軽度知的障害の進路
時々参加している知的障害者の親の会で、度々話題になるのが進路の話。
小中学校で通級、支援学級、支援学校、どれを選ぼうが高等部はもれなく支援学校高等部に行き、卒業後は就労か通所かしか選択肢がなかったのは…ちょっと前までの話で。
最近は中学卒業後にチャレンジ校や通信教育で高校卒業の資格を取って、大学も目指すという話をよく聞くようになった。
理由でよく聞くのが「支援学校に行ったら卒業後すぐ就職というのに抵抗がある」「支援学校卒よりも高校卒の資格が欲しい」「中学は不登校だったので高校はなんとか通信でやりすごし、大学に行かせたい」「普通の青春をさせてあげたい」「本人がなんとなく大学に行くものと思っている」っていうことかな。
発達障害があっても知的障害がなければ、何とかなるのかもしれないけれど、軽度とはいえ知的障害があれば受験も大変なのでは?と思いきや…
通信の高校は作文提出だけで入れるところもあって、ぶっちゃけ親が家で作文を書いても入れるのだという。
大学も選ばなければ入れるのだという。
で、そういう選択を実際した親御さんの話を聞くと、悩んでいることにも共通点がある。それは主に「支援学校じゃないから支援がない、少ない」「卒業後の情報がない」「友達ができない」ということ。
うーん、難しい。それはわかっていて入ったことでは?
私はモヤモヤしてしまう。
「悩んでいるんだよね」と言われても、その道を選ばなかった私にはわからないので、その方がスッキリ気持ち良くなるようないい答えを言ってあげれない。
《追記》
十人十色でいろいろなタイプの人がいて、事情も異なり、それぞれの悩みがあり、人生の選択も人それぞれです。大事にしたいことや目指す姿も違う。我が家は双子だけど、抱えている問題はまったく違いますもん。一人一人、比べられません。
私は自分がどうだったか、子供たちがどうだったかしか書けません。
ただ、よく調べず噂話や先入観で選択肢から外してしまう人もいるという話を実際に知って驚き、学校を選ぶ時の参考になれば、という気持ちで書いています。
できるだけ現状を客観的に判断し、選べる選択肢についてよく調べて、最善と思われる道を探し、自分の事は自分(ご家庭)で決めるしかないと思います。
私自身は、長い長い人生をどうやって生きていくのかが一番大事だと感じている。私が死んでも子供が困らないように。そのために必要な支援や力をつけさせ、次の支援先につなげるために学校がある。支援学校というのはそういう所、っていう認識。
最近、こうやって軽度知的の人が支援学校以外を選択する流れが増えたことで、今まで支援学校の就労技術科を選んでいた人が減って、倍率も下がり、最近は知的重めの障害がある子も就労技術科に入れるようになっている。
今まで就業技術科に行けばほぼ100%が就職できていたけれど、これからはそうもいかなくなるだろう。
とはいえ、「うちの子には就業技術科は無理かな」と思っていた方にはチャンスだと思う。就労はIQだけではない。入学してからコツコツと続ける力が評価されたり、学校が適性を生かした仕事を見つけてくれることも期待できる。挑戦するのもありだと思う。
我が家の双子。一応、通信や私立高校も検討はしたけれど、長い目で見ればそっちじゃなかった。普通の高校、普通の大学。障害者が選ぶ普通がどうかはわからないけれど、支援学校のいいところなら語れる。
長男の行った就業技術科は「厳しい」と言われることもあるけれど、そんなことはない。というか、厳しさもあるけれど、楽しいことも沢山ある。少なくとも長男は3年間、優しく平らな目で見てくれる先生ばかり恵まれた。国語や数学は教科書の内容もやるけれど、社会に出たときにすぐ役立つ授業をしてくれる。先生はいつも、これが最後の学生生活だということを意識して、世の中に出たときに恥ずかしくないように、役に立つようにと考えて指導してくれていた。
職業の授業中だけではなく、普段友達とどう過ごしているかもよく見て進路先につなげていた。進路は事務・清掃・食品などのコース選びから実習先、就労先まで最終的に先生が適性を見て判断をする。
やりたいこととむいていることは違うこともある。そこをズバッと言ってくれる。先生だっていいたくないこともあるし、保護者や生徒とのやり取りで嫌な思いもするだろう。けどね、親にも本人にもわからない、親だからわからないことも目が曇っていることもあるだろう。客観的に評価してくれる存在がいかにありがたいことか。
