誰が歌うかで議論になったが、それはもう徳久しかなかった。
九州男児で気取ったところがなく、優しい人柄だった。ゴルフをしたこともあるが、実に冷静でマイペース。独特のパターの構え方から打つのも、変えることはなかった。
その頃、作家とのゴルフはよく行われていたが、作詞家に比べ、作曲家のほうがうまい人が多かったような気がする。彼も実にステディーなプレイヤーだった。
「あの娘と中尾と有田くて声を掛布で」といった詞ができあがった。
そして83年、「恋のベースボール」は発売された。大きなヒットにならなかったが、いまでも本人に会うと、「恋のベースボールの人」と言ってくる。ヒットはいろいろな要素が結集したもの。その時いい結果が出なくても企画の核は不変だと思う。時代の要素を取り入れながら再挑戦したい企画の一つだ。
ちなみに「徳久広司艶歌ベストソング16」のアルバムの最後の曲に収録されている。
■獅子丸好(ししまる・こう) 本名・篠木雅博。徳間ジャパンコミュニケーションズ顧問。1950年生まれ。渡辺プロダクションを経て、東芝EMI(現ユニバーサル)で制作ディレクターとして布施明、アン・ルイス、五木ひろしらを手がけた。徳間ではリュ・シウォン、Perfumeらを担当した。