喧騒はいつものように響いていた。
苛烈な価格競争を行う商人たちを傍目に、或る目的地を目指して一直線。この街の人々は、やはり
別にチャンピオンを目指してランニングをしている訳ではないのだが、せっかくの厚意なのでありがたく受け取った。
この日常の温かさがこの街の特徴なのかもしれない。日常。そう、いつも通りだ。
女神フィオーレの目には、その光景が異常に見えた。
突如、魔物が街の教会を襲ったあの夜から三日。神界では睡眠という概念が無いためか、フィオーレは月狼の攻撃で気絶してから今日まで眠りこけていた。
もちろん、世界を創成した女神の身体が瘴気に侵される道理はない。医務室に到着した頃にはすっかり完治していた自分の寝姿を見て治癒師は困惑した、と小耳に挟んだ。
幸い、街の被害は大通りの石畳と教会の建物だけで済んだようで、人々は、あの日は無かったのかと錯覚するほどにたくましく生きている。
大きな
『雷霆への祈り』。この街で一、二を争う冒険者パーティで、フィオーレが
現在、この街のギルドは「のっぺらぼう」だ。
勿論、魔物が結界を退けて教会を襲ったことに対する原因究明も必要だ。そのために、地上で観測を行う天使と会う、という仕事も増えてしまった。
そちらも急を要することではあるが、苦労してここまで来たのだ。今は目的の青年を救う、ということだけに心血を注ぎたい。そうなると当然気になるのは、街の人々の誰もが、例のパーティの不在を気にも留めていないこと。
その真相が、彼らがよく泊まっていた宿にあると、フィオーレは考えたのである。
「ねぇ、この宿に四人組の冒険者は泊まってる?」
不親切な高さの受付台に負けずに背伸びをして尋ねると、宿の女将は曖昧な表情で頷いた。やはりおかしい。彼らに近づく度に、人々から確かさが失われている。
でも今はそれがありがたい。この場所に彼らが居ることが確信できたから。
「わたし、その部屋の人と知り合いなの。会いに行きたいんだけどいいかな?」
そう言うと、女将は顔に少し疑問を浮かべながらも鍵を貸してくれた。このような場面では、幼い自分の容姿は非常に都合が良い。
その鍵を両手で受け取る。
一本だった。
「…………えっ?」
石のように固まる。
「…もちろんラスタは男の子だよね。それで、他の3人はきっと女の子。え?いくら仲良しでもそれは……もしかしてわたしが寝てた三日間、ずっと4人一部屋で?…はれんちすぎない!?え?ほんとに?」
「お嬢ちゃん?」
怪訝そうな女将の声ではっと現実に引き戻される。いやいや、そんな自堕落なことを彼がするはずがないのだ。冷静な頭が囁く。
むしろ、してくれていた方がマシかもしれない。と。
空想する。街の人々の反応からして、彼らはこの三日間外へ出ているかすら怪しい。まるで彼ら自身が周りを遠ざけているような。
フィオーレは精神に干渉する魔法の影響を受けない。
この街で正常なのは、自分だけの可能性がある。そんな所業が出来るのは、きっとラスタのパーティの魔族の子だけであるはずだ。
では、そもそも何故そんなことを?
