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戦国!室町時代・国巡り(8)和泉編

【0】はじめに

和泉国:石高14万1500石(1598年)
摂津、河内、紀伊に接する。
大鳥郡/和泉郡/南郡/日根郡

(2)年表

1507 永正の錯乱
1509 深井城の合戦
1511 船岡山合戦
1527 桂川合戦
1531 大物崩れ
1532 享保・天文の乱
1543 細川氏綱が晴元を討つため挙兵。
1549 江口の戦い
1561 久米田の戦い(~1562)
1584 岸和田合戦
1585 千石堀城の戦い

【1】細川奥州家

細川氏の庶流の一つ。和氏・頼春の従兄弟の細川顕氏が陸奥守に就任したことに始まる。

①細川頼貞(-1335)細川宗家・俊氏の子
②細川顕氏(-1352)頼貞の子
③細川繁氏()顕氏の子
④細川業氏()細川宗家・和氏の子
⑤細川満経()
⑥細川持経()
⑦細川成経()
⑧細川尚経()
⑨細川尹経()
⑩細川晴経()
⑪細川輝経()
⑫細川忠興()

(1)細川頼貞

(-1335)
俊氏の子、義季(祖父)の養子。
子に顕氏、直俊、定禅、皇海、養子に繁氏。

(2)細川顕氏

(-1352)
頼貞の子。
子に繁氏、氏之、政氏。養子に業氏。
細川奥州家2代当主。讃岐国・河内国・土佐国・和泉国守護。

(3)細川繁氏

()
顕氏の子。
子に祐氏。
細川奥州家3代当主。土佐国・讃岐国・摂津国守護、九州探題。

(4)細川業氏

細川宗家・和氏の子。顕氏の養子。
細川奥州家4代当主。

【2】和泉上守護家

細川頼之の弟・頼有の子孫が和泉守護を代々務めた。

①細川頼有(1332-1391)細川頼春の子。備後国・阿波国守護。
②細川頼長(1375-1411)備後半国守護、土佐半国守護、和泉守護。
③細川持有(?-1438?)和泉国半国守護。
④細川教春(1423-1450)和泉国半国守護。
⑤細川常有(?-1480?)和泉国半国守護。
⑥細川政有(?-1481)和泉国半国守護。
⑦細川元有(?-1500)和泉国半国守護。
⑧細川元常(1482-1554)和泉国守護。
細川晴貞

(1)細川頼有

(1332-1391;在-1387)
細川京兆家・細川頼春の子。通称:讃岐十郎。
子に頼長、頼顕
1387年、嫡男・頼長に家督を譲る。

(2)細川頼長

(1375-1411:在1408-11)
頼有の二男。
子に持有。
和泉半国守護

(3)細川持有

(?-1438?;在1411-1438)
頼長の子。
子に教春、常有。
和泉半国守護

(4)細川教春

(1423-1450;在1438-1450)
持有の長男。通称:九郎。官位:刑部大輔。
1435年、父・持有に従って大和国に出陣。
1438年、和泉半国守護に補任され、阿波国・讃岐国・伊予国の所領を安堵される。
1441年、嘉吉の乱を起こした赤松満祐討伐に参加。
1447年、刑部大輔に任じられた。
1450年、死去。

(5)細川常有

(?-1480?;在1450-1480)
持有の二男。
和泉半国守護

(6)細川政有

(?-1481;在1480-1481)
常有の嫡男。
和泉半国守護

(7)細川元有

(?-1500;在1481-1500)
常有の四男。官職は刑部少輔。
子に元常、三淵晴員。
当初、禅僧として建仁寺に入って雪渓源猷と号した。
1480年に還俗し、その翌年に政有が死去したため、家督を継ぐ。
1495年、同じ和泉国半国守護であった細川政久(?)と共に畠山尚順と手を結び、細川政元と敵対したが、政元に敗れて降伏。
1500年、畠山尚順らによって居城の岸和田城を攻められ、城は落城し、元有は戦死した。
細川藤孝(細川幽斎)の祖父に当たる。

(8)細川元常

(1482-1554)
元有の嫡男。通称:五郎。和泉国上半国守護→和泉国守護。
子に元春、晴貞
細川和泉上守護家8代当主。山城国勝竜寺城主。
1500年、父が戦死したため、家督を継ぐ。
1507年、管領細川政元が暗殺される(永正の錯乱)と後継者をめぐって細川京兆家は分裂。
元常は澄元方に与すが、細川高国に敗れて守護職を奪われた。
元常は澄元ともに淡路国・阿波国に逃れて抵抗を続けた。
1511年、義澄・澄元の命を奉じて上洛するが、船岡山合戦で敗北。阿波に戻る。
澄元の死後はその嫡男・晴元を支持。
1527年、桂川合戦。三好元長が足利義維と細川晴元の二人を擁し、堺に上陸。
1531年、大物崩れで高国が戦死すると、晴元により和泉の単独守護職に任ぜられる。
1543年から、高国の養子・氏綱が晴元を討つため和泉で挙兵を繰り返す。
1549年、晴元の重臣・三好長慶が敵対する細川氏綱方に転属、晴元方の三好政長が敗死(江口の戦い)。元常も将軍・足利義輝に随行して近江国などへ逃れる
1554年、死去。

