翌朝。
二日酔いは無い。
先生が作ってくれた朝食を頬張りながら、快晴となった空を窓越しに見上げる。
部屋の隅にあったぬいぐるみは、今は不在であった。
入院中だからな。
昨日の酒が響いてないことを不審に思ったリリウムがカレン先生に聞いて、実は昨日の夜、先生に魔法で治してもらったのだということを知ると、甘やかしちゃダメですとぷりぷりしていた。
それを受けた先生が苦笑いで返し、リリウムは俺の背を小突いてきて、俺はそれを笑いながら見つめる。
先生の耳にはキンセンカのピアスが着いていた。
俺もまた、朝起きたときに着けてきた。
お互いの視線がそのピアスに向けられると、気恥ずかしさと共に笑みがこぼれてくる。
こんな風に、穏やかな時間を先生と過ごせるとはな。
昔よりも、良い関係でいられることが。
やっぱり、嬉しいもんだ。
良い朝だ。
家を出ると、数人の見慣れない人間が歩いていた。
王都の騎士ほどではないが、金属製の鎧に身を包んでいる。
ドラゴンフォートの兵だ。
「これは――リリウムさん、おはようございます」
「おはようございます。早いですね、もう調査に来られたんですか?」
「はい。町長からは可及的速やかに対応に移れと。別の街の魔法使いもお呼びして、今は住民たちに異常が無いか診察中になります」
隣のリリウムに気づいた兵の一人が敬礼し、そんなことを説明してくれた。
見れば、大きな馬車が道の向こうに見える。周りには自警団らしき青年たちがおり、兵になにかを説明しているみたいだ。
ローブを着た魔法使いが兵を伴って民家を回っている。
「申し訳ないです。犯人も取り押さえられれば良かったんですが」
「いえ、もとより我らが対処するべき事件ではありましたから、ここまで協力していただき感謝しかありません」
「……ちなみに、教えてもらえればと思うんですが」
兵に耳打ちする。
「ブレティラという人物について、何か分かったことはありますか?」
「……いえ、こちらには情報は何もなく。同じような事案も発生していませんでしたから。過去の精神干渉を使った事件の記録を見ても名前は載っていませんでした」
「そうですか。やはり」
「王都にも情報を共有し、犯人の特定について進めていきたいと考えていますが……」
うーむ、やはり情報は無いのか。
まあ仕方ない。後は彼らに任せるのが一番だろうし。
リリウムと共に礼だけ伝えると、「正式な礼は後程町長より送らさせていただきます」とだけ言って兵は去っていった。
気は進まないが、貰えるものは貰っとこう。
金銭類であればこの村に寄付してもいいしな。
「準備できたぞ、ロータス」
家からカレン先生も出てくる。
扉を開けて顔を出すと、日差しが眩いのか目を細めた。
手でひさしを作って俺たちを見据える。
……先生がこの村にやってきた時のことを、村の人たちは覚えているだろう。
今、彼らがどんな思いを胸に抱いているのかはわからない。聞こえの良い言葉を並べることはしなかった。
俺も行かなくては。
ポケットの中にある手帳に触れて、今一度、覚悟を決める。
俺たちは3人並んで、歩き出した。
ブランチリバーの看板が見える、入り口近くの宿屋。
先生が扉を叩くが、反応は無い。鍵は開いていたので、中に入ろうとして――
「――おお、カレンデュラちゃんじゃないかい! おはよう!」
「っ!?」
横から不意に声をかけられたもんだから、先生がものすごい驚き方をした。
見ると、この宿屋を営む老婦人が、納屋のある方から顔を覗かせている。
「お、おはよう、ございます……」
「どうしたんだい、ウチに用があったのかい?」
杖を突きながらこちらに近づいてくる。
先生は一瞬息をのんでから、扉から離れて自分から駆け寄っていった。
「いえ、その、えっと……ご主人も今は外に?」
「ああ、爺さんなら今は納屋にいるよ。けど……その、大丈夫なのかい、カレンデュラちゃん。リリウムちゃんや兵隊さん方にも教えてもらったけど、なんだかこう、夢を見せられていたっていう話で」
「あ、はい。大丈夫、です」
先生は若干困惑しつつ言葉を返す。
目の前の婦人は悲痛な表情を浮かべるどころか、こちらを慮ってくる。
先生は鳩が豆鉄砲を食ったような顔を隠さなかった。
予想外という顔だ。
