雨が降りしきるオラリオの夜。石畳の街は水溜まりに覆われ、まるで鏡のように空の暗さを映し出していた。街の喧騒は雨音にかき消され、路地裏には人の気配も、灯りもなかった。ただ、漆黒の闇と冷たい水滴だけが支配する世界で、一人の神が走っていた。
彼女の名はアフロディーテ。三大美神の一柱にして、究極の美を司る女神。金色の髪は雨に濡れてもなお輝きを失わず、彼女の動きに合わせてゆらゆらと揺れる。露出の多い衣装は、夜の闇の中でもその存在感を際立たせ、どんな暗がりでも彼女の美貌は色褪せることはなかった。しかし、今の彼女の心は、決して穏やかではなかった。
「まったくもう! フレイヤのあの態度、なんなのよ!」
彼女は苛立ちを隠さず、雨に濡れた頬を膨らませながら叫んだ。今日もまた、愛と美のライバルであるフレイヤに軽くあしらわれ、心は怒りと悔しさで煮えくり返っていた。天界にいた頃は、多くの神々が彼女の美にひれ伏したものだ。しかし、下界では話が違う。フレイヤやイシュタルのように、魅了の力で眷属を集める神々に比べ、アフロディーテは純粋な愛を信じていた。それゆえに、彼女はいつも一歩遅れを取ってしまうのだ。
「フレイヤもイシュタルも、魅了で眷属を縛るなんて、アイタタタタ女神なのよ! 純愛を知らないなんて、神生2000パーセント損してるって!」
彼女の声は雨音にかき消され、虚しく路地裏に響く。それでも、アフロディーテの心は燃えていた。彼女は下界で「
雨はさらに激しさを増し、彼女の小さな身体を容赦なく濡らしていく。両腕を頭上で交差させ、少しでも雨を防ごうとするが、華奢な体躯ではまるで意味をなさない。それでも彼女は走り続けた。早くホームに戻り、濡れた服を脱ぎ捨て、暖かい毛布にくるまりたかった。だが、それ以上に、彼女の心を突き動かすのは、美の神としての意地だった。
「―――っ! なんなのよ、この天気! 究極至高の美を司る私に、こんな仕打ち!?」
苛立ちを紛らわすように、彼女は空を見上げて叫んだ。だが、その瞬間、口を開けた隙に雨粒が飛び込み、思わずむせてしまう。さらに悪いことに、足元の大きな水溜まりに気づかず、彼女はバランスを崩した。
「きゃっ!」
地面に滑りそうになり、咄嗟に手をついて何とか転倒を防ぐ。だが、膝は冷たい水に浸かり、服は泥で汚れてしまった。彼女は顔をしかめ、立ち上がろうとしたその時――視界の端に、何かが映った。
「─────え?」
そこにいたのは、彼女と同じ金色の髪を持つ少年だった。
雨に打たれ、ずぶ濡れになりながらも、彼の姿はまるで光を放つように彼女の目に映った。少年の瞳には、どこか遠い記憶のようなものが宿っている気がした。アフロディーテは思わず息を呑み、目を細めて彼を見つめた。時間が止まったかのような感覚の中、彼女の心は確信した。
「これ、運命だわ!」
少年の周囲には、彼女にしか見えない特別な輝きがあった。それは、フレイヤの
雨が降りしきる中、彼女は少年に近づき、じっと観察した。彼の小さな身体、そして腰に差された得体の知れない剣。まるで別の時代から迷い込んだような姿だった。だが、そのすべてが彼女の心を強く揺さぶった。
「―――っ! 決めた! あなた、私の初めての眷属にする! そして、純愛の物語を一緒に紡ぐのよ!」
彼女の声は、雨音を突き抜けて高らかに響いた。
一方、同じ雨の夜。オラリオの路地裏に、突然現れた少年がいた。
彼の記憶は曖昧だった。覚えているのは、けたたましいクラクションの音と、トラックのヘッドライトが迫ってきた瞬間だけ。それから気がつくと、彼はここにいた。冷たい石畳の上、雨に打たれながら、まるで別の世界に放り込まれたかのように。
少年は小さな身体を起こし、辺りを見回した。視線を自分に向けると腰には立派な剣が納められ、何か特別で神秘的なものを感じとれる。また自分の姿にも違和感を覚えた。まるで子供の体だ。以前の自分とはまるで違う。
