ブランチリバーには大きな山がある。
そこから流れてくる川に沿って人々が生活を始めたのが、この村が出来た理由だ。
竜王山ほどの険しく厳かな山ではなく、時折村の住民が狩りや採集で立ち寄る、緑豊かな山である。
獣道も出来ており、脇道に逸れたりしなければ迷うことは無いだろう。
「ここにいるんだな」
リリウムは頷く。
術者を辿ると、この山に潜んでいることが分かった。
村の人たちに話を聞いてみたが、ここ数週間は数回山菜採りに立ち寄っただけで、その際も不審な点は特になかったとのこと。
隠れられそうな場所には事欠かないだろうからな。
バレずに潜伏するのにはうってつけの場所だ。
問題は、俺たちが近づいていくことに何かアクションがあるだろうということで、それがどういったものなのか想像もつかないってくらいか。
警戒は怠ってない。
今のところは、何も起きてはいない。
「随分と時間がかかっちまった。隠蔽の上手さといい、魔力の無尽蔵さといい、一体何者なんだ」
「話が通じるような相手であればいいんだが」
リリウムは元より精神干渉を受けないが、今の俺も、彼に精神干渉を跳ねのけるための魔法をかけてもらってるから、例え俺が標的になっても問題は無い。
治すのは無理だが、そもそも受け付けさせないっていうのは得意なんだ、と言っていた。
「こっちだ」
リリウムは迷うことなく木々の間に踏み入っていく。
俺も遅れないように、草の根をかき分けてついていく。
この辺までは誰も立ち寄らないのだろう。
人の手が入っていない自然の光景。
この山のあるべきままの姿。
俺からすれば方向感覚もすでに無いため、リリウムだけを頼りに歩いていく。
次第に水が流れる音が聞こえてきて、歩調も早まっていく。
川の音だろうか。
その大本を辿るように、俺たちは山を登っていく。
「……」
俺が出した答えについて、リリウムが拒むことは無かった。
俺の行動がどんな結果をもたらすのかはわからない。それでも彼は、ずっと俺の傍にいてくれると言ってくれた。
こんなに心強いことは無い。
なら、やるべきことをやるとしよう。
決意を新たに足を踏み出したところで、ふと開けた場所に出た。
水の音はより一層大きくなっている。
リリウムが立ち止まったので、俺もその横に並んでその光景を眺めた。
沢だ。
日の光を浴びて、煌めいている。時折見える影は川魚のものだろうか。
「……着いたぞ、ロータス」
「ここに?」
「ああ」
俺の予想では、何かの小屋を占拠していたり、洞窟に潜んでいたり、っていうのだったんだが。
見たところおかしな点は見つからない。
マイナスイオンが凄そうな自然の絶景だな、というのが率直な感想だ。
リリウムはただじっと、上の方を見上げている。
手には小杖が握られており、危害を加えようものなら消し炭にしてやるといった気迫を感じた。
俺も彼が見つめる方を凝視する。
ちょっとした崖になっている、その先を。
「――」
そして。
ただふらっと、隣人に挨拶するみたいな気軽さで、人影が現れた。
「おや、お客人かい?」
顔を出したのは、青い髪を腰まで伸ばした、恵体の女性だった。
三角帽子に大きな杖、魔法使いの着るローブに身を包み、怪し気に笑うその口からは牙のようなものが覗いていた。
しばしこちらを見つめてから、視線を外し、空に昇る太陽を見る。
「……しまったな、もうそんな時間が経ってたのか。そりゃあ来ちゃうよねえ」
発せられる気だるげな言葉からは敵意は感じられない。
本当にこの女が術者なのか? と、隣を見るが、リリウムは警戒した様子で彼女を睨みつけていた。
どうやらそうらしい。
「そんな目で見ないでおくれ。ボクも大事にするつもりは……ああ、こんな場所からだと失礼かな。よ、っと」
「ッ」
「ああ、何もしない、何もしないから、ねっ?」
女は崖から飛び降りた――かと思いきや、魔法か何かで落下を制御し、ふわりと着地した。
リリウムに杖を向けられ恐る恐るといった具合ではあったが。
「うーん、ボクの隠蔽は完璧だったはずなんだけど、辿られちゃうか……さすが、エルフの――」
女は三角帽子を外し、俺たちを見据える。
大きな女性だ。豊満な身体なのもそうだが、背だって俺より大きい。
「初めまして、ボクはブレティラ・ストリアタ。人呼んで――ってことはないけど、自称『大団円の魔導士』さんだよ!」
「……」
「……」
「……すみませんでした」
キラッ、って効果音が聞こえそうなウインクを飛ばしてきたが、沈黙を受けて平謝りしてきた。
なんだこいつ……。
変なことを言って煙に巻くつもりか?
