俺は今どんな顔をしているのだろう。
まさか向こうから会いに来てくれるとは思わなかった。
「……カレン先生」
先生は泣いていた。
顔をぐしゃぐしゃにして、嗚咽を止められないまま。
しゃくりあげ、涙を拭おうとして、それでも溢れてきて。
そんな状態でも真っすぐ俺を見据えてくる。
何を伝えたいのだろうか。
どんな言葉を告げられるのだろうか。
今すぐに抱きしめて慰めたくなるのに、俺は一歩も動けない。
ただ待っていた。
死の宣告を待ち続けた。
「ロータス」
沈黙の中、リリウムが口を開く。
彼の方を見る前に、背中を押され一歩前へ出た。
「ちゃんと目を見て、話をするんだ」
先生は……先生も、待っていた。
何を?
俺の言葉を。
「先生」
「っ、あ、ああ……」
リリウムに押してもらった背中が温かい。
また一歩、もう一歩と先生の元へ歩み寄る。
先生はおびえたように俺を見るが、逃げることなく待っていてくれる。
先生の目の前まで来たとき、俺は膝を地面につけて先生と目線を合わせた。
宝石みたいな紫色の瞳が、涙で煌めいて綺麗だった。
「その、すみません……でした。先生は帰ってこいって言ってくれたのに、俺はずっと先生に会いに来ないで」
口をついて出たのはそんな言葉だ。
言うべきことは他にあるだろう。
お前の罪を告白するべきだろう。
「どうしてお前が謝るんだ」
「悪いのは、俺ですから」
……言え。
言うんだ。
お前が殺したと。
他の誰でもない、お前自身の口から。
「……」
「……」
自然と、先生と目を合わせていられず、視線は下へと落ちる。
手は震えていて、脂汗が地面に染みを作っていた。日は落ちつつあり、橙色の光が影を作って、俺はただそれを眺めていた。
「……違うよ」
先生もまた膝を折り、俯く俺の頬に手を添える。
先生の手も震えていて、彼女から伝わる体温が、耐え難い恐怖となった。
「謝るのは、私の方だ」
「なんで、先生が謝るんですか……」
「お前を、戦争に行かせてしまった。私はお前の保護者としてすぐにでも助け出してやるべきだったのに、怖くて動けなかった」
……。
何を言っているのだろう。
「先生は、理由があるじゃないですか。教皇に、国王。そいつらに命令されて逆らえるわけがないじゃないですか」
「我が身可愛さにお前を死地に送ることの免罪符にはならないよ。お前が受けてきた傷も、与えた傷も、全て私が背負うべき物なのに」
「……例えそうだとしても、それを先生が謝る必要はありませんよ。先生のせいだなんて、微塵も思っていませんから」
戦争が始まったのは先生のせいじゃないし、俺を戦争に参加させたのも先生じゃない。
成り行きだったとしても、俺が戦ってきたのは、俺自身の判断と覚悟の上だ。
むしろ、俺の方こそ――
「俺は、自分勝手な理由でこの手を汚しました。先生に助けられて、育てられて、愛されて――教えていただいた戦い方で、罪を、犯しました」
「罪じゃない! っ、それは、全部――」
「違うんです」
震えは止まっていた。
先生は優しかった。
言葉の節々からは思いやりを感じる。
ずっと大切にしていてくれたんだと、分かる。
この数年間、ずっと愛していてくれたんだ。
それを知れただけでも、満足だ。
「俺は」
意を決して、先生の目を見た。
「先生の、弟を――アルセアを、殺しました」
「――え?」
先生が目を丸くして、固まった。
何を言っているのかわからないという風に小首をかしげて。
数秒待っていても、先生が言葉を発することは無い。
ただ理解が追い付いていないのか、瞬きすらなかった。
「何の、話だ?」
「……」
そうか。まだ幻覚が残っているのか。
だけど、これが事実なんだ。
「俺は……エルフの国を出た後、巨人族との戦争に乱入しました。その場所で、俺は、敵も味方も関係なしに切り捨てて……ヒビスクス旗下の部隊も、その巻き添えになりました」
「……」
「俺が……殺したんです」
そう言い切って、俺は再び視線を下げた。
待つだけだ。
先生の言葉を。
断罪を。
「……え、えっ?」
しかし。
返ってきた言葉は。
「生きてる……」
「…………ん?」
「いき、生きて、ます……弟は、全然、今も」
……。
…………。
?
