案の定暴走時の記憶は消えてなかったみたいで、ドラゴンフォートへの帰り道、カメリアはずっと顔を赤くして黙り込んでいた。
時折、俺に聞こえる声で「ごめんなさい」、「忘れて」とつぶやいたりする。
とても耳が痛い。悪いのは俺なんだ……。
「なはは! 素直になれよぉ、姫ぇ」
「やめて……やめて……」
水を得た魚のようにロサが煽りまくっていたが、あれがあいつらのいつもの姿だ。
いやまあ、涙目になっていくカメリアは本当にかわいそうだったが。ロサもロサで日ごろの鬱憤が溜まっているようで、俺に仲裁させることを許さなかった。
カメリアが精神的に不安定なのは今に始まったことじゃない。これも彼らなりの受け入れ方なんだろう。
……いや、ロサは素か。あいつは最低なんだ。
「君とこうして歩けるなんてね。6年ぶりか……それだけ時間が必要だったのかな」
「……ああ、そうだな。そうかもしれない。こうして足並み揃えて、下らない話しながら帰るなんて、昔の俺にはできなかったことだ」
「アハハ! あの『赤錆』が、丸くなったものだ! 今日はなんていい日なのだろう!」
クインスは高笑いを地平線に向かって響かせる。自分のこと大好きなナルシスト野郎なのは間違いないんだが、それと同じだけ、こいつは他人のことも大好きだ。心の底から、俺と会えたことを喜んでいる。
いやだね、ナチュラルイケメンは。こういうのをサラッと言えちまうんだから。
「いるじゃん。良い友達が」
そんな俺たちに振り返って笑いかけたリリウムの姿が、平和の象徴のように思えた。
ドラゴンフォート。
日中、凄まじい騒がしさで嫌になりそうなほどだったのが、夜は夜でまた別の騒がしさで満たされる。
仕事で出張っていた冒険者たちが戻ってきて、至る所にある酒場に突っ込んでいく。
がさつな笑い声が支配する夜の街――
「――えぇ!? リリウムちゃんって男の子なの!? こ、こんなにかわいいのに!?」
「そうですよー? にこー」
「ァ……ヮ……!」
そんな喧騒の中には俺たちもいた。
すっかり溶け込んでしまったリリウムの美少女オーラに当てられて、俺の膝の間に座っているロサがちいさくてかわいい悲鳴を上げて蒸発しかけている。
カメリアも目を真ん丸にしてリリウムの横顔を眺めていた。
――まあなんだ、酒でも飲まないか?
そんな言葉から急遽決まった飲み会。
カメリアの闇落ちを対処したその日の夜というタイトなスケジュールだが、けが人もいなかったし、カメリアたちも乗り気だったので、ドラゴンフォートに着き次第目についた酒場にやってきたのだった。
「しかし、ロサも酒が飲める年齢か……なんというかあっという間だよなあ」
「うむ、もう15歳だからな! 年齢だけじゃなく、冒険者としても立派なベテランだ!」
この世界では15歳が成人年齢だ。6年前はこんなに小さかったロサも……えっと、なんか変わったか?
「背のことは禁句だぞ」
「……っす」
見た目は完全に子供なロサが、両手でビールの入ったジョッキを持っている姿はなんというか、犯罪的というか。この世界にはソフ倫もPTAもいねえからまあいいのか!
木皿に並べられた片手サイズのニシンパイを齧り、ビールで流し込む。酒が入ると、自然と口角が上がってくるものだ。
「知っているかい、リリウムさん。彼ね、僕らと出会った時なんか、こーんな鋭い目をして、ずっとギラギラして……それはもう凄かったんだ!」
「……そうなんですか?」
「そう! そうよ、ロータスってば誰に対してもきつく当たって! 『俺は慣れあわない。仲良しごっこはよそでやれ』――みたいなオーラがプンプンで!」
「へー、ふーん? ロータスってそうなんだー……」
ちょっと? 俺の暴露話になっていませんか?
リリウムは興味津々に頷いてはいたずら気にこちらをチラ見してくる。この野郎……。
そしてカメリアさんや。自分が闇落ちして色々吐露したからって俺の秘密をトレードしないで? それ俺何も言えないからね?