「単刀直入に聞かせてもらいたい。この村を覆っている結界魔法はお前の仕業か?」
「うん、そうだよ」
あっけらかんと、そいつは――ブレティラは認めた。
「ああ、倒そうなんて考えないでおくれよ! 術は解くし、もう二度と手を出したりはしないからさ! だからさっきから向けてきてるそのおっかない杖、下ろしてほしいかなって!」
「……お前は何でこんなことをした? 何が目的だ?」
リリウムが一歩踏み出し、問い質す。
それを受けてなお、飄々とした笑みを崩さない。
得体の知れないのはそうだが、それ以上に底が知れない。
纏うオーラは只物じゃなかった。
「食事だよ」
肩をすくめてから、ブレティラは近くの岩に腰かけた。
「ボクは夢魔と呼ばれる種族でね。ああ、君たちも聞いたことはあるだろう? ほら、夢に出てきて精気を吸うっていう種族さ」
「……伝承でしか聞いたことは無いぞ、そんな種族」
「そりゃそうさ、ボク以外皆死んじゃったからねえ。精気を吸うなんて邪悪な行為を好んだのもあるけど、まあやりすぎもやりすぎで怒られちゃったというか」
ブレティラの青色の瞳は宝石のように煌めいていて、謎の妖艶さがある。
夢魔。サキュバス。エロい夢を見せて精気を吸って生きる、そんな種族。
この世界にもいたらしいんだが、神に怒られて蝙蝠に生まれ変わらされたなんて言われていた。
神話の物語だ。
そんな種族が今も生きているわけがない。
ただ、ホラを吹いているようにも見えなかった。
「ボクはちょっとおかしな体質を持って生まれてきちゃってね。食事の対象が精気じゃなく、人々の喜びの感情だったのさ」
「喜び……?」
「まあ、信じがたいかもしれないけど、本当の話だよ。現に村の人たちに危害を加えたわけじゃなかったろう? ボクの目的は最初っから食事。ああ、あと一応言っておくけど、感情を食べたからって無くなるわけじゃない。ほんのちょっとだけ分けてもらっただけ」
リリウムからしても、嘘を言っているとは思えないみたいだ。
「ドラゴンフォートみたいな大きな都市を狙わなかったのは、人通りの多さから問題が露呈するのを嫌ったからか?」
「後ろめたくはあるからね。もちろん、それも理由の一つさ」
だけどもう一つ、とブレティラは指を立てた。
「この村は特にね、悲しみで溢れていた」
君たちもすでに分かっているんだろう、とでも言いたげな視線を向けてくる。
「ボクの食事とは別にね、ただ個人的に悲しみの感情が嫌いなんだ。誰もが過去に囚われて、絶望して、前を向けないでいるのがね、見てて歯がゆく思うんだよ」
「……」
「ボクがこの村に使った精神干渉の魔法は二つ。一つは幻覚を見せる魔法。これは全員に。もう一つは、そんな悲しみの感情を別の幸せな感情に誤解させる魔法、悲しみに振り回されてしまった人たちに」
ブレティラはリリウムの目を見てつづける。
「君ぐらいの魔法使いならわかると思うけど、感情に作用する魔法は、その時最も大きく抱いている感情を別の感情だと思い込ませる。それで、悲しみを覆い隠しながら、村の人たちには幸せな幻覚に浸ってもらったのさ」
「意味が分からないな。お前の言う通り食事が理由で喜びの感情が欲しいのだとしても、幻覚を見せる必要がどこにある? 偽りの感情でも食事になるのなら、それだけでお前の目的は達成できていたはずだろ?」
リリウムの指摘に、ブレティラはくすりと笑った。
どこか懐かしいものを見るように、目を細めて。
「彼らに前を向いてもらいたいからだよ」
「……は?」
「言ったろ。ボクは大団円の魔導士。出来る限りのハッピーエンドが望ましいんだ」
そんな言葉に、リリウムは呆気に取られる。
「この術を解いた時、彼らにとってこの数週間は長い夢を見ていたような時間だったと感じるだろう。そして数日は待ち人がもうこの世にいないことを悲しむかもしれない。でも――また前を向けるようになっているはずだ」