「って、アッハッハ! なんだい、そちらの子、全然アル坊に似てないじゃないかい! 悪いねえ、お前さん名前はなんて言うんだい?」
「ロータスです。……先生とは、その、お世話をしていただいたというか、親代わりになってくれた人で」
「家族みたいなものです」
「はぁー、そうかい! 面倒見のいい子だったからねえ……!」
その笑みに曇りは一点も無い。
力強い笑みは、逆にこちらが元気づけられるような輝きにあふれていた。
無理矢理に笑っているというわけでは無い。
悲痛に思えるような点は見当たらなかった。
リリウムには彼らは粛々と現実を受け入れたと聞かされていた。
それは諦観からのものではない。
忘れたわけではないだろう。
傷が無くなったわけではないだろう。
では、やはり、この人たちは――
「それで、そちらは……あれ、リリウムちゃんで良かったのかい?」
「はい! 色々良くしてもらっちゃって、ありがとうございました」
「いやいや、良いんだよ! 若者に世話を焼くのがババアのひそかな楽しみさね。しっかし、そうかい、アル坊の彼女さんではなかったのかい」
「アルは、すでに結婚もして子供もいますから」
「……先を越されたのかい?」
先生がむせて、それを見た婦人が高らかに笑った。
「なんだ、気にしてるのならいいさ! 村にいたときは弟を育てるから、って男を寄せつけもしなくて、生涯独身を貫くのかと思ったからねえ! 結婚願望があるだけマシってものよ!」
「あ、あんまりからかわないでください! これでも結構、気にしてるんですから!」
「ババアは最近耳が遠くてねえ……関係ない話だが、若者をいじり倒すのも最近の楽しみで……」
「邪悪すぎる」
顔を真っ赤にして反抗した先生が、すぐにハッとなって気を取り直す。
それでもまだ状況を飲み込めていないというか、目の前の婦人がなんともないように見えるのが不思議でしょうがないといった様子だった。
先生は口を開きかけて、引き下がる。
婦人は納屋の方へ向き、
「まあ、なんだい」
ちらりと先生のことを見て。
「んなしょぼくれた面してるより、いじってやった時の顔の方が私は好きだねえ」
「――」
「何を気負っているのかは分からないけどさ。私は、お前さんに会えて死ぬほどうれしいんだよ」
それだけ言って、歩き出した。
俺とリリウムもそれについていく。
先生も少し固まってから、意を決したように駆けだした。
宿屋のすぐ隣の納屋に、老人は見上げるようにして立っていた。
目線の先は積み上げられた木箱たち。
こちらに気づくと、ゆっくりと振り向いた。
「……カレンデュラか」
「お、ひさしぶり、です……」
「この数週間の記憶は残っておるよ。昨日ぶりという感じしかせんなあ。……しっかし――カッハッハ」
彼はこちらを見てくる。
「似てねえなあ! 悪かったなあ、若いの! ついこき使ってしまってのう」
「いえ……その、すみません。途中で投げ出してしまって」
木箱を運び出す手伝いは、手帳を見つけた日を境にやめてしまった。
1週間くらいか。カレン先生が時折一人で続きをしていたのだが、全部とまでは行かなかったみたいだな。
まあ、日がな一日これにつきっきりというわけでもなかっただろうし。俺が木箱の山に倒れこんだせいで部屋をめちゃくちゃにしてしまっていたからな。
「返しに来たんじゃろ」
俺は頷く。
ポケットに入れてあった手帳を取り出した。
婦人の息をのむ音が聞こえて、目の前の老人の目が鋭くなった。
「……」
そして、すぐに元に戻る。
やはりかといった様子で、肩の力を抜く。
力なく笑った後、手帳を受け取った。しわがれた指先が俺の手に触れ、震えていることに気づく。
「ああ――こんなになっちまってよ。ウチのバカ孫が、ぐうたらと生きてたあ奴が、帰ってきたら、これだけで」
「爺さん」
「分かっておる。こんな枯れた身に、今更涙が流せるかいな。……ただ、あんなかび臭い部屋に閉じ込めていたことを、後悔しただけじゃ」
顔を上げて、遠くを見つめる。
その方向にはドラゴンフォートの兵たちの姿があった。
「何が違ったのかのう」
昔を懐かしむような。
悼むような。
そんな目だった。
「……すみません、大事なものを持ち出してしまって」
「どうなのかのう。大事なものを、遠ざけたり、封じたり、するものかのう」