「先生、そんなはずはないんです。アルセアは、巨人族との戦いに参加させられたんですよね?」
いや、そうだ。
幻覚が残っているから、アルセアもまだ生きていると思い込んでるんだ。
一つ一つ、先生に思い出してもらって、認識を正すしかない。
「そう、だが……」
「なら――」
「あ、アルは戦いが始まる直前に、敵前逃亡して……ホワイトクラウン騎士団を辞めて、結婚もして、子供もいて、今は遠くの方で農家をやって暮らしてるよ……?」
今一度、先生の瞳を見つめた。
目の周りは真っ赤で、まだ潤んではいるが、理性の光を感じる。
いや、だって、そんなはずは――
「あ!」
唐突に、リリウムが大きな声を出した。
何か大事なことを思い出したかのような顔をしてから、思案気な表情に戻る。
なんだ。
何に気づいた?
先生に向き直るが、やはり俺の言葉への困惑が隠せていない。
だけど、俺から見れば魔法の影響はすでに無いように思えた。
考えよう。
ブレティラの魔法とは、幻覚とは一体どういうものだった?
死んでしまった大切な人を生きていると錯覚させる幻覚だ。先生が俺をアルセアと認識したのも、それが原因。
じゃあ、他の人たちにとっては?
宿屋の老夫婦は俺を見ても孫だとは認識しなかったし、雑貨屋の夫婦も、あくまで俺のことは旅人か、アルセアだと認識していた。
先生だけが俺を最初からアルセアだと認識していたのは……何が特別だったんだ?
……思いつかない。
じゃあ視点を変えてみよう。
他の人たちの幻覚は、確かに死んだ人を生きていると錯覚させるものだったが、それは見えないものが見えるようにするとか、誰かを待ち人と誤解させるとかではなく、あくまで今も生きていて、もうすぐ会いに来る、という考えを植え付けるものだった。
ブレティラは彼らに前を向かせたいと言っていて、実際に前向きな考えになっている人たちがいた。
魔法の影響を受ける前を知らないから断定はできないが、あくまでブレティラの言葉を信じるとすると……その”待っている状態”こそが前を向かせるために必要な要素だったのではないか?
そうなると、先生がアルセアを認識していたのがおかしくなる。
……本当に?
前提として考えている、アルセアが先生の待ち人ではないという可能性は無いか?
だってそう考えると辻褄が合う。
待ち人を待つ、という状態にさせるなら、幻覚が別の人物をあてはめた理由が浮かび上がるんだ。
つまり、そう。
――そのロータスさんは、今は……。
――ん、今は冒険者をやっていると聞いているよ。もうしばらくしたらこっちに来てくれるみたいだからさ、年甲斐もなく楽しみにしてたりもするんだ。
「――俺か!?」
先生にとっての待ち人とは、つまり俺で。
アルセアはただ辻褄合わせのために当てはめられた幻覚でしかなく。
なんなら先生の言うとおりであれば俺が殺したという事実もなく。
俺はずっと勘違いをしていただけ……?
「へぁ」
びっくりするぐらい情けない声が出て、俺は地面に突っ伏した。
力が抜けて立つ気力も出てこない。
し、死んでなかった。
先生の家族は、今も無事だった。
喜ばしい出来事なのに乾いた笑いしか出てこない。
「ろ、ロータス……?」
「先生」
仰向けになると、先生の心配そうな顔と空が見える。
そうか、要は、先生は俺に会いたかったけれど、二度と会えないと思ってそんな幻覚を見てしまったというわけか。
待ち人は死んでる必要は無くて、あの幻覚はそれにも作用した。
俺が生きていることに驚いた様子は無いし、つまるところ、そういうことなのだろう。
その事実が、なんだかとても嬉しかった。
「先生は、まだ……俺のことを、愛してくれているんですか」
「……っ」
「俺は、先生のことが好きですよ」
まだやり直せる。
先生は俺に会いたがっていたし、俺も先生に会いたかった。
嫌われてなんていなかったし、俺だって先生のことは大好きだ。
「勿論――」
泣き笑いのような。
また大粒の涙を流しながら、先生は笑って。
「ずっとずっと、愛しているよ。ロータス」
俺の頭を抱きしめてくれたのだった。
今日のところは家に帰ることにした。
先生とリリウムと手をつないで帰った。
歩幅の狭い先生に合わせてゆっくりと。時間がかかったのは、先生が途中で何度も泣き出してしまうというのも理由だった。