犯人が追い詰められて、適当なことをでっちあげて言っている。
そう捉えることもできるだろう。
だが、彼女の余裕な立ち振る舞いが、あの魔法を維持するだけの力があるというのに村の人たちに危害が一切加えられていなかったことが、真っ向から嘘だと切り捨てるのを躊躇わせる。
「……」
ふと。ブレティラの視線が俺へ向く。
「まだ、抗うんだね」
「……?」
そう呟いてから、立ち上がった。
リリウムがハッとして杖を向ける。
「君からも深い悲しみを感じるよ、リリウム。偽りである以上に薄氷である日常の上に立って、決して届かない願望を抱きながら、それでも幸せにたどり着けるんじゃないかって自己矛盾に陥っている」
「何の話を――」
「黙れ!!」
リリウムが聞いたことも無いような怒声を上げた。
今すぐにでもブレティラに攻撃してしまいそうな、鬼の形相となりながら、
「君にボクは攻撃できないよ。それは私怨でしかないし、君自身にさえ深く突き刺さるだろうからね」
それを意にも介さず、ブレティラは歩き出した。
杖の射線から外れてもリリウムが動くことは無い。目を見開き汗をにじませたまま、固まっていた。
「ごめんね、ロータス。悪気は無かったんだけど、いかんせん時間感覚がバカでね。長い時間結界で覆い続けてしまった」
「お、おい待て――」
気づけばブレティラは生い茂る木々の間に立っていた。
一瞬、寂しげな目をしてから、気だるげな瞳に戻る。そこには光が無く、ただ諦観ばかりが渦巻いていた。
「ささやかながら祈ってるよ。君たちの旅路に幸多からんことを」
「ま、待て! どこに――というか、なぜ俺たちの名前を!」
すぐに走って追いかけようとするが、ブレティラは森に足を踏み入れた瞬間、影に溶けるように消えてしまった。
「消え、た……?」
痕跡はどこにも残っていない。
見失ったわけじゃない。
テレポート? そんな魔法、聞いたことが無い。
「リリウム、奴を追えるか? ……リリウム?」
振り返れば、リリウムが地面に座り込んでしまっていた。
声をかけても反応が無い。
近づいて肩をゆすり、初めて彼が反応を返す。
浅い呼吸を繰り返し、汗が露となって地面に落ちた。
「……そ、その必要は、ないよ」
震える膝でなんとか立ち上がろうとするが、バランスを崩し、俺に掴まる。
「奴と結界魔法の繋がりが断たれた。これで魔法は解けて、村の人たちは正気に戻る」
「奴は今どこに?」
「分からない。……顔を見たんだ。それに、偽名かもだけど、名前も。あとはドラゴンフォートの人たちに任せよう」
リリウムの顔は真っ青だ。
こいつをこの状態にしたままブレティラを探し出すというのも良くは無いだろう。
リリウムの言う通り、然るべき組織に判断を委ねるしかないか。
何はともあれ、村の異常は解決したんだ。
なら後は、戻るだけだ。
「ほら、支えてやるから。歩けるか?」
「ごめん、ロータス」
「気にするなよ。お前がいなきゃ解決しなかったんだからさ、MVPだぜ?」
肩を支えて、2人並んで歩きだす。
不安はある。
怖くもある。
それでも、もう迷いはない。
行こう。
村へ。
先生の元へ。
「ごめん、ごめんな、ロータス」
しきりに謝るリリウムの声が、やけに耳に残った。
山を静かに下っていく。
ここから村が見下ろせるが、何か異変が起こっているようには見えない。
リリウムと言葉を交わすことは無かった。
彼の足取りは徐々に安定していき、今は俺の支え無しで歩けている。
ブレティラ・ストリアタ。
聞いたことのない名前だ。
彼女の顔にも心当たりはない。
あれほどの魔法使いであるならばそれなりに知られていそうなものだが。
奴は本当に夢魔なのか?
本当に食事が目的だったのか?
喜びが食事の対象だというのなら、わざわざこんな村に来る必要はない。
悲しみを拭うため……それがもし真実だとするのなら。
それこそが奴の目的だったんじゃないか?
