中学卒業を前にして、今後の進路を考えていた吉田豊。そんな彼に母親が競馬学校への入学を勧めてきた。
「運動は好きだったけど、体が小さいので、年齢が進むとどうしてもパワーで負けてしまう感じになっていました。ところが“騎手なら体が小さいのが武器になる”みたいな感じのことが書いてありました」
折しも競馬ブームでもあり、吉田豊少年も競馬の世界に触れる機会があった。ひとつは函館に住んでいた際に、函館競馬場に連れていってもらったこと。そして、もうひとつは、競馬のコミックに熱中していたことだった。
「当時“風のシルフィード”という競馬の漫画がありました。それのファンだったこともあり“騎手”という職業についても、競馬についてもある程度の知識は持っていました」
ただ、ジョッキーになることができるのは「その(競馬)世界の人たちだけだと思っていた」と続けて語る。
「騎手になるのは関係者と血縁のある人ばかりだと思っていました。一般社会にいる普通の人がなれるのではないと頭から決めてかかっていたんです」
だから周囲の友達と同じように高校を受験して進学するつもりで考えていた。そんな吉田豊少年が競馬学校を受験したのは、実に単純な理由からだった。
「競馬学校の受験日が、高校受験よりかなり前に設定されていました。だから、どうせダメでもともとというつもりで、とりあえず受けてみることにしたのです」
こう言うと、受験の模様を述懐する。
「1次は学科と体を動かす試験でした。運動系は器械体操をやっていたせいか、容易にできました」
さらに続ける。
「2次試験は1泊2日で面接をしたり、体を動かしたりしました。それまでの人生で馬には触ったことすらなかったけど、この時に初めて乗ったような記憶があります」
1次試験で大勢いた受験者は既に20~30人まで絞られていたという。
「その絞られた人たちの多くが競馬関係者の子供とか、実際に乗馬経験のある人ばかりでした」
そんな状況下に置かれ、「何ひとつ縁故関係がなく、馬に乗ったことすらない自分では受からないだろうな…」と思っていたという。ところが…。
「要領が良かったのか、面接はそれなりに答えられました。目を見てうなずいて“あなたの話をちゃんと聞いていますよ”という態度を見せました。実際には何も頭に入っていませんでしたけど…」
こういって笑ったが、見事に試験官を欺く(?)ことができたのか、難関を突破し、合格の報を受け取った。吉田豊の人生がガチャリと大きな音を立てて進路変更をした瞬間だった。
「通知が来るのを毎朝確認していたけど、なかなか来ませんでした。それで半分諦めていたところ、ある日、母親が学校まで来て“合格通知が届いたよ”と教えてくれました。ダメもとでいた分、うれしかったです」(文中敬称略・ライター平松さとし)
☆よしだ・ゆたか 1975年4月19日生まれ、茨城県出身。94年騎手免許取得、同年3月デビュー。2021年にJRA通算1250勝を達成。JRA重賞は36勝(うちGⅠ9勝)。血液型=A。フェアプレー賞を5回受賞している。吉田隼人騎手は実弟。