結局風呂を出るまで、俺たちは無言のままだった。
軽くのぼせてしまったのは、かつては感じなかった気恥ずかしさのせいだろう。
リビングでリリウムを待っている間も、そんなに口数があったわけではない。
気まずさも多少はあったけれど、それはわだかまりではなく、俺たちの適正な距離感を図るための時間だった。
火照った身体も落ち着いてくると、ふとした瞬間に先生と目が合い、どちらともなく笑いを零した。
外に耳を傾けると、夜の虫の大合唱が聞こえてくる。
王都では聞けなかった風情ある声。
椅子に身体を預け、力を抜く。
なんでもない部屋の光景が、輝かしく思えた。
――そうこうしているうちに時間は過ぎていき。
リリウムが帰ってくる。
2人で玄関まで迎えに行くと、彼は俺たちを見て、
「ははっ……やるじゃん、ロータス」
何を言っているのだろう、と先生と見つめあう。
「ちゃんと見れてよかったよ。2人の正しい関係性が」
「……ん、ああ、まあ、おかげさまでな。ありがとう、もう大丈夫だ」
そういうことか。
心配しなくていい。
先生とは分かり合えたからさ。
「私からも、ありがとう、リリウムさん。私に合わせてくれたり、色々気を遣わせてしまっただろう?」
「いえいえ、楽しかったですから! カレンデュラさんも、良かったです!」
安心したように笑ったリリウムが、鼻を鳴らして何かに気づく。
「あれ、ロータスも……カレンデュラさんももうお風呂に入っちゃったんですか?」
「え、あ、ああ、お、おお、お風呂か、うん! 待っている間に、なっ? リリウムさんも、入りたいならすぐ用意するからな!」
「あはは、それじゃあお願いしちゃいますね」
どこかぎこちない動きのまま、カレン先生はお風呂場の方へ歩いていった。
それを見届けたリリウムに背中を小突かれる。
「……入ったな。2人で」
ぎく。
「これが2人の関係性ねえ。リリウムちゃん帰ってきちゃダメだったかなっ? 若者のリピドーを邪魔しちゃったかもっ!」
「……俺たちもう別れよう、リリウム」
「ちょ、冗談だろ冗談! つか分かっててもそれ意外と傷つくからな!?」
リリウムが泥をはたいてから家に上がってくる。
自然と俺に並び立ち、
「ロータス」
なんだ、と聞く前に。
「良かったな」
彼の優し気な視線に、思わず言葉を詰まらせる。
まあ、なんだ。こいつにも随分心配させてしまった。
情けない部分だって見られてしまった。
「……ありがとう」
「あははっ、なんだよ! 礼ならさっき貰ったばっかだぞ!」
助けられっぱなしだ。
いつかはちゃんと、この埋め合わせもしないとな。
状況説明は滞りなく進んだという。
精神干渉を受けていたこと、それを解決したこと。
幻覚を見せられていたからと言って、悲しみや怒りに支配されて暴れ出す人はいなかったようで、ただ大人しく真実を受け入れていたそうだ。
もちろん、村の人たち全員が身近な人間を亡くしているわけじゃない。
そういう人はただ幻覚の辻褄合わせをさせられていただけで、特に感情などに変化は無かったみたいだ。
その中の自警団を名乗る数人が馬を駆ってドラゴンフォートへ報告に行ってくれたらしい。
あったことを簡潔にまとめた手紙と、ブレティラの似顔絵が描かれた手紙を持たせて、リリウムは彼らに後を任せたそうだ。
早くて今夜、もしくは朝ぐらいにはドラゴンフォートの人間が調査にやってくるだろう。
一部の人間だけだが、ブレティラが言ったように前向きな考えを持つようになっていた。
時間が必要みたいなことを言っていたから、彼女の言葉通り数日でこの澱んだ空気も無くなっていくのだろうか?
