治癒を騙って仲間の呪いの肩代わりしてたのがバレた


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作:甘朔八夏
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7.贖罪


 

 

予想外の来訪に、俺は黙ったままキキョウを凝視していた。反応を返さない俺を、彼女もまた見上げている。やがて、彼女は少し遠慮気味に言った。

 

「入ってもいいですか?」

 

「……あぁ、すまん。どうぞ」

 

はっと我に返る。

慌てて扉を引いて、キキョウを招き入れた。彼女は俺にぺこり、と小さく礼をした後、小股で部屋に入ってくる。

 

そのまま丸机(テーブル)まで歩き、彼女はワインの瓶を置いた。丁寧な動作で二脚の椅子を丸机の側まで運んでくると、まだ扉の前から動かない俺に視線を向ける。

 

「ほら、座って下さい」

 

自分も腰を落ち着けながら、椅子の座席の部分をぽんぽん、と叩いて俺を呼んだ。彼女の普段通りの態度が、今の俺にとっては違和感しかなかった。

 

 

 

 

 

 

キキョウと二人で酒を飲むこと自体は、特段珍しいことではない。ソアレは酒に弱い上に子供舌だし、ハイネは驚くほど下戸だから。

必然的に晩酌を楽しむとなれば、俺とキキョウの二人になるのだ。

 

友人の冒険者の痴話喧嘩とか、どこの店のお酒が一番水割りの比率が高いか、とか。

ジャンルは問わない。食事中の雑談にもあがらないようなくだらない話は、いつも二人で消化する。ほろ酔いになって、取るに足らない話で大いに盛り上がるのが俺たちの定番なのだ。

 

 

 

 

 

そんな楽しい思い出も、全ては過去の話である。直近の彼女との記憶は最悪なものに近い。だからこそ、いつも通りの晩酌の始まりに異常を感じずにはいられなかった。

 

とはいえ、彼女の申し出を断る理由は無い。キキョウに促されるままに椅子へと座る。こぢんまりとした円卓の向かいにいる、キキョウの姿を視界に入れた。

目が合う。すると彼女は俺の顔を見て苦笑を漏らした後、こちらに手を伸ばしてきた。

 

「表情、固いですよ」

 

伸びてきた手が俺の両頬をつまむ。そのままキキョウは俺の表情をほぐすように頬を揉み始めた。

こんなにふざけた行動(じゃれあい)をしているのに、キキョウの表情にも固さが見える。

 

彼女の隠しきれていない不安の正体はすぐに分かった。キキョウが俺に手を伸ばしたその体勢が、今朝に俺の両手を包もうとした時————つまり、俺が手を振り払ってしまった時と酷似していたから。

 

不安げに眉を少し下げながら、躊躇いがちに俺の頬に触れる彼女の手。もう間違えない。その手を振り払う事なく、俺は目を閉じておとなしく頬を差し出した。

 

その瞬間、目の前から「…ぷっ」と、吹き出す音が聞こえた。

 

「ふふ…むしろ、さっきより真剣な顔になってます」

 

「…マジで?」

 

「まじですよ」

 

目を開けると、手を口元に当てて小さく笑うキキョウの姿。彼女は俺の視線に気づくと、少しの間目を泳がせて、何かを誤魔化すように小さく咳払いをした。その後すぐに俺から目を離し、慣れた手つきで葡萄酒の瓶を開ける。

 

液体がグラスに注がれる音だけが部屋にこだまする。

その沈黙を嫌うかのように、キキョウはゆっくりと口を開いた。

 

「……今朝は、すみませんでした。私、動揺してしまって」

 

薄い唇から零れたのは、謝罪。その言葉に思わず立ち上がった。

 

「ッ!! 違う、悪いのは俺なんだ!……頭がいっぱいいっぱいで、キキョウの気持ちも考えずに誤魔化すだけ誤魔化して……最低だな、俺」

 

自分の行動を振り返って、自分で落ち込んだ。キキョウだけじゃなく、ソアレもそうだ。傷つけるだけ傷つけて、結局謝罪すら出来ていない。

ハイネは……まだよく分からない。でもきっと、彼女も負の感情を抱いている。

 

 

沈んだ気持ちと一緒に頭も項垂れさせた。すると、俯いた俺の視界の端からワイングラスが滑り込んでくる。

 

「ラスタは、私たち()()にいつも通り笑っていて欲しいんですね」

 

