「おいおい、お前らそんなに深刻な顔してどうしたってんだよ……」
ルブラン店主である佐倉惣治郎がやや後退した額を掻きながらカウンターの奥から声を掛ける。その相手はというと、皆一様に緊張した面持ちで開票速報を流すニュースを見つめる怪盗団の面々だ。心配そうな惣治郎の言葉にも、彼女らが返事をする余裕は無かった。
「獅童は本当に改心するの……?」
「分からない。オタカラを奪う前にパレスは崩壊した」
「意味分かんないよね! 戦ってたら急に獅童が倒れてパレスが崩壊していくなんて!」
真、蓮、杏がそれぞれパレスで目の当たりにしたものを反芻しながら、自分達が置かれた状況を理解しようと努める一方で、竜司とモルガナはどちらも苛立たしげにテレビの画面を睨み付けていた。
「クソッ、もう一回入ろうとしたらダメだったしよ……。モナ、どうなってるのか分かんねえの?」
「さっぱりだ。ワガハイもこんなことは初めてなんだよ。だが、パレスが崩壊したってことは獅童の歪んだ認知は消えてる、はずなんだ」
「はず、か。ここに来て確実性に欠けるのは恐ろしいが。今はそれを信じるしかないのが歯痒い」
自信が無さそうなモルガナに祐介も愁眉を寄せる。双葉はというと、パソコンのキーボードをカタカタと忙しなく叩いては情報収集に余念が無い。
「……どこのテレビ局、新聞も獅童が当確って報道してる。ウチらの予告状があっても大衆の投票先は獅童一本しかなかったって」
双葉が集めていたのは報道各社の出口調査結果。怪盗団の大胆な予告により、大衆が獅童への疑いを強めたならばあるいはこの選挙戦で獅童が落選するかもしれないと期待してのもの。しかし、その期待とは裏腹に今回の選挙戦は異例の投票率を記録し、更に圧倒的な得票で開票早々に獅童の当確が発表されるほどであった。
「クソッ、やっぱりあの野郎が自分の口から吐かねえと……!」
そう言って苛立たしげに腰かけた椅子の座面に拳を叩きつける竜司。
怪盗団にとって、ターゲットのオタカラを奪い損ねるという初めての失敗。更にその相手がこれまでの相手とは一線を画す大物であり、怪盗団の大一番ということもあって竜司ほどではないものの、他の面々も似たような焦燥を感じていた。
「私達が乗り込んだときのパレスの変わり様、それとシャドウの言葉を考えるとやっぱり徹が何か関わっているのかしら?」
「多分そう。だけど、一体何をしたのかが分からない」
「副会長って今は家にも帰らずに身を隠してるんだよね? 獅童に近付くなんて出来そうに無いし……」
今回のいつもと違う結末。そこには間違いなく徹が関わっているというのは怪盗団全員の共通認識だった。これまでも徹は何らかの繋がりによって怪盗団のターゲットとなる人物のパレスに姿を現すか、顔を合わせることこそ無くともその痕跡を残してきた。金城のときには、認知世界における金城の居城、空飛ぶ銀行が墜落するほどの変化のきっかけとなったと徹のシャドウが語ってまでいるのだ。しかし、認知世界に入る術を持たない徹がどのようにして金城や、今回の獅童に影響を与えたのかが全く想像出来ないまま、怪盗団の面々は得体の知れないものに対する警戒ばかりが募っていた。
ルブランの中に重たい沈黙が漂い始めたとき、入り口に取り付けられたベルが来客を告げる軽やかな音を立てる。その音に誰もが弾かれたように顔を上げれば、そこに立っていたのは少し疲れたような表情を見せる冴だった。
「随分と重たい空気だけれど……、まさか失敗したの?」
店に入って早々、怪盗団の間に立ち込める重苦しい雰囲気に気付いた冴は、強張った表情で蓮へと問い掛ける。そんな冴に対し、蓮は肯定も否定も出来ず、曖昧に首を傾げることしか出来なかった。
「獅童のパレスは無くなった。だけど、改心が成功したかは分からない」
「……何らかのイレギュラーが発生したということね」
蓮の言葉に詳細までは分からなくとも状況をある程度掴んだのか、店の奥まで歩を進めると、他の面々と同じくテレビの選挙報道に目をやる。
「獅童はほぼ間違いなく当選。このまま行けば何の障害も無く獅童総理が誕生するわ。もし獅童の改心が失敗していたら、今度は私も帰ってこられなくなるかもしれない」
「お姉ちゃん? 帰ってこられなくなるって……?」
冴の発した不穏な言葉が引っ掛かったのか、真が不安そうな表情でそう問えば、冴は額に手を当ててため息を吐いた。
