コロナ禍以降、外出時は常にマスクを着用しています。

それは仕方がないことです。

私個人だけのことを考えれば別にもうマスクなどしなくても良いかなとは思ってはいるのですが、私の隣にいる人のことを思うとまだマスクを手放すわけにはいきません。

私自身はいたって健康体であり、疾患もなくアナフィラキシーの心配もないので、2021年から接種券が郵送されてきた新型コロナワクチンも欠かさずキメては毎回高熱にうなされていました。

それは世間体を気にしてとか、公共心からとか、そんな理由ではなく、私の隣にいる人の命を守る為です。




私の妻は元々メンタルが繊細な人であり、それについてはゴー宣道場中枢の連中も知っており、だからこそ鋼鉄性のメンタルを持つ私ではなく、一昔前の言い回しを使うならば、いわゆる「豆腐メンタル」である私の妻を狙い撃ちにし、小林よしのりと泉美木蘭はデマ配信を敢行したわけです。


「石破茂の戦い方、枝野幸男の戦い方」 よしりん・もくれんのオドレら正気か?#17 https://nico.ms/so33859178?ref=other_cap_off

生放送の書き起こしhttps://note.com/saruking/n/n77ea0fa63b13?sub_rt=share_b

生放送の一部抜粋https://x.com/ibokenq/status/1584892462807801857?s=46&t=KtUK2XEOGqno6mJtKNAi8A

 

この生配信以降、妻の神経は衰弱し、精神的に追い詰められた結果、「病は気から」という言葉通り、大量下血をし、大学病院で診察した結果、このまま放置しておくのは危険との診断を受け、未だに通院し続けている有り様です。

それが2021年末のことでした。

私は呑気な性格といいましょうか、気に病むタイプではない為か、妻がそこまで追い詰められているとは気づかずにいましたが、いよいよ妻の命が危ないという状態になってはじめて、小林よしのりを告発するブログを書いたことを後悔しました。

「言論には言論で」「議論こそが民主主義の基本であり根幹」というのは最低限持つべき矜持のようなものだと考えていた自分の甘さを痛感しました。

小林よしのりとその支持者にはそんな当たり前の感覚さえなく、自分たちと対立する相手については「どのような卑劣な手段を使ってでも息の根を止める」という腐れ外道の極みのような劣情を燃やして攻撃を仕掛けることに迷いがないのです。


それでも妻は私に書くことをやめてはいけないというのでした。

私の告発ブログは既に私たち夫婦の名誉を守るだけのものではなくなっていたので、妻は「葉月蓮さん他、道場で酷い目に遭った人たちのために続けなくちゃダメ」と私を叱咤し、妻の提案でYouTubeチャンネルを開設し、「ゆっくり解説」というのでゴー宣道場の内幕を暴くシリーズを作ることになりました。

妻は心と体を崩しながらも常に「誰かのため」を思っていました。

「誰かが倒れたら起こせばいい。それだけでいい。誰かが立ったなら支えればいい。それだけでいい。」



妻がそうしているというのに、五体満足の健康体である私が立ち止まってうつむいたり、途中撤退するなんて有り得ないことでしょう。

だから私も思い直し、小林よしのりだけではなく、そんな小林の腐り切った害悪でしかない妄言に賛同するシンパに対しても痛烈に批判し、その手を緩めることはしませんでした。

それはそのシンパ連中に対して「目を覚ませよ、お前ら」という呼びかけの意味合いも多分にありました。実際、私のブログが俯瞰するキッカケとなり、小林の異常性に気づいて離脱することが出来たと言ってくれる人もいました。

私の言葉はキツめである為に不快感を覚える人もいたでしょうし、反感を買うことも分かってはいましたが、それでも強めの言葉をぶつけなければ昏睡状態にある人は目覚めませんし、強く引っ張らないと底なし沼から足を抜くことは出来ません。

その私の力づくの行動に恨みを抱く人が出てくるのは承知していましたが、その「人の恨み」を利用する悪辣な人間がいるということについては少しばかり油断していました。


カルト集団というのはある意味で騙されやすい人たちの集まりであるわけで、騙されやすい人たちをカモにする悪辣な人間にしてみりゃ手っ取り早く一網打尽に出来る狩場みたいなものです。

そんな悪辣な人間はあたかも自分もシンパであるかのように教祖に近づき、そのシンパを食い物にするわけで、外道のなかの外道というか、真っ当な社会を生きていこうと思ったら決して近づいてはいけない輩です。


ゴー宣道場などは単なる「ごっこ遊び」に過ぎず、思想家ごっこや社会運動ごっこをしているだけであることは誰もが知るところではありますが、そこを狩場にしている連中はマジモンであるのでアンタッチャブルなわけです。

そこまで考えていなかった私は所詮は「ごっこ遊び」の小林よしのりをイジる感覚で、そのアンタッチャブルに手を出してしまったわけです。

ここまでの話を理解していただいているでしょうか?

あまりに明確に固有名詞を出すと、またそのアンタッチャボーがこちらの生命と財産を奪いにかかってくるので、それはさすがにもう懲り懲りであるためにかなりボヤかした書き方をせざるを得ないことをご理解いただきたいです。

「オメェの文章には主語がねぇんだよ!」とか言わないで察していただけたらと思います。


アンタッチャボーはやはり狩場を荒らされたり、狩りをしていることをバラされたりしたら、それは飯のタネを奪われることになるわけで、だから本気で私の口封じにかかるわけで、そこが小林よしのりのようなハンパ者とは違います。

そして口封じをするにしても、自分だけで「被害を訴え」ても、それでは弱いということが分かっているから、小林シンパという一般人を巻き込んだわけです。

一般人さえ巻き込めば、ことは有利に運べるとLawyer からgood adviceをタマワッタのでしょう。


その小林シンパは小林がまるで教条のように繰り返している「言論に対して言論で抗せずに法に訴えるとは何事ならん! 傷ついたといって名誉毀損などというのは弱者権力であり言葉狩りの言論封殺だ。批判に対していちいち傷つく者に同情する奴なんかいない!」というような主張をまるっと無視して、アンタッチャボーの片棒を担ぐのですから、思想とか言論とか矜持とか覚悟とか、ゴー宣界隈にとってそんなものは空疎な言葉(ただの音声)に過ぎず、何の意味も価値もないものなのでしょう。

それがよく分かりました。良い学びになりました。

少々高い授業料となりましたが…


傷ついたぶりっ子はやめろ 2018.11.19 08:29 https://www.gosen-dojo.com/blog/20151/


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