「!」

 

図星を突かれた発言に、思わず顔を跳ね上げた。キキョウはそんな俺を、少し困ったように見ていた。

 

「…すみませんが、それはできません。貴方のいないパーティを『雷霆への祈り』と呼び続けられるほど、私たちの絆は浅くないと思っています」

 

優しくて鋭い言葉が俺の胸に刺さる。たまらず彼女から視線を逸らした。

 

「でも分かってるんです。私たちが悲しめば、それがラスタの心労になっている事は」

 

キキョウは俺にグラスを差し出した。

 

「だから、せめて今夜くらいはリラックスして下さい。よければ私と、いつも通りの無駄話でもしませんか?」

 

そう言って穏やかに笑う黒髪の少女に、内心ではかなり驚いていた。

 

…そこまで見抜かれていたのか。

 

理解されている安心と、気を遣わせている申し訳なさと、まだぎこちないキキョウとの会話の気まずさ。様々な感情を思考の奥に追いやって、今だけは彼女の優しさに甘えたかった。

促されるままにグラスを手に取って、キキョウの前に掲げる。

 

「…ありがとう」

 

俺の言葉に、キキョウは複雑な顔をしていた。自分の気持ちを押し殺して、彼女は俺に寄り添ってくれている。俺の偽物の治癒よりもよっぽど心を癒してくれるその心遣い。

やはり敵わないな、なんて思いながら彼女のグラスに自分のを軽く当てて。

 

「「乾杯」」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

飛び交う注文(オーダー)、客たちの笑い声、外まで響く喧騒。

 

ジョッキのぶつかり合う豪快な音を背後に感じながら、キキョウは一人でカウンターに座っていた。

 

目の前には手をつけていない二本の焼き串、手には(ぬる)くなったビール瓶。

どちらも好物のはずなのに、あまり食欲が湧かない。

 

———ありがとう!

 

———キキョウさんは英雄だ!

 

———すごく格好良かったよ!

 

「……はぁ」

 

今日も剣を振るった。そのことを、臨時で組んだパーティメンバーたちは口を揃えて賞賛した。

 

魔物を倒すことは善行だ。それに、剣を振るうことは楽しい。この二点に関してはキキョウとて認めている。しかし戦いが終わった後、仲間が自分に向ける無垢な視線。それを見ると頭が真っ白になる。

 

 

 

キキョウは、自分の剣を他人に讃えられるのが苦手だった。

 

パーティメンバーの誘いを断って、孤独に酒場で放心する。彼らの誘いに乗れば、また酒場で尊敬の念を集められることは明白だった。だから逃げた。

 

正直、一人で酒を飲んでもあまり楽しくない。ただ、冴えた目で寝台(ベッド)に横たわるのは色々考えてしまって辛いから。今日酒場を訪れたのも、半ば惰性のようなものだった。

 

酒瓶を手に持って、意味もなく振って混ぜた。もう炭酸も抜けて美味しくなくなってしまったが、だからと言って飲まずに捨てるのは勿体無い。

味わうため、ではなく残りを処分するために、温くなったビールをグラスに注いで、それを一気に流し込んだ。

 

「———やっぱ混んでるな。もうここしか空いてないのか」

 

その時。キキョウの隣の席に、酒場に相応しくない格好をした一人の青年が腰を据えた。

 

手首までも覆う分厚く大きな法衣に、質の良い革の靴。首には手のひら程の大きさのあるロザリオが下げられている。

ここまで典型的な聖職者を教会の外で見るのは珍しく、ついじろじろと見てしまった。

 

「隣、失礼しますね」

 

その視線に気づいた青年が、キキョウの方を向いて人の良さそうな笑みを浮かべ、丁寧に話しかけてくる。その時、法衣と繋がっている頭巾(フード)で隠されていた男の顔が顕になった。

それを見た瞬間、キキョウはつい固まってしまった。一瞬の沈黙。

焦りと居た堪れなさをひた隠すように、青年に目礼だけして目線を落とした。

 

青年はそんな彼女の様子に少し首を傾げながら、また何事もなかったかのように前を向き直す。

 

「とりあえず、生で!」

 

何故か注文しただけで「言えた!」とでも言いたげに嬉しそうにしている彼の顔を、再度こっそりと観察する。キキョウはこの青年のことを知っていた。

 

 

 

 