「ブレティラ・ストリアタか。私も聞き覚えはないな……夢魔が今も生きているなんて話も聞いたことは無いよ」
先生なら何か知ってたりするんだろうかとも思ったが、残念ながら心当たりは無いようだ。
まあ、危害が加えられたりはしなかったんだ。やるべき事後処理はやるけれど、それ以上のことまではするつもりも無かった。
俺の旅の目的は揺るがない。
「――乾杯!」
錫のワイングラスをぶつけ、宴が始まった。
中身は赤ワイン。ビールばっかり飲んでいた舌にとっては久しぶりの上品なアルコール。
それほど大きいグラスでもないから、くいっと全部飲み干してしまった。
「んん! 飲みやすいな、これ!」
先生のグラスも空になっていた。
どうやらお口に合ったようだ。
「おいしいですよね、このワイン! オレも気に入ってて、祭りで安くなってたからつい買いすぎちゃったんですよ!」
鞄の中からはボトルが何本も出てくる。
四次元ポケットかなんかかよ。
リリウムはそのうちの一本を新しく開け、グラスに注いでから、一気に傾けた。
「……っ、染み渡るぅぅ~! オレやっぱビールよりワインの方が好きかも!」
「――」
「先生?」
その様子を見ていた先生が、声にならない息を漏らす。
視線はワインを飲むごとに動くリリウムの喉仏に向けられていた。
「ほ、本当に、男の子、なんだな……」
「あはは、ごめんなさい! 最初はちょっとしたいたずらのつもりだったんですけど、明かすに明かせなくて!」
「す、すごいなあ、肌もすっごくきれいで、瑞々しくて……どうやったらそんなに可愛くなれるんだ?」
「カレンデュラさんもお綺麗ですよ。なあロータス?」
「先生の美貌に、乾杯」
先生が噴き出した。
せき込んで、涙目になりながら俺を睨みつけてきた。
顔は真っ赤だ。
「おま、お前なあ! 大人をからかうのもいい加減にしろ! せっかく彼女さんがいるのに――って、あ、それは違うんだったな……」
「そうでーす、彼氏でーす」
「実は俺が彼女なの」
「私を振り回そうとするなぁっ!」
じとっとした目を向けながら、
「お前は昔からそうだ。私のことを好き好き言うけれどさ、お前はいつも気を遣ってるんじゃないかって思ってて。かと言ってじゃあ私のどこが好きなのかとか聞いてみたらさあ」
「うーん、見た目と人格ですかね」
「全部みたいなもんじゃん」
そりゃあ全部好きだし。
たとえ先生の油断した部分を見たとしても、もはやプラスにしかならない所まで来ているんだ。
「聞いておくれよ、リリウムさん」
「はい、なんですか?」
「ロータスな、私のこんなちんちくりんな身体を、エッチな目で見てくるんだ……」
「……ふーん?」
あ、やべ。
ワインを口に含んでいたせいで話を遮ることが出来なかった。
俺の視線は明後日の方向へ向かう。
ぬいぐるみと目が合った。
何を言いたいのかは相変わらず分からなかったが、どこか批判めいた視線を感じた。
お前まで俺の敵か!
「先生が行き遅れてるようなこの国が、この国の男どもがおかしいんですよ!!」
「うわ開き直った」
「ちょ、い、行き遅れって言うな! 自分で言うのもあれだけど、人から言われるとダメージ大きいんだからな!」
先生が真っ赤になって立ち上がった――ように見えたが、机の下から覗くと、椅子に膝立ちになっているのが見えた。
涙ぐましい。なんでこの家の家具はこんなにも先生の背丈に合っていないのだろう……。
「わ、私だって、すぐに貰い手ぐらい見つけてくるさ! ホワイトクラウン国内だけじゃない、色々な国を巡ればな!」
小さい手で俺を指さした。
「私より強い人なんて、探せば必ずいるんだか、ら」
そして目が合って。
先生は何かに気づいた。
そして俺もまた。
先生が気づいたことに気づいてしまった。
「……」
「……」
俺、勝ったよな。
ちゃんと、先生の全力に真正面から戦って。
それってつまり、今の俺が先生より強いってことで。
要するに、先生の――
「2人の空間に浸られちゃうと、リリウムお酒が不味く感じちゃうかもー」
そんなリリウムのつぶやきに、先生が勢い良く俺から視線を外した。
「~~~っ、え、ああ、えぇっ!? べ、別に浸ってなんか、なあ、ロータス!」
「はわわ……」
「なんだお前」
心の中の女騎士でさえ乙女になる衝撃だった。