生徒も休み時間にはトランプやUNOをしたり、友達とじゃれ合ったりする姿はごく普通の高校生だった。ほぼ学年全員が入っているLINEグループで「おはよう」「おつかれ」っていう挨拶が飛び交ったり、部活も運動部や文化部がいくつもある。修学旅行に遠足。休みの日に友達と出かけたり、ちゃんと青春してた。
今も休みの日に高校の友達と遊ぶこともある。自分のお給料で。
支援学校普通科に行った次男の方も、素晴らしい先生ばかりだった。
小学校で躓いてかなり人間不信になった次男だけど、そんな次男に先生は「目標は楽しい思い出を作る!学校はいいところだと少しでも思ってほしい」と言ってくれた。もちろん、勉強や職業の授業もあったし、そこで学んだことは今も役に立っている。でも心の傷を癒そうとしてくれた先生の姿に、次男も私も本当に救われた。
一緒にいようと言ってくれる。好きな昆虫の話をずっと聞いてくれる。背中をさすってくれる。次男の背中は押さないんだよね。次男の背中はさすってくれたんだ。弱った心を温めて、自信を取り戻せるように。
最後まで集団生活は疲れてしまう次男だったけれど、卒業した今でも「また学校に遊びに行こうかな」と言ったり、卒業後のフォローで先生が職場に巡回に来るのを心待ちにしている。
そう、支援学校は卒業後も3年間学校がフォローしてくれる。区の就労支援センターにも登録するので、卒業後も本人が困ったときに相談する場所は確保される。
***
先日、長男に「最近さー、支援学校に行かないで大学行かせたいっていう知的障害のお母さんから相談受けたんだよね。でもその子は勉強がきらいだしできないんだって。ママは支援学校がすごく良かったと思ってるんだけど、どう?今年の〇〇中の支援学級は全員高校は支援学校に行かなかったんだって」と切り出し、「きみももう働いているけれど、18歳というとまだ大学生の年齢でしょ。大学行きたかった?」と聞いてみた。
「ママ―、現実をみてよ」
長男が指さした先にはキッチンで虫取り網を振り回す次男。しかもパンツ一丁(笑)
電気の傘の間になんか逃げてるらしい(笑)
「できることをするのが一番いいよ。」
おっしゃる通りです。
コメント
15はじめまして。
記事を拝見しました。
ゴンゾウと言います。
ASDとADHDと境界知能+様々な二次障害を持ってます。
できることをするのが一番いいよ。
と息子様が言った言葉印象に残りました。
現在私は32歳で発達障害は20歳頃に知りました。
時々コメントをします。フォローしました。よろしくお願いします。
ゴンゾウさん
フォローありがとうございます。
ゴンゾウさんは大人になってから発達障害を知ったのですね。
様々な二次障害もあるとの事、どんなにお辛いか。
次男が小学生の時に精神的に追い詰められて私も次男も長い間、ストレスで体調を崩していました。コンディション最悪で二次障害と言える状態だったと思います。それは、できる事以上の事を求められたり、周りの理解がなかったからだと思います。
ゴンゾウさんの事を何も知らないのに的外れなことを書いているかもしれませんが、どうかご自分の心と体を大事に、できる事だけをして、無理をしないでくださいね。
かめのめーめさん
コメント頂きありがとうございます。
私も小中高大変でした。勉強もそうですが人間関係や中学高校進学時みんなの人が変わった所と状況が変わった所が嫌でした。私の時は支援学級や学校はあまり力を入れておらず差別も強かったです。
今は力を入れてるようで選択肢に入ってきた家庭も増えてきたようです。
その分健常児側は全く理解する機会が無くなり平気で虐めたり嘘をでっち上げて悪者にしたりと横行してるようです。
大人になってから理解するじゃ遅いのに。
私も昔辛かった事を具体的に言語化して伝えることができませんでした。嫌な事を「嫌」と伝える事がなかなか出来ず伝えても「じゃあどうしたいの?」と言われるか「あ、じゃあもう良い」と言われ居ない人にされます。何も考えてなかったので場面緘黙になるか強いショックを受け何も言えなくなります。
続き
昔も辛かったですがこれからも恐ろしいです。私も息子さん達も健常者側の良心や理解に頼るような感じですから。働いてよくありましたが何か事があったら私が真っ先に疑われました。
元犯罪者がいなかったら今度は障害を持ってる人が疑われるのかと、とても悲しくなりました。息子さんがどのように生きていかれるか分かりませんが信頼できる人を一人作ると大きいです。
一人で仕事したほうが分かりやすいですが世の中一人では生きていけないのは実感しました。難しいですが息子さんにも出来ると良いですね。既に居るのであれば絶対に離さないで欲しいです。