『聖者』ラスタ。

直接呼ぶとひどく嫌がるので、彼のいないところで密かにそう呼ばれている。

ここのところ急激に功績を上げている超新星パーティ「雷霆への祈り」の初期メンバーでありながら、安息日には必ず教会と孤児院に訪れて寄付金をばら撒く、仕事と私事の両立者と称されている男だ。

 

 

 

「何にしようかな…おっ、牛串!いいねぇ……って高っ!一人飲みにはちょっと予算オーバーかもな…」

 

記憶が正しければ、彼のパーティは現在Cランク。確かに牛串は少し値は張るが、余裕を持って注文できるほどに稼いでいるはずだ。実は浪費家だったりするのか。…まさか稼ぎのほとんどを寄付していることは無い、はずだろう。

 

 

 

 

「…それなら私の串、貰ってくれませんか?頼んだのはいいんですが、あまり食欲が無くて」

 

自分の皿を、彼の前に差し出した。初対面の相手からの突然の申し出に、ラスタは少し驚いたようにこちらを見てくる。

 

「代わりと言ってはなんですが、私も一人なんです。よければ、一緒に談笑と洒落込みませんか?」

 

なんてことはない。ほんの気まぐれだ。

いかにも高価な法衣を身に纏い、冒険者の誰もが財布を緩める酒場という場所で貧乏性を発揮するよく分からない男。

少しだけ、興味が湧いた。

 

少しの間目を丸くしていた青年は、キキョウの申し出を受けて口元を綻ばせた。

 

「喜んで。いやぁ、実は仲間がみんなお酒苦手なので、そこそこ寂しかったんですよ!えーっと…」

 

「キキョウです。よろしくお願いしますね、ラスタさん」

 

「!……俺の事、知ってるんですか?」

 

また驚いたような反応を見せるラスタを見つめる。

あの「雷霆への祈り」のメンバーとは思えない自身の知名度への無頓着さに、呆れの感情が湧いた。それと同時に、ますますこの男の内面を図ってみたい気持ちが増幅する。

 

「私も冒険者なので。あぁ、あと私にはタメ口で話してもらえると嬉しいです」

 

「そうで…じゃなくて、そうか。それなら遠慮なくタメ口でいくわ。一晩だけだけど、よろしく、キキョウさん!」

 

彼の笑顔は純真で、本心から自分との二人飲みを歓迎していることが分かった。キキョウは内心で自分の慧眼に感謝した。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

結論から言えば、彼との駄弁りは予想外に盛り上がった。

一人では一本でも多いくらいだった酒瓶。出会ってから一時間後には、二人は五本目の瓶へと突入していた。

 

 

「え″。キキョウの故郷って米あるのか!?」

 

「えぇ、それが主食でしたよ」

 

キキョウの言葉に、ラスタは口をあんぐりと開く。

 

「うわ、駄目だ思い出しちまった!……卵かけご飯食いてぇ。いや、もうこの際卵はいらない。ご飯に醤油をかけるだけで良い!だから、食いたい…っ!」

 

「ショウユ…?なんですかそれは?」

 

「あぁ、醤油は無いのか。醤油ってのは、まあ端的に言えば最高の調味料だ。芳醇な香りと強い旨味……うわ、語ると欲が!!」

 

「ほう、そこまで言われると気になりますね。どこで買えるのですか?」

 

「無理」

 

「え?」

 

「多分この世界に存在しない」

 

「……はぁ?」

 

突然真顔になったラスタに、思わずキキョウの声が荒げられる。ショウユについて語る彼の声は生き生きとしていて、実際キキョウはかなりそれに興味を持っていた。

 

「ちょ、待ってくださいそれは無いでしょう!今までの語り全て戯言だったってことですか!?」

 

ラスタの肩を持って大きく揺さぶる。その振動によって、すっかり酔いの回った青年の顔は少し青くなった。

 

「うぷ、揺らさないで……大丈夫だ、醤油が大豆からできてることは知ってるし、この世界で大豆の代替品となる豆はもう発見してる」

 

「…?まさか、貴方ショウユを作れるんですか?」

 

「いや、作り方わかんないけど」

 

「じゃあ無意味じゃないですかっ!!」

 

ヘラヘラと笑う青年の頭にチョップを喰らわせる。

 

キキョウは初対面の相手を、ここまでぞんざいに扱ったことは無かった。自分もかなり酔ってきていることを自覚する。

 