2人から奇妙な視線を向けられたので、咳払い一つで正気に戻る。
「と、ともかく、ロータス! さっき言ってた土産話とやらを聞かせてもらおうじゃないか!」
机をぱんぱんと叩いて、先生が話題を変えた。
リリウムのにやにや顔をしり目に、俺も椅子に座り直す。
あの顔は、またどっかしらで弄り倒してくる気に違いない。
「そうですねえ、どこから話そうかな」
自分の鞄を手に取り、中を漁る。
そこから一通の手紙を取り出した。この旅の始まりである、あの聖女に泣かれた日から話すとしよう。
先生もダインスレイヴのことは知ってるだろうし、何よりあの王子についてならそれなりに詳しいはず。
ワインはまだまだ残っている。
この夜に飲み干してしまうくらいには語り明かそう。
うん、そうだ。
戦争で失ったものの話ではなく。
戦争を経て得ることのできたものの話をしよう。
「実はですねえ、オータムウィートで生活していたある日、あのロータス正教会の聖女に――」
「え、えぇ!? な、泣かれたって、アイリス様に、お前、そんな、なんで――」
「おいロータス! 話す順番を考えろって! また要らねえ誤解を生むつもりか!」
「ごめんなさい、違うんです」
「あっはっは! なんだその闇落ちって……闇落ち? え、どゆこと?」
「凄かったですよ、6年もの間積み上がったカメリアさんの想いは」
「ロータス……女の子を泣かせる男になってしまったのか」
「ちゃ、ちゃんと仲直りしましたから。リリウム! 要らんことを言うんじゃねえよ!」
「あはは、ごめーん!」
「んで、まあ紆余曲折はあったがダインスレイヴとして竜王山に行って、毒龍将――先代竜王と戦ったんです」
「ダインスレイヴ……く、クインス様やロサ様までそんなところに行ったのか!?」
「あー、あれやっぱ異常なんだ」
「それで、カメリアが決着をつけて、晴れてあいつが竜王になって。おかげでダインスレイヴは超豪華メンバー!」
「い、胃がキリキリしてくるな……というよりロータス、お前の人脈が末恐ろしいよ」
「先生筆頭に、凄い奴ばかりですよ」
「よせよロータス……オレのこと好きすぎだろ」
「誰だ貴様」
「それで、どいつもこいつも俺がもうすぐ死ぬって思っていたところに、この手紙が届いたわけだ」
「……な、何度見ても恋文のような内容のような気がするんだが」
「ロータスのことですし、どこかで惚れられててもおかしくは無いですよ」
「おかしいが? 何度も言ったが、俺と聖女には何の関係もねえ! 助けた覚えは無いし、あの夜が初対面だったっての!」
「そうか、ロータスは今は冒険者をやってるのか!」
「ああ、はい。まあ、その、大活躍とまではいかないですけど、どうにか毎日食えてます」
「んっ、幻覚を見てた時のことは忘れてくれ! ……でも、そうか。なんだか、うれしいな」
「え、ええ? そうですか? ふふふ、仕方ないですね、オータムウィートにいた頃の俺の冒険譚を聞かせてあげますよ」
「えーっと、なんだっけ? どぶさらいにネズミ退治虫退治、雑草取りに庭掃除、ゴミ屋敷の片づけに……あと何があったかなあ」
「そっかそっかあ、偉いなあ、ロータス」
「おっとまさかの好印象」
「……ほかにもあるだろって突っ込もうと思ったけど、俺何もねえや」
「悲しすぎる」
「ふふふ……昔のロータスはこーーーんなに小さくてなあ、綺麗な目を向けてきて、先生、先生、って」
「あはは、分かります。ロータスの目って、普通なんですけど、こう、不思議と綺麗な感じがしますよね」
「……」
「あ、ロータス、照れてるなぁー? お前は昔っから、自分に向けられる好意に不慣れだったが、今も変わらないんだなあ」
「今日はオレの知らないロータスのこと、いっぱい教えてもらっちゃおうかなぁ?」
「……そうですね、好きですよ、ロータスのそういうところは」
「だよなあ、私も、そこは変わらなくてよかったな、って思うよ。優しい子で、気遣えて、だからこそ、ずっとずっと愛おしい」
「ふふ」
「ロータス。今は、楽しいか?」
「……ええ、まあ」
「そっかぁ……そっか……」
「お、俺だって、先生や、リリウム、お前のこと――」
夜。
リリウムの腕が顔の上に降ってきたので起きてしまった。
「うーーーん」
寝相悪いなこいつ……。
頭いてえ。飲みすぎたんだろうか。
つか、俺っていつの間にベッドに?