大事だから、しまい込む。
そういうのもあるのかもしれない。
「ほこりを積もらせて、こんなガラクタで覆い隠した気になって、認められないままで――思い返せば、あ奴の墓すら作ってなかったんじゃからなあ」
手帳を撫でてから、開く。
そこは老夫婦の孫が書いた最後のページ。
図らずも遺言となった、参戦前の記述。
「気づけばこんな老体で、まともな墓を作ってやることも難しいと来たもんだ。腰も曲がって、骨も脆くなって、木箱一つまともに持ち上げられん。もう何もかもが、遅いんじゃ、ワシは」
とんとん、と腰を叩く。
まだまだ元気そうには見えるが、それでも老いには勝てないのだろう。
木箱から陶器を一つ拾い上げるだけで、手は震え、取り落としそうになる。
すんでのところでリリウムがキャッチし、箱の中に戻した。
「なら、作りましょっか」
自然な笑みで、リリウムは老夫婦を視界に収めた。
「オレの魔法なら、立派な墓石だって作れます。人手だってありますよ、おじいちゃん。遅いなんてありません、今気づけただけです」
「それは……いや、今更じゃろうよ。こんだけ遅くなって、祈りを捧げたところで……」
「あまりよくない言葉を使いますが、これは、ただの自己満にすぎません。早かれ遅かれ、悼むというのは、そういうものだとオレは思ってます」
何かを思い出すように、リリウムは目を閉じる。
「それでも、どれだけ間が空いていても、墓前で手を合わせて目を閉じたときに、ああ、オレはちゃんとこの人のことを愛していたんだ、って思えるんです」
「……」
「まあ、オレの経験談に過ぎませんが……その、どうでしょうか。今からでもと思うのなら、オレは全力で協力しますよ」
俺は空を見上げた。
俺は、どうなんだろうか。
大切な人の墓参りすら、一度だって行ったことは無い。
今はもう、どんな顔をしていたのかすら、定かではなくなって。
彼女に抱いていた気持ちがどんなものだったのかも分からなくなっている。
この旅が終わるとき。
行く末に。
俺もまた、リリウムと同じように思えるのだろうか。
そんなことを考えた。
「婆さん」
「そうさね……私は、なんだか、こう、立ち止まっていたくないって思ってるんだ。でもそれは、過去を置き去りにするんじゃなくてさ、難しいんだけど、背負っていければ、って。留まってばかりじゃ、あの時のままなんだよ、何もかも。そうだろう?」
少しばかり考え込んだ後に、
「分かった」
彼は力強く頷いて、リリウムの方へ向き直った。
「お願いできるかのう。出来るだけ、日の光が当たる場所へ」
「はい。任せてください!」
「ああ、あと……やっぱり、あの部屋は片付けておきたいんじゃ。悪いんじゃが……」
「俺も手伝いますよ」
同情とかではない。
これはただ、恩返しをするだけだ。
彼らの孫がどういう人物だったのか、どういう風に戦ったのかは分からない。
確かなのは、彼らの奮闘があったからこそ。
俺たちはドワーフ族に勝利したのだということ。
俺ができるのはこれくらいだが。
これこそ自己満だろうけど、手伝いたい。
そうすることで、俺も……いつかあの人のことを、悼めるように。
「先生」
俺は振り返り、彼女を呼ぶ。
反応して顔を上げ、すぐに目をそらす。
全員の視線を集めて、いたたまれなくなったのか。
「カレンデュラ」
老夫婦が彼女を見つめ続け、先生は気圧されたように視線を返した。
「なんだ、その……大変だったろうが、よく帰ってきてくれたな」
「……い、いえ、大変だったのはご主人たちの方で」
「どっちがなんて話じゃないさ。ああ、良く、良く帰ってきてくれたよ、本当に」
先生は瞠目する。
「何を怯える必要があるんだ、カレンデュラ。この村はいつだってお前の故郷じゃろう」
そうか。
彼らは覚えているんだ。
幻覚を見ている先生ではなく、異常に気づいた時の、最初に村に来た時の先生を。
断罪を求めて帰ってきた時のことを。
彼らが手帳を見ていないとは思えない。
先生に憧れていたことだって分かっているだろう。
でも、先生が怖がっていたような、先生に向けられる怒りなどは微塵もなく。
先生は歓迎されていた。
間違いなく、受け入れられていた。
「ありがとう、ございます」
先生は2人に抱き着いた。
