「ヒートショック」は仮説に過ぎない 法医学者が突き止めた浴室内で亡くなった女性の死因

一般的な家庭の浴室。ヒートショックのハード対策はないという=福岡市東区で2023年1月、取違剛撮影
一般的な家庭の浴室。ヒートショックのハード対策はないという=福岡市東区で2023年1月、取違剛撮影

 2025年1月のある朝、筆者が勤務する大阪府監察医事務所(大監医)にいつものように、大阪府警から多くの検案要請書がファクスで届いた。新たな「異状死」の発生だった。

 人の死亡が公的に認められる際に必要となるのが、医師が書いた死亡診断書だ。亡くなった人に持病があり、その病気の治療を受けている間に亡くなったのであれば、主治医が死亡診断書を書く。しかしそれ以外の死亡は緊急搬送された例も含めて異状死と呼ばれ、警察の取り扱いとなる。

 大阪市内で発生した異状死のうち、警察が事件性を疑い、犯罪捜査のために法医学教室に依頼した解剖以外は、大阪府監察医が検案する。検案とは、警察が提供する情報を基に死体の様子を観察し(外表検査)、死因や死亡日時を記載した死体検案書を作成する行為だ。検案だけでは死因が決められない場合には行政解剖を行う。

浴室内で急死した30代女性

 この日、亡くなったうちの一人が30代女性だった。親と2人暮らしの自宅で入浴中に死亡したという。発見時には浴槽内に座ったままうつむき、顔の右半分がお湯につかった状態だった。

 風呂場にはお酒の缶があり、状況からお酒を飲みながらお湯につかりスマートフォンで友人とLINE(ライン)のやりとりをしていたとわかった。ラインの履歴は最後の既読から2~3分のうちに「未読」になっており、死亡時の急変を物語っていた。若年者の予期しない死亡だったため、即座に私は行政解剖が必要と判断した。

科学的根拠に乏しい「ヒートショック」仮説

 昨年末、50代の人気女優の浴槽内死亡が大きなニュースとなり、ワイドショーなどマスコミでは、入浴中に死亡する「ヒートショック」が改めてクローズアップされた。そこで解説されたのは、局所暖房が一般的な日本の住宅で、脱衣場や浴室などの低温の環境から熱いお湯につかると、血圧が高い状態から低い状態へと急激に変化し、一時的に脳内に血液が回らない貧血の状態になり意識障害(失神)につながる、というメカニズムだ。これは夏場の炎天下で起こる熱中症と同様の仕組みと考えられている。そして浴槽内での失神が溺死事故の原因になると説明される。

 しかしこのメカニズムは仮説にすぎない。「ヒートショック」「浴槽」「死亡」を含む文献を検索した限り、科学的根拠を示した論文は見つからなかった。ようやく、ある学会が作成した「失神診療ガイドライン」の中に「浴槽内死亡」に関する記述を見つけた。それによると、1990年代に、40人余りの浴槽内事故救急搬送例を診療したところ、3割ほどが体温低下とともに意識を回復したという、ある大学の救急医の報告があった。発見されるまで時間がかかると、高温状態の持続のために熱中症に陥りやすいという推測も書かれており、これらがヒートショック仮説の起源と考えられた。これが次第に流布して、今では政府広報までそう説明しているため絶対的真実のように思われている。しかし、浴槽内死亡自体、浴室の温度が低い、熱い温度のお湯に首まで入る、入浴時間が長いという日本人の入浴スタイルに起因する日本に特徴的な事故であるため、欧米先進国では研究報告がない。真偽不明のまま情報の再生産が続いてきたというのが現状だ。

若年者では血圧低下後に拍出量が増加

 失神の多くは脳血流が低下するために発生する。従来の「ヒートショック説」では、その原因が脱衣場の低温と浴槽内の高温による血圧の急激な変化で説明されていた。しかしこの血圧の変化は万人共通ではない。