えーっと、えーっとだな、記憶に残ってる最後の場面は……ワイン一気飲み?
「また俺なんかやっちゃいました」
学ばない人間だ、俺は。
仕方ない。楽しい雰囲気に美味い酒、ブレーキなんて効くわけが無いのだ。
思い出す限り変なことを口走った覚えは無いし、暴れたなんてこともない。
楽しいまま終われたのは確かだろう。
リリウムの腕をひっぺがし、起き上がる。
頭の奥がガンガンと殴りつけられた。ああクソ、やっぱもう二度と酒は飲まねえ。
リリウムとカレン先生が途中でつまみなんか作ってくれたから、調子乗って食いすぎて……い、一旦トイレに行こうか。
せめて朝まで寝れていたならリリウムにでも治してくださいと懇願するつもりだったんだが。
この野郎め。
ほっぺをつついてやった。
「ぐえー」
月明かりだけを頼りに部屋から出る。
想像以上に暗いな。
ドラゴンフォートだともう少し明るいんだが。
これが田舎か。足元すら良く見えん。
壁を伝ってトイレを探すが、いかんせん気持ち悪さでふらふらしているので全く足が進まない。
なんかもうトイレに行くのすらめんどくなってきたな。
部屋に戻るのすら。
もう廊下に寝ようかな。
ああ床がひんやりして気持ちいい。
「ん――」
なんてしていたら、曲がり角の先から光が漏れているのに気づく。
あそこは確か、先生の部屋があったな?
気だるい身体に鞭を打ち、そちらへと向かっていくと、半開きの扉から光が差していた。
「先生?」
扉を開けると、ベッドに腰かけていた寝間着姿のカレン先生と目が合う。
手にはあの青いぬいぐるみ。どうやらほつれていた場所を手直ししているみたいだった。
「び、びっくりした。どうしたんだ、ロータス? 寝てたんじゃなかったのか?」
「先生こそ、こんな時間まで」
「って、あはは! 顔真っ青だぞ、大丈夫かー? ……ほら、ここおいで」
先生は隣を叩き、俺を誘う。
そこに座ると、先生はすぐに回復魔法を唱えてくれた。
倦怠感が無くなっていく。この感覚は癖になってしまいそうだ。
「随分飲んでたもんなあ、そうか、ロータスは飲みすぎちゃうタイプだったか」
「面目ありません」
「気を付けような、ふふ」
そういう先生も、さっきからお口が緩くなっていて、口角が上がりっぱなしだ。
油断しきった表情。だから俺の前では飲酒を控えていたんだろうか。
「ぬいぐるみ、直してたんですね」
「ああ。お前と再会できて、いい機会だと思って。大事に思ってたし、捨てることも出来なかったが、中々取り掛かることが出来ないままだったからなあ」
魔道具だろうか、ランタンに似た何かが温かな光で先生の部屋を照らし出していた。
綺麗な部屋だ。本が多い。アンティーク雑貨が飾られている。好きなんだろうか。
それと、と先生は続ける。
「ちょっと、眠るのが怖くて」
「怖い?」
「……うん。これが夢なんじゃないかって、思うんだよ」
先生の手が止まり、彼女の視線を受ける。
「私は今、幸せだ。ロータスと出会えた。それだけじゃない、お前の親友とも知り合えた。笑っているお前が見れた。お前が楽しく生きているんだと、知れた」
「……」
「これは幻覚なんじゃないかって。だって、あまりにも出来すぎてるから。寝て起きたら、誰もいない家の中で、お前がいない現実の中で震えているんじゃないかって」
瞳が揺れ、ベッドが軋んだ。
先生との距離が縮まる。彼女の表情からは、それを本気で信じているわけではないことが窺えた。
「どうすれば、いいですか?」
俺は聞いていた。
先生は安心を欲しがっている。
俺たちが再び顔を合わせることができたことの証明を。
先生は立ち上がり、ナイトテーブルの上にぬいぐるみを置く。
そしてこちらに振り返り、しばし悩んだ後、引き出しの中から小さな針を一本、裁縫道具からはニードルクッションを取り出した。
それを両方手渡してくる。
「残る物が欲しい」
受け取ったものから先生へ視線を移すと、彼女の顔が真っ赤なことに気が付いた。
潤んだ瞳は揺れたまま、口は堅く結ばれている。