「怪盗団の予告状の後、検察で取り調べを受けたのよ。怪盗団と最後に接触したのは私だって。大方私に全責任を押し付けて人身御供にしようとしたんでしょうね」
「そんな……!?」
「安心して。取り調べは何故か中途半端に終わったから。そうじゃないとこうしてここに来ることも出来なかったわ」
不安からか目を見開いた真を安心させるように冴は真に微笑みかける。しかし、その笑みはすぐに引っ込んでしまった。
「でもおかしいのよ。どうして一番生け贄にしやすい私をこうして解放したのか。まるで他に候補が見つかったみたい……」
そう言って顎に手をやった冴の頭に浮かぶのは、彼女の右腕と言っても良い男の顔。馬鹿な、あり得ない。彼は今獅童の手を逃れて隠れているはずだと自分に言い聞かせるものの、冴が知る限り、自身の切り札はこんな場面で大人しくしているとは到底思えなかった。
「海藤君が動いたのかもしれないわね」
その名が冴の口から出た瞬間、真と蓮の方が僅かにピクリと跳ねた。二人の胸中に浮かぶ形容しがたい感情。けれど二人とも今はそれについて考えを巡らせている場合ではないと頭を振る。
「でも、一体何をしたの……?」
「分からないわ。……けれど、彼なら何かを掴んで、そして独自に動いているはず。今の彼には明智君が付いているのよ」
蓮の言葉に冴は明確な答えを返すことは出来ない。しかし、どこか確信に近い想像が冴の中で固まっていく。徹と明智、この二人が揃ったときに彼らを止められるような人間が誰かいるだろうかと。そして自身が置かれた状況について振り返ってみれば、あの二人がどのような行動を取り得るかが少しずつ予想出来てきてしまうのだ。
「まさか……」
その予想を口にしようとして、冴は思い留まる。ここにいる子ども達にこれ以上動揺させるようなことを言うべきではない。明智と共に獅童本人のところに乗り込んでいくかもしれない等と、確証も無いことを言って混乱させるわけにはいかないと。
「お姉ちゃん……?」
「始まった。獅童の当選会見だ」
そんな冴の様子が引っ掛かった真が怪訝な顔をして問い掛けようと口を開きかけたものの、それより先に双葉の言葉で全員の注目は再びテレビ画面へと戻る。
「今回の当選は、国民の皆々様のお力添えの賜物と、身に染みる思いでございます!」
画面に映ったのは選挙事務所に集まった大勢の報道陣を前にいつも通りの笑みを浮かべた獅童の姿。マイクを両手に持ち、画面越しにも眩しく思えそうなカメラのフラッシュの前で口を開く。
「…………それだけに、私は今ここで再び、皆様から信を問われなければならないと感じています。奥村氏の会見での出来事、更に昨今ニュースになっている悲劇的な事件や事故の数々。精神暴走事件とも称されるものを引き起こし、あまつさえそれを怪盗団の仕業だと情報操作したのはこの私です」
当選の喜びに緩んでいた獅童の口元はその言葉と共にキュッと引き締められる。
「人の心を操作し、自分の手を汚さぬまま多くの被害者を生み出していたのは、この私であります」
続いて発された言葉に、テレビの中からざわざわと戸惑いの声が上がる。そしてその声は、テレビの前でも。
「自白、した?」
「オタカラを奪っていないのに改心したの?」
目を丸くする杏と春。竜司に至ってはあんぐりと口を開けている。
「その全ては自身の出世、私利私欲の為でした。国家という船を我がものにする野心のため、人の命すら踏み台にしてきた。どんな罪状で裁かれても足りぬ極悪人です」
そう言って目を伏せる獅童。その表情は、自身の行いを告白する緊張からか、それとも執拗に焚かれるフラッシュのためか、眉間に深い皺が刻まれていた。その姿は、これまで怪盗団が改心させてきた人間とどこか重なって見えた。
「……故に、私は今ここで全てを明かし、法の裁きを受けることを宣言いたします」
その言葉と発したと直後、テレビの画面には「しばらくお待ちください」の表示。今まで中継していたテレビ局がようやく衝撃から立ち直ったのかもしれない。しかし、蓮をはじめとする怪盗団の面々に走った衝撃はまだ抜けていなかった。
「ええっと……、上手くいったってことで良いんだよな……?」
「そう、思いますが……彼らの様子を見る限りは違うみたいですね」
惣治郎と冴は互いに顔を見合わせてそう言うが、蓮達の表情を見てそういうわけでは無さそうだと思い至る。
