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『いいかよく聞け、五郎左よ!』 -もう一つの信長公記-

『信長公記』と『源平盛衰記』の関連は?信長の忠臣“丹羽五郎左衛門長秀”と京童代表“細川藤孝”の働きは?

美濃衆(みのしゅう)

2019-08-10 00:00:00 | 信長公記の蔵:人物篇
美濃衆(みのしゅう)

<現代仮名遣い>みのしゅう


1581年2月京都の馬揃えで、信長公は一門衆とし

    て馬乗り80騎・美濃衆・尾張衆を率いて

    馬場入り。


 ※信長公は舅の斎藤道三の敵討ちとして

  美濃の国を平定したわけですが、美濃

  三人衆を筆頭に“美濃衆は一門衆”と周囲

  にアピールしていたことがわかります。


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