俺たちがブランチリバーに到着してから、約1か月が経とうとしていた。
ブランチリバーの異常は瞬く間に知れ渡り、リリウムの作ったブレティラの似顔絵を元にした手配書が国中に張り出されることになった。
調査の結果は芳しくないようで、魔力の残滓を辿ることも出来そうになく、しばらくこの村に数人の駐兵を置き、見回りを強化するという方針で動くことになる。
村の住民の経過観察も続けられてはいるが、何かしらの問題が発生したという話はない。
幻覚が破られた当初の澱んだ空気はどこへやら、温かな村の空気が肌で感じられるようになり。
カレン先生も心の底からの笑顔を見せながら、村の人たちと談笑を繰り返していた。
たまに小さな集会所みたいなところで宴会を開いたりなど、俺とリリウム、ドラゴンフォートの兵も巻き込んで騒いだりもしたな。
ドラゴンフォートの町長も顔を出しに来た。
お礼も兼ねて、という話ではあったが、明らかに先生に会いに来たように思える。
まあ、ホワイトクラウンの英傑なわけだし、是非顔合わせをということだったのだろうが、先生は適度な距離感でそれをあしらっていた。
騎士団を辞めた身として、しばらくはしがらみもなく生きていたい、という話だった。
町長もすぐにそれを悟ったのか、礼を置いて去っていってしまった。
中身は金銭類だったので、先生に預けることにする。
自由に使ってもらおう。
さて。
しばらく滞在して、先生と分かり合えて、この村にも歓迎された。
ということで、そろそろ出発しようと思う。
次なる目的地はブロッサムムーン。
旅はまだ続くのだ。
そう先生に話し、旅の支度を進めていたある日。
「ん、ロータス? 手紙、机に置きっぱなしだぞ」
「あ、鞄から出してそのままにしてたか……すみません」
一度鞄を整理したときに出した手紙が、机の上に置き去りにされていた。
先生がそれを手に取り、くるくると裏表を見て、
「そういえば……ロータスはこの手紙になんて返信したんだ?」
そんなことを言う。
「え?」
「え?」
お互いに顔を合わせて。
先生が机に手紙を置き、こちらに近づいてきた。
「出してないのか」
「え、あ、ま、まあ……?」
「出してないのか!? え、あっ、も、もしかして、アイリス様のこと、嫌いだったとか……?」
首を横に振る。
「噂になったら恥ずかしいし……」
「は?」
冗談だ。
俺も机まで歩いていくと、手紙を見つめた。
差出人、アイリス・ラエビガータ。国王、教皇と並んで、大きな力を持った少女。
「俺なんか一介の冒険者ですよ? 偉い人に対する手紙とか、無礼とかがあったらとか思いますし、そもそも相手にまで届きますかね? 一般人からの手紙なんて、基本的に手に届く前にどこかに留め置かれていそうなものですが」
「うーん……ロータス正教会と書かれてはいるが、見たところ私的な文章のようだしなあ、そこのところは配慮されているとは思うぞ?」
この世界には魔法があって、その中には手紙を媒体にした呪いのような魔法だって存在する。
地球で言うところの手紙にカミソリの刃を忍ばせるようなもの。魔法によっては度を過ぎた実害をもたらすものだってあるだろう。
だから一般人の手紙なんて、せいぜい教会の誰かが中身を検めて、そこで終わりそうなものだ。
聖女の手に届くなんて、そうそう考えられん。
わざわざ出すのも、とは思うが。
それはそれとして、聖女が俺個人宛てに手紙を送るのも異例なんだ。
あまり相手のことは知らないが、良く思ってはくれているみたいだし、応えられるなら応えてあげたいよな。
「どうしたんですか?」
ラフな格好のリリウムが顔を出す。
今日は完全にオフの姿だ。ノースリーブの部屋着で、髪をツインテールに纏めていた。
「……あぁ、返信。そういやしたとは聞いてませんでしたね」
説明すると、彼はそう言って頷いた。
中身を取り出して、改めて手紙の内容を読む。
「うーん、オレだったらまあ、出すかなあ。ロータスはどうしたい?」
「……出すかあ?」
手紙なんて書いたことは無い。
出したい気持ちはあるが、それならみっともない文章は書きたくない。
なんというか、慕われてると思うと、つい格好つけたくなるものなのだ。