「オタカラを取らなくても、パレスが崩壊したから歪んだ認知が無くなった?」
「分からないけれど、起こったことを並べたらそうなるわね……」
蓮と真がそう話していると、再びルブランの扉が開いたことを告げるベルの音。今度は一体誰が、と皆が入り口に目を向けた直後、そこに立っていた人物を見て全員が目を丸くすることになった。
「……故に、私は今ここで全てを明かし、法の裁きを受けることを宣言いたします」
街頭モニターから流れる音声に、見上げる人々のどよめきは一層大きくなった。それを横目に僕は早々に駅に入ると四軒茶屋駅に向かう電車へと乗り込んだ。
昨日、僕と明智君は驚くほどあっさりと解放された。獅童議員は約束通り、自分の口で大衆に自身の罪を告白した。けれど、それで本当に全てが解決するかと言われればそうじゃないんだろうと思う。
「皆、信じられない、信じたくないって声ばかりだ」
電車に乗った人々も、口にするのは獅童議員の会見ばかり。しかし、その内容はといえば。
「獅童が全部やってたってマジ?」
「でも……、獅童以外に他に誰がまともな議員がいるのかしら」
「本当に獅童がやったのかよ、誰かに言わされてんじゃねえの」
「この国を変えてくれるのは獅童しかいないじゃん」
誰も、獅童議員がしたことを認識してはいても、盲目的に彼を求めるのは変わらない。他に誰もいないと言わんばかりに。
「白痴の大衆は変わらない、か」
獅童議員が僕に言い残した言葉が頭に蘇る。今の状況はまさにその言葉通りになっていると言っても良いんじゃないだろうか。皆が獅童議員を支持し続けるのが当然だと思うような空気が満ちていて、それに熱狂し続けている。
「それに政治家なんて後ろ暗いことばっかじゃん」
「だよなぁ。まだ自分で言っただけマシだろ」
「他よりはずっとまともなんだから、罪滅ぼしに総理になって死ぬほど頑張って欲しいよ」
彼自身が踏みとどまったとしても、大衆が踏みとどまることを許そうとしていない。獅童議員が愚か者と呼び、導いてやると見下していた大衆が今は逆に獅童議員を囲み、先頭に立てと言おうとしている。
「多分、本当に難しいのはここからだ」
四軒茶屋駅に到着した電車から降り、狭い路地に続く出口へと向かう。獅童議員という個人を止めることには成功した。それはかなりの運と、周囲の人間に助けられながらも、何の力も持たない僕のようなただの人間でも出来たこと。けれど、これから立ち向かわないといけないのは顔も名前も分からない多くの人々が作り出すこの空気そのものだ。
鴨志田先生のときは秀尽学園に彼が王として振る舞うことを許すような空気があった。
斑目画伯のときは芸術界では彼が絶対だといわんばかりの風潮があった。
金城のときは彼を捕まえることが出来ないという諦念があった。
奥村社長のときは彼の社員への仕打ちを誰も告発することが出来ない恐怖があった。
彼らは自らの力だけで傍若無人に振る舞ってこられただろうか。そうじゃない。周囲の人間がそれを仕方のないことだと、彼らの行いを認めると、少なくともそう認知していたことが、彼らをそのようにしてしまった面が無いと本当に言い切れないだろうか。一色若葉の提唱する認知世界、集合的無意識の世界があるとすれば、個人と大衆は互いに影響を受けるはずだ。彼ら自身が自らの口からその罪を告白したことで世間の空気が変わり、彼らを追及する方向へと変化した。大衆の認知が、彼らの罪を許さないという方向に変わったと言える。翻って今はどうだ。
獅童議員こそが次の日本のリーダーだとする潮流を、彼の自白は変えることが出来ただろうか。
答えは否だ。大衆は未だに、獅童議員こそが次のリーダーだと信じ、熱狂し続けている。これまで怪盗団によって改心された人達のときとは違い、大衆の獅童議員への認知は変わることがなかった。逆に、かたくなに獅童議員を推す声が強くなっているようにも思える。そうすることが自然だと思わされているように。
「だとしたら、僕達が次に打てる手は何になるんだろうね……」
四軒茶屋駅を出て徒歩数分。店内から柔らかな光が漏れているものの、扉にはclosedの看板が掛かっている。僕は少し躊躇った後、ドアノブを捻って扉を開いた。
ちょっと頑張って更新。早く三学期に入らねばという思い。
年末までに無印編は終わらせたいという願望。