隣で言い訳を述べる酔っ払いの戯言を聞き流しながら、キキョウは追加の酒を注文する。その時、酒屋の店主が少し心配そうな視線を向けているのに、二人とも全く気づかなかった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「…そういえばさ、キキョウの国って刀ある?」

 

突然だった。人がまばらになってきた店内で発された、青年の何気ない一言。ラスタの言葉(ふいうち)に、キキョウの体は激しく硬直した。

 

「やっぱり和風の国といえば刀、ってイメージだし」

 

澄んだ彼の声が、今だけはぼやけて聞こえる。極めて平静を装って、ラスタの質問に答える。

 

「……えぇ、ありますよ」

 

「マジ?この世界、そういう所はすごくテンプレだよなぁ」

 

よくわからない彼の独り言を聞き流す。せっかくの楽しい気分が一気に降下したのが分かった。

 

「キキョウって剣士だよな?刀は使わないのか?」

 

「——ッ!」

 

武器の話が出た。そして自分は刀の国出身の冒険者。

この質問を、予想していなかった訳じゃない。それでもキキョウは言葉を詰まらせることしかできなかった。

 

早く何か言わなければ。誤魔化さなければ。無礼講の場で暗い話を溢すほど、自分は堕ちていないつもりだから。

そう思っても、口は乾いた息を漏らすだけ。

募っていく焦燥。今にも疑問(ついげき)が来る。それが怖くて仕方ない。無意識のうちに目を固く閉じていた。

 

「…?」

 

しかし予想に反して、青年からの追い打ちが来ることはなかった。少しの沈黙の後、ラスタはキキョウの肩にそっと手を置く。

 

「……言いたくなかったら、今の俺の質問は無かったことにしてくれ。ただ、もし吐き出したいのなら、俺にぶちまけてくれれば良い。せっかく隣に神父()()()がいるんだ。存分に利用してくれて構わないぞ?」

 

びっくりした。酔いどれ状態だったはずの彼の言葉は明瞭で、それでいて真剣で。先ほどまでのべろべろの姿が嘘であるかのようだ。

思わずキキョウは顔を上げてラスタの顔を見た。穏やかで、側に寄り添ってくれるような優しい顔。

 

ああ、聖職者だ。

 

そんな幼稚な感想が出た。

 

 

 

 

 

 

「……五年前、とある盗賊団が解体されたのを知っていますか?」

 

一見、今までの話題とは関係の無い話。しかしラスタは彼女の語りを遮ることなく、穏やかに相槌を打つ。

 

「よく覚えてるよ。貴族も被害を受けたことのある、かなり規模の大きい団体だったらしいな」

 

奪うことでしか生きることができなくなった罪人の集まり。とある騎士崩れの男が率いるその衆による被害は、街によっては魔物によるものを超えていた程。

だからこそ、この結末は大きな話題となったものだ。

 

しかし、世間の注目を集めた点はそこではなかった。

 

「——頭領を倒したのがまだ十一歳の女の子だっていうのがすごく印象に残ってる」

 

ラスタがこの話を聞いたのは、彼が十一歳の時。つまり例の少女とラスタは同い年であった。

しみじみと過去を振り返っていると、ふと一つの考えがラスタの頭に浮かんだ。

 

「…まさか」

 

驚愕を孕んだ視線がキキョウを捉える。ラスタの無言の追及に、彼女は眉尻を下げて、どこか諦めたように応えた。

 

「えぇ、ラスタの予想通り。(くだん)の子供は、私です」

 

 

 

 

 

 

 

故郷を離れ、この国に移住してすぐの出来事だった。頭領は確かにキキョウよりも強く、まだ成人すらしていない子供にも決して油断しなかった。

 

それにも関わらず、迫り来る凶刃は空を切り、少女の刀だけが男の首を撫ぜたのだ。

 

 

 

今でも覚えている。

 

自分を囲む街の人々の笑顔と称賛を。自分に向けられた尊敬と憧れの眼差しを。

 

まさか領主に呼び出されて、褒賞まで貰えるなんて思わなかった。

 

「剣士として最高の名誉だ」と、これを知った仲間たちはキキョウを手放しに称えた。

「君は偉業を成したんだ」と、駐屯の兵士はキキョウの背を景気良く叩いた。

「ありがとう」と、何人もの人がある時は安堵を浮かべて、ある時は涙交じりにキキョウに言った。

 