俺にもリリウムにも奴と会った記憶は無い。
この事件が解決したのなら、それでもう終わったことだ。
犯人のことは誰かに任せてしまえばいい。
あの女は、信用ならない奴なのだから。
分かっているのに、ただずっと、ブレティラのことが心に残っていた。
「……」
リリウムが平静でいられなくなった理由は俺にはわからない。
あんな表情を浮かべるのも、怒声を発するのも、彼らしい言動ではなかった。
ブレティラはリリウムの何かを知っていて――それに触れられたから彼は敵意を露わにしたのではないだろうか。
誰にだって秘密はあるだろうし、必要以上に知ろうとも思わない。
だけど。
俺だってお前の力になりたいんだ。
そう言っても、彼はただ謝るばかりで。
押し問答が繰り返されて、気付けば口数は無くなっていた。
そうしてしばらく歩き続け、俺たちは山の入り口まで戻ってきていた。
「その、ロータス……」
「大丈夫。行こう」
のどかな村。人情味あふれるコミュニティ。
それが今は色あせて見える気がした。
どこか居づらさも感じる。
先生の家に向かう途中には何軒か家が建っており、その内の一軒で、庭先に出ていた男性と目が合った。
「……ああ、アンタ」
アルとして挨拶に来たときは快活そうな男性だったのに、今はただ悲嘆に暮れているように見えた。
確か、女房の帰りを待っている、そう言っていたな。
なるほど、確かに魔法は解けたわけだ。
「ハハ、アンタ、アル君じゃないんだろ? おかしいなあ、面影はあると思ったのに、全然違うんだからなあ」
「……そうですね、俺はアルセアなる人物ではありません。あなたたちは、精神干渉を受け幻覚を見ていたんです」
「精神干渉……幻覚……」
乾いた笑いは悲痛さを隠さない。
「まあ、そうだろうなあ。もうとっくに女房は死んじまったって言うのに、俺ぁ、何を今まで……」
見ていられなかった。
心臓が締め付けられそうになって、足早にその場所を去ろうとする。
「……でも」
ただ、彼の表情を見てその足を止めた。
悲しみにあふれ、絶望すら垣間見えるその瞳に、空の輝きが写り込んでいた。
その男性はただ空を見上げて。
「良い夢だった」
そう呟く。
「もういなくなっちまった女房の帰りを待つ毎日は、楽しかった。久々に幸せだったよ。ワクワクして、どんなふうに驚かしてやろうかとか、美味い料理を作って惚れ直させてやるとか考えて」
「……」
「もういねえってのに、今思い返しても空しくならねえ。腐っていたが、なんだ、俺だってまだ、それらしい生活ができるって、思ったんだ」
しばし目を閉じて、彼は風を感じていた。
その胸中にどんな感情が渦巻いているかはわからない。
「なあアンタら、名前はなんて言う?」
そう問いかけられて、俺たちは目を合わせた。
「ロータス」
「リリウム、です」
「……そうか、良い名前だ! アッハッハ、こんな辺鄙な村に若者が立ち寄るなんてねえ!」
無理矢理笑っているように見えた。
頬を持ち上げ、口を大きく開けて、身体を揺らしながら笑い声をあげて、
「まだまだ死んじゃいられねえだろ、俺ぁ、なあ……?」
「……」
「アンタらはまだこの村にいるのかい? なら、気が向いたらウチに寄ってくれ! 採れたての山菜を分けてやるからな!」
俺たちに手を振ってきた。
まだ見ていて痛々しい。
それでも、彼がそれ以上どん底に落ちることは無いだろうと、なぜか確信できた。
「……考えておきます」
「おうよ、達者でな!」
それは彼らが強いからか?
あるいは、ブレティラのおかげなのだろうか?
男性と別れ歩いていくと、他の村人とも顔を合わせることになる。
誰もが幻覚を見ていたことに悲しみに暮れていたが、何人かは前向きな考えを持つことが出来ていた。
乗り越えることが出来ていた。
足取りは重くなる。
なら、先生はどうなんだろうか?
俺は真実を伝えるべきなのだろうか?
悲しんで、乗り越えて、それで――弟が俺に殺されたと知って。
待ち受ける結果は前向きなものなのだろうか。
振り返り、ブレティラがいた山を見つめた。
大団円の魔導士と名乗った彼女の姿を思い出して、それからかぶりを振った。
偽りの世界を壊しておいて、また偽るわけにはいかない。
そう決めたんだから。
前方へと向き直り、足を踏み出そうとしたところで。
「――ロータス」
懐かしい声だった。
道の先に、彼女が立っていた。
涙と鼻水でぐちゃぐちゃの顔になったまま、先生が俺を見据えていた。