目覚めは最悪だった。
魔物の咆哮の幻聴だ。よりにもよって、魔物から離れるために訪れた神都で。
飛び起きようとするも、重い体はそれを許さない。緩慢な動作で辺りを見回して、すぐにそこが教会の病室だと分かる。なぜ自分がそこに居るのかをはっきりと覚えている。思い出したかのように痛みを訴える胸の中が、ますます今の気分を最悪にしていた。
「! 起きなさったんですね!」
扉を開けて駆け寄ってきたのは、先ほどソアレと共に流行り病の罹患者の介抱をしていたシスターだ。
意識を失ったにも関わらず、俺の服装はお馴染みの厚い法衣のままである。が、シスターもそこには敢えて触れずに水の入ったコップを渡してくれる。ありがたく頂戴して流し込むと、彼女はほっとしたように息を吐いた。
治療の最中に倒れてしまうという醜態を晒した割には、彼女は落ち着いている。
そう、彼女だけが。
圧倒的な違和感。隣に
「…ソアレは、どこに?」
たった今気づいた、右手首のうっすらと赤くなった
何かがあったのだ。彼女が俺から離れるほどに大きな何かが。
俺の質問に、シスターは露骨に表情を歪めた。それはまるで、死地へ戻すために兵士に治療を行う衛生兵のような。
「頼む。彼女たちの安全が、俺の全てなんだ」
シスターは、俺の目から逃げられなかった。諦めたように口を開く。
「ソアレさんは、魔物の対処に門の方へ」
「———」
は?
頭が真っ白になった。ありえない。与太話だ。ここは神都。女神様の結界に包まれた、世界で1番安全な場所。女神様の守りは絶対で、女神様が居る限り消えるはずが無くて——
「わ、私にもさっぱりで」
シスターはしどろもどろになりながらも言葉を紡ぐ。1週間ほど前から結界の効果が弱まっていたこと。周囲の魔物が神都へ集まっていること。神都を襲う魔物の全てが、女神の加護が最も強い場所——すなわち、教会を目指して門へ殺到していること。その対処のために、神都の冒険者が緊急招集されていること。
明らかな異常だ。
神都の周りに魔物が近づく事例がゼロではない、ということは知っている。それでもその魔物は主にはぐれ個体で、群れで近づくなんてことは聞いたことがない。ましてや、明確に目的をもって神都を襲うなんてあり得ない。そう断言できるはずだった。
シスターの静止を振り切って、覚醒したばかりで痛む頭を押さえながら教会から脱する。教会の入り口で、恐らくギルドの指示を受けたであろう冒険者が警備をしていた。ここに俺がいる意味は無い。まだ患者でいるなんて耐えられない。
俺たち「雷霆への祈り」はA級の冒険者パーティ。いくら拠点の街よりも冒険者の母数が多い神都であっても、招集の義務をくらっていることは確実。
目指す場所は門一択であった。
道ゆく人々は不安を顔に浮かべながらも、かつて拠点の街近くに
このことから、まだ魔物は門で押し留めることができているのだろう。その理性に反して、どうしても嫌な予感は消えなかった。
こんな時、ソアレなら文字通り雷のような速度で現場に駆けつけられるだろう。ハイネなら魔法で一瞬だし、キキョウも純粋な出力で俺を凌駕する。
自分の無力が情けない。それでも自分のできる全力で。
近道のために人通りの少ない下道を使おうと、急カーブをきった時。
「うわっ!?」
全く同時にその道から誰かが飛び出してきた。
ぶつかる——ッ!!
そう思ったのも束の間、俺の身体は何かにふわりと優しく包まれる。そのまま衝突の勢いは完全に消滅し、その何かはまた優しく俺を地面に下ろした。
「すまない、不注意だったね。大丈夫かい?」
目の前に焦点を合わせると、そこにはハッとするような金髪の美少年。物語の王子様じみた
「…リル?」
つい数刻前に、ソアレと模擬戦を行っていた男だった。思わず漏れてしまった声にリルは驚いたような仕草をして、俺の顔をまじまじと眺め出した。
「どうして僕の名を……ん?もしかして君は、ソアレちゃんとの戦闘後に治療してくれた治癒師かい?」
朦朧としながらもやはり意識はあったようで、リルは俺のことを覚えていた。
「ああ。もう息は大丈夫か?」
「あー…完全に完治したよ。君には多大なる感謝と謝罪を。興ざめなことをしてしまったね。それにソアレちゃんにも申し訳ない」
たった今、第一印象で感じた高飛車な雰囲気とは打って変わって、腰を低くして謝罪の意を示すリル。意外だと思うも、その考えはすぐに打ちやめた。
そういえばこの男、最初の時点でドーナツ買ってもらおうとしてたんだった。
と、そこで一つ疑問が頭に浮かぶ。
「リルはかなりの実力者だと思うんだが、門の招集は断ったのか?」
元々俺が教会の病室を飛び出した理由。ソアレには敗北を喫してしまったが、あの模擬戦を見るにリルも決して弱くはないはずだ。
門で戦っているはずの仲間たちのことを思い浮かべながら、不安を隠さずそう尋ねる。
「門なら心配いらないよ。それに、僕は冒険者じゃないからね」
あっけらかんと言い放った言葉は、ますます俺の疑問を膨らませる。まるで見てきたかのような発言。それに、強くなるには訓練と実戦の両方が必要だ。その両方を満たす職業など一つしかないはず。納得のいっていない俺の顔に、リルは一つ苦笑を漏らす。
