カメリアの涙は見たくなかった。
どうしても、昔のことを思い出してしまうから。
『――おい、なんでいつまでも俺についてくる! ああクソ、変なガキに懐かれるし、最悪だ!』
『ガキじゃなくてロサ! それでこっちはクインスで、姫!』
『カメリア!』
『知るか! ……は? 名乗らないからな、俺は!』
声が聞こえてくるような気がする。目を閉じれば、あの時の感覚を鮮明に思い出せる。
カメリアは今よりもずっとずっとツンツンしていて、ロサは子供っぽくて、クインスも今ほどしっかりした人間ではなかったな。
『――何度言えばわかるんだ!? お前らが金等級まで上がれたのは偶然! 身の丈に合わない名声だ! だから魔獣討伐の依頼は避けろって、言ったよな俺は!?』
『う、うぅぅ、こ、今回は大丈夫って思ったのよ……』
『アホか! 俺がいなけりゃお前ら全員丸のみだぞ!? ……チッ、いいか、お前は一人で突っ走りすぎだ! 力の使い方もなっちゃいないし、邪魔になってる! そしてロサ! お前はその馬鹿力が武器なんだから、ナイフなんてひょっろい武器じゃなくて大槌使え! クインスは……まあいい!』
『なんで!』
竜王殺しの命を受けて、ドラゴンフォートまでやってきた。そこでなぜかは知らんが、ひよっこ冒険者パーティの世話を見ることにもなったんだ。
戦争中になにを呑気な……と思うが、これには理由がある。まずこいつらは目を離すと死ぬなと、当時の俺ですら引き気味に思ったから。それに、ドラゴンフォートは竜人族との戦争の要衝などと呼ばれていたが――この地帯には小競り合いすら発生していなかったんだ。だから冒険者なんてのも普通にいて、生活できる余裕もあった。
竜人族の――というより、竜王という存在の性というべきか。彼らは傲慢であることを美徳とし、油断を厭わない。故に、宣戦布告をされても自分からは動かなかった。あくまで挑戦を受ける側、という認識であったのだろう。
だから、戦争は、この竜人族との戦いが最後の舞台となった。
『――俺は殺すぞ、お前の父親を。戦争を終わらせるために』
『……』
『止めるなら、お前も――ホワイトクラウンの、敵だ』
ドラゴンフォートからずっと進んでいくと、岩肌の霊峰が見える。名を、竜王山。それはそのまま、竜王の居城であり、竜人族の住まう、彼らの国そのものであった。
直接目にして、確かに竜人族が傲慢な種族であることが分かった。誰も彼もがナチュラルに人間を見下し、隙を隠さない。……ただそれも、最初のうちだけだったな。
『――立ちふさがるなよ。俺の目的は竜王の命だけだ』
『ハッ、ハエにたかられて何も感じないようでは、世の最高種が聞いて呆れる! 赤錆が――ここで死ぬがいい!』
油断のない竜人族――寒気がするような単語だ。本当に、楽な戦いではなかった。
竜王の直属の配下、『五龍将』。それに、竜王を守る竜人兵が三千近く。彼らの使う竜変化はカメリアのように中途半端なものではなく、人の形を捨て、完全な竜へと姿を変える。能力は折り紙付きだ。
『化け物が――』
五龍将が一人、炎龍将はその首を切り落とされる寸前、消えぬ炎を俺に灯した。
『永遠に呪われろ――』
五龍将が一人、氷龍将は心臓が爆ぜるその瞬間、俺の脇腹を凍り付かせ、砕いた。
『竜王、様――』
五龍将が一人、光龍将は逆鱗を貫かれながらも、光の槍によって俺の左腕を消し炭にした。
『お前に勝ち目はない――』
五龍将が一人、闇龍将は自らの死と引き換えに、俺の左目から光を奪った。
『死にたく、ない――』
五龍将が一人、毒龍将は大量の血を流しながら地底湖に落ちるその直前、俺に猛毒の牙を突き立てた。
一人だった。仲間は誰もいなかった。それでも俺は、竜王以外のすべてをこの手で殺害した。
無傷じゃない。あれほどのケガを被ったのは、最初で最後のはずだ。そして俺は、国のために、竜王へと挑んだんだ。
平和を願っていたのは本当だったが、心のどこかでは、死ぬことすら望んでいたのかもしれない。きっと死ぬのだろう、と。
ああ、俺はもう少しで死ぬところだった。身体はどこもかしこも痛かったし、頭が狂いそうなのをずっと我慢していたけど、終わりが訪れるんだと思うと、それももう愛おしくすらあった。
『――ロータス!!』
彼女が――カメリアが俺を助けに来るまでは。
竜王は左腕を無くし、片目が潰れていた。それでもまだまだ戦えただろうに、俺がその場から逃げおおせることができたのは、カメリアが俺を連れ出せたのは、彼女が父親を殺したからだ。