(8-2)堺公方

1527年から1532年にかけて、足利義維は和泉国堺にあって、将軍足利義晴と対峙したため、その政権を堺公方という。
一方その期間中、将軍・義晴はほぼ近江国内に亡命していた。
 1520年、細川澄元は細川高国を京都から追い出し、将軍・足利義稙の下、政権を樹立。しかし、同年、等持院の戦いで重臣・三好之長が高国に敗北。澄元は子・聡明丸(後の晴元)を残して阿波・勝瑞城にて死去する。翌年には足利義稙が、養子と共に阿波へ逃れてくる。前の将軍・足利義澄の遺児で、後の足利義維である。1523年、義稙も死去。
義維と晴元は、晴元の従兄である阿波守護細川持隆の庇護の下で成長する。
 1526年、細川高国は従弟・細川尹賢の讒言を信じて、重臣の香西元盛を謀殺。これを知った元盛の兄弟(波多野元清と柳本賢治)が丹波で挙兵し、高国はその討伐に失敗する。
 1527年、これを機と見た三好元長が足利義維と細川晴元の二人を擁し、堺に上陸。桂川合戦に勝利し、高国と将軍・足利義晴を京都から近江へと追放する。
 しかし、1531年、大物崩れで細川高国が死ぬと晴元は、将軍義晴との和平へと方針を転換し、堺公方の存続を望む三好元長らと対立する。
 1532年、享禄・天文の乱。摂津・河内・和泉で蜂起した一向一揆衆が、三好元長を自刃に追い込み、足利義維は再び阿波へと逃れる。
 こうして、堺公方は崩壊した。

(9)細川晴貞

(-1550?)
元常の次男(嫡男)。通称:五郎。
細川晴元が高国を滅ぼすと、父・元常は和泉国守護として和泉国の支配権を回復するが、実際には山崎の勝竜寺城もしくは京都において晴元を補佐し、和泉本国の支配は息子の晴貞が行っていた。
1550年以降記録が途絶える。

[二]高国方上守護

①細川晴宣()
②細川政清()

(1)細川晴宣

(在1523-)

畠山尚順の子。
1523年、細川高基が病になると、細川勝基と共にその跡を継ぐ。
1524年、晴元派和泉守護である細川元常と和泉国大鳥郡菱木で合戦を行う
晴宣ら高国派が敗北
 しかし、晴元派に呼応して河内国で挙兵した畠山義堯を香西元盛らが破ったことで晴元派は没落。細川元常も阿波国に退く。
一説では、1527年、桂川の戦いで戦死したという。

(2)細川政清
()

[三]細川六位蔵人家

細川元常の長男・細川元春が分家して地下家となり、幕末まで子孫が続いた。

細川元春(?-1553)元常の長男(庶子)。
細川常元(?-1579)元春の子
細川政勝(?-1614)常元の子
細川政朝
()政勝の子
細川常勝(1614-1692)政朝の子

【3】和泉下守護家

1508年、細川高国が京兆家当主である澄元から家督を奪うと、澄元に与した和泉守護家に代わって、新たな和泉守護が置かれた(細川高基)。

細川満之()細川備中守護家初代当主。
①細川基之
(1390-1448)備後半国守護、土佐半国守護、和泉守護。
②細川頼久
③細川持久
④細川基経
⑤細川政久
⑥細川高基
⑦細川勝基

(1)細川基之

(1390-1448:在1408-1448)
細川満之の子。 京兆家・細川頼之の養子。官位:兵部大輔→阿波守
子に頼久、教久。
細川頼長と共に備後国、土佐国、和泉国を守護として分割・共同統治した。

(2)細川頼久

(?-1470頃?)
基之の子。兵部大輔→阿波守。
子に持久。

(3)細川持久

()
頼久の子。民部大輔→阿波守。
1489年、子の基経と争う。                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                             

(4)細川基経

(1485?-1500)
持久の養子。
1500年、細川元有とともに、和泉に侵入してきた畠山尚順と戦う。神尾合戦で自刃。

(5)細川政久

(在1500-)
基経の子。

(6)細川高基

(?-1524;在1512-1523)
細川氏野州家分家・細川春倶の子
子に勝基、久我慶子(久我通言の養女、近衛稙家の室)
両細川の乱に際し、細川高国によって送り込まれた守護。
1512年頃から和泉守護として活動が見られる。
1523年頃、体調を崩し、家督を子・勝基に譲る。
翌1524年、死没。