「神都は優秀な冒険者が多いみたい。集まってきた魔物はすでに倒されたよ。僕が冒険者じゃないっていうのは……言えない秘密もあるから飲み込んで欲しいかな」
口に人差し指を当てる仕草さえも様になっている。彼の報告に、俺は肩の荷がおりる思いだった。
「…怪我人や死者はいないのか?」
「怪我人は数人出たみたいだけど、全員聖水と駆けつけた治癒師たちで治せるくらいだってさ。もう冒険者たちも帰ってくる頃じゃないかな?」
そこまで聞いて、俺はやっと肩の荷を下ろすことができた。
ほっと安心しながらも、そうなると俺には次の難関が待ち受けている。ソアレの前で倒れてしまったことを、どう言い訳してどう誤魔化すかだ。
結果、自分の苦しみから逃れるために、ソアレを苦しめただけになってしまった。
言い訳をすれば、本当にすっかり忘れていたのだ。すぐに過呼吸になるのも、周りが化け物すぎたから自分くらいが普通だと思ってたし。そうは言っても、倒れてしまったのは事実だ。これからどうするか。そのことを考えると胃が痛くなる。
こんなふうに、俺が自分の世界に入っていたからか、リルは油断したんだと思う。
「…今までの降臨では、こんな
明らかに何かを知っている彼の発言を、俺は耳聡く捉えた。じわり、と。嫌な予感がまた湧き出す。
跳ねるようにリルに向き直った俺に、彼は「あっ」と焦った声を漏らすがもう遅い。
「リル。あんたは、どこまで知っているんだ?」
強く見据えた。人型の魔物は存在しない。しかし、この世の敵が魔物だけだと思うほど俺は平和ボケしていない。彼の真意を探る義務がある。
彼はしばらく俺の視線から全力で逃げていた。しかしその攻防を辛抱強く続けると、リルは
「ちょっとくらいならいいか。この人、加護強いし」
「え?今なんて……」
「今、一時的に女神様の加護が逆転していると思ったらいいよ。だから教会の方に魔物が集まってるんだ。まあ1番加護が強い神都でもこの程度だから、あんまり心配はしなくていいけどね。君は見たところ加護が強いから魔物に襲われやすくなってる。気をつけなよ」
言葉の途中で、体を硬直させる羽目になった。加護が逆転?そんな突拍子も無いこと信じられる訳がない。しかしリルは微塵も冗談を言っているように見えず、結局疑問符が頭を埋めるばかり。
詰問しようと前を向くと、そこはもぬけの殻である。
「えっ」
「ごめん!ラスタ君真面目そうで拘束長そうだから、もう逃げさせてもらうね!探してる
気づけばリルは彼方にいる。そのまま急くように何処かへ消えていく。追おうとして、諦めた。彼が本気で逃げれば俺に捕まえる方法は無い。
加えて、それ以上に大切なことがある気がした。
じわり、じわりと。嫌な予感が増幅する。
『女神様の加護が逆転している』
『教会の方へ魔物が集まってるんだ』
『君は加護が強いから』
リルの言葉を反芻する。
魔物を退ける女神の
では、女神様から直接
その俺が何年も通い詰めている、あの街の教会は?
———ねぇねぇ!ラスタ!
記憶の中で、孤児院の少女、マリーの笑顔が花開いた。
◇
門を開いて神都の中へと戻る。魔物の処理はギルドの職員に任せて良いと言われたので、ありがたく厚意を受け取る。
さすがは神都の冒険者といったところか、魔物を全滅させたのにも関わらず警戒を解いている者はほとんどいない。それでも戦闘前より幾分か空気が弛緩するのは事実。
雑談を始めた冒険者たちの中で、ラスタを除いた「雷霆への祈り」の空気は重かった。
「ラスタ、そろそろ目を覚ましてるんじゃない」
ハイネの言葉に、ソアレは過剰に反応する。彼女は流行り病に侵されていないのに、過呼吸になる姿はまるで重症患者である。
最初、ソアレはラスタの急変を隠そうとした。あんな蒼白な顔のまま。もちろん隠せるはずもなく、ラスタが見知らぬ誰かを救うために、見知った仲間を傷つける方へ舵を切ったことを知った。
キキョウに背中をさすられるソアレを見ながら、ハイネはラスタに対して失望の意を抱き始めていた。
(…私が救われたのは)
こんな男じゃない。
苦しんで、苦しませる姿じゃない。自分勝手に、楽しそうに手を差し伸べる姿に惹かれたのだ。
(……いや)
私を照らした貴方は幻想だったのかもしれない、と思い直す。その光さえも、ラスタ自身を贄にしていたものだから。
「あっ」
と、キキョウが声を漏らした。悪い予感がした。
今1番目を離すべきではない相手。今1番会いたくない相手。
嫌々視線をそちらへ向ける。
案の定であった。どうせ彼のことだ、知らせを聞くやいなや門へ向かったのだろう。
「…ん?」
しかし、何やら様子がおかしい。大通りと
罪悪感ではない。恐怖とも違う。ラスタの顔を染めているのは、
焦りだ。
「ッ!?ソアレっ!!」
彼がこちらに気づく。一目散に駆けてくるその顔には、びっしょりと冷たい汗が滲んでいる。
その勢いのまま、彼はソアレの両肩に手を置いた。銃で撃たれたのか、と思うほどに体を跳ねさせるソアレの異常に反応すらせずに。
「帰ろう!!街が、教会が危ない!!」
逸る鼓動に反して、頭はぞっとするほど冷静で。もううんざりだ。なんて、愚痴を垂れている。