『俺なんかの、ために――』
『そんな言葉が聞きたくて、助けたんじゃない!!』
今でも思い出す。
そうだ。
カメリアの涙。
彼女はずっと。
俺のために泣いていた。
翌朝になっても、カメリアは落ち着きを取り戻すことは無かった。
どうしても寝付けなかったみたいで、俺の腕にしがみついてひたすら震えていた。リリウムも朝まで付き合わせてしまったのは、申し訳なかったな。
とにかく、カメリアをクインスたちのもとへ送り届けなければいけない。昨日のうちに聞いていた宿の場所に向かう。
その間、ずっとカメリアがくっついていて衆目を集めていたのは言うまでもない。
「――おはよう、ロータス!!」
「うお」
宿の前にはロサが仁王立ちして待っていた。相変わらず大槌がよく目立つ。
風が吹くと、特徴的なツインテールが揺れた。兄譲りの金色の瞳を見つめると、目元が真っ赤になっているのに気が付く。
泣いていたのか。隈も見える。眠れていないのかもしれない。だけどそれを感じさせないような、力強い笑みを浮かべていた。
「待ってたぞ。約束、守ってくれて……よかった」
「……ああ。おはよう」
「おはよ、ロサちゃん」
「うむ、リリ姫もおはよう!」
ロサの視線はカメリアに向けられる。
昨日までの活気は一切見受けられず、顔を俯かせたままだった。意を決したように、ロサが俺を見据える。
「ロサは決めたぞ。夜の間、ずっとずっとロータスのことを考えてな」
こちらは対照的な――覇気にあふれた目をしていた。
「お前は絶対に死なせない! ロサが、クインスが……姫が! お前を死なせることなど絶対にさせない!」
ふんすふんすと鼻息が聞こえてきそうなほどだ。
「考えても見れば、ロサは誰かが死ぬことそのものより、その誰かのために動けなかったことが悲しかった! もちろん、ロータスが死んでしまったら吐くほど辛いし、ずっとずっと引きずると思う! 聖女に泣かれたと聞いて、頭が真っ白になったんだぞ!」
「……」
「でも、じゃあ、もし死んでしまうとしても! 今ロータスは生きているのに、ロサたちは何を悲しむ? おかしな話だ、今そこに立っているというのに、死に別れの涙を流すなど!」
「ロサ……」
「ロサは、この6年間、ずっとロータスに会いたかった! 昔みたいにちょっかいかけたり、それで怒られてデコピンされたり、たまにがんばったら、誰も見てないところで頭撫でてくれたり! そういうの、ずっとずっとしてもらいたかった!」
おずおずと彼女は俺に近づいてくる。それを拒むことなく受け入れると、ロサはひしと抱き着いてきた。
「だったら今! お前が生きている限り、ロサはお前としたいことをする!」
「――」
「明日に怯えて今日を生きて――それが最後なら、どれだけ悲しいか! ロサは今日を大事に生きてやる! それで、死が運命などと言うなら、必死に抗ってやる! ロサは、みんなに置いてかれないよう、強くなったんだから!」
それは、彼女の死生観。幼少期から親しい人間の死を数多く経験してきた彼女の答え。
「だからお前も……死を受け入れようとは、するな」
「っ!」
「兄様は気づいてた……お前が、死に魅入られつつあることに」
……そうか。クインスにはお見通しだったか。
まあ、納得は出来るかな。もともと人を見る目があって、見た目よりも賢いあいつのことだ。他人のことが大好きなあいつが、人の機微に疎いわけが無かったんだ。
「ロサは、ロサは――まだこんなちんちくりんだがな。将来はナイスバディで、お前好みの女になる」
「なんだ、それ」
「死んだら、それも見れなくなるってことだ。どうだ、生きたくなっただろう?」
ロサは白い歯を見せて笑った。昔の面影を感じさせる笑顔だった。
あの子が、こんなにも――本当に、6年って年月は長いんだと思わされる。その小さな頭をなでてやると、ロサは目を閉じてその感触を楽しんでいた。
そして。
俺から離れると、
「だから――お前も!!」
「――きゃぁぁあ!?」
カメリアのお尻を思いっきりたたいた。ロサの馬鹿力で、思わず石畳の上に倒れ込む。
往来に肉が叩かれる音と悲鳴が響き、何事かと人が集まりだした。
「いつまでメソメソしてるんだ! そうやって腐って、ロータスの死を受け入れて、それがお前のやりたいことか!」
「で、でも」
「でもじゃない! お前は、強くなったじゃないか! ほかの誰でもない、ロサがそれを見ていたんだ! ……姫は、姫が思ってるほど、弱くない! 何のために強くなったのか、思い出せ!!」
