――鱗を持たない竜、毒龍将。
奴の身体は日の光に焦がされるほど弱く、立派な両翼にはリリウムに空けられた穴が残ったままだ。そんな姿に、奴とは似ても似つかないであろうはずの先代竜王の姿が重なった。
『――よくぞここまでたどり着いた、ホワイトクラウンの奴隷勇者よ』
竜王もまた、鱗を持たない竜人族であった。
『ああ、私の身体は竜には成れぬ不出来な物でね――遍く全てを嚙み砕く牙も無ければ、立ちはだかる有象無象を切り裂く爪も無い。恥ずかしいことに、空だって飛べない』
どころか、竜人族の武器である爪牙も、空の王者たる翼さえ無かった。竜王の肩書さえなければ、ただの人にしか見えない――それが、俺が抱いた第一印象だ。
『それでも私はこの冠を戴いた。先代の竜王をこの手で殺して』
だが奴は、そんな
『極致へと至ったのだよ』
神槍――と奴は呼んだ。槍のような形をしているのは分かるが、輪郭のぼやけた光の塊にしか見えない奴の獲物。魔力の奔流を無理矢理制御するんだ、と言っていたが、そんな芸当が可能な魔法使いは、この世界広しと言えど一人もいないはずだった。
『そうさな。私のこれは生涯を賭けて編み出した、いわば私そのものの結晶だ。時間にも魔力にも恵まれていたのが追い風だったのだろう。だけれど、言ってしまえば、才ある者にとって、時間さえあれば辿り着くことのできる場所だ』
そうではないものが――と、俺の右手を指さす。
『貴君のソレは理外に位置するものだ。誰かが犠牲にする、時間や、人や、物――そういった物無しに、私の喉元まで食らいつけるほどの力を齎した』
哀れなものを見るかのような目が、脳裏にこびりついていた。
『――果たしてそうであろうか? 犠牲など無しに、貴君は英雄に至ったのだろうか? ああ、貴君からは一体、何が失われているのであろうな』
「――俺に敵うわけがねぇんだよ雑魚どもがァ! 全員まとめて消し炭になりやがれ――ッ!!」
降り注ぐ雷の量は時間を追うごとに増えていき、轟音がすべての音をかき消していく。音だけじゃない、轟雷は岩肌を焦がすだけではなく、破砕する衝撃力も持ち合わせている。直撃すればただじゃ済まないのはこの場の誰もが肌で理解していた。
「ッ、あいつの死体の鎧は魔力で無理矢理纏わせていた鎧だ! 今の毒龍将に、でけえ魔法を連発できるほどの魔力は無いはず!」
リリウムが叫び、全員が気を取り直す。そうだ、雰囲気は変わり、話には無かった魔法の嵐で忘れそうだったが、奴にはもう鎧が無い!
誰よりも先にリリウムが攻撃を仕掛けようとするが、それが毒龍将の反感を買ってしまう。再びの轟雷で視界が閃光に染まったその瞬間、奴は真っすぐリリウムへ食いかかってきた。させるか!
「ぐぅぅ――ッ!?」
「あァ!? んだオイオイオイ!? よえぇぇえじゃねえか、赤錆ィィイ!!」
クッソ、竜人族は本当に馬鹿力しかいねえな!
グラディウスで奴の爪を止めるが、単純な質量差で徐々に押し込まれていく。しかもそれだけじゃない、
「なんだなんだ腑抜けやがってよォ!! 6年前はこんな奴に負けたのか俺たちはァ!! ふざけてんじゃねぇ、テメェは俺の超えるべき敵だァァァアアアアア!!」
爪牙の猛攻に、全方位から向けられる奴の魔法。そのどれもが即死級ときたもんだ。物理的な攻撃だったらいくらでも対処は出来るが――魔法となるとそうはいかない。俺なんか簡単にくたばっちまうんだよ!
「ロータス! ――《土壁》!!」
「――ッ!」
リリウムが投げたナイフから土の柱が飛び出し、俺を食い殺そうとしていた毒龍将が横に避ける。背後の魔法群に対しては土の壁が飛び出し、俺を守ってくれた。雷の槍が、氷の槍が、炎の槍が――なんでもござれだな、ホント!
クインスとカメリアもこの機を逃すまいと、雷を避けながら毒龍将に肉薄する。
「あめぇんだよカス共がァ!! んなもん通用するわけねえんだよ!!」
だが奴も鎧を無くしたことで身軽になったのか、尻尾を使って無理矢理体勢を整え、逆に反撃しようとし――背後に回っていたロサの一撃を後ろの左足に食らう。
「ガ――」
バランスを崩したまま、2人の刃を受ける。クインスのロングソードは辛うじて防いだものの、カメリアの攻撃は防御をすり抜け奴の右目を奪った。
「ガァァアアアアア!! クソ、クソったれ、この半端物がァ、うざったいんだよォ!!」
無造作に暴れ、大地を抉る。降りぬいた手からは、身の丈ほどの氷の結晶が生み出され、それはここら一帯の温度を奪い始め――
「――《焦熱》」
リリウムによって打ち消される。
毒龍将の傷は深い。ロサによって殴打された部分は遠目で分かるほど腫れあがっており、右目からは大量の血液と何かの液体が垂れ流しになっていた。
……6年前は竜人兵にすら苦戦しそうなほど頼りなかったのに。あの頃の俺には信じられない光景だろう、彼らが竜王を倒そうとしているなんて――それが夢物語ではないなんて!
