翌日の正午前。俺たちを乗せた馬車は、神都へ入るための正門の目の前でゆっくりと停止した。
「やっと着いた!」
ソアレが真っ先に馬車から降りる。
彼女は昔からじっとしているのが苦手だ。二日ほど座りっぱなしだったことに辟易していたのか、ソアレは外の空気を胸いっぱいに吸い込んで、気持ちよさそうに伸びをしていた。
続いてキキョウ、ハイネと下車していき、最後に俺が馬車を出る。早速とばかりに入り口へと進む彼女たちを追おうとして、ふと立ち止まった。三人とは反対の方向へと歩く。目的は、二日間馬車を引いてくれた馬の元だ。
ここまで快適な旅路を提供してくれた彼に感謝を伝えようと、そっと馬の頭を撫でる。
馬は気持ち良さそうに目を細めた後、ふすっ、と鼻から息を一つ吐いて停留所へと歩いていった。
「ラスタ、行きましょう」
離れていく馬の後ろ姿をぼーっと見つめていると、キキョウが俺の袖を軽く引いた。
はっとしてキキョウの方へと視線を向ける。彼女の後方で、すでにハイネとキキョウは入国手続きのための門の前に並び、俺を待ってくれていた。
キキョウに一言詫びを入れて、二人で彼女たちの元へと走る。
「あんまり一人で止まってたら置いてっちゃうよー?」
「ごめんごめん、ぼーっとしてたわ。キキョウもありがとな」
「いえ、ラスタの気持ちは分かります。あの子、結構可愛いんですよね」
「馬のこと?あれは猫を被ってる。あの子は私が触っても鬱陶しそうな顔ばかりする」
「それはハイネが尻尾ばかり触ろうとするからではないですか?」
「…………この話はやめにしよう。もうすぐ順番が来る」
「逃げられてないですよ?」
あまりにも下手くそな話題転換を見せたハイネ。キキョウが追及しようとするも、残念ながら彼女の主張は正しかった。ふと前方に目を向けると、俺たちが入国手続き者の最前列である。
「ここで立ち止まってたら迷惑。早く行こ」
キキョウの露骨に呆れたような目線。それを意にも介さずにそんなことを
くだらない話は切り上げて、門番の職員に冒険者証を渡す。すると彼は俺たちの冒険者証に刻印された「A級」の文字に目を軽く見開いて、すぐさまにこやかな表情を浮かべた。
本来、冒険者証は誰でも簡単に作れてしまうものであり、身分証明として使うには適していない。しかし高ランクの冒険者ともなると話は別だ。そのカードは身分だけでなく、実績や信頼を証明する賞状に化ける。
その特権の代わりに「義務」があるけれど。
脳の奥底から滲み出た声を慌てて抑えつける。
怯えるように周りを確認した。俺の一歩前の位置ではキキョウが入国の手続きを行っており、他二人の視線も彼女へ向いている。
自身の挙動に、内面に気づかれなかったことに安堵する。どれほど彼女たちが明るく振る舞っていたとしても、その態度は薄氷のように脆い。壊れる時は一瞬だと分かっている。
万が一にもこの旅の本来の目的を意識させないように、この感情を旅行への高揚で押し潰す。そう強く心に刻んだ。
「入国の目的は?」
「観光です。あとは大聖堂への礼拝も兼ねて」
「礼拝は後ろの法衣の彼が?」
「はい、あとはソアレ……うちのパーティリーダーも」
ソアレの胸元にあるロザリオを確認して、門番の顔がさらに綻んだ。
「素晴らしい。敬虔な信徒の来訪に女神様もきっとお喜びで———」
話している途中に、門番の顔が急激に険しくなる。彼はすぐさま後ろを向くと、かなり大きく咳き込んだ。肺まで響いていそうな咳にも関わらず、門番の顔は辛さよりも鬱陶しさが優っているように見える。
「大丈夫ですか?」
「すみませんね。最近神都で病が流行っておりまして…ああ、といっても咳が出るだけです。あまりお気になさらないでください」
「病気」と聞いてピクリと反応した俺を、門番は穏やかに制す。
ほぼ無意識的に反応してしまった。少し心配ではあるが、罹患者本人がそう言うなら恐らく大丈夫だろう。………………この話題になってから、ずっとこちらをガン見し続けるソアレ。
彼女に控えめに視線を返して頷く。すると、彼女は俺に頷き返して、服の袖を軽く掴んできた。
やっぱり信用されてない。
「大した症状ではありませんが、
門番がまた咳き込む。今度の咳は先ほどよりも辛そうだった。
「すみません」と、申し訳なさそうに頭を下げる門番に、キキョウがゆっくりと歩み寄る。
「? どうかなされましたか———」
「ちょっと失礼しますね」
彼女の白い手のひらが、門番の手首を優しく包み込む。門番はそれはそれは分かりやすく固まった。
「うん。脈は正常ですね。本当に咳だけのようです。しかし軽症でも病気は病気です。ご自愛くださいね」
まだ、門番は固まったまま動かない。その顔を、キキョウは不思議そうに眺めて首を傾げている。
「………うわ」
一方、それを目の前で見ていた俺は。かなり戦慄していた。今、門番が抱いている感情。間違いなく驚きと照れである。
初対面の男性に対してあの距離感に優しい言葉。これは有罪だ。
元々キキョウは相手の性別で態度を変えることがほとんど無く、自身の挙動が相手に与える影響を分かっていない。だからこそ、無意識的な「思わせぶり」が生まれてしまうのだ。
「ラスタ、また放心しているんですか?行きますよ」
なんにも分かっていない彼女に生温かい視線を送る。これを指摘するのは男の俺にはハードルが高い。いつか自力で気づいてくれることを願うばかりである。
ふと視線を感じた。ソアレとハイネがこちらを見ていた。何?