実際にどうやって男を出し抜いたのかの記憶は曖昧なくせに、こんなことばかりが記憶に焼きついている事が少し嫌だった。

 

 

 

 

自分の()()を虚空に箇条書きするかのように、淡々と過去を羅列する。ラスタはそれをただ黙って聞いていた。

 

「……刀を手放した時は、皆に「何故か」と迫られたのをよく覚えています」

 

分かっている。自分の行いは善行だったのだと。

物心ついた時から振っていた刀剣が、悪を斬ったのだと。自身の努力が報われたのだと。

でも刀を握ると、染み付いた人間の血が見える。本来、魔物から人々を守るために修めた一刀に、紅い軌跡が見える。その責に耐えられなかった。

 

「なるほど」

 

ぐるぐると回る思考が、隣の青年に遮られる。

 

「キキョウにとって、それは罪なんだな」

 

息が詰まった。

 

突拍子も無い彼の言葉は、確かに少女の奥を突いていた。しかしその指摘は曖昧で、どこかはぐらかされたような気分になる。

本意を尋ねようと、ラスタに向かって半ば衝動的に口を開いた刹那。

 

「盗賊を殺した事、誰かに罰して欲しかったんだろ?」

 

「———ッ!?」

 

無意識に、眼前の青年を鋭く睨みつけていた。ラスタは決して怯まない。彼の眼は何にも折れない強さがあって、それなのにその顔は優しく綻んでいて。

 

キキョウの頭は混乱していた。

 

「わ…私、は」

 

蘇る。

 

魔物を斬るよりもずっと柔らかい、血の通った皮膚を裂く感触を。

骨に引っかかって、首の中心辺りで止まった刃の重みを。

 

首に貫通した穴が空いていると人は声を出せないのだと、ぱくぱくと口を動かす眼前の男を見て初めて知ったのだ。

 

 

 

ぽたり、と、額を伝った脂汗が太腿を濡らした。もうすっかり酔いは醒めていた。

だからなのか、隣の青年が小さく吐息を吐いたことにも気づいた。

 

「右手、出してみな」

 

「…え?」

 

訳もわからず生返事をすると、彼は少しだけ強引にキキョウの腕を手に取った。そして、キキョウがつけていた薄い手袋をそっと外す。

 

「あっ」

 

 

「…やっぱりな。俺の前で傷を隠そうなんて百年早いね」

 

少女の手には、夥しい数の細かい切り傷が生きていた。

 

「これは、あの——」

 

「治すことが、許せなかったんだろ?」

 

初めてラスタに言葉を遮られた。また図星だった。冒険者を続ける上で負った様々な傷。

冒険者にとって、自身の体は一番の資本だ。加えて瘴気の特性から逃れるために彼らは可能な限り全ての傷を教会で癒してもらう。たった一つの瘴気で冒険者人生が閉ざされてしまうことなんて、冒険者にとっては日常だから。

 

もちろんキキョウとて例外ではない。出来るだけ怪我を負わない戦い方を意識しているし、治せる傷病は早期に対処している。

 

しかし()()をした右手だけは、漂白することが出来なかった。

 

「……私が殺した盗賊団の頭領の方、」

 

ラスタには何もかも見透かされている気がして、むしろ胸の内を全て吐き出さないと気持ち悪い、なんて思った。

 

 

「家族がいたんです」

 

ここまで話すのは初めてだ。しかし感慨は無かった。

 

「捕えられた盗賊の中に、一人だけ小さな女の子を見つけました。その子は布に包まれた死体を見て、声を殺して泣いてたんです」

 

「聞こえちゃったんですよ。『お父さん』って」

 

「すごいですよね。娘さん、お父さんが悪者だって分かってるんですよ。だから大声をあげないし、癇癪も起こさない」

 

この話をするならば、自分はもっと声を震わせて、喉をしゃくり上げながら悔いを滲ませて語るものだと信じていた。しかし、実際は存外穏やかに話せている。

 

「刀を使わない理由、でしたっけ。簡単ですよ。逃げたんです。罪を刀になすりつけて」

 

「違う」

 

ずっと黙って彼女の話を聞いていたラスタが言葉を発した。彼はまだ、キキョウの手を握ったままだった。

 

「君は逃げなかった。だから今、痛いんだよ」

 

 

 

盗賊が生まれる原因は村や街の消滅である。そしてその原因は、魔物。キキョウが冒険者を志した理由だ。

 