「お前に愛されている、そう思えるような物が」
そして、先生は小さな箱も持ってきて、俺に渡してきた。
中身はわからない。
それを受け取りながら、先生に視線でこれが何かと疑問をぶつけると、
「う、その、み、見ても、笑うなよ……? 結構前に、王都で買った奴、なんだが」
「これ――ピアス、ですか?」
中を見てみると、キンセンカを模した金色のピアスが入っていた。
……箱にはリリージュエリーと書いてあった。あからさまに地球の花モチーフだからまさかと思ったが、これ、リリウムがデザインしたアクセサリーだな。
「私には過ぎた物だったかなと思って、物怖じしてたんだが。……リリウムさんみたいな綺麗な人を見るとな、その、女として、負けてられないなって思って」
「先生なら似合うと思いますけど……先生って、ピアスってしたことあるんですか?」
「……ない」
先生の耳を見てみるが、ピアス穴らしきものは見受けられない。
「怖くて、開けられなくて」
「ああ……」
再び針に視線を向けてみると、先端が斜めにカットされ、中が空洞の筒状になっていることに気づく。
これ、ピアス穴を開けるためのニードルか。
こいつも確かリリウムが作ったと話してたような。
ピアッサーとかはまだ今の文明レベルじゃ難しいんだろうが。
相当ぶっ飛んだ発明していないか、あいつ。
どうやって作ってんだよ、これ……。
「だから、えっと、ロータス。お前が代わりに、開けてくれないか?」
お、俺?
先生の表情は真剣だ。
確かに自分でやるよりかは誰かにやってもらう方が気が楽だが。
俺がやっていいものか。
「失敗しても、その、回復魔法があるしな?」
その失敗が怖いという話なんですが。
しかも、これ、裸のまま引き出しに入ってなかったか?
たとえ成功したとしても、気付いたら穴が膿んでいましたなんてのは良くない話だ。
「消毒も、回復魔法で出来るよ」
便利すぎるぜ、魔法!
「な、ロータス。やって?」
「……リリウムなら手慣れてるはずですし、明日の朝にでもあいつに頼めば――」
「ロータスがいい」
ニードルを握る手に汗がにじみ出した。
先生にそこまで言わせて断るというのも……いやしかし先生の身体に傷をつけるのは……でももしもの時も回復魔法があるから……。
悩んで。
もう一度先生を見つめて。
「……わかりました。本当は良くないんですからね、素人が開けるなんて」
いつぶりだろうか、他人のピアス穴を開けるのは。
この世界ではまだ無いな。前世でも記憶にかすかに残っている程度。
一応、どこに刺すとかは覚えているので、出来なくは無いんだろうけど。
「う、うん。じゃあ」
先生が俺の膝に乗ってきて、右耳を差し出してくる。
綺麗な耳だ。触れると柔らかい。
「ん――あっ、ちょ、ちょっと待ってくれ」
どこか焦ったように先生が離れ、ナイトテーブルの上に置いてあったぬいぐるみを、壁に向けた。
それからまた駆け寄ってきて、元の位置に戻る。
頬が朱に染まっているのが横から見て分かった。
こちらを流し目で見てくる。やれということか。
もう一度、耳に触れる。先生は一瞬肩を震わせて、息を抜いた。
「で、出来るだけ痛くないようにしますからね」
「あはは、あまり気負わなくていいよ。わかってて頼んでるんだから」
位置を探るように耳たぶをいじる。
「ん、ふっ、あはは! こ、こそばゆいな、これ!」
「動かないでくださいよ」
しかし、先生がピアスか。
おしゃれしているところなんてほとんど見たことが無かった。
王城に招かれて立食パーティーに参加するときに、ドレスを着こんでいった時くらいだろうか。
それでもアクセサリー類を着けることは無かった。
先生曰く、子供が背伸びしてる感が出るんだとか。
「い、行くときは言ってな?」
先生は何も身に着けなくたって綺麗だ。
そんな先生の傷一つ無い身体に、穴を開けるのか。
無意識のうちに生唾を飲み込む。
「行きます」
先生が回復魔法を唱える。
特に何も変化は見受けられないが、これで耳と針の消毒が出来たらしい。