ちっぽけなプライドだ。
「良いと思うよ」
先生が少し真面目な表情をして、俺を見つめてきた。
「……わ、私は、その、色恋沙汰は良く分からないが……手紙の文面を見るに、お前から返信があったなら、きっと喜んでくれるはずだ」
「色恋沙汰って……慕っているとは書いてありますけど、こう、尊敬しているとかって意味じゃないですかね」
ちょっと顔が赤くなった。
なんか昔より甘酸っぱい考えが多くなったような気がする。
気を取り直すように先生は咳払いを一つ。
「まあ、その、アイリス様は……いつも大変そうだったからな。聞くところによれば、仕事以外では人との関わりを持たないと言われているほどだし、喜んでくれるのは間違いないよ」
「見たことが?」
「うん、見かけた、っていうのが正しいんだがな。本当、色々な場所へ出ずっぱりで祈りを捧げたり、貴族の相談に乗ったり、信者のために演説を行ったり、そういうのばかりだったかな」
確かに、手紙でも忙しそうなのは窺えた。
組織のトップって、高い椅子にふんぞり返っているだけじゃないんだなあ。
それどころか、先生の話じゃ過労死しそうなくらい、聖女というのは酷使されまくっていた。
ひどいときには連日国外へと布教活動に勤しみ、それ以外の時も巡礼か長時間の祈祷、結果として寝る時間はほとんど無いなど、信じられないような過密スケジュールだったらしい。
「社畜……」
リリウムがぼそっと呟いたせいで、ちょっと生々しく感じてしまう。
「それに……今は、王都の方も騒がしくなっていて、アイリス様の心労も増していることだろうし」
「騒がしい?」
俺の問いに、先生は言葉を詰まらせる。
つい口にしてしまった、という風に。
少し悩んでから、先生は続けた。
「国王が――ナルシサス王が、病に倒れられたんだ」
「――」
息を吞んだのは、目を見開くリリウムだった。
「これはまだ世間には知らされていないことなんだが、まあ、勘付いている者は多いだろうなあ。宮廷魔術師の回復魔法でも最早癒せぬという状況のようでな、王都は今きな臭くなっている」
「王位継承権争いですか」
「ああ。第一王子派と第二王女派の二大巨頭の対立が激しくなってきていて」
頭に思い浮かべるのは、ダインスレイヴのリーダー、クインス。
なるほど。あれだけ功に焦っていたのはこのためか。
あいつは6年前、第二王女のために動いていると言っていた。
「どちらが優勢なんですか?」
「第一王子派だよ。ダフニー猊下の後ろ盾もあるけど、ナルシサス王が猊下と懇意だからさ、次の王は第一王子だとほぼ確実視されてる」
「教会と国王が……」
だけどもちろん、両方とも一枚岩とはいかない。
「猊下は今、教会の中でも聖女を排斥しようと動いている、なんて噂もある」
「聖女を、ですか? あの未来視の力を、みすみす手放すつもりなんですか?」
リリウムが聞くと、先生もいまいち情勢を把握しきれていないのか、肩をすくめてみせた。
「対立している第二王女の支援者である枢機卿派にアイリス様は属しているからね。自分の組織からは完全に不穏分子を排除するつもりなのかもしれない」
「でも、先生。いくら政治的に対立しているとはいえ、あれだけ戦女神のように称えられた聖女を排斥しようなんて男に、教会がついていこうなんて考えるのでしょうか?」
「それなんだ」
ロータス正教会のことは詳しくは分からない。
今の教皇、ダフニーが作り上げた組織であり、アイリスを聖女として据えてから勢いを急激に増したという。
地位を盤石にするためにアイリスを利用したのだとしても、じゃあ使い終わったから捨てよう、がまかり通るような組織でもないだろうし、何より信者は彼女に惹かれて集まってきたのだ、許されやしないだろう。
ただ――と、先生は指を立てた。
「アイリス様は、6年前……終戦から今日に至るまで、予言をされたことは一度も無いんだ」
「……!」
「力を失ったとまで噂されるようになっているから、周りの心が離れて行ってしまうというのも考えられなくはない」
オータムウィートにいる頃には聞いたことも無かった。
平和を謳歌しているように見えたこの国が、今、二つに分かたれようとしている。
他の国々に侵攻し、攻め落とし、次は内輪揉めか。
