俺の初めての戦場はエルフの国だった。
先生に拾われて奴隷の身分から脱したとばかり思っていたが、国からは奴隷として戦争の数に入れられたんだ。
奴隷の非人道的な扱いは許さないんじゃなかったのか?
先生もそう思っていたのだろうけれど。
仕方がない。
なんせ、指名されたんだ。
ホワイトクラウン国王と、ロータス正教会の教皇に。
結果として、俺はエルフの王を殺した。
命令を達成して、望めば国に帰ることもできた。
ただ――そのエルフの国で、俺は大切な人をこの手で殺めてしまって。
何故かは分からない。
覚えているのは、困惑と恐怖が入り混じったあの人の表情と、腹部に突き刺した剣から伝わる、人の命が失われていく感覚だった。
戦争のせいだと思った。
出会う形が違えば、こんな終わり方にはならなかったはずなんだ。
殺したのは俺なのに、戦争に責任を転嫁した。
そして、その戦争に参加する兵士たちにも。
大切な人は、いつも平和を望んでいた。
……そうだ。俺はあの人にも責任を擦り付けていた。
望まれた平和を叶えるために、俺は剣を執ったつもりでいたんだ。
巨人族の国は、エルフの国の隣にあった。
目に映るすべてが敵に見えた。
あの人が望んだ平和を壊す悪者にしか見えなかった。
敵も味方も関係ない。
全部、敵だ。
俺に力が無ければ、戦場にいくらでも転がっている死体の一つになっていただろう。
だけど、俺には力があった。
気が付いた時には、俺の肩口は巨人族の大剣に刺し貫かれており、その巨人族の身体ごと、ホワイトクラウン騎士団の長剣が俺の腹部に突き刺さっていた。
目の前のその2人はすでに死んでいた。俺の剣が腰を切り裂いていて、下半身を残したまま上半身が地面に落ちた。落ちた先の地面は真っ赤だった。
辺りは血の海だったんだ。
『――』
平和のために戦った気でいて、それでこの光景を作り上げて。
死体ばかりが転がるその戦場が平和であるなんて、口が裂けても言えない。
出血が止まらず、傷は多く、俺はそこで事切れるかと思ったが、運悪く生き残ってしまった。
残ったのは、味方殺しという罪。
俺は、俺にとっても敵となり。
先生の元へ帰るなんて選択肢は、その瞬間には消えていた。
「とりあえず先生には、先日の大雨のせいで風邪を引いたってことで伝えてある。回復魔法で治らない理由は分からないけど、安静にしてれば治ると思いますってことも併せてな」
アルセアの自室のベッドに腰かけたリリウムが、俺のことを心配そうに見つめていた。
ベッドに寝かされて、しばらくは彼に看病された。
ようやく落ち着いてきて、状況も整理できつつある。
今の俺の顔は、大分青いんだろうなあ。
そんなことを他人事みたいに思う。
「ロータス……その、手帳はオレも読んだよ。お前の言う通り、あの人たちの待ち人は……」
「もうこの世にはいない」
「ああ、そうか、そうかよ……」
現状分かるのはあの老夫婦の孫とアルセアのことだけだ。
だけど、調べていけばいずれ分かるんじゃないだろうか。
もう会えないはずの人を待っているんだと。
「なんで、んな精神干渉を」
悪趣味だ、とリリウムは吐き捨てる。
彼とて短い間だったが、それでもあのご老人のことを気に入っていた。
それに、先生のことも。
だから、彼らの大切な人の認識が歪まされてることに怒りを隠せないでいた。
「それに、アルセアは」
「ああ。さっきも言ったが、俺が殺した」
「――ッ」
リリウムは布団をつかんだ。
悔し気な表情は、どんな感情が渦巻いているのかを読み取らせてはくれない。
「なあ、ロータス」
彼の身体から力が抜け、枕元に手を置かれた。
リリウムに見下ろされる形になり、すぐ横にしだれかかる黒髪からは良い香りが漂っている。
「ロータスはさ、どうしたい?」
「……」
「ドラゴンフォートはすでに問題を知っているし、それほど時を待たずして対応が始まるはずだ。オレたちが直接動かなくたって、たぶん解決してくれると思う」
彼の口が一瞬だけ、きゅっと結ばれた。
「……しんどいならさ、この村を出ていくのも手じゃないか?」
それでもリリウムは真っすぐ俺の目を見る。
「オレは、お前にどんな過去があろうと一緒に居続けたいと思うよ。でも、他の人がどうかはわからないし、お前がそれについて不安に思って、恐怖に感じているのなら、無理する必要はないんじゃないかなって、オレはさ、思うんだよ」
その強い意志は、輝きとなって瞳に宿っていた。
そうだな。
リリウムの言う通り、ドラゴンフォートに任せていても解決はできるだろう。
俺たちがわざわざ動く必要性も、今の平和の状態であるならそれほどあるわけでもない。
ただ、それをしてしまったら、俺は二度とカレン先生に会いに行けないって思うんだ。
一度は逃げて。また逃げて。この後ろめたさに罪が加われば、俺の足は彼女の方へは向かない。
俺は罪深いと思う。
あの惨劇は、俺の味方殺しは、世間的には俺の仕業だとは知られていない。