◇
宿をとって軽い昼食を済ませると、ソアレとハイネは二人で湯屋へと向かった。というのも、意外にも神都では風呂の文化が盛んであるのだ。
本尊を祀っている地だからこそできる、貴重な聖水を存分に用いた「聖水風呂」という知る人ぞ知る贅沢品もある。基本は重症患者の療養用であるが、金を積めば誰でも入ることが可能だ。
他の街では入浴の文化がほぼ無く、濡らしたタオルで体を拭いたり、魔法で清めたりするのが主流であるため、前世から風呂好きである俺には非常に嬉しいポイントである。よく神都を旅行地に選ぶ理由の一つと言っていい。
まぁ、そもそも俺は他人に裸を絶対に見せられないので、貸切で利用することしかできないが。小一時間の利用でもかなり値は張るが、寄付とお布施以外でほとんど金は使わないので、なんとか払うことができるのだ。こういう時に一番、地道にお金を貯めといてよかったなと思う。
「…っあ″ぁ″〜」
がなった声が漏れる。二の腕の黑く
もちろん完全に治すことは不可能であるが、ただ聖水をかけた時に比べると瘴気跡の色がマシになるのが分かるほど。
瘴気が薄くなっていく様子を見せたら、彼女たちは安心してくれるだろうか。それとも、ぬか喜びさせてしまうだけだろうか。
実際には見せるわけがない。だからこそ、のぼせてきた緩い頭は思考実験を始める。
…ふっ。ボクより筋肉あるのに、力無いんだね!
一度だけ、右腕を肩まで捲って見せたことがある。まだ腕がちぎれるなんて経験をしていない初期のことだ。
なぜそうしたのかは覚えていない。素直に鍛えていることをアピールしたかったのか、体に異常が無いというアリバイを作りたかったのか。
あの時みたいに、軽く笑って馬鹿にしてくれたら、と思う。
湯船から体を出す。なんのために神都まで来たのか。何をすべきかは分かっていた。
そんな思考がどこまで読まれていたのかは分からないが。
「時間ぴったりですね」
出る時間など言っていない。なんなら行き先すら告げていない。にも関わらず、キキョウは俺が入っていた湯屋の前で待っていた。
「……なん——」
「聖水風呂でしょう?」
「!」
驚いた。先ほども述べた通り、それは療養が主な使用法であり、決して膾炙したものではない。
疑問の上にさらに疑問が積もり、まじまじとキキョウを見てしまう。彼女は穏やかな笑みを崩さない。その顔に不思議と圧を感じ、俺は追及を諦めて投降した。
「…せっかく待ってくれてたんだ、一緒に街を見て回ろうか」
「喜んで」
本当に彼女の顔からは喜びを感じて、誘ったこちらも嬉しくなった。もう待ち伏せとかどうでもいいか、となって、二人で露店の立ち並ぶ通りへと歩みを進める。
「しかし、こうやって二人で歩くというのは久しぶりですね」
「確かに。いつもは買い物行く時も四人だもんな」
明日は四人で観光をする約束をしている。それも楽しみではあるが、ぶっちゃけ少し気が重い。やはり男1に対して女3だと、周囲の目線が痛いのだ。
理想でいえばもう一人パーティに男が入ってきて欲しい。そのことを、一度ソアレに相談したことがある。彼女の返答は、「入会試験として、その人とボクで模擬戦したいな!」である。
その日から俺の孤独は確定した。
武具店を見つけてキキョウの買い物に付き合ったり、果実100パーセントのジュースに舌鼓を打ったりしていると、少し開けた広場の方で喧騒が聞こえた。
「『ぶっ飛ばせ』なんて物騒な声が聞こえます。なんでしょうか…?」
「行ってみるか」
銃刀法なんてあるはずも無いこの世界では、喧嘩騒ぎは最悪死者を生む。途端に真剣な顔になったキキョウと頷きあった後、騒がしさの中心へと走る。
「——さぁ張った張った!」
広場では、数十人の野次馬が二人を取り囲んで紙幣を握っていた。喧嘩が始まると、そのどちらかの勝利に周りの人々が金をかけて野次を飛ばす。この世界ではありふれた出来事である。
しかし俺はその光景に目を剥いた。対峙する二人。一方、金髪を綺麗に整えた、この世界基準でもかなりの美形の青年。口に薔薇を咥えている姿を幻視する。
そして他方、こちらも美しい金髪を耳元で切り揃えた、活発そうな顔をした美少女。
というか、ソアレである。
「…あの子は」
キキョウが頭を抱えている。