また、戦いになるのかね。
「アイリス様にも考えあってのことなのだろうとは思う。だが、いかんせん、今の王都は誰も彼もが、相手を失墜させようと躍起だ。かつては華々しく思えた『クリスタルロア』も、息が詰まるような街になってしまったよ」
言い終わると、先生は深いため息をつく。
「……ホワイトクラウン騎士団は最早第一王子派の私兵だ。私にも何回も誘いが来ててさ。断り続けてたら、今度は僻地に左遷させられそうになって……本気で辞職を考えていたところに、今回のことが重なって」
「カレンデュラさんも、苦労されてたんですね……」
「ん、うん……」
先生は寂しげな表情を浮かべていた。
間違いなく、ホワイトクラウン騎士団のことを考えているんだろう。
そうか。
今の騎士団は、そんなことになっているのか。
政争の道具にされているというのも、それはそれで寂しいものだ。
「っと、いかんな。私の愚痴になってしまった」
「いくらでも付き合いますよ」
「せめて酒の席で、な? こんな真昼間から、そんな気が重くなるような話はしたくないよ」
それもそうだ。
「……とりあえず、手紙は書きます」
おお、と声が上がる。
「でも、その、本当に筆不精というか、あの、一緒に文章考えてください!」
リリウムと先生が顔を見合わせて、それから噴き出した。
ううむ、情けないが仕方ない。
仕方ないのだ。
聞くところによれば、アイリスは今大変らしいからな。
頼れる大人としてというか。
そういう手紙を送ってあげたいしな!
「見栄っ張り」
「変わらないなあ、お前は。ふふっ」
見透かされていた。
俺は浅い人間だ。
「ま、そういうことならさ。オレはイラストでも描いて賑やかにしてやるよ」
「私も。……基本的にはお前のままの言葉で書いた方がいいと思うから、見直すくらいではあるけど、協力するよ」
「助かります!」
それでも、なんだかんだで付き合ってくれる。
得難いもののありがたみを感じながら、俺は何年ぶりかわからない筆を執り、手紙を書くことにしたのだった。
そんな一幕もありつつ。
俺たちは出立の朝を迎えていた。
雲一つない快晴。
澄み渡る空は、俺たちを祝福してくれている。
「忘れ物は無いかな、2人とも」
村の入り口までついてきてくれた先生が、微笑を携えたまま俺たちを見据える。
隣に立つのは涼し気な格好のリリウム。気に入ったのか、髪はツインテールのままだ。
そんな彼と目を合わせて、先生に頷いた。
「そっか」
寂しげな瞳だ。
じっと見つめていると、先生も瞬きをしないで見返してくる。
俺たちの間を風が通り過ぎる。
先生の髪が風を孕ませて、それを手で押さえた。
「……ふふ、いつまでもこうしていたいなんて、つい思ってしまうな」
その狭間から見えるのはキンセンカ。
俺も、先生と別れるのは寂しいさ。
でも、誓ったんだ。また帰ってくるって。
何より、どれだけ遠くにいたとしても、俺には先生から貰ったものがある。
「でも、ああ、こんな風に、晴れやかな心持でお前を送り出せる日も、私の夢だったんだ!」
先生は耳に触れてから、顔を上げて、花が咲いたような笑みを浮かべた。
「いってらっしゃい、ってさ、言いたかった!」
細められた先生の瞳から、涙がこぼれ出た。
陽の光を反射させたその煌めきに、かつての別れを思い出す。
あの、悲痛に満ちた表情。抱きしめられた時の先生の震えを。
俺は先生を抱きしめていた。
「行ってきます、先生。だから、帰ってきたら、その……どうか、おかえり、って、言ってください」
「……もう、おっきくなっちゃったなあ。うん、言うよ。私は、いつだってお前の帰る場所だから」
小さな身体に、もう震えは無い。
絶望的な冷たさは無く、確かな温かさがそこにある。
何かがこみあげてきて、俺は必死に我慢した。
泣くな。
最後は笑って、別れたい。
堪えろ。かっこいいままでいたいだろ。
「ロータス」
先生の手が、優しく俺の背中を撫でてくれた。
「いってらっしゃい」
その言葉に、俺は気を取り直す。
不思議だった。名残惜しさがあるのに、俺はすっと先生から離れられた。
情けない顔もしていない。ただ真っすぐに、先生のことを見ることが出来ていた。