ニードルの先端を、先生の耳に向ける。
穴を開ける位置は耳たぶ。耳の端から数ミリ離れたところ。
その反対側をニードルクッションで抑えた。
貫通しやすくさせるのと、首とかを傷つけたりしないように。
本当は消しゴムとかが良いんだけど、無いからな。
先生がぎゅっと目をつぶり、俺の服を掴んだ。
「んっ」
急いでやると逆に痛くなってしまう。
ゆっくりと針を押し当てて、刺しこんでいく。
「っ、ぁ、ふっ」
ニードルは本当に注射針みたいな細さをしている。
痛さも注射か、それ以下のレベルでしかない。
「っ、ん」
それほど抵抗もなく、ニードルは貫通した。
身体に力が入りっぱなしの先生に、
「先生、終わりましたよ」
「え、あ、もう? なんだ、その、ぞわぞわっとはしたが、それほど痛いわけでもないんだな」
笑いかけると、先生は力を抜いた。
クッションを退けて刺した場所を確認したが、特に血が出ているということもなく、角度だって問題は無い。
あとはファーストピアスをはめて、1月くらいはその状態にしておかなければいけないんだが。
先生が再度回復魔法を唱える。ニードルを引き抜くと、すでにちゃんとしたピアス穴になってしまっていた。
確かめるように、穴が開いた部分を先生が指で触る。
「ふふっ……初めてこの私が、傷をつけられてしまったな?」
「……こ、光栄です」
「なんだそれ」
なんて言えばいいかわからず、思わず頭を下げてしまった。
耳たぶにはわかりやすく穴が開いている。俺が開けた穴が。
「でも、これでちゃんと思い出せるよ。私はお前に愛されているんだってことが」
慈しむように先生は笑う。
俺は渡されていた箱からピアスを取り出し、先生の耳に着けてあげる。
「……どうだ?」
褐色肌に輝くような金色のキンセンカ。
長い銀髪の隙間から覗くようなその煌めきは、先生の魅力を十二分に引き上げていた。
「似合ってますよ」
「そ、そうか! 良かった、ふふ」
その大人っぽさというのか。
先生の成熟した精神性を表すかのような。
アクセサリー一つでここまで様変わりしてしまうのは、先生の持っていたポテンシャルが凄いのか……俺がチョロすぎるだけなのか。
ともかく、これでコツは分かった。
もう片方の耳も開けてしまおう。そう先生に伝えて、もう一つのニードルをくださいと言ったのだが。
「今度は、私が開けるよ。その、お前に。えっと、だな……このピアスをさ、2人で片耳づつ着けて、なんて、考えてたんだ」
「それは……良いんですか? 先生の物でしょう?」
「良いんだ。私も、お前に証をあげたい」
先生が新しくニードルを持ってくる。
「私がお前にしてやれるのはこれくらいなものだ。お前が味わってきた苦しみを分かち合う資格は、私にはない。でも、それでも、愛しているんだよと、お前にだけは、伝わっていてくれたらって思うから」
「先生……」
「知っているんだよ。お前がどういう風に戦ってきたか、何をしたのか。お前に罪を背負ってもらっている、そんな私が、分かったようなことは言えないんだ。ただ、それでも、お前が真に孤独にならないように――お前の身体に、私を残す」
先生は俺の隣に膝立ちになり、左耳に触れる。
くすぐったくて、どこか安心するような感じがして。
「い、痛くないようには、するからな」
「あはは、槍だと思えば案外すんなり行くかも?」
「全然違うだろ、バカ」
針の先端があてがわられる。
「行くぞ、ロータス」
目を閉じて、受け入れる。
一息置いてから、ちくりとした痛みが走った。
久しぶりの異物感というか、寒気が走るような違和感に首筋を震わせながら、待つ。
「痛くは無いか?」
「ええ、大丈夫です」
「そっか。穴、開いたぞ。ちょっと待ってろな」
あっという間に終わり、先生の魔法でピアス穴が完成した。
触れてみると確かに穴を感じる。
今度は先生がピアスを取り出し、俺の耳に着けてくれた。
見せてもらった鏡には、そんなピアスの輝きに負けそうなくらいの男の顔が写っている。
茶髪なのもあってか、あまり金色が似合ってない。