「でも結局ロータスってばツンデレなんだ! ぶっきらぼうに見えてずっとロサたちのことを見守ってたんだぞ! 本当は優しいのに、こいつもこいつで素直になれない子で……」
「あはは、確かにそれはロータスっぽいかもなー? ……あれ、優しいって言われてちょっとうれしそうじゃねーか、ロータスちゃーん?」
「な、う、うるせえぞ!」
このチビ助変なこと言いやがって……! 顎ぐりぐりの刑に処す。
「うああああーーーーやめろーーーーー!!」
ついでにアップルパイも一口。
「あ! おいお前さっきからわざとボロボロ落ちるもんばっか食ってるだろ!!」
「なんのことかな。ふー」
「うわあああ食いカスがあああああ!!」
俺の地獄のフルコースを味わいきる前にロサはクインスの隣へと退散する。クインスにやり返せと叫ぶが、肝心の兄は笑いをこらえていて全く使い物にならなかった。
服に散ったパイ生地をぶつくさ言いながら払っているロサに勝ち誇っていると、足元を誰かにつつかれる。
「……?」
対面に座っているのはカメリアだ。
テーブルの下を見ると、彼女の尻尾が俺の足へと延びていた。
「……わ、私にもかまえー、的な」
「――えぇ!? き、聞いた兄様!? あ、あの姫が! ロータス相手に構ってアピール!!」
「アッハッハ! ロサは空気が読めないねえ!」
「っ、あー! うるさいうるさいうるさい!! だ、だって6年よ!? 6年も経てば、変わるわよ、そりゃ……色々と……! ろ、ロータスも! 黙ってないで、なんとか言ってよ!」
「い、いや……初めてそんな顔、見たから……驚いて」
「はー!?」
び、びっくりした……あんなしおらしい顔するもんなんだな……。
でも、そうだよな。6年前は皆心に余裕が無かった。あの頃と今とで一緒なわけ無い。これも、俺が知らないだけで彼女の一面だったのだろう。
それはそれとして、心臓に悪い。
ただでさえ人目を惹く美少女なのだ、カメリアは。
時間が経って色褪せるどころか、さらに磨きがかかっている。
そんな彼女にあんな顔されたら、そこいらの男は間違いなく即落ちするだろう。
それぐらいの破壊力だった。
「その、ずっと、嫌だったのかなって思ってた。私も、あなたに対しては、えっと、素直、になれなかった、わけだから……そういう性格の女が嫌いだから、会いに来てくれないのかな、って」
「う」
「あ、ちが、違うから! 別にもう気にしてないし、誤解だっていうのはわかってるの!」
カメリアはビールを一口飲んでから、俺に笑いかけた。
「……やっぱり、会えてうれしいよ」
「……」
「言えてなかったから、改めて。――久しぶり。こういう日をずっと待ってた」
ああ、俺もだよ。
と、周りの視線がある中で言うのも恥ずかしかったので、足元に伸びてきている尻尾に触れる。少しばかり驚いたのか、尻尾は一旦離れ、今度は確かめるように俺の足を撫でた。それを受け入れると、彼女は俺の足に尻尾を絡ませてきた。誰も気づかない、テーブルの下で。
「ふふっ」
こっちのほうが恥ずかしいかもしれないな……。
「さて、それじゃあ聞かせてもらおうかな! ロータスがこの6年、どこでなにをしていたのかを!」
「お、行っちゃうー? はいはい! じゃあまずオレが暴露しまーす!!」
「ちょっと待てや」
こいつマジで馴染むの早すぎだろ! それと俺のプライバシーはどうなってんだ!
「えー? ずーーっとメイドさんがご奉仕してくれるお店に入り浸ってるって話、みんな聞きたいんじゃないかなー?」
「いやそれお前の、――い゛っ!?」
あ、足が!? 足が締め付けられているよぉ!?
カメリアを見ると、優し気な笑顔そのままで逆に怖かった。
「なぁに、それ?」
「エッチな店か?」
「ふぅん」
「あ゛っ、待って、待って、な? エッチじゃない、エッチじゃないから、ぐぅっ!?」
「なんかぐねぐねしててきもいなコイツ」
「て、てめぇロサ……ッ!!」
く、痛くは無い! 痛くは無いけど怖い! なんかちょっと気持ちいいのが更に恐怖!
そんなメイドさんがこちらー! とリリウムは自分のメイド姿が描かれた店のポスターを配りだした。商魂たくましすぎか?
「リリウム……お前……」
「見えないところで乳繰り合ってるのが悪い」
「へっ!? ちち――ちが、違いますけどぉ!?」
どうやらバレていたみたいだ。絡みついていた尻尾はするりと離れていき、名残惜しさだけが残った。
竜人族の尻尾――なんか、新しい扉が見えそうな気がしたな……。
「……まあ、特に面白い話もないんだよな、俺。ずっとオータムウィートにいて、冒険者やって、その日暮らしで。んでまあ、リリウムの店で、コイツの奢りで酒飲んで……そんな感じの毎日だったかな。白金等級まで上り詰めたお前らと比べると、味気ないだろ?」
「そうかな。僕としては、君がそういう静かな暮らしが出来ているってことだけでも、うれしいけれど」
「……よせよ」
こいつはまたあっけらかんと……。
「やっぱり、君がそういう風に笑えるようになったのは、リリウムさんのおかげなんだろうね」
「……え!? あ、お、オレ……? い、いやいや、オレなんか……!」
「ふふふ……本当に今日はいい日だなあ」
ああ、もう。しんみりとするだろうが、まったく。
お前の言葉はいちいち嫌な気がしないんだよ。ビールももう空になっちまった。もう一杯頼もうと思い立ち上がるが、近くに人がいなかった。
「……そういえば、ロータスはなんで今になって僕らのところに来たんだい? 用事があったというよりかは、ただ会いたかったように見えるけど……それだけで6年物の重い腰が上がるのかなと思って」
「確かに」
「ん、ああ? ちょっとしたきっかけがあってな」
酒が入っていた。
テンションが高くなっていた。
判断が鈍っていた。
口が軽くなっていた。
「きっかけ?」
「そうそう――」
それがどんな反応をもたらすのか、分からなかった。
――聖女に泣かれたんだよ。
まずいと思ったのは、カメリアが、クインスが、ロサが。
見たこともない表情で固まった時。
誰かが匙を取り落としたその瞬間、取り返しのつかないことをしたのだと、気付いた。