自分たちの存在を忘れさせる利点。嫌な汗が出るような感覚。浮かんだ発想。
悲しませないようにするため。
もう立ち止まっていられなかった。周囲の迷惑なんて考えることもできずに、鍵をもらった部屋に向かう。どの部屋からも話し声さえ聞こえない。唯一響いている、廊下の軋む音が泣き声に聞こえてぞっとした。
そうしてたどり着いた扉の前に立っても、不思議と中からの音漏れは無い。鍵穴にさし込む手が震えている。やっと、ラスタと会える。わたしなら彼を助けられるはずだ。
では、わたしは何に怯えているのだろう。
自覚してしまえば、これ以上立ち尽くしていれば、もう二度と開けることができない気がして。
恐る恐る、扉を押した。
「あっねぇ今なんで目逸らしたの何かやましいことでもあるの?ボクに何か隠し事でもしてるのボクに嫌な思いさせないため?それならボクが悪いのかなごめんねそうそれでいいのこっちを見てくれてる間は安心するんだどこにも行かないよね?ね?ね?ね?」
「あ、いや、その、扉———」
「何故今私の手を離そうとしたんですか?その手で何をしようとしてるんですか?今更何を主張しようというのですか?今更逃げられるとお思いですか?……ハイネ?貴女にも言っているのですよ動いていいなんて言いましたか?」
「…たすけ」
ぱたん。
◇
無事、女神様を部屋に招待することが出来たのは、それから数十分ほど後のことだった。部屋に一つだけの椅子には女神様に座ってもらい、俺たち四人は一つのベッドに腰掛ける。
「…なにがあったの?」
女神様は気まずそうにしながらも、あえて直接触れようとしない。彼女の質問を聞いて、俺の太ももの上に座ってセミのようにくっついて離れないソアレは、もぞり、と一つ体を揺らした。
「………」
でも、何も言わない。場を和ませようと努力する者はここに一人もいないため、居心地の悪さだけが積もっていく。
クセで頭を掻こうとするが、縄を括り付けられた右手はキキョウの片手に繋がっており、左手はソアレに捕まっているので、もはやどうすることも出来ない。ちなみにキキョウのもう片手はハイネを捕らえている。
「…それが、俺にもさっぱりなんです」
凍っているのにやけに湿度の高い空気に耐えかねて、まとまっていない思考のまま心の内を吐露する羽目になった。
『のろいをわがみに』
その力は、確かにハイネの傷を奪った。だから今の俺の腕はズタズタだし、もちろんハイネは無傷に戻っている。しかし何故か、俺たちはピンピンしている。肌感覚でいえば、俺の寿命は現在マイナス10年だ。
訳がわからなかった。
ソアレとキキョウが
俺自身でさえ、自分の生を疑っているこの状況。そうなるのも必然であった。
俺の話を聞き終えた女神様は一つ唸った後、椅子から立ち上がって俺とハイネの頭に手を置いた。
「………ラスタもハイネちゃんも、あと200年くらいあるけど」
「えっ」
まずソアレが振り向いた。彼女の目に新鮮な光を見たのは、ここ数日で初めてのことである。弛緩とも歪曲ともとれない微妙な感情が場を支配する。
200年。断っておくが、たとえ
「あ。禁呪」
ほぼ同時に思い至った出来事は、ハイネと一致していて。
「「は?」」
それはソアレとキキョウには秘密にしていたことだった。
「…ハイネ?」
なぜか甘ったるいキキョウの声に、野生動物じみた速度でハイネが距離を取ろうとする。まぁ、キキョウとハイネも縄で繋がれているから不可能なことだが。
和装の少女は俺と繋がった縄をベッドの柱にガラス細工を扱うみたいに丁寧に結びつけ、ハイネ一人と向き合った。
「あちらに」
助けを求めるハイネの目。勘弁してください。
「…えーっと、話してもいいのかな?」
困り眉を戻すことができない女神様。失礼ながら完全に存在を忘れていた。無礼すぎて完全に土下座案件だが、ソアレがくっついているため何もできない。全てを察した顔になった女神様は俺の謝罪を手で制してくれる。
拝み倒す気持ちで彼女に向き直るも、俺の右手はベッドの柱に固定されているため、滑稽な姿のままである。何度も女神様に微妙な表情をさせてしまって申し訳ない。
「禁呪って…もしかしてラスタ、
無論、女神様はその内容まで知っていたみたいだ。彼女の発言から、自身の予想は正しかったことが分かる。
