治癒を騙って仲間の呪いの肩代わりしてたのがバレた


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作:甘朔八夏
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11.夜空


 

 

ある程度舗装された、街と街を繋ぐ長い一本道。

心地よい揺れと穏やかな陽気に包まれながら、馬車は悠然と目的地へと進む。

 

「わぁ…!見て、あのお花畑!すっごくカラフル!」

 

「えぇ、本当に。綺麗ですね」

 

「何色あるんだろう…?」

 

「3色だけだよ」

 

ソアレが漏らした疑問がすぐさま掬い取られる。その返答にソアレは少しオーバーにリアクションをとって、ハイネの方へ体を向けた。

 

「えっ、こんなに色とりどりなのに?」

 

「うん。赤、黄、青の3色だよ。例えばあそこのオレンジの部分。絵の具を混ぜるみたいに、赤と黄が交互に並んで咲いてる。一輪一輪がとても小さな花だから、グラデーションなんかも滑らかに、綺麗に見える」

 

ほえー、と気の抜けた、それでいて感心するような声を漏らす。その後ソアレは、再び目を皿のようにして窓から外を眺めだした。

 

「…頑張れば、あれで絵が描けそうだな」

 

「たしかに。すごく大変そうだけど、あれで国王様の絵とか描いたら褒美がもらえそう」

 

ハイネはそう言ってくすくすと笑う。俺もつられて笑みを浮かべる。

しかし、続く言葉が浮かばない。

 

「…あー、えっと」

 

「無理に話さなくてもいい。そんなに意識してると、私まで緊張しちゃう」

 

また笑った。今度の笑みは柔和だった。

 

違和感やぎこちなさは残る。それでも、彼女たちは馬車での旅路の間に、少しずつ態度が(ほど)けてきている。

魔法で知性が高まった馬が引く馬車を選んでよかった。御者が存在しないため気を遣う必要もなく、皆が自然に振る舞えているようだ。

むしろ今、一番顔も態度も固いのは俺かもしれない。

 

自身の頬を掴んで雑にほぐす。

 

「———ほら、ラスタも外見てみてよ。すっごく綺麗だ……よ?」

 

その時、ゆっくりとこちらへ振り向いた金髪の少女と目が合う。ちょうど頬を横に思いっきり伸ばしているタイミングだった。

 

ソアレは意外とこういうベタな変顔に弱い。

俺の顔を目にして、ソアレは口を引き結ぶ。しかしだんだん彼女の口がもにょもにょと動いたかと思うと、とうとう小さく吹き出した。

 

「…ふふっ……なにしてるの?」

 

「……顔のストレッチ?」

 

「そっか。急に変顔してたからびっくりしたよー……って、違う!ラスタ、外!」

 

軽く体を跳ねさせて、ほっそりとした指を例の花畑の方へ向ける。よっぽど感動したようだ。

 

 

 

 

 

 

 

 

と、以前なら微笑ましく思っていただろう。

 

そんなわけがない。もちろん気づいている。

 

さっきから頻繁にキキョウが広がらない話題を振ってくるのも、あのハイネが柔らかい表情をずっと保っているのも、ソアレの目下に隠しきれないクマの後が見えるのも。

 

そして、彼女たちも気づいている。自分たちの気遣いを俺に勘付かれていることを。

 

だからどこかぎこちない。漠然とした居心地の悪さを感じている。きっとソアレもその空気の淀みに気づいているのだろう。

さっきからの彼女の行動は、最近の彼女と比べると信じ難いものだ。今のソアレは、まるで俺の瘴気を知らなかった時のような態度をとっている。

 

ありがたい。それ以上に、申し訳ない。気を抜くと謝罪を口にしてしまいそうになる。

でもそれは彼女たちの気遣いを踏み躙ることになる。今は、穏やかな時間を楽しむ。これが最善だと信じている。

 

ソアレの申し出に従って、彼女の隣へと移動する。窓のサイズはそこまで大きくない。外を見るためには彼女のすぐ近くまで移動する必要があった。

体を傾けさせて、窓を覗き込む。その時、ソアレと肩が触れ合った。

 

彼女の体がわかりやすく硬直する。

 

「…ね?すごいでしょ?」

 

体が示す動揺を表情にはおくびにも出さずに、ソアレは無邪気を装って笑いかける。

 

「…あぁ」

 