花のピアスというのも、老け顔にはちょいと無理があるか。
でも先生は満足気だったので、これでいいのだ。
「やんちゃだ」
「先生が開けたんですよ」
「悪いことを教えちゃったかな」
「先生の教えなら、どんなものでも喜んで受け入れますよ」
お互いの耳に、キンセンカが輝く。
視線が交わい、しばしの沈黙の後、先生が俺を抱きしめた。
「旅、続けるんだよな」
「はい。しばらく滞在した後、ブロッサムムーンへ」
頭を撫でられる。
先生の甘い香りと、残った酒の香りが肺を満たす。
「また、帰ってきてくれるか」
「絶対に」
即答する。
「ですから、待っててくれますか」
「うん。待つよ」
先生もまた、即答だった。
それ以上の言葉は無い。
問答は、それだけで十分だったから。
しばらくそうしていて、先生が俺から離れた。
「明日は、皆のところに顔を出しに行くよ。まだ怖いけれど、うん、もう大丈夫だから」
先生は耳のピアスに触れる。
そうだな。俺も、会っておきたい。
「俺も、行きます」
その言葉に力なく笑ってから、先生は「うん」とうなずいた。
俺はベッドから立ち上がり、部屋を出て行こうとして、
「――」
扉の前で、咳払いを一つ。
先生に振り返り、
「それじゃあ、おやすみなさい、先生」
「ああ、おやすみ。また明日な、ロータス」
もう一度扉に向き直ると、扉の向こうに感じた気配はなくなっていた。
廊下に出るが、やはり何も見当たらない。
壁を伝って元の部屋に戻っていく。
部屋の扉が少し開いていた。
リリウムがうつぶせで寝ている。部屋を出る時は仰向けだったのに。
「おい」
声をかける。
もちろん反応は無い。
ため息をついてから、リリウムの耳たぶを爪で挟んでやった。
「う、ひゃ!?」
「この盗み聞きエルフめ」
おかしな悲鳴を上げてリリウムが飛び起きる。
俺から勢いよく離れて、恨みがましい目で睨んできやがった。
「お、おま、耳はダメだっての……!」
「……」
「う゛……ご、ごめん、ロータス」
が、こちらが訴えかけるような視線をぶつけていると、すぐにしゅんとなって謝ってきた。
まあ、別に本気で怒ってるわけでもないしな。
リリウムに笑いかける。
「……ロータスたち、めちゃくちゃ仲良いじゃん」
ベッドに腰かけると、リリウムが隣にやってくる。
その視線の先には、キンセンカのピアスがあった。
「そ、その、悪いとは思ったんだよ。ただ、あまりにも甘酸っぱい雰囲気というか、そういうのこの世界じゃあんま見なかったから、ダメだとわかってても……」
「怒っちゃいねえよ。恥ずかしくはあるけどな」
俺もまた、ピアスに触れる。
「リリージュエリー、ねえ。本当に手広くやってんだな。あのニードルとか、どうやって作ってんだ?」
「ん、ああ、ドワーフの職人に委託したりな。飾の一族、っていうドワーフの中でも貴金属の取り扱いに長けてる一族の職人がさ、あり得ないくらい器用で」
なるほどねえ、ドワーフ。
そう聞いて納得できるくらいには、この世界のドワーフ族の製作に関する技術の高さは世界中に知れ渡っている。
機械が必要なレベルの精緻な作業も手でこなしてしまうくらいと聞くからな。
「にしても、そうかあ、キンセンカかあ」
「なんだよ」
リリウムが笑う。
「……ああ、あれか? 分かったぞ、花言葉が不吉とか、そういう奴なんだろ?」
「へえ、勘良いじゃん。そうだよ、別れの悲しみや寂しさ、なんてのが花言葉にある花だ」
思わずせき込む。
な、なんて心を突き刺してくる花言葉なんだ。
過去を責め立てられているような気さえしてくる。
「でもな、いい意味の花言葉もちゃんとあるんだぜ?」
彼が耳元で囁いた。
「初恋とか、変わらぬ愛、とかな。今のお前にはピッタリなんじゃないか、なんてな!」
「……」
「くふふ、おやすみぃ、ロータスちゃん!」
彼がベッドに飛び込むのをしり目に、俺は天井を見上げた。
リリウムの言葉を反芻し、目を閉じる。
開けられた穴の部分が、やけに熱い。
その熱はじんわりと心の奥へと溶けていった。