクリと肩を大きく震わせたかと思うと、蓮の腕を取って僕との間に壁を作るように蓮の後ろに隠れてしまった。
「……会ったことが?」
「無いよ。夏にメッセージでやり取りをしたくらいかな。そのときはアリババと名乗っていたけれど」
「な、なんで……?」
「どうして名前が分かったのかって? そうだなぁ、ここにいる人は君以外は知っていて、他に怪盗団関係者でこの場にいそうな人物、そして認知訶学について知識を持っていそうな人物となると双葉さんくらいかと思ったんだよ」
そう言いながら、カップに口を付ける。
「それで、どうして徹は獅童が仮死薬を飲んだことを知っているの?」
「それは……」
真に問われて口ごもる。正直に言ったらどんな顔をされてしまうだろうかと思ってしまったことを否定できない。そんな僕の表情を見て何かを察したのか、冴さんがまさかと言いたげに眉をひそめていた。
「あなた、明智君と一緒に獅童のところに乗り込んだんじゃないでしょうね?」
「……まあ」
冴さんの鋭すぎる視線に僕は両手を挙げて降参するしかなかった。いや、バレるだろうとは思っていたけれどこんなにあっさりとバレることになるとまでは思っていなかった。
「獅童議員に直談判しに行ったんですよ。怪盗団に改心される前に、自白してみてはと」
「どうして……?」
僕が言うと、蓮はそう言って首を傾げた。その表情はどこか寂しそうだ。蓮にしてみれば、僕から頼っておいて結局は彼女らを信用していないのかと思っても仕方ないこと。けれど、僕は決して怪盗団を否定したいから獅童議員のところに乗り込んだ訳じゃない。
「蓮のことを騙すつもりは無かったよ。僕の説得なんて通じない可能性の方が高かった。だから怪盗団の力は絶対に必要だった。奥村社長の廃人化を防いだときと同じで、僅かな可能性を信じた結果だよ」
「その為に獅童と対面するなんて無謀なことをしたの?」
真が目付きを鋭くさせながら席を立つと、僕の前に立つ。なんなら冴さんも。二人からの鋭い視線が物理的に刺さっているのかと思うような心地に、僕は身を縮めることしか出来ない。
「それだけじゃ、無いわよね?」
「……いや、そんなことは」
「徹?」
冴さんと真のコンビネーションで言い訳すらもさせてもらえない。結局、二人の取り調べによって僕は獅童議員と行った勝負の内容を全て告白することになった。以前、僕を取り調べした二人組の刑事なんかよりもよっぽど詰め方が上手いと思うよ……。
「自分も一緒に仮死薬を飲んだって……」
「それで説得だけで獅童を改心させただって……? そこまで来るともう何も言えねえな……」
冴さんと佐倉さんが頭が痛いと言いたげに額に手を当てている。真はといえば僕の腕をぎゅっと握りしめて凄まじい形相になっているので怖くてそちらを見ることも出来ない。真から目を逸らすように反対を見れば、そこにはいつの間にやら見慣れた黒髪。
「怪盗団はそこまで信用出来なかった?」
「……信用していたから、彼と対面出来たんだよ。僕が失敗しても怪盗団は獅童議員を改心してくれると信じていたから」
音も無く僕の隣に来ていた蓮にそう返せば、真に拘束されているのとは反対の腕を取られる。両側から拘束された僕が助けを求めて坂本君や喜多川君の方を見れば、彼らは僕からさっと目を逸らす。
「や、俺らには荷が重いッス」
「むしろこれまで散々引っ掻き回されたのだから少しくらい苦労してもらいたい」
二人からの救援は期待出来なさそうだと高巻さん、奥村さんや双葉さんを見るも、三人からも目を逸らされる。どうやって逃れたものかと頭を巡らせていると、気を取り直したのか冴さんが僕の前に立った。
「どうしてそこまでしたの? 獅童を追い詰めるための資料は私達で用意していた。最後は怪盗団に頼るしかないって言っていたじゃない」
「……正しい手段、というものを諦められなかったのかもしれません。それ以上に、皆が心配でした」