ハイネの放った禁呪とは、死を繋ぐものというより生を繋ぐもの。すなわち、寿命を足して2で割るものだった、ということ。
腰が抜けた。
やっと生の感覚を掴めたような気分。湧き出る安堵、一度諦めてしまった申し訳なさ。キキョウに鼻がくっつくほどまで詰められているハイネの姿も、幻想ではないと初めて信じることが出来て、涙腺を制御出来なかった。
ぽたりぽたりと落ちた涙は、ソアレの頭に着地して。金髪の少女は、強く強く俺を抱きしめた。その強さに負けないくらいに抱擁を返す。
その温かさをもう二度と離さない。重く決意した。
「…禁呪か……ちょっと複雑……まぁ、愛されてないよりはいいけど」
またもや、女神様は俺たちを待ってくれていた。意識を彼女に戻すと、そっぽを向いて何やらうんうんと唸っている。俺たちの視線に気づくと、咳払いを一つして真面目な顔でこちらに向き直った。
「ラスタ。あなたに選んで欲しいの」
そう言って、懐から小さなブローチを取り出す。中心には宝石が埋められており、その宝石はまるで、俺が呪文を唱えた時に放たれる光のように煌めいている。その神々しい光に、どこか恐怖を覚える。
「これは神界で溜めたわたしの力。これを使えば、あなたの身体の瘴気を全て取り除くことができる………あなたに与えた能力と一緒に」
「ッ!!」
息が詰まる。同時に、服を掴む力が強くなったのを感じた。
重い。あまりにも重い言葉。あまりにも酷いことを女神様は委ねてくれた。選べというのだ。
俺の人生全てと、仲間への想いを。
かつて、俺は救うことが生きる意味だった。だから死は怖くなかったし、救うことを諦められなかった。
「…ラスタ」
こちらを見上げる金髪の少女。その揺れる瞳から、何故か感情が読み取れない。
でも、今は違う。治癒師ラスタでもなく、転生者ラスタでもない。素の俺を求めてくれる人が居る。何もできない俺に笑いかけてくれる人が居る。
——耐えられるのか?
しかし、黒い感情が邪魔をする。自分さえも守れない貧弱な身体で、逸脱した能力を以ってして腕の中の少女さえも癒せない俺が、それさえも失ってしまったら。
いつのまにか、キキョウとハイネも俺の隣に来ていた。彼女たちが何を考えているのか全く分からない。
ひたすらに怖くて、どこにも視線を向けられない。無様で、無力で、格好悪い。ハイネに言われた通りだった。
「…酷だったかな。まぁ、じっくり考えなよ。しばらくは地上にいるつもりだから」
「せっかくシャバ?に降りてきたからねっ!」なんて明るく言って、気を遣ってくれているのがバレバレだ。その厚意を黙って受け入れてしまう自分がみっともなかった。
「ねぇ」
俯いた顔は、目の前のと鉢合わせることになる。萎縮するように固まった。彼女の瞳から目を離せない。俺が惹かれた、澄んだ瞳だった。
「続けたいんだよね?冒険者」
図星の指摘。
剣をもって舞うソアレが好きだ。救いたい、その気持ちと同じくらいに、仲間の勇姿に俺は惚れ込んでいたのかもしれない。
言い淀んだ俺を見て、ソアレは快活に笑う。
「長命なんて寂しいだけ。貴方のしたいようにすれば良い」
差し込まれるハイネの言葉。あっ、と思い出す。直近の問題は全て解決したように見えたが、ハイネとの禁呪が解けたわけではない。結果的に、彼女の寿命を俺が奪ってしまっていることは変わりない。
咄嗟に出そうになった謝罪。開きかけた唇は、ハイネの指に押し止められた。
「今言ったでしょ。私はむしろ嬉しいよ。一人ぼっちにならなくて済む」
ふわり、とハイネが柔らかく笑った。かつて無表情が
「…同感です」と呟いたキキョウの声を聞いて少し混乱する。置いていかれるくらいなら、というのは健全な心なのか。また死が混じると曖昧になってしまう。
ただ一つ確信できるのは、三人の言葉は軽々しくないという事。揺らがない覚悟だった。
ならば応えてもいいのかもしれない。甘えてもいいのかもしれない。彷徨いに彷徨った視線は、またもやソアレの瞳に縫い止められる。
吹っ切れたように、彼女は輝く笑顔を作った。
「もう、大丈夫!何かあっても、
一瞬だけ正気に戻る。背筋がすぅっと冷たくなる。わかってしまった。もう元通りは不可能だ。きっと俺たちは、冒険者に向いてない。