しばし見つめあってから、先生はリリウムへ視線を移す。
「リリウムさんも。また、会いに来てくれるかい?」
「はい! 今度はカレンデュラさんに似合いそうな衣装をたくさん持ってきますから、お家でファッションショーしましょうね!」
「こいつ」
カメリアたちじゃ飽き足らず先生まで巻き込むつもりか。
先生は困ったように笑ってから、期待するような視線を俺に向けてきた。
「た、楽しみにしててくれ、なんて……あは、はは」
「ロータスの大好きな制服とかスク水とかたくさんあるからなー?」
「ふーーーーーーーーーーーーん」
「うわきも」
いかん。
思わず鼻の下が伸びてしまった。
カッコつけたばっかなのに。
幸いにも先生には見られていなかったので、どうにか取り繕う。
リリウムはクスクス笑っていたが、あとでどつくのでここは寛大な心でスルーしよう。
「ロータスのことを、お願いしてもいいかな」
「……はい」
2人は目を合わせる。
言葉は無いが、意思は通じ合っていた。
お互いに力強く頷いてから、笑う。
「いってらっしゃい、リリウムさん」
「はい! 行ってきます、カレンデュラさん!」
相変わらず大きなバッグだ。
リリウムが荷物を背負い直し、俺を見てくる。
そうだな。
これ以上長居はすまい。
また、来られるんだから。
そうして、踵を返し歩き出すと。
「ま、待って!」
先生に呼び止められる。
振り返ると、先生は俺たちに背を向けていた。
何をしているのか、と問う前に、先生が真っ赤になった顔を見せてくる。
こちらに駆け寄ってきて、
「しゃ、しゃがんでくれ」
そう囁かれる。
どうしたのだろう。
言われるまましゃがむと。
「ん!?」
俺の唇に先生の人差し指が押し付けられた。
いい香りと心地よい感触が、先生が離れても残り続ける。
これは、その、一体……。
「げ、元気のおまじないだ! 今度こそ、ほら、いってらっしゃい!」
「え、ちょ、先生――」
「ほら行くぞーロータスー」
リリウムに服を引っ張られる。
ちょっと待ってくれ、もう少し話だけでも……ええい!
「先生! ありがとうございました!」
これだけは伝えよう。
何度でも伝えよう。
手を高く上げて、俺は先生に叫んだ。
「どういたしまして、ロータス――! また、いつか――!!」
笑みがこぼれる。
リリウムもまた、俺たちを見て笑い声をあげた。
先生なんて、満面の笑みだった。
先生はすぐそこにいるのに。
今からでさえ、次会ったら何をしよう、なんて考えている自分がいる。
ああ。
別れを良い物だと感じる日が来るとはな。
誓った。
また来ると。
なら、それを果たそう。
先生に言わせよう。
最高の笑顔で、おかえりって。
そして俺も、言おう。
ただいまって。
また、いつか。
その言葉を、心に深く刻み込むのだった。
彼らを見送る。
遠ざかる背を見て、それでも私は笑っていることができた。
心が温かい。頬は熱い。それを持ち去ってしまうような風が、どこか憎らしい。
これは、彼が与えてくれた熱なのだから。
「ロータス」
私の記憶に残るロータスはいつまでも子供のままで、弟のように思っていて。
だけど久しぶりに会ってみたら、昔とは様変わりしていて、私に視線を合わせてくれる時なんか、子供をあやすみたいにわざわざ地面に膝をつけなきゃいけない。
彼からすれば、私は子供同然だ。
かつてはあった私への興味も、薄れているとは思った。
「……ロータス」
でも彼は、確かに、私に興味を持ってくれていた。
それは家族に対する親愛ではなく、疎い私でもわかる、彼の――
ああ、笑みがこぼれてしまう。
保護者として、彼の家族として、これではだめだ。
失格だ。
今でも鮮明に思い出せる。
精神干渉を受け、お前の帰りを待ちわびていた時のことを。
日々胸を躍らせて、お前を想わない日は無かった。
二度と会えないだろうと思った絶望感や後悔、それを偽りの感情で塗りつぶして、現実を思い知って――でも私はお前に出会えた。
出会えてしまったんだよ。
あれだけ幸福の中で待ち望んだお前に。
周りの人たちは乗り越えることが出来ていた。
それがもう会えない人たちだったから。
では、私は?
会えてしまった私の胸中に渦巻くのは、一体何なんだ?