「魔物がいなければ、盗賊団も生まれず、頭領の娘から父を奪うことは無かったのではないか」なんて、考え足らずな動機。

贖罪とも言えないほどに利己的な懺悔。

 

それをラスタは優しい声で肯定した。

 

「違う」と叫ぼうとした。でも何故か、彼の言葉は自分を励ましているようにも、慰めているようにも思えなくて。苦ではないことが不思議だった。

 

「……でも君は分かってる。怪我を治さないのは自己満足で、逃避であることを」

 

「!」

 

目を見開いてラスタを見る。彼は微かに笑みを浮かべていた。

 

「だから、これは俺の自己満足だ」

 

瘴気の滲むキキョウの腕に手をかざして。

 

しゅくふくを

 

 

 

溢れ出す光に、反射的に目を閉じる。腕を何かが包み込み、痛みがみるみる失せていく。それと同時に、キキョウを絶えず苦しめていた倦怠感が(ほど)けていき、心地よい健全な疲れが体を襲った。

 

「今回は特別。平常時よりも健康にしてやったぜ」

 

自慢気な台詞が耳に入って、恐る恐る目を開ける。そこに在ったのは、今後見ることは無いと確信していたはずの無傷の腕。

これが聖者の力。キキョウはこの光景が自分に起こったことのように感じられなかった。

 

「これがキキョウへの罰だ」

 

その浮遊した感覚も、すぐに現実に引き戻される。また彼を見上げた。ラスタは少し怒っているように見えた。

 

「赦しのための自傷は論外だ。それは誰も救わない。それに、背負うと決めたのなら、逃避は許されない」

 

正論を眼前に積み重ねられて、ひどく居心地が悪かった。

 

「でもさ」

 

いつのまにか、店内は二人だけ。

 

「一緒に背負うことは出来る」

 

知っちゃったならもう共犯だしな、と付け加える。そんな彼の声は、貸切状態になった酒場に溶ける。

キキョウはラスタになんと返せばいいか、全く思いつかなかった。

 

「あー…」

 

そんな彼女の視線に気づいて、ラスタは少しばつが悪そうに頬を掻く。一瞬の思案を顔に浮かべて僅かに頷くと、

 

「よければ、うちのパーティ入らないか?」

 

彼は確かにそう言った。

 

「…いや、タイミングが悪いよな。ごめん。でも魔物をたくさん倒したいならやっぱりパーティに所属するのが一番良いし、俺がいれば死の危険もないしさ………あと、キキョウの剣で俺を守ってほしいな、なんて……それはちょっとかっこ悪すぎるか」

 

勧誘のために相談に乗ったと思われたくないのか、しどろもどろに話を続けるラスタ。締まらない人だ。

くすりと笑ってから、自分の心が久しぶりに重くないことに気づいた。いつもみたくお酒で誤魔化したわけではない。本当の意味で、一息つけたのだと分かった。

 

「……はい」

 

ここまで御膳立てされて逃げるなんて出来ない。それならば、私は再び刀を握ろう。

 

そして、貴方の矛となりましょう。

 

「その話、受けさせていただけますか?」

 

 

 

 

 

 

 

「着いたぞ」

 

「雷霆への祈り」が利用している宿屋の前。青年の背中の上で、キキョウは寝ぼけ眼を擦った。

 

もちろん、自分の足で歩こうとした。でもラスタに呪文をかけられてから、体の奥で燻っていた疲れが一気に押し寄せてきたような感覚になって立つことすら出来なくなっていたのだ。

 

「ここからは歩けそうか?」

 

顔の熱を自覚しながら、力なく首を振る。彼の顔も自分と同様に()に染まっていた。

 

…もしかすると、原因は別かもしれない。彼の呪文のせいでなく、あの話の後に「酒の席なんだから楽しい話で締めよう」と言われて、もう一杯頼んでしまったせいかもしれない。

 

「そっか無理か。じゃあこのまま行くか」

 

そう言ってキキョウを背に乗せたまま、宿屋の中に入る。その瞬間、ラスタは分かりやすく固まった。

 

「おかえりっ!ラスタ…………あれ?ねえラスタ、後ろの女の子って誰なの?」

 

「遅かったね。あと、流石にそれは大胆すぎると思う」

 

「あっ。………えっと、ただいま。ソアレ、ハイネ」

 