返事が曖昧になってしまう。

 

まだ、俺に触れるのが怖いに違いない。俺が彼女に触れる時は、きまってソアレから()()時だから。

 

気づかないべきだ。

 

だから俺は、すぐ隣にいる幼馴染を見ないように努める。ただひたすらに、外の景色を見る。

 

彼女たちの言ったとおり、視界中に色彩豊かな花が広がる。窓が額縁であるかのように錯覚する。まるで、一つの絵画を見ているような気分になった。

 

「綺麗だ」

 

 

 

ただ、どこか物足りない。その欠けを言語化できなくて、少しの間考え込む。

 

あ。分かった。

 

俺の欲しい色は、金だ。皆を照らして輝くような黄金が欲しい。

———それも、ソアレの髪の色のような。

 

そうすれば、きっとこの()は完成する。そんな確信があった。

 

 

心のもやもやを晴らすことができて、すっきりとした気持ちになる。

 

その時、あることに気づいた。鼓膜を揺らす馬車の揺れる音が、先ほどよりやけに明瞭なのだ。

つまり、馬車の中が静まり返っているということ。

 

疑問に思って辺りを見回すと、皆が目を丸くしてこちらを見ていた。瞬間、俺の目に飛び込んでくるソアレの美しい金髪。

 

「……………声、漏れてた?」

 

 

 

この後、俺たちの間に残っていた暗い雰囲気が消えたように思う。

ただ、本当に、めちゃくちゃ気まずかった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「あーーー、マジでやらかした…………俺あの時なんて言ったんだ?「ソアレの髪色の花が無いなぁ」って言った?まさか?俺が?…キモすぎないか、俺?」

 

 

閑静な空気で満たされた夜更けに、穏やかな破裂音を響かせる焚き火の前で、俺は名ばかりの見張り番をしていた。

というのも、ここは神都からそこまで離れていない。明日の昼頃には辿り着くことができるほどの距離であり、つまるところ此処は女神様の結界の範囲内だということだ。

 

見張り番なんて銘打っているが、ぶっちゃけると単に眠れなかったのが大きい。それも全て、さっきの失言にある。

 

おかげで馬車に乗る前の重苦しい空気が吹っ飛んでしまった気がする。…いや、それだけを考えたら良いことなんだけど!!

 

 

ふぅ、と強めのため息を吐く。今回俺が旅行を提案した目的は、彼女たちに瘴気のことを一時的にでも忘れてもらうためだ。

その目的は達成しているように思うし、それに俺自身も自分の罪から今だけは目を背けることができていた。

 

今となっては、俺はハイネのあの行動に腹を立てていない。正しくは、怒る権利を持っていない。心中(しんじゅう)を仄めかすような態度を見せてもなお、彼女は悪人になりきれない。禁呪は、俺を引き止める為の必死の行動だったのだろう。

 

俺が自分のことを過度に心配してほしくないのと同様に、きっとハイネも自分を俺の重荷にはしたくないはずだ。だから忘れよう。せめて、今だけでも。

 

こんな決意をしなければならないことが情けなかった。

 

……そんな状況であるのに、俺の失言以降の雰囲気はある意味異常だった。つい先日まで死生観で紛糾していたとは全く思えない。

 

ただ、この空気はこの空気で超キツい。態度は普通だ。でも、決定的に違うことがある。

あれから一回もソアレが目を合わせてくれないのである。どこか他の二人の目線も冷たい気がするし、気分は完全に罪人だった。

 

 

「ああああ!!」

 

寝ている仲間たちを起こさないように小声で叫ぶ。一人テントで目を閉じると(あやま)ちがフラッシュバックしてしまう。その精神的ダメージから逃れるために起きてるのに、これじゃあ結局意味が無い。

もう今は何も考えたくない。頭を抱えてうずくまる。

 

視界を塞ぐと、感覚が耳に集中していくのが分かる。よし、音に集中してこのフラッシュバックから逃れよう。

耳朶(みみたぶ)を撫でるのは、心地よい夜風の音。眠気を誘う焚き火の揺らぐ音。そして、真後ろから聞こえる小さな足音。

 

………足音?