だからあの時の兵たちの遺族は、誰ともわからない相手を恨み続け、俺はと言えば、安全な場所から勝手に罪悪感を抱いているだけに過ぎなかった。
そしてそれを良しとした。
先生の家族を殺してしまった――その事実だけで、吐きそうなほどになったが。
他の相手に対しては、そんな苦しみは出てこない。
人の命に価値をつけて。
最低な人間だ。俺みたいな奴がいくら苦しんだって、贖いにはならない。
それに今だって、先生は許してくれるんじゃないかって希望が無いわけでもない。
また昔みたいに笑いあえるんじゃないかって望みが俺のどこかにある。
もう一つ。更に大きな望みが――
「ロータス」
思考から引き戻される。
「お前は……罰を、求めすぎなんじゃないか?」
「――」
「赦されないことを望んでいないか? 誰もがお前に石を投げて、恨み言を吐き捨てて、それがあるべき姿だとでも思ってるんじゃないか?」
そうだ。
お前はクズだと。
人殺しの大悪党だと。
そんな風になじられて、楽になりたいという思いがあった。
俺が俺を、そう思うように。
「違うよ」
リリウムの頬を涙が伝った。
彼はそれを目を丸くしながら拭うが、涙は徐々に溢れ出してくる。
「違うよ、お前は悪くなんかないって……っ、言っただろ、なあっ!」
くしゃりと綺麗な顔が歪む。
「悪いのは全部、お前に戦いを強いたこの国だっ! お前はただこんな国のために、ずっと戦ってきただけじゃんか! それで、なんで、お前が苦しまなきゃなんねえんだよ!」
「リリウム……」
「オレは、前も言ったけどさ!
だから――
「旅を続けようよ。終着点はここじゃない」
この村を出て行こう、と手を差し伸べられる。
彼の言葉は嘘じゃない。本当に俺のために必死で動いてくれるんだろう。
そして俺をここから連れ出そうとするのも、俺が苦しんでいるからに違いない。
それでも、
「術者を探し出そう」
俺は起き上がり、リリウムと視線を合わせる。
「それは、どうして?」
「……俺のエゴだよ」
先生との別れは別れと呼べるものではなかった。
帰って来いと言われ、俺も帰ってくると答えて、それっきり。
ふとした瞬間に関係が戻りそうでもあるし、永遠そのまま交わることなく終わりそうでもある。
この旅の始めた理由は、後悔を無くすためだ。
もちろん、先生に恨み言をぶつけられて、二度と顔を見せるなとなじられて、それはそれで後悔に苛まれるだろうけど。
だけど、もう変えられない過去のことなんだ。
変えられないなら仕方ないと、俺は納得できる。
「たとえそれがどんな形でも、これで終わるのだとしても……先生との別れは、しっかりしておきたい」
「……」
「変に希望を持つよりは、その方が、ずっと」
自分勝手だとは思う。
でもそれぐらいじゃなければ、俺は諦められない。
……心残りは、先生に対して全く恩返しができなかったことだろうか。
恩どころか、仇で返してしまって。
まさか、こんなことになるなんてな。
ああ。
本当に。
リリウムはそれ以上何かを言うことは無かった。
俺も口を開くことは無かった。
しばしの沈黙。
部屋の扉がノックされた。
リリウムが対応すると、カレン先生が顔を出した。
「調子はどうだ、アル。とりあえずありあわせの物で粥を作ってきたから、食べれるようだったら食べてくれ」
「わざわざありがとうございます、カレンお姉さん」
先生の持つ鍋からは湯気が立ち上る。
見てみると、チーズの入った麦粥だった。
リリウムが持ってきた食材もいくつか入っているようで、優しい香りが鼻孔をくすぐる。
日持ちがいいとは言っても食わなきゃ腐るからな。
「あはは、昔もお前は、雨の日でも外に遊びに行っては、熱にうなされて泣いていたのを思い出すよ」
「やんちゃだったんですねえ」
「そりゃあもう。泥だらけで帰ってきたのなんて数えきれないほどだよ。山の方に遊びに行って、迷子になって、村の人総出で探したこともあったかなあ」
粥は俺にとっても懐かしい味がした。
「おいしいかい、アル」
「……うん」
仲が良かったんですね、先生。
どうにかカレン先生の目を見て、笑う。
どうか引きつってないといいんだが。
「よかった」
先生は笑った。
雲一つ無いような笑みだ。
うまく笑えたらしい。
「……」
これは、異常だ。
精神干渉を受けて、認識が歪み、過去を正しく知ることができないでいる。
見せかけの幸福は、見ていられない。
この世界を壊すことが間違いだとは思わない。
「ありがとうございます、お姉ちゃん」
「どういたしまして、アル」
しばらくは、この演技を続けよう。
震えは止まっていた。
吐き気だって、もう大丈夫だ。
だから、大丈夫。
そんな目で見なくていい、リリウム。
すべてはただ、元に戻るだけだ。
――1週間が経った。
外をリリウムと一緒に並んで散歩しているとき、彼が俺に振り向いて言った。
「見つけた」
この偽りのベールを剥がす時が来たのだ。