『ダインスレイヴ』の話は、隣町のオータムウィートでも聞き及んでいた。
どれだけ脅威的な魔獣であっても、あの手この手を使って倒してきたと。今この国で最も伝説に近い冒険者たちであると。
「し、死んでほしくない! 生きていてほしいよ、ずっと!」
「うむ、そうだ! 聖女が何だ! こっちは白金等級のダインスレイヴだぞ!」
「うわあぶねえ! 馬鹿こんなとこで武器振り回すな!」
集まっていた人だかりが蜘蛛の子を散らしたように消えていく。
「後悔したくないんだろう! 自分の無力感に打ちひしがれていたのは姫だろ! 今がどれだけ大切か、知らないわけじゃないだろ……!」
「……うっ、うぅ」
「やりたいこと、いっぱいあったんだろう……!」
石畳に涙が零れ落ちる。
「……い、いっぱい、料理がおいしいお店を覚えた。だから、ロータスと一緒に行きたかった。郊外には綺麗なお花畑があって、ロータスと並んで歩けたらなって思った。たまにくる宝石商が持ってる綺麗な宝石、それをロータスからプレゼントされたい、なんて思ったりもした。それから、それから――」
彼女はいくつも夢を語った。俺がいることも分かっているだろうに、こんな人通りの多い場所だっていうのに、それでも言葉は止まらない。
「今どきの若者に人気なデートスポットだって調べた。男性受けの良いファッションも調べて、でも翼と尻尾が邪魔で着飾れなくて悲しくなって、でも「そのままのお前がいい」ってロータスに言われたいなって別の欲求が出てきちゃって。ああ、でもロータスならありのままの私を受け入れてくれたりするんだろうな、って思って――」
涙は止まっていた。
「なのに、死ぬなんて、死ぬなんて――」
徐々にだが、いつも通りのカメリアが戻りだす。
「…………許せない」
そうして立ち上がった時、カメリアの瞳には光が宿っていた。
「そうね、私は、ずっとずっと、ロータスのために強くなってきた。聖女が泣いた? ふざけんじゃないわよ、私の方が何倍もあいつに泣かされてるのよ……!」
「……え、あの、カメリアさん?」
「ロータス!」
「あ、はい!」
鋭い眼光に射竦められ、思わず敬語が出てしまう。
「あなたには死んでほしくない! 絶対に、ぜーーーーったいに、長生きしていてほしいって思う! だから決めたわ、私だって、あなたのことを守る! 私の強さは、仲間が認めてくれたから!」
「……カメリア」
「ただ!」
まだまだ涙目で、隈はひどくて、顔は青くて、それでも、いつものような、ツンツンした表情を俺に向けて。
「「俺がいなくなっても」って言ったこと、絶対忘れてやらないから!! 誓う! 二度と、二度と!! そんなことは言わせない!! 私みたいな大きな魚、絶対に離したくないって、あなたに思わせてやる!! 生きたいって、叫ばせてやる!!」
「その意気だぁ! 姫ぇ!! アハハハハハハ!!」
「ちょ、な、お前ら……」
カメリアは肩で息をし、ロサは堪えきれんとばかりに腹を抱えて爆笑していた。
ロサ――ロサ、お前、どんだけすげえんだよ。お前、一番強くなってるよ。俺が言うのもあれかもしれないけどさ、お前、めちゃくちゃかっこいいよ。
本当に。本当に、俺でも――生きてもいいのかと、思えてくる。生きたいと願うことが許されるんじゃないかって気がしてくる。それで、思わず俺も笑みを零してしまう。
「…………っ」
そんな俺の小指を、誰かがつかんだ。
リリウムだった。
「オレだって、お前の、生きる理由になりたい」
「……」
「あんな言葉、二度とオレの前で使わないでくれ」
まったく、俺は。得難いものを、なんだって? こんな顔させるのが本望だとでも?
ふざけてる。
「ごめんな」
「……いいよ。オレとお前の仲だもん」
ロサとカメリアに向き直る。
「お前たちも、ごめんな」
「ふん。もう気にしてないわ!」
「同じく!」
4人して、顔を合わせると、また吹き出した。
ああ、そうだ。これだ。この空気が味わいたくて、会いに来たんだ。死んだときのことなど、考える方が失礼だろう。
「――おや、僕が顔を出す前に万事解決となってしまったようだね!」
「お、遅いぞクイン――えぇ?」
宿の中から顔を出したクインスだったが、その頬にはもみじ状の赤い腫れがあった。
「アッハッハ! 愛する妹からの景気づけがあってね! 強烈だったよ!」
……本当、成長しすぎじゃありませんかね、ロサさん。