帰宅したとき、リリウムは状況説明と様子を見てくる、ということで村の方へ出て行った。
たぶん、俺と先生を2人っきりにするという気遣いもあるんだろうな。意味ありげなウインクが記憶に残っていた。
家の中には俺と先生だけが残された。
俺たちはお互いの気持ちを再確認できたわけだし、昔みたいに楽しく話し合えるんじゃないかとも思ったんだが。
「……」
「……」
どちらも口を開くことは無く、気まずい沈黙が辺りを支配していた。
だって、戦争が終わってから6年だ。
それだけの期間会わないでいて、まだ全然謝り足りない。
今すぐ地面に頭をこすりつけて謝罪したい。
でも、先生がそれを求めていないから。
だからただ、自罰的な空気が蔓延していた。
「ロータス」
沈黙を破ったのは先生だった。
見ると、手にはどこから持ってきたのか、木槍と木剣が握られている。
かつて俺が先生との訓練で使っていた、練習用の武器だ。
「久しぶりに、勝負しないか?」
辺りは暗くなりはじめ、月の輝きが増しつつあった。
先生が魔法を唱え、家の庭が照らし出される。
それなりの広さで、雑草一つ生えていない。
「小さくないか、その木剣は」
「握りづらさはありますけど、リーチは申し分ないです」
「そっか」
試しに振ってみても、それほど扱いづらさは感じない。
一昔前は毎日のように振るってきた武器なんだ、すぐに手に馴染んでくる。
先生もまた愛用していた木槍を大道芸のように回してみたり、簡単に突いてみたりしてから、石突を地面に突き立てた。
「……ごめんな、急に付き合わせてしまって」
「いえ。嬉しいですよ、先生から誘ってくれて」
なぜ急に誘われたのかはわからない。
ただなんとなく、今の俺たちには必要なことのように思えた。
澱んだ空気は、外の風が持ち去ってくれる。
息を吐くと、鉛のように感じていた身体から徐々に力が抜けていった。
昔とは違って、俺はもう成人して、身体もあの時以上に大きくなった。
強くなった自信もある。
それでも。
目の前の小さな女性が、俺の目には脅威にしか映らなかった。
「やろっか」
先生が取り出したコインが、指に弾かれ宙を舞う。
それが俺たちの戦いの合図。昔に取り決めた、懐かしきルールだ。
迷いや、悩み――それらが、コインが落ちるまでの短い間に消え去っていく。
今は、最も純粋な心で先生を見据えていた。
そして――コインが落ちる。
「ッ!」
先生の姿がブレて、俺の左手側から肉薄され槍の穂先が飛んでくる。
それを軸をずらすことで避け、距離を取る――が、先生はそれにも食いついてくる!
「あの頃よりも、全然っ!」
強くなってる。
あの体格からは考えられないようなスピード感で距離を詰め、刹那の隙に高速の刺突が繰り出される。
肉弾戦に持ち込もうと思えば、槍を支えに逆にこちらが蹴り飛ばされる。
こちらの剣のリーチには踏み込まず、あくまで槍のリーチを活かした戦い方。
やり辛い。
ああやり辛いなあ!
「でも、俺だって!」
地面の柔らかい土を足で巻き上げ、目つぶしに使う。
何度だって先生に肉薄しなければジリ貧だ!
先生が飛びのいたところを狙い、その胴に一撃を叩きこもうとし、槍に防がれる。その勢いのまま先生は顔面を蹴りつけようとし、それを後ろに下がることで避けた俺に再び槍で追撃する。
「――ッ」
小さい頃はあの槍を手でつかんでしまおうと考えたこともあった。
先生の低い背からの一撃は思わず手で取ってしまいそうな隙がある。
だけどそれをしてしまったら最後、腕ごと絡めとられて体勢を崩したところに徒手での弱点への攻撃が始まるのだ。
杖術というのか。
あの槍の脅威は穂先だけじゃない。
全てが先生にとっての武器。
槍の技術も他の追随を許さない。
すべての一撃が神速であり、的確。
戦い慣れしている俺だからこそ目で追えているが、ほとんどの場合は何が起こっているのかもわからないまま串刺しにされるだろう。
これが訓練用ではなく本物の槍であるならば、とは考えたくないな。
先生の本来の獲物は魔槍であり、長さも6メートル近い大槍だ。
この速さで突き出され、振り回され、常人じゃ触れることだって叶わないだろうし。
さすがは無敗の槍使いだ。