(7)細川勝基

(-)
高基の子。
1523年、父から家督を譲られる。
大物崩れで、細川高国を戦死すると、和泉守護としての実態は失われる。

【3】宇高氏

①宇高光勝
②宇高有光
③宇高光成

宇高光勝
()
1409年以来、和泉国の守護代を務める。

宇高有光
(-1450)

細川教春・常有の2代にわたって和泉国の守護代を務めた。
ところが1450年、主君常有の襲撃を受け、大和国の古市胤仙の元に亡命。
同年、細川勝元より有光を召し抱える意向が伝えられるが、有光と一族郎党が京都の勝元邸そばにおいて殺害されてしまう。
細川常有が関わった謀略であったと推定されている。

宇高光成
()
有光の子
畠山政長の庇護下にあったが、1472年、畠山政長と細川常有の連携がきっかけとなり和泉守護代となる。

[二]
大庭盛景
()
宇高有光亡命後に和泉守護代となる。

【4】河内松浦氏

渡辺綱(源綱)の子の奈古屋授(なごや さずく、渡辺授、源授)の子、松浦久を祖とする肥前松浦氏の後裔。半国守護であった和泉守護細川氏の重臣として和泉国の守護代を務めた。岸和田城主。
1548年、三好長慶が細川晴元に反旗を翻すと、独立。

①松浦盛(?-1500?)和泉国上守護代
②松浦守(?-[1551-1555]?)盛の子。和泉国上守護代
③松浦虎
④松浦光(-1576)
⑤松浦宗清(?-?)

松浦盛
(?-1500?)
和泉国上守護細川氏家臣で、和泉国上守護代。

松浦守
(?-[1551-1555]?)
盛の子。
和泉国上守護細川氏家臣で、和泉国上守護代。
堺を本拠とした。
守の主君・細川元常は細川晴元派だったが、守は元常が畿内を離れた際、高国方に属すことがあった。

松浦虎
()

松浦光
(-1576)
十河一存の子。守の養子。
1558年に十河一存が岸和田城に入城、光(幼名:万満)を後見する。
1561年に十河一存が病没、1562年には新たに後見を務めた三好実休も戦死する。
1564年に三好長慶が病死すると、三好氏の家中は分裂。光は松永方に付く畠山高政へと味方した。
しかし、1566年、光は三好三人衆方に降伏。三好三人衆方の松浦虎が和泉国の支配権を得る。
1567年、三好義継が三好三人衆から離反し松永久秀と結ぶ。1568年に義継と連係する細川政清が和泉国に入る。政清は細川晴宣の後継者である。この年には松浦虎は国外に移っている。
1568年に足利義昭と織田信長が上洛すると、光は信長に帰順。
1576年、光は家臣の寺田又右衛門・安大夫の兄弟に殺されたとも言われる。

松浦宗清
(?-?)
和泉国和泉郡寺田村の国人である寺田知正の次男。
兄は寺田又右衛門(生家)
一説では一説には、又右衛門・安大夫の兄弟が主君松浦氏を謀殺して松浦氏を名乗るようになったともいう
1576年、第一次木津川口の戦いに参加。
1578年、佐久間信盛の与力となる。
1583年、中村一氏の与力となる。
1585年、岸和田合戦の功から伊勢国井生・川口に移封・加増され1万石となる。
1600年、関ヶ原の戦いでは西軍に与して安濃津城の戦いに参加。敗戦で改易されて失領。
宮部長煕・岸田忠氏・石川貞清と共に陸奥の南部利直に預けられ、その地で病死したという

【5】斎藤氏・久枝氏

和泉国下守護代は、細川氏の被官斎藤氏と久枝氏が交互に勤めていたようである。

斎藤玄霖(;在1409-)
久枝通忠()
久枝久盛()蔵人助。

[6]上守護家・家臣

田代氏(上守護家の被官)
村田氏(上守護家の被官)
日根野氏(上守護家の被官)
高槻氏(上守護家の被官)
村田氏(松浦氏被官)
森本氏(松浦氏被官)
安松氏(松浦氏被官)
山本氏(松浦氏被官)
真鍋氏
 真鍋氏は元々、備中国真鍋島出身の水軍であった。室町時代に和泉国淡輪に拠点を移し、後に泉大津に移る。和泉郡大津城(真鍋城)主。
 貞行(道夢斎)
 貞友(七五三兵衛)(-1576)
 貞成(1568-1656)
淡輪氏
 