昔の私が今の私を見れば、どう思うだろうか。
彼を守るべき立場の人間として、怒りを覚えるだろうか。
私の弱い心は、今の私を全て受け入れてしまっているというのに。
でも、分かってしまう。
お前は、こういう私も愛してくれるのだろうと。
エッチな子だと思っていたよ。
今も変わらず思ってる。
でも、でもね、私だってさ、ロータス。
自分が育てた子に、こんな感情を抱いてしまうような。
そんな、変態なんだよ。
「――ロータス」
私は、まだ彼の唇の感触が残る人差し指に、口づけをした。
それはもう、我が子を想うようなものではなく。
私はそれでも、その熱を否定しなかった。
ただ一つ。
待っていると、祈りを捧げて。
『お手紙、うれしく拝見しました。
お返事が遅れて申し訳ありません。
あの夜のことなら、私は気にしてはいません。
多少びっくりはしましたが、今ではもう笑い話になっていますから。
ただ、つい走り去ってしまったのを、今更ながら後悔しています。
出来ることなら、時間が許してくれるだけお話ししたかったのです。
代わりと言っては何ですが、こうして手紙で近況を知らせつつ、お互いのことを知り合えたらな、と思います。
私は今、ブランチリバーという小さな村でこの手紙を書いています。
近くには大きな都市のドラゴンフォートがあり、少し前まで、そこでダインスレイヴという冒険者パーティと行動を共にしていました。
聞くも涙語るも涙。かつての仲間が暴走しているところを颯爽と助けたり、凶悪な敵に協力して立ち向かったりと、吟遊詩人が詩にするのもそう遠くない話かもしれません。
そして現在は、かつての恩師である人と会い、その方の家に滞在しています。
昔は近衛騎士だったというすごい人で、最近まで教官として働いていた方です。もしかしたら、アイリス様も見かけられたことがあるやもしれません。
もしかしたら、王都でも噂になっているかもしれませんが、ブランチリバーでは”大団円の魔導士”を名乗る不審者によって精神干渉の結界が張られていたんです。
それもどうにか解決して、その人と改めて再会して。
少しばかり疎遠になってしまっていたのですが、この再会を機に分かり合えまして。
今は毎日、酒を飲み交わしたり、昔話をしながら笑いあうことが出来ています。
詳細はぼかしますが、アイリス様と出会ったおかげで、今、私は幸せです。
私はアイリス様のことを嫌っていません。そもそも、好悪の判断ができるほど、人となりを知っていません。
ですが、手紙を送っていただいて、慕っていると言われて、私は嬉しく思っています。
ですから、余裕があるときで構いませんので、アイリス様自身のことを私に教えていただけないでしょうか。
好きな食べ物、好きな色、好きな詩、好きな人、なんでもいいのです。
もしこの手紙がお手元に届いているのであれば、どうかまた、私に手紙を送ってください。
この手紙が届くとき、私はおそらく、ブロッサムムーンにいます。
王都に行くのがどれほど先になるかは分かりませんが、いつか足を運ぼうと考えています。
お会いできる日を楽しみにしています。
お手紙、お待ちしております。
(竜と対峙するダインスレイヴ、手をつないで喜ぶロータスとカレンデュラのイラストが描かれている)』
――王都『クリスタルロア』。
ロータス正教会総本山、その聖域の奥深く。
庭園にも見える聖堂の真ん中で、アイリス・ラエビガータは手紙に目を通していた。
12度目。
暇があるときは、ずっと。
「アイリス様、もう手紙に穴が開いちゃうっすよ?」
「い、いいでしょ、別に、誰も見てないんだから」
普段は敬語で周りに接するアイリスが、砕けた口調で口をとがらせる。
相手はセロシア・アルゲンテア。アイリスお付きのシスターであり、ただ一人の気を許せる親友である。
メカクレギザ歯シスター。そんな彼女は呆れたようにアイリスの頭にチョップをお見舞いした。
「いたっ」
「一応今は大事な祈祷の時間っす。確かに私以外誰もいないっすけど、そういう気のゆるみが――」
「ふんだ」
ぷい、と顔を背けて、アイリスは13度目の黙読に入る。
今日はずっとこの調子だ。セロシアも中身は検めたが、内容はいたって普通。アイリスがこれほど傾倒する理由も分からず、ただ肩をすくめるしかなかった。