彼女が近衛騎士にまで成り上がっても傷一つ残っていないのは、なにも回復魔法の使い手に恵まれていたからじゃない。
誰もが傷を与えることが出来ずに倒されてきたからだ。
無敗、さらに言えば、無傷。
先生は本気だ。
俺とガチでぶつかり合おうとしている。
あの頃を思い出して、俺もまた熱に浮かされていく。
「防戦一方じゃないか。私相手にそれは愚策だと、教えてやったはずだがな!」
俺も先生も、相手を気絶させるつもりで武器を振るう。
そこには思いやりなど欠片も無い。
でも、それが、俺たちの在りし日からの在り方だった。
楽しくないはずが無かった。
「ハハ――昔と同じままと思ってると、足を掬われますよ、先生ッ!」
そこに――遠慮や相手への後ろめたさなどが介在する余地は無い。
俺たちは変わらずあの頃のまま、笑いあえているんだ。
「っ……」
一瞬だけ、先生の瞳が煌めいた。
俺も一瞬、息を詰まらせて。
すぐに剣と槍がぶつかり合う。
これは、儀式だ。
俺も、先生にも、後悔がある。
この戦いが終わった時、お互いに全部水に流そうと。
あの頃のような関係に戻ろうと。
だから、全部ぶつけるんだ。
今ここに吐き出すんだ。
「――!」
突き出した木剣が槍に絡めとられて、上空へ巻き上げられた。
最小の予備動作で、先生は態勢を崩した俺へ――俺の喉元へ槍を突き出した。
それは寸分の狂いなく狙った場所へと吸い込まれていき――
――俺は槍の穂先を左手で殴りつけ急所を回避し、その無防備な頭を掴もうとして、その寸前で右手を止めた。
「……参った。私の負けだ」
この状況からでは先生は俺の間合いから逃げられないし、先生の頭を掴んでしまえば後はどうとでも出来る自信があった。
たとえ刃が本物でも、左手が犠牲になるだけで相手は殺せる。
先生が武器を下ろし、降参する。
俺の、勝ち。
生まれて初めての、先生への勝利だった。
「はぁ、はぁ」
俺もまた手を下ろすと、ぶわっと汗が噴き出してくる。
「痛っ」
呼吸を整えようとしたところで、左手に激痛が走った。
見ると槍の穂先を殴りつけた部分がぱっくりと裂け、骨が顔を覗かせている。
冗談だろ……先生の槍は木製で、しかも刃はそれなりに分厚いんだぞ……?
さすが、先生は先生だった。
血が滴り、地面を汚す。
「ロータス。見せてみろ」
「あ、は、はい」
その手を先生が両手で包み、回復魔法を唱える。
見る見るうちに傷は痕も残さず治っていく。訓練後の回復魔法も、懐かしいもんだ。
「ありがとうございます、カレン先生」
「……っ」
「せ、先生?」
傷は治ったのだが、先生が手を放してくれない。
裂けていた部分を撫でて、肩を震わせ泣いていた。
「……教えてないよ、こんな、肉を切らせて骨を切るような……人に対しての、戦い方は」
俺の左手を顔の前まで持ってきて、さらに涙を流す。
温かな先生の涙が俺の手を伝って地面に落ちていった。
「強く、なったなあ……強くなっちゃったなあ……っ!」
するりと手が離れ、先生は俺の服を掴んだ。
「ごめん、ごめんなぁ、ロータスっ、ごめん、ずっと、ずっと」
「先生――」
「ひどいことしたのに、ずっと、愛してくれてたのにっ、私は、嫌われてるなんて、都合のいい妄想ばっかしでっ!」
そんな先生を、俺は抱きしめた。
「俺だって、先生が愛してくれていたことに気づかないで、嫌っていてくれたらなんて思ってしまって」
「う、うぅ……ロータスっ、ロータス!」
お互い、似たようなことで相手を遠ざけて。
こんなに大切に思いあっているのに、滑稽な話だ。
「もっと、もっと強く、抱きしめてくれ……っ」
力を込めて抱きしめる。彼女の身体の形が肌からでもわかるくらいに。
「もっと」
お互いの境界があいまいになるくらいに。
「も、っと……!」
骨が軋んでしまうくらいに。
「ああ、わた、しは、バカな女だ……ここまで、痛くしてもらわなきゃ、分からないんだから」
俺だってそうだ。
ここまでして、やっと気付けた。
「ずっと、会いたかったです、先生……」
「私も、会いたかったよ、ロータス」
ああ、綺麗になった顔がまたぐちゃぐちゃになって。
家の庭で、汗だらけの男女が抱き合って。
情けない言葉を交わしあって。
「――」
そうしてやっと、俺たちは笑いあうことができた。
先生と再会することができたのだ。