【みんな大好き、『男性性』のコラム】※まだ途中です。
『男性性』の話。
私や名興文庫に対する度重なる誹謗中傷は、重層的な法的・事務的対応によって、ようやく静まりつつあると感じている。ところで、この誹謗中傷に関わっていたアカウントたちが妙に意識していた言葉に『男性性』というものがある。この言葉は私のXにおけるポストでしばしば触れていたが、どうも彼らはこの言葉が大変に気になるらしい。私自身は既にこの言葉の中身をよく理解した事により、かなり恩恵の多かった半生を過ごした人間であり、またその教訓を創作にも反映させていたりするのだが、今回はこれがどのようなものであるか説明することを試みてみようと思う。
1. 男性性とは何か?
平たく言えば、社会が男性と女性によって構成されているという前提の中で、「評価され、信頼される男性」の在り方と精神性のことを指す。すなわち、『男性性とは、困難を前にしても冷静に対処し、周囲を守るために責任を果たす力のことである』という事だ。また多くの場合、恋愛やパートナーシップにおいて、男性に求められる資質の一端は、こうした『男性性』に基づいている。現代では、これらの能力は性別に関係なく重視されており、社会の中で信頼される人間像の一部とも言える。社会というのは、突き詰めれば『どれだけ責任を負えるかゲーム』である。より大きな責任を引き受けられる人ほど、多くの信頼と評価を得て、その報酬として人生の自由度が増していく──そういう構造なのだ。特に男性は多くの場合、若い頃は女性からの信頼を得たいものだろう。これは恋愛や結婚の土台でもあるのだからなおさらである。つまりこの「男性性」は、単に時代遅れな価値観ではなく、現代を生き抜く上での一つの重要な軸でもあるのではないだろうか。
2. 何に気付いて、どうしたか?
ここから先は、私自身の目線で語っていこうと思う。私はXでも述べている通り、実践主義者であり、日常や成果を偽りなく発信したうえで言葉を発することを信条としている。
最初に私が気づいたのは、「自分には一般的な社会人としての魅力も能力も足りていない」という現実だった。どこに行っても評価されず、報酬にもつながらない。知らないこと、できないことばかりで、他人から求められる存在でもなかった。そうなると、このような男の未来はどうなるのか? ただ生きるためだけの仕事をして誰にも相手にされず、家に帰れば晩酌や刹那的な娯楽で時間を潰し、最後は静かに孤独死する──そんな予感ばかりが胸をよぎった。となると足りないものばかりである。『まず己を知れ』という言葉がある。このとき私は、それまでの人生の中で初めて、「自分には何もない」という現実と正面から向き合ったのだ。
現在ここまで。