「――大丈夫。僕たちの攻撃は通ってる」
「焦らないで。彼の脅威は接近戦だけじゃないわよ」
「どんな相手でも油断はしない――ロータスから教わったことだ!」
「……それはただの皮肉だったんだがな」
聞こえてないか。
ああ、なんか行けそう! で格上にケンカを売って泣いてたあいつらが懐かしい。
自信満々で出ていったあいつらが死んだ顔して帰ってきたのが懐かしい。
油断はしないって普通の冒険者は分かるもんなんだぞ、って皮肉交じりに嘲笑ってやったものだ。
クインス――言うだけのことはある。
基本的に他を活かす動きをして、それでいて的確にダメージを与えていく、堅実な戦い方だ。
カメリアも、長年前衛でバディを組んできたからなのか、合わせる動きに無駄がない。それでいて、竜人族のスペックを余すことなく使いこなせている。
ロサはここぞというときに隙を作るのが上手い、戦場で気配を消せるのは間違いなく天賦の才だ。
「――」
毒龍将は見るからに辛そうだった。立っているのもやっととでも言うかのように身体を震わせ、左目だけでカメリアを睨みつける。それでも――命乞いの色はもう見えない。殺意だけで射殺さんとするその視線は、ここで王を決する覚悟の表れだ。
「――6年前、貴様らを殺しておくべきだった」
気づけば雷の轟音は聞こえなくなっていた。リリウムの言う通り、奴の魔力は、あの死体の鎧を維持していたせいでそれほど余裕があるわけではなかったのだ。毒龍将は歯を食いしばって空を見上げるが、曇天が広がるばかりで、稲光すらもう見えない。
「この醜い身体を覆い隠すための鎧が――ここに来て俺に牙を剥くのか」
身体は傷だらけだった。俺たちが与えた傷じゃない。日光や、砂塵や、あるいは雨に――ただの自然現象に、奴の身体は耐えられていなかった。
「ようやく……自分の願いを知ることができたのに」
万全なら――とは考えたくなかった。奴は翼を失い、俺たちと同じ土俵で戦うことを強いられた。もし奴が飛べていたら、魔力が十分だったら――竜人族が空の王者とも呼ばれる本当の意味を、思い知ることになっていただろう。奴が本気になる前に翼が貫かれた時点で、勝敗は決まっていたのだ。
「――」
再び視線はカメリアへと向けられる。殺意が込められた視線――ただ、複雑な感情が見て取れた。彼女もまた、完全な竜とは言えない。それに対し彼が何を思っているのかは分からなかった。
「カメリア・サザンカ」
「……何」
「一騎打ちを申し込む」
何を言うかと思いきや、毒龍将は今更そんなことを言い出した。
「…………」
「…………」
しかし、カメリアはそんな申し入れを切り捨てることはせず、毒龍将を見つめた。毒龍将もまた、そんなカメリアを見つめ返す。
「理由は」
「……お前は、先代竜王によく似ている」
毒龍将は顔を上げ、俺たちを見下ろす。傷だらけの身体は、それでも神々しく見えた。
「先代竜王を殺しても、俺の心は満たされなかった。当たり前だ、俺はただ、誰よりも強くありたかった。父上のように――だが奴は死に体だった。お前たちとの決闘を経てな」
「……」
「腕を無くそうが、目が見えなかろうが、あの男が負けるわけはない。竜姫、お前はあの時確かに、奴を超えていた」
すでに翼の先は崩れそうになっていた。
「もう一度だ。俺は奴と戦いたい。父上を超えた男に、最強を証明したい」
カメリアは一歩、大きく踏み出した。隣のクインスとロサを手で制して、告げる。
「……受けて立つわ」
「…………完膚なきまでに叩き潰して、殺してやる」
それを受けて、毒龍将の瞳は殺意に染まった。
クインスたちはカメリアに任せるつもりらしい。いくら傷だらけと言っても、相手はあの五龍将だぞ――とも思ったが。
「――信じて、ロータス」
彼女はそんな風に、力強く笑った。
『――ロータス!!』
竜王との戦いは熾烈を極めた。
こちらが負傷しすぎたのもあるのだろうが、それだけではない。卓越した戦闘のセンスは、スペックでゴリ押す俺の戦闘スタイルとは相性が悪いのだ。大分無理した俺の動きについてこられると、途端に厳しくなる。何より奴の持つ神槍――あれが強すぎる。グラディウスでも太刀打ちが出来ない。