横顔は正しく恋する少女のもの。でも彼女とロータスには、直接の接点は何も無い。
そんな相手から慕ってますだのなんだの言われても困るだけだろうに、なんてセロシアは思っていた。
(……まあ、元気そうでよかったっすよ、ロータスさん)
文面から読み取れるのは、楽し気な感情だ。
かつては狂犬のようだった男が、今は手紙を書いて、しかもこんな丁寧で。思わず笑ってしまいそうになる。
「セロシア、楽しそう」
「……まさか。思い出したくも無いことっす」
「ふーん?」
どうかなあ、とでも言いたげな視線を受けるが、セロシアはどこ吹く風といった様子だった。
それを見てつまらなそうな顔をしたアイリスは、身に纏っていた巨大な外套を外す。
セロシアはもう注意する気も起きていなかった。
身軽になったアイリスは地べたに座り直し、また手紙を広げる。
純白のレオタードのような衣装に、ガーターベルト。
肉付きの良い足は投げ出され、淑女がしてはいけないような格好に。
「幸せ、かあ」
アイリスは手紙の一文を指でなぞる。
「でも、私と出会ったおかげって……うーん、泣いちゃった記憶しかないんだけどなあ」
「……あの人がそう言うなら、間違いないっすよ。アイリス様は、自分で思ってるよりもずっとずっと、影響力があるっすから」
「そういうものなのねぇ」
綺麗な瞳が左右に動き、アイリスは笑みを浮かべる。
「いつか、来てくれるんだ、ロータスさん。私も、楽しみだなあ、いっぱいおしゃべりしたいなあ」
「行けたら行くわ的なあれじゃないっすか?」
「ロータスさんはそんなことしないもん!」
「どーっすかねー」
案外適当なところはありそうなものだ、とセロシアは口出さず考えた。
まあ、コミュニケーションがぶきっちょなだけで、それは不親切だとか、思いやりとかが無いわけでもなく、彼の場合は逆だろう。
(でも、私がいるって知ってるくせして、私には手紙の一つも寄こさないのはどうかと思うっすけどね! ついででもいいから、くれたっていいじゃないっすか、ロータスさん!)
なんて、思ったり、思わなかったり。
今のはちょっと自分らしくなかったな、とセロシアは自嘲する。
ああいうのは、こちらから行かないとうんともすんとも言わないものなのだ。
くだらないプライドではあるが、自分から関係を持ちに行くというのも、昔のことを思い出すとやりづらい。
故にセロシアは待ちの姿勢でいた。
「ぷえ……な、なに?」
「なんでも」
にへらと笑うアイリスが憎たらしいので、つい頬をつついてしまった。
もう完全に祈祷のことなど頭から抜けきっている様子だ。
いつも真面目な少女がこんなにも腑抜けて、恋は盲目というのか、ロータスが罪な男というのか。
どっちもだろうなあ、とセロシアは結論付ける。
「なんでもーーーーーー」
「うわうわうわうわうわわわっ」
これでも日中はもっとかっこいい姿のままなのだ。
アイリスが特別気を許せる相手だからこそ、ここまで気を緩めているのはわかる。
それが嬉しいとも、思う。
気恥ずかしさを隠すように、セロシアはしばしアイリスを弄んだ。
しばらくしてからお叱りのチョップを食らい。
アイリスは14度目に入る。
「うーん」
アイリスは手紙を見て小首をかしげた。
「どうしたっすか?」
「あ、その、ね? ……大団円の魔導士かぁ、って思って。セロシアは何か知ってる?」
「ああ、例の事件なら耳に入ってはいるっすけど……犯人については、私は何も。誰も、見たことも聞いたことも無いらしいっすからねえ」
アイリスの表情に驚きは無い。
ブランチリバーの異変を引き起こした張本人、ブレティラ・ストリアタ。
巷じゃ色々な噂で持ちきりだ。
張り出されている手配書が、中々に美人だっていうのも拍車をかけているのだろう。
謎の多い美女。
食いつかない奴はそういない。
「ふふっ……」
セロシアは目を丸くする。
「あ、えっとね、違うの。その、不謹慎な笑いじゃなくて……」
「分かってるっすよ」
「あ、ありがと。……ちょっと考えてて。大団円の魔導士、っていうのが、もし本当にいるとするなら、それもあり得なくは無いのかなって」
アイリスは微笑みながら言った。
「だって、そうでしょ? この世界には戦争も、犯罪もあって、不幸がそこら中にあるのに、小さいころ聞かされるような昔話はさ」
――みんなみーんな、大団円で終わるんだから。