 

勢いよく振り向いた。ばちりと目が合う。足音の主は、突然の俺の俊敏な反応に肩を跳ねさせた後、少しばつが悪そうに眉尻を下げた。

 

「あはは……なんでか、目が冴えちゃった」

 

「……こんばんは?」

 

「ふふ、なんで疑問系なの?…こんばんは、ラスタ」

 

いつもの天真爛漫な感じでも、さっきまでのぎこちない感じでもない。やけに余裕のある柔らかい態度で、ソアレはこちらへと歩いてきた。

 

 

「…隣、座るか?」

 

そう言って、腰掛けていた倒木の端に移動し、彼女が座れるスペースを作る。

するとソアレは、俺とは反対側の端に、少しだけ体重を預ける。そして何も言わずに、じっと焚き火を見つめ出した。

その視線につられて、俺も焚き火に目線が行く。

 

居心地が良いような、どこか気まずいような。言葉で表せない空気感だった。

 

「……ねぇ」

 

その沈黙の凪を、ソアレの一滴の声が揺らす。いつのまにか、彼女はこちらを見ていた。

 

「その、傷。やっぱり、痛いよね」

 

火で体が温まり、和らいでいた思考に差し込まれた一言。咄嗟に返事できないでいると、ソアレは慌てたように手を横に振る。

 

「…あっ、ごめんね!?ラスタが傷を気にされるのは嫌なのは分かってるんだけど…その。やっぱり怖くて」

 

だんだん声を尻すぼみにしながら、彼女は誤魔化すように手をいじる。

そんな彼女の姿を見て、思い至った。ソアレの胸を埋める曇天の正体。

もちろん、俺の寿命のこともあるだろう。しかし、振る舞いの上では問題なく元気な俺を見て、常にその心配をするのは難しい。

 

ソアレは、俺が辛いことが辛いんだ。

 

ソアレの優しさが胸に広がった。…それと同時に、彼女の持つ勘違いを、なんとしてでもここで解消しておきたい。

 

「意味がわからないかもしれないけど、ちょっと聞いて欲しい」

 

「…意味が?」

 

見当がつかないという表情をしている彼女に言葉を続ける。

 

「…痛くないって言うと嘘になる。でもな、端的に言うと俺、慣れたんだよ。ずっとこの状態だから、痛みがあるのが普通なんだ。だから正直、あんまり気にしたことが無いって言うか…」

 

さっと表情を曇らせた眼前の少女を見て、俺は慌てて言い繕う。

 

「そりゃあ、直接触られたら意識はするけど、服の上からなら瘴気のことを時々忘れるくらいなんだ。だからむしろガンガン触ってくれても良いくらいさ」

 

「えっ」

 

できるだけ軽い雰囲気になるよう意識しながら、自身の胸に拳を当て……ようとした瞬間、ソアレは本当に気の抜けた声を漏らした。思わず彼女の顔を見る。

その頬は、かすかに朱に染まっている。それが、炎が彼女の頬を照らしているからではないことは明らかだった。

 

……俺、今なんて言った?

もしかしなくても、「俺の体をもっと触ってくれ〜」って言った?お昼にやらかしたばっかりなのに?しかも、さっきよりも直接的な悪い意味で絶妙な言葉。

 

混乱している。ただ、自分がピンチなことだけは分かる。

 

「いや!今のは言葉の綾というか、その…」

 

言い終わらないうちに、ソアレは静かに立ち上がった。

 

終わった。

炎が逆光となって、彼女の表情は読み取れない。しかし、なんとなく能面のような無表情を浮かべているんだろうな、と予想できる。このまま彼女は、無言でテントへ戻るのだろうか。

 

明日からソアレとどう付き合っていけばいいのだろう。

そんな諦めにも似た感情を抱いて————

 

 

 

 

 

———ソアレが、ちょこん、と俺の膝の上に乗ってきた。

 

「………へ?」

 

「いいんでしょ?くっついても」

 

照れを隠すかのように語気を強めた彼女の言葉に押されて、返答もできずにただ頷く。ソアレは俺の首肯を見ると、安心したように小さく息を吐いて、これまた恐る恐ると体重を俺の胸板へと預けた。

 

まつ毛まで見えそうな距離感に、鼓動の音を自覚する。その瞬間、彼女は呟くように言葉を投げかけてくきた。

 

「ラスタ、かくしごとはよくするけど、嘘つくのは下手だもんね。…信じていいんだよね?」

 