 防水性のジャケット内部に水を循環させ、着用した人の体温を変化させられるウオータージャケットと呼ばれる装備がある。この装備を平均年齢23歳の若年者群と70代の高齢者群という年齢層が異なる参加者に着てもらい、水温を34度から50度に上げて60分間保ち、生理学的変化を観察した研究論文がある。

 その結果によると、若年者、高齢者ともに水温が上昇するにつれ血圧が同程度低下したが、心臓から拍出される血液量は若年者では著しく増加したのに対し、高齢者ではわずかしか増加しなかった。

 すなわち若年者では入浴後の高温によって血圧が低下しても、交感神経の働きや生理学的な体の反射などによって、心拍出量を増加させ血圧を上昇させることができるのに対し、これらの働きが弱まっている高齢者では、血圧変化に即座に対応できず心拍出量を十分に増加させられないために失神しやすかったと考えられる。高齢者では心不全などの持病があることも多く、それらが重なれば失神の危険性はさらに高くなる。

 実際、筆者の長年の監察医の経験の中で、前述の30代女性の死亡は「初めて」と言っていいくらい遭遇したことがない若年者の例だった。それくらい浴槽内死亡の例は高齢者に限られている。そのため、少なくとも若年者が浴室で亡くなった場合には、「ヒートショック」ではない原因を探る必要がある。

服用薬が原因で起きた心不全と判断

 
 

 この30代女性の死因を明らかにすべく、行政解剖に加え、大監医が近年始めたコンピューター断層撮影(死後CT)を実施した。

 CT画像では、脳の腫れ(脳浮腫・脳腫脹=しゅちょう)に加え、気管内に液体のような像が映っていた。風呂の水を飲んだ溺死の可能性もあったが、解剖すると、液体ではなく細かなあぶくであり、水は飲んでいなかった。

 また筆者は病院で実施しているのと同様の血液検査を多くの死亡例に行っている。血液検査からは、心不全のマーカーであるNT-proBNP(NTプロBNP)の濃度の上昇が確認された。一方、アルコールについては心機能への影響を考えるほどの濃度は検出されなかった。

 その後、この女性が市販の解熱鎮痛薬のナロンエースと鎮静薬のウットを服用していたことがわかった。

 また女性の既往歴に気管支ぜんそくがあり、年末から年明けにかけて3週間、せきやかすれ声、嘔吐(おうと)が続いていたという証言もあった。これらの症状のため市販薬を服用していたのだろう。薬物が死因に関係していると考えられた。そこで網羅的な薬物分析を行った。

 その結果、前述の市販薬の主成分であるイブプロフェンとジフェンヒドラミンが高濃度で検出された。その濃度は中毒を起こすほどではなかったが、添付文書を確認すると、不整脈や心不全を起こす可能性があるという記載があった。解剖で調べた心筋組織も、心臓突然死のケースでよく見られる所見を示していた。

 高齢者の浴槽内死亡では、加齢に伴う心拍出量低下に、慢性心不全、冠動脈硬化が加わっている場合が多い。若年者の浴槽内死亡は極めてまれだが、本件は、解剖・組織検査に、血液検査までを加えて検討した結果、市販薬二つが惹起(じゃっき)した不整脈を伴う急性心不全による死亡であることを突き止めた。ごくまれに起こる薬物の副作用による突然死と言ってよいだろう。

法医学で得た知識を生に「活かす」

 大監医が実施している死後CTと血液検査からは、行政解剖だけではわからない死亡時の状況がわかる。死を知り、そこからの学びを活(い)かすことが、その後も生を営んでゆく私たちの責務であると思う。私が法医学を通じて得た知識を読者に広く伝えることで、亡くなった方たちの思いに応えたい。

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よしだ・けんいち 1979年愛媛大医学部卒。山口大教授、東京大教授などを歴任。専門は法医学。著書に「法医学者の使命 人の死を生かすために」(岩波書店)、「ケースを読み解く法医学」(日本評論社)