カメリアが助けに来た時には、すでに俺は竜王の間の床に倒れていた。毒が回ったのか、血が足りないのか、頭が上手く動かせない。流れ続ける血は、すでに視界の外まで歩を進めていた。
『やだ、やだ、死なないで、いやぁ……! ロータス……っ!』
彼女は対峙している竜王には目もくれず、俺を助け起こそうとした。
『退け、カメリア――決闘の敗者は生かしてはおかない。その男はここで殺す』
『な、なんで、お父様! ま、待って、ダメ! 殺しちゃダメ!』
だが奴は娘の言葉を意に介さず、こちらに歩み寄ってくる。片手にはあの神槍が握られていて、朦朧とした意識の中でも、死の気配を濃密に感じ取ることができた。
『おわる、のか、俺は』
『え? ろ、ロータス?』
『だ、めだ、……殺さなければ、平和は、訪れない……俺が止まれば、死が、無駄に……』
『た、立とうとしちゃ、ダメ……』
『死ね、竜王……お前は、ここで……』
『……例え世界に平和が訪れたところで、貴君に救いは無いだろうに』
カメリアが俺の傍で膝をつく。綺麗な足が、俺なんかの血で汚れてしまうのを、ぼうっと見ていた。
『どうして……? どうしてそんなになってまで、戦うの……? どうして、一人で、戦うの……?』
『……? ……罪人は、俺だけでいい』
『――』
『お前らが、ちゃんと笑えるように……裁かれるのは、俺一人で良い』
裏切らせるような真似はしたくなかった。彼女は竜人族に疎まれていたわけではなく、父親と仲が悪いわけではなかった。ただ完全な竜変化が出来ないことを負い目に感じている、よくいる女の子でしかなかったのだ。
『……誰かのため、誰かのせい、そんな理由がある殺しが罪であるものか。さもなくば、貴君は自国で英雄などとは呼ばれまい』
俺の眼前に、死が突きつけられる。
『貴君は勇敢に戦い、そして見事に散っていった。少なくとも私は、貴君のことを生涯忘れないだろう。誰かが貴君に石を投げるなら、私はそれを許さない。誇りに思い、そして死んでいけ』
だが――
『……それは何の真似だ、カメリア』
彼女は俺を庇った。竜王相手に、まだまだ腕っぷしの弱いカメリアが。
『ロータスは、わ、私の、大事な仲間……それを、見殺しにできるわけ、ない……っ!』
『……』
『ずっとずっと戦ってきたロータスが……こんな顔で死んでいいわけ、ない! 誰よりも幸せにならなきゃ、そんなの、あんまりでしょ!?』
そうして槍は俺の前から遠ざかる。聞こえてきた笑い声は、竜王の物だった。
『仲間か、そうか。で、あるならば――決闘を続けるとしようか』
『え――?』
『持ちうる物を全て使ってこその決闘だろう? ……ククク、血だろうな、お前もまた、誰かのために竜王に歯向かうのだから』
竜王は有無を言わせず、即座にカメリアを殺しにかかった。
俺はただ、それを見ていることしかできなかった。身体が動かなかった。どこかで終わりを望んでいた。
『――覚悟を示せよカメリア! お前の望みには私が邪魔なのだろう! 今ここに――私の生涯を超えて見せろ!!』
ほとんど一方的に見えた。時折思っていた。カメリアの戦い方――竜変化して、魔法の刃を召喚するというもの。
これはきっと、父親の戦法を真似ているんだと。だが竜王のそれは、竜変化が全くできないが故に生み出された戦い方だ。見よう見まねで、しかも中途半端ながら竜変化が出来てしまうカメリアとでは、差は歴然。
『それともお前は! ここに至って恐れているのか! 私を殺すことを、竜王に至ることを!』
だけれど、なんとか、なんとか神槍の餌食にならずに済んでいた。その避け方は、ああ、間違いなく俺が教えてやったものだった。
『ならば――私は殺すぞ』
しかし、時間を使えば使うほど、カメリアのスタミナ切れがやってくる。少なくとも、一発貰えば死ぬなんて状況、彼女にとっては初めてのはずなのだ。
それでも彼女は、
『させない』
ただ、俺のために戦っていた。
実の肉親相手に、俺なんかを助けるためだけに――
『――させないッ!!』
「――」
毒龍将は胸を貫かれていた。
カメリアの腕に。あの爪に纏う光は、間違いなく先代竜王の神槍と同じ光だった。あの日と同じ、終わり方だった。
「言い残すことはある?」
その言葉に、毒龍将は笑い――
「呪って、やる……次の竜王は、お前だ」
「……全部、引き受けるわ」
カメリアに心臓を握りつぶされ、息絶えた。