首を傾けて、俺の肩へともたれかかる。はねる心臓の音。しかしそれは、俺だけの音ではなかった。

とっ、とっ、とっ。

細かい拍動は彼女の緊張を直に伝えてくる。

 

不思議と、その音に穏やかな心地よさを感じた。肯定のサインの代わりとして、まだ体重のかけ方が遠慮気味なソアレの背中を、自分の体(背もたれ)へと導く。

 

俺に肩を掴まれた彼女は一瞬びくりと体を跳ねさせた後、やがて溶けたように完全に俺に体重を預けた。

 

弛緩した空気と、居心地の良いような、悪いようなそわそわとした気分が同居する。不思議な感覚だった。

 

 

「……ねぇ、覚えてる?まだ、ボクたちが冒険者を始める前のこと」

 

やがて、ソアレが独り言のようにぽつりと俺に尋ねる。その言葉を聞いて、すぐに思い至った。今の光景に、俺は既視感を持っていたのだ。

 

「…ああ。思い出したよ」

 

まだ故郷の街で訓練をしていた頃に、一度だけ(おこな)った「いつもの草原」での野営もどき。

 

毎晩ソアレが訓練に使っていたその場所に俺たちは愛着を抱き、一度ここでキャンプしたいという話になったんだった。

まだ二人とも幼かったのに、快く許可をもらうことができて逆に不安になったことも覚えている。後になって、司祭様が隠れて俺たちを見守ってくれていたことを知ったが。

 

「あの時も、こうやって星を眺めたよな」

 

「うん。そのためにお昼寝して夜に眠くならないようにして、夜ご飯も早めに食べて……でも、肝心の椅子を忘れちゃって」

 

「最初は背中合わせになって見ようって言ったよな?」

 

「それを聞いて、ボクちょっと寂しかったんだ。おんなじ景色が見たかったの。…だから、ラスタが膝の上に乗せてくれた時、わかってくれたみたいですっごく嬉しかった」

 

「そりゃあ、あんな顔されたら誰だって同じことするさ。……まぁ、あの時はまだ俺も小さかったし、格好はつけられなかったけど」

 

「そんなことっ!……そんなこと、ないよ」

 

「…………そうか?」

 

 

 

夜空を見上げる。

この世界にも月はあるようで、今はちょうど真南の辺りに、七分ほど満ちた輝きが浮かんでいる。

 

周りの星々をかき消して、月は悠然と輝いていた。

 

 

「…ボク、月が好き。主役みたいに夜空で一番輝いてるのに、そっとボクにも寄り添ってくれる」

 

少しだけ早口で語る彼女に微笑ましい気持ちになる。きっと今ソアレの瞳には、優しく光る月のきらめきが映っているに違いない。

 

「そういうところは、昔から変わってないんだな」

 

「ううん、変わったんだよ?」

 

今度は僅かに声色が不満気になる。その起伏の原因が分からなくて一瞬思考が止まった。

そんな俺の様子には気付かずに、ソアレはゆっくりと話を続ける。

 

「もう初めて会った時から、七年くらい経ったよね。やりたいことはいっぱいあるのに、なんにも出来なかったボクの手を引いてくれて。…ボクが頑張ったら、誰よりも褒めてくれて。……ボクが、何かに成功したら、誰よりも喜んで…くれて」

 

「……」

 

「お兄ちゃんができたみたいだった」

 

兄のよう。

今まで度々ソアレを妹のように感じてきた。だからこそ、彼女も同じように思ってくれていたと分かると、胸に暖かい気持ちが広がって———

 

「でもね」

 

 

 

「…ボクは……兄妹、じゃ……な……………くぅ

 

突然、俺の膝の上からずり落ちそうになるソアレ。

慌てて体を支えて彼女に呼びかけると、聞こえてきたのは規則正しい呼吸音。

 

「…………寝た?」

 

完全に落ちている。ソアレの顔からは安心の感情が読み取れて、ここ最近で一番リラックスできているように見えた。

 

今の会話が彼女の肩の力を抜いてくれたのだろうか。

そうだったらいいな、と思った。

 

ほっと息をついて、起こさないように慎重にソアレを抱き上げる。そしてハイネとキキョウを起こさないように、慎重にソアレをテントの中へと寝かせた。

 

「ふぅ」

 

再び一人になって、一息ついた。もう一度夜空を見上げると、月に雲がかかっている。さっきより暗くなった空には、月の輝きに掻き消されていた星が、満を持して優しい光を放っていた。