悪戯がバレた子供のように、ラスタの頬に冷や汗が伝っていた。

善は急げと、店を出てすぐにこの二人に会い、加入の相談をする予定だった。好都合な展開のはずだ。しかし現実は、ラスタは二人のオーラにやられて、顔に虚構の笑みを貼り付けることしかできていなかった。

 

なるほど、とキキョウは密かに納得する。酔い潰れた頭でも、今の状況の面白さは明確に分かっていた。

 

「あの、多分二人……特にハイネは誤解してると思うから、まずはそれを————」

 

「私以外に、二人も彼女が居たんですか?」

 

「えっ」

 

「「は?」」

 

心の奥底に触れられたことの、ちょっとした意趣返(おんがえ)しだ。すごい速さでこちらを振り向いたラスタに意味深な視線を送って、瞼の重みに素直に従う。

 

「ッ!………こっの酔っ払いがぁ!!」

 

もう彼の言葉が、子守唄にしか聞こえない。

何故か前方から感じる圧倒的な冷気が、酒で火照った体を冷やしてくれる。

 

今夜は久しぶりによく眠れそうだ。

 

そう思った。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「いろいろありましたねぇ」

 

グラスを揺らしながら、しみじみと語る。ラスタはそれに何度も頷いている。久しぶりに彼のリラックスした顔を見ることが出来た。

 

「キキョウが寝た後、本当に大変だったんだからな?」

 

「でしょうね」

 

「笑い事じゃないから!!」

 

そう言いながらも、ラスタ自身も笑っている。その笑顔は自然体で、目を覆いたくなるほどにいつも通りだ。

 

残りわずかとなった血赤色の液体を飲み干す。

 

「このパーティは、絶えず居心地が良いですね。家族の様で、また友人の様で」

 

そう語ると、眼前の青年はぱっと顔を明るくした。

 

「そう言ってくれるとすごく嬉しいよ。……でも、キキョウにはいつも頼ってばかりで申し訳ない」

 

今度は眉を下げてしかめっ面になる。ころころと表情を変える青年に向かって優しく首を横に振った。

 

「仲間ですから、もっと頼ってくれていいんですよ?魔物との戦いでは、いつも助けてもらってますから。例えば——」

 

指を伸ばす。

 

「ほら、これ」

 

その先を、ラスタの右肩に添えた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「ちょうど一年前に、髑髏騎士(スケルトンナイト)の振り下ろしを受け流せなくて(えぐ)られた肩の傷」

 

瞬間、ラスタは凍りついたように固まった。

そのことに意も介さず、指先は何かを探すように空中で彷徨う。

 

 

ああ、と小さく声を漏らして、次は左足首を指差した。

 

「これは五ヶ月前の、木人(トレント)の地中からの根の攻撃を避けられなくて切断されたくるぶしの傷」

 

右腕。

 

「こちらも五ヶ月前ですね。妖樹(ドレイク)の酸を浴びて斑点状に溶けた皮膚の傷」

 

ラスタは絶句したまま、彼女に好きにさせることしかできなかった。先程までと同じトーンで、懐かしむように過去に受けた傷を指す。勿論ラスタは服を着ていて、傷なんて上から見えるはずがなかった。

 

「…覚えて、るのか?」

 

ラスタの口から、絞り出す様な声が聞こえた。キキョウはその言葉に疑問を覚えた。

 

「当たり前じゃないですか」

 

目を丸くして硬直する彼に、少しだけ苛立った。勢いのままに鼻が触れ合いそうな程まで彼に近づく。

 

「罪を償わせてくれるんじゃなかったんですか?」

 

()()()背負ってくれるんじゃなかったんですか?」

 

鳩尾に指を指す。

 

「これも」

 

耳朶をそっと撫でる。

 

「これも」

 

手首を両手で包み込む。

 

「これも!!!」

 

何故一人で背負ってしまうのか。

 

何故私の(あなが)いを認めてくれないのか。

 

 

痛みは救いだった。傷は赦しだった。それでも、彼のために生きたいと思ってしまったから、治癒を拒まなかったのだ。

それなのに。

私を変えてくれた青年は、罪人(わたし)にさらなる罪を積んでいた。

 

「……わたしの罰を、奪わないでください」

 

しゃくり上げてしまって、最後まで言えなかった。傷一つない少女の瞳は、むせかえるほどの罪悪感と、粘ついた孤独感で満たされていた。

 

 

 

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