怪盗団、蓮と最後に接触した怪盗団捜査の陣頭指揮を執っていた人物。予告状が出て、蓮の生存が確定すると獅童議員の周囲がすぐに動くと思った。冴さんだけじゃない、佐倉さんやその他蓮と関わりを持っていた人物はとっくに相手に知られているだろう。そうなれば、予告状が出てどう動くかは想像し易い。怪盗団そのものを捕まえられないのならばその周囲を押さえて牽制しようとする。
「その前に僕が名乗り出れば、その動きを止められると思いました。獅童議員と直接言葉を交わすチャンスでもあった。僕と冴さんにとって、最後のチャンスだったんです」
「私とあなたにとって……?」
結果、僕は明智君と一緒に獅童議員と相対することになった。そのことを後悔しているかと聞かれれば、答えは否だ。僕が示したかったものは僕だけのものじゃない。ずっと重たいものを、僕は冴さんと抱えてきたのだから。
「冴さん、僕達は遂に示すことが出来たんです。正しい手段で、正しい結果を手に入れることが出来ると。冴さんは間違っていなかったんです。あなたの切り札として、僕が示しました」
怪盗団だけが手段じゃない。特別な力を持たなくても、人を変えられる。間違ったものを正すことが出来ると僕と冴さんは示すことが出来た。
「あなたは……もう、ホントに馬鹿な人ね」
僕の言葉を聞いた冴さんは、零れんばかりに目を見開いたかと思うと、そう言って微笑んだ。心なしか、両腕に感じる圧が強くなった気がする。
「だけど、ありがとう。あなたを右腕にした私の判断は間違ってなかった。それをあなたは示し続けてくれたわね」
その言葉と共に、僕の頭が冴さんに抱き寄せられる。僕の今の格好は、冴さんに頭を抱き抱えられ、真に右腕を、蓮に左腕を掴まえられているという羨ましいのか怖いのかよく分からない状態だ。ただ、左右からの圧力がさらに増した今の状態はたぶん羨ましがられるような状況じゃないんだと思う。
「で、だ。獅童のやつは改心したってことで良いんだよな?」
「改心したかはともかく。彼が自身の所業を告白して法の裁きを受けることは確かです」
何故かピリピリしていたルブラン店内の空気を咳払い一つで払拭してくれた佐倉さんの問いに、僕はそう答えた。
「自分が改心したところで大衆は変わらない。そうも言っていましたが」
「大衆は変わらない……?」
僕の言葉を繰り返した高巻さんの方を見れば、他の皆もピンと来ていない様子だった。
「これまで怪盗団のターゲットになった人物が改心した後、大衆はどう反応していた?」
「そりゃ、許せねえって……」
「そうだよね、坂本くん。皆、ガラッと変わったんだ。鴨志田先生を、斑目画伯を、金城を、奥村社長を許すなと、一斉に」
まるで、誰かに導かれるように。
「それは獅童議員のような誰かなのか、もしくは大衆自身なのかは分からない」
けれど、大衆は未だに獅童議員を求めているのは確かだ。彼が自身の罪を告白したとしても、大衆は未だに獅童議員の放つ輝きに目を焼かれているまま、その闇に目を向けようとしていない。
「これまでの怪盗団の改心とやり方が違うからなのか、それとも別の何かが関与しているのかは分からないけれど。怪盗団の仕事は、もしかしたらまだ終わりじゃないかもしれない」
「まだ終わりじゃない……? だとしたら次のターゲットは?」
蓮の問いに僕は明確な答えを持っていない。それでも僕の頭にぼんやりと不確かなまま浮かんでいるそれが、怪盗団の次のターゲットになるんだろうという予感があった。
「もしかしたら獅童議員を求める大衆自身、かもしれないね? 」
「え?」
「あなたは……」
「理不尽なゲーム、その傾きすぎた天秤は徹のお陰で少しだけ水平に近づいた。だけどこれ以上は徹も手出しが出来ないし、僕も同じく今はこれ以上の干渉はする気もない。ただ、一つだけヒントを。誰も知らない人間は、生きていないのと変わらない。だけど、それは即ち死とは結び付かない」
2025年もよろしくお願いします。