 

 

女神様から貰った力。これは月の光だ。世界を明るくする代償に、かけがえのない星々の灯を照らし潰す。

 

その眩しさばかりに注視して、思い出の欠片を忘れてしまっていたようだ。

 

 

胸の中でこんがらがっていた気持ちの交錯が解けていく。今だけは、まるで悩みなんて微塵も存在しないかのように安らかな気分。これなら俺も眠れそうだ。

 

もう火は消してもいいだろう。

未だゆらゆらと陽炎を見せる焚き火の前へと歩み寄る。さっきから何度も見ている光景なのに、また火の揺らぎに意識が集中してしまう。

 

 

「死にたくないな」

 

 

その時。火に目を奪われながら、本当につっかえなく、当然のように漏れ出た。

最初は自分が何を言ったのかさえも気付かなかった。

それくらいに、考えを巡らす暇もなくこぼれ出た。自分の言葉にひどく驚く。

 

仲間のためだけじゃない。素直に、死ぬのは嫌だと思った。

今の心の形を形容することができなくて。そして、もう少しこの感情に触れるべきだと感じて。

俺はその場で動きを止める。

 

一際大きく薪の欠片が弾けて、ぶわっ、と火の粉が舞い上がった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

ずっと後悔している。

過去の自分に激しく腹を立てている。

 

何故。どうして。

 

 

 

 

「馬車で二日の距離を、徒歩でいけると思っちゃったんだろ………」

 

子供用の短い杖をつきながら、女神フィオーレはやっとの思いで目的地へと辿り着いた。

 

 

完全に失敗した。神界では距離の概念が曖昧だから、長々と歩くことがこんなに大変なことをすっかり失念していた。

 

地上と神界への橋渡しとなっている、神都フロースの大聖堂からノンストップで七日半。やっとラスタが本拠地としている街へと辿り着くことができた。

 

辺りはすっかり暗くなり、もはや深夜といってもいいくらいの時間帯である。しかしまだ明かりの灯っている建物がぽつぽつと見えて、フィオーレは安堵を漏らすかのように息を吐く。

 

また元気が湧いてきたのか、灯りの元へと走る彼女の足取りは軽やかになっていた。

 

 

 

 

木製の丈夫な扉を開ける。中は静かで、受付のカウンターで一人の女性が船を漕いでいる以外に人は見当たらない。

 

彼女の前に歩み寄って背伸びをし、その女性に話しかけた。

 

 

「ねぇ、そこの貴女。一つ聞いてもいい?」

 

声を聞くや否や、受付の女性はびくっと肩を跳ねさせて、慌てて眼を擦ってこちらに視線を送る。

 

「はっ!すみませ……え?」

 

女性はフィオーレの姿を見て言葉を止める。途端に女性は怪訝な顔を浮かべた。

無理もない。彼女の容貌は、今のような深夜に冒険者ギルドへ訪れるのにあまりに不相応だ。

 

その懐疑の視線にも気付かずに、フィオーレは眼前の受付嬢に言葉を続ける。

 

「この街にラスタって子がいると思うんだけど」

 

「へ?ラスタさんですか?」

 

こくりと頷くと、女性は少し自慢気に胸を張って答える。

 

「えぇ、彼の拠点はこの街です。ラスタさん…というか、彼が所属しているパーティはうちのギルドの顔と言ってもいいくらいですね!」

 

「っ!ほんとっ!?……よかったぁ。方角間違えてたら、どうしようかと思った…

 

目を輝かせて、胸を撫で下ろして。忙しなく感情を表現した後、彼女は一番聞きたい質問をする。

 

「それでっ、ラスタはどこにいるの?」

 

「今は神都の方へ旅行に行ってます」

 

「え」

 

その場で石像のように固まる。つい先ほどまで笑顔を浮かべていた顔がみるみる青くなる。

神都。女神教の聖地。フィオーレが地上へ降り立つ時に、天界と地上の扉となる地。……そして、つい七日ほど前に彼女が発った場所。

 

「…………もし、かして」

 

嘘であってくれと希うように、彼女は虚しく呟いた。

 

「入れ違い?」

 

お手本のようにその場に崩れ落ちる。この後、不審感を取り戻した受付嬢の通報により補導されてしまうことを、彼女はまだ知らない。

 

 

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