淡輪氏は戦国時代には和泉淡輪城を拠点とし、紀州と大坂との海運交通を抑える海賊衆として知られていた。畠山氏に仕えた。
 隆重()
  重利()隆重の子
 重政()隆重の子
沼間氏
 
沼間氏は、南北朝時代、楠木正成の一族和田高家が岸和田城に居城した頃、目形氏とともに下向してきたともいう。戦国時代は、綾井城を拠点とした。
 国清()
 清道()
 助清()
 清成(任世)
 義清(越後守)清成の子
 興清()義清の子
 正盛(伊賀守)一族
寺田氏(松浦氏被官)
 知正
 生家

[7]下守護家・家臣


西村通宗
篠元基信


[8]城郭


岸和田城
(十河一存:1558年~1562年
細川晴貞:
松浦虎:1566年~1568年
松浦光:1568年~1576年
松浦宗清:1576年~
蜂屋頼隆:1581年~1583年
中村一氏:1583年~1585年
小出秀政:1585年~1619年)
和泉郡(平城)
15世紀後半に山城が建築される(岸和田古城)
1500年、畠山尚順が和泉守護・細川元有と細川政久を破り城を落とすが、赤沢朝経に奪還される。
1508年、細川元常が阿波に逃れ、守護代の松浦盛が岸和田領を統治する。
1511年、細川元常が再び阿波に逃れ、細川高基、細川晴宣が和泉上下守護となる
1527年、細川晴元が「堺公方府」を開き、細川元常が和泉守護として帰還する
1549年、江口の戦いで三好長慶が細川晴元を倒し、松浦守が城主となる
1560年、十河一存が岸和田城に入り、松浦万松を後見する。
1561年、三好実休・大規模な改修を行う。
1562年、畠山高政が久米田の戦いに勝利し、松浦虎が岸和田城に入る
1566年、松浦光が三好三人衆に敗れ、岸和田城に籠城する
1576年、松浦光が家臣の松浦宗清に討たれる(一説)
1577年 織田信長が紀州征伐を行う。その後、織田信張が岸和田城に入る
1581年、織田信長が蜂屋頼隆を城主とする
1583年、羽柴秀吉が中村一氏を城主とする
1584年、根来衆・雑賀衆連合軍が岸和田城を攻撃(岸和田合戦)
1585年、羽柴秀吉が岸和田城に入り根来寺を焼く。小出秀政を城主とする
1597年、岸和田城天守が竣工。
1600年、小出氏は西軍につくも所領安堵され、岸和田藩初代藩主となる。
1619年、小出氏転封後、松平康重が入城。
綾井城
佐野城
日野郡()
1351年9月、楠木正儀が佐野城を築く。
深井城
1511年、深井城の合戦で細川政賢方の本拠地となたった。
1509年、阿波に帰国した細川澄元は、京に戻り足利義澄を将軍に復権させる事を目論んでいた。
1511年、同族の細川政賢と和泉守護・細川元常を総大将として、和泉堺の浜から上陸した。これに山中為俊、畠山高国、遊佐順盛らが合流し深井城に陣を敷いた。
合戦が始まり、細川高国軍が深井城へ押し寄せた。しかし、城中には誰もいおらず、そこへ出口が閉められ包囲されてしまった。すかさず脱出しようと出口に集中したところへ政賢軍が現れ、襲い掛かった。細川高国軍は総崩れになり敗退したという。
貝吹山城
(平山城)
1561年、久米田の戦いにおいて三好実休の陣所となる。
畠中城
(神前宗行:~1585年)

1543年頃、神前清実の屋敷のあった場所に、根来衆の支城として畠中城を築城する。
1570年、野田城・福島城の戦いで織田軍により落城。
1577年、織田信長の紀州雑賀討伐戦に雑賀衆に味方して篭城。
1584年、雑賀衆、根来衆連合軍が岸和田城を攻撃した際に用いた7つの付城の一。
積善寺城
(平城)
1558年、根来衆と三好氏との戦いの時に、砦を築いたのが最初とされる。
1584年、雑賀衆、根来衆連合軍が岸和田城を攻撃した際に用いた7つの付城の一。戦後、廃城となった。
千石堀城
(山城)
1584年、雑賀衆、根来衆連合軍が岸和田城を攻撃した際に用いた7つの付城の一。積善寺城の支城。戦後、廃城となった。
沢城
1584年、雑賀衆、根来衆連合軍が岸和田城を攻撃した際に用いた7つの付城の一。戦後、廃城となった。

方違神社付近がかつて摂津国・河内国・和泉国の3国の「境(さかい)」であったことに由来する。市街地はその西方に形成され、大小路通を境に摂津国住吉郡と和泉国大鳥郡に跨っていた。
会合衆と呼ばれる有力商人たちにより自治が行われた。
大坂夏の陣において全焼(堺焼き討ち)。


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