感極まったような表情で、震える声のまま、
「ただ、いま……ただいま、です……っ」
「おかえり」
「ああ、おかえり、カレンデュラ」
しばらく抱きしめあっていた。
お互い会えなかった空白の期間を埋めるように。
力強く、ずっとずっと。
抱き合っていた。
「……」
この光景が、ブレティラの望んだものなのだろうか。
そう思って、首を横に振った。
これは、彼らの強さだ。
彼らは彼らの足で、自分たちの力で立ち上がった。
そう思おう。
出来たばかりの墓に、俺たちは並んで祈りを捧げていた。
立派な墓石の前には剣とガントレットが供えられており、老夫婦はそれを愛おしそうに撫でながら、先生と昔話に花を咲かせる。
孫はどんな子だったとか、アルセアとはこんな関係で、とか、意外と甘えん坊なんだ、とか。
それを聞いて先生も、確かにそうでしたと、お二人が見ていない所だと実は――なんて風にさらに話を広げていく。
木箱を片付け終えて、リリウムの魔法で綺麗に掃除して。
実に殺風景な部屋が姿を現した。
かと思えば、棚の中や机の引き出しの中などからは、ここに人が住んでいたのだと証明するかのように、日記や本などが続々と出てきた。
本当に、あの戦争の時から指一本触れていなかったのだろう。
お礼として、俺たちはガレットを頂いた。
リリウムが食べていたのを見たときから気になってはいたが、美味しかった。
先生も懐かしみながら頬張っていて、それが余りにも幼げな姿だったから思わず笑ってしまって、怒られたりもした。
先生が村にいたときは、それくらい小さかった頃の話なのだろうか。
老夫婦は元気を取り戻していた。
リリウムにはしきりにお礼を言い、ただの手伝いしかしてなかった俺にまで頭を下げてきた。
お役に立てたなら、それでいいが。
しかし、爺さんや。
いくら元気を取り戻したって言ってもな、「カレンデュラの家に居づらくなったらウチへ来い。ほら、向こうじゃ過ごしにくい夜もあるじゃろうし、な? ワシら耳遠いから、な?」とかセクハラまがいなことを言うのはやめてくれないか。
手が出る。
「ジジイ!」
出た。
まあ、俺じゃなくて奥さんの方からだったが。
そこでリリウムが誤解をそのままにしていたことに気づいて、ネタ晴らしをした。
男で、ただの親友だと。
「マジかよ」
爺さんの何かが壊れるような音がした。
気のせいかな。
気のせいだろう。
その後も、村中を歩いて回った。
誰もが先生のことを覚えていて、それでいて、怒りや憎しみなどは抱いていなかった。
皆に歓迎されたのだ。
「罰が欲しいだなんて、ああ、本当は微塵も思ってなかったんだな、私は。こうしてまた、あの人たちの温かみに触れて、幸せ以外の気持ちが出てこないというのに」
考える。
なぜ、罰が欲しくなるのだろう。
心のどこかではわかっているはずなのに。
裁いてほしいと願い、頭に浮かぶ人物が、それを下すことなど無いことを。
「ただ、正当化したかっただけなんだろうな」
大きすぎる罪悪感を抱えきれなくなったから。
それも理由の一つだろう。
そして何より――どうせ罵られるなら、せめて、彼らは自分に罰を下してるのだと思いたいから。
「いつかきっと赦される日が来る。憎しみではなく、怒りではなく、罰ならば。結局のところ、私が欲しかったのは――」
でも。
先生は、手に入れた。
そもそも赦す赦さないの話ではなかったのかもしれないが。
あの温かい輪の中にいてもいいのだと、許しを得たのだ。
「私も、愛されていたんだなあ」
先生はただ、村を見つめた。
昔と変わらない景色を。
今、歩み出そうとしている人たちを。
ずっとずっと、目に焼き付けようとしているみたいに。
俺はそんな先生の横顔を見つめてから、同じように村を見た。
なら。
先生が得ることができたのなら。
俺もたぶん、貰ったのだろう。
欲しているものを。
そうだな。
そうなんだろうな。
罪だ罰だで塗りつぶしてきたが……ただ俺は、受け入れられたかっただけなんだろう。
先生の隣にいられる、許しが欲しかったんだろう。
耳に触れる。
ピアスに触れる。
今ならそれが、とても良くわかる。
俺が渇望したものも、先生が与えてくれたものも。
……まだ。
まだ、この光景を見ていたい。
ふと、俺はそう思った。