混乱する頭で状況を整理しようとしたその時、闇の中から黒装束の集団が現れた。彼らの目は殺意に満ち、言葉もなく一斉に襲いかかってきた。
考える暇もなく、少年は腰にあった剣を抜いた。次の瞬間、驚くべきことが起こった。まるで体が勝手に動くかのように、剣が閃き、敵を鮮やかに突き刺した。まるで熟練の剣士に体を乗っ取られたかのような動きだった。
初めて見る他人の血。鉄の匂いが鼻をつき、少年の胃が締め付けられる。気分が悪くなり、足が震えた。それでも、彼は逃げることを選んだ。このまま戦い続ければ、訳も分からぬまま死んでしまうかもしれない。
雨はさらに激しくなり、少年の体力は限界に近づいていた。暗い路地を必死に走りながら、絶望が心を覆いかけた。
しかしその時、前方から小さなシルエットが現れた。水溜まりをパシャパシャと踏みながら、誰かが近づいてくる。少年は息を呑み、刀の柄に手をやった。だが、そのシルエットが近づくにつれ、彼の心に奇妙な安堵が広がった。
雨に濡れた金色の髪、輝くような美貌。少女――いや、どこか神聖な雰囲気を持つ存在が、そこに立っていた。
アフロディーテは少年を自分のホームへと運んだ。雨に濡れた小さな身体を毛布で包み、暖炉の火で温めながら、彼女は彼の顔をじっと見つめていた。10歳前後の少女のような顔立ち。だが、その瞳には、どこか深い物語が宿っている気がした。
翌朝、少年が目を覚ました。
彼は慌てて周囲を見回し、状況を把握しようとした。そして、アフロディーテの姿を見つけ、目を丸くした。
彼女は微笑み、胸を張って宣言した。
「天地万物森羅万象の美の頂点―――女神・オブ・ザ・女神!! ザ・モスト・女神!! 私はアフロディーテ、よろしくね、
少年は一瞬呆気にとられたが、すぐに頭を下げた。
「・・・あ、はい。名を思い出せませんが、アドニスでいいのでしょうか? とりあえず、よろしくお願いします。あと、助けてくれてありがとう。何かお礼できることがあれば、なんでも言ってください。」
その素直な言葉に、アフロディーテの心は高鳴った。他の美神たちは魅了の力で眷属を従えるが、彼女は違う。純粋な心で結ばれる絆を信じている。そして、この少年こそ、彼女が探し求めていた運命の相手だと改めて確信した。
「お礼? ふふ、1つに決まってるわ! 私の眷属になりなさい! さぁ、背中を向けて、そのまま寝そべるのよ!」
少年は困惑しながらも、言われた通りに横たわり、背中を向けた。アフロディーテは小さな針を取り出し、自身の指先に当てた。プツリと小さな血の玉が生まれ、少年の背中へと滴り落ちる。神の血は、まるで水面に石を投げたような波紋を生み、少年の背中に広がった。
彼女は指をそっと背中に這わせ、ゆっくりと刻印を施していく。それは、彼女の愛と信念の証だった。
刻印が完成した瞬間、少年の背中にステータスが宿った。アフロディーテが施した『
アルトリア
Lv.1
力 I 0
耐久 I 0
敏捷 I 0
器用 I 0
魔力 I 0
【直感】 G
《スキル》
【
・早熟する
・憧憬が続く限り効果持続
《宝具》
【
輝ける
過去・現在・未来を通じ戦場に散ってゆく
全ての兵たちが、今際の際に懐いだく
その意志を誇りと掲げその信義を貫けと
今、常勝の王は高らかに──
手に
アフロディーテは目を輝かせ、少年――アルトリアを見つめた。この力、この可能性。彼女は確信した。彼こそが、わたしの純愛の物語の主役であり、オラリオの歴史を変える英雄となる存在だと。
だが、この出会いは、単なる始まりに過ぎなかった。オラリオの闇には、さらに大きな力が蠢いている。少年の過去、黒装束の集団の目的、三大クエスト――すべてが、これから彼らの運命を大きく揺さぶるだろう。
雨は止み、夜明けの光がホームの窓から差し込む。アフロディーテは微笑み、アルトリアの手を取った。
「さあ、