治癒を騙って仲間の呪いの肩代わりしてたのがバレた


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作:甘朔八夏
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6. 蟠り


更新が遅くなってしまいすみません。もっと頑張ります。


 

 

「待っ——!」

 

かける言葉が何も思いつかない。でもここで黙って見送りたくなくて、咄嗟に彼女の背中に手を伸ばす。

 

しかし無情にも、扉は閉まる。乱暴な音が強く響いた。

 

伸ばした手のやり場に困って、視線を自分の手の平に向ける。堪えきれない衝動を発散するかのように、その手でガシガシと頭を掻いた。

 

ハイネは今、なんと言った?

 

聞こえなかった訳じゃない。勿論忘れたわけでもない。逆だ。彼女の言葉が耳にこびりついて離れない。

 

———貴方が死ねば、私も一緒に。

 

 

甘く見ていた。パーティの絆を大切にする彼女たちのことだ、俺が死ねば暫くは引きずるだろう。しかし、いつかは乗り越えて前を向いてくれると信じていた。

 

それすらも、もう叶わない。

 

法衣を脱ぎ去って、内着(インナー)の上から禁呪を受けた胸元を確認する。無駄なことだと分かっている。それでも足掻かずにはいられなかった。

 

 

「禁呪は失敗したのではないか」。そんな蜘蛛の糸にも縋るような妄想を、自分に言い聞かせるように何度も頭で反芻する。

呪文の始点となった場所を手で擦ったり、引っ掻いたりもした。

 

しかし何も起きない。すでに呪文は、俺の身体の中に刻み込まれているから。

 

ハイネが指を置いた場所はたまたま瘴気に侵されておらず、希少な白い素肌を見せている。それを見ると何故か、彼女の行動が正しいと言われたような感覚になって目眩(めまい)がした。

 

 

 

 

 

俺に残された人生はそう長くないと予感している。寿命なんて全く気にせずに治癒を振り撒いていたから。

 

俺一人の命で、数百人、いや数千人の命を救ったんだぞと自慢して逝ってやるつもりだった。

 

寿命を削ることは決して善いことではない。それは事実だ。

しかし俺は瘴気を受け取ることを、自分を殺す悪徳だなんて思っていない。そもそも、傷害の中で唯一、自傷だけは罪ではないし。

だから他人の瘴気を奪い取るのにも躊躇いはなかった。呑気に「吸えば吸うほど溜まるデバフポイント!」なんて思って笑っていたのだ。

 

 

 

しかし、今それをすれば。

()()()()()()()()()()()()()。無意識に爪を立てていた頭皮から、じわりと血が出たのが分かった。

 

「……『はなれろ』。『振り解け(ルネラ)』。解除。解除!!!」

 

役に立たない詠唱(チート)、失敗。

少しだけ使える通常の魔法、失敗。

ただ願望を吐き出しただけ、失敗。

 

無意味に叫んで、喉を痛めて咳き込んだ。手から広がった光が俺の体を包み込み、何も成さずに消えていく。

 

俺の能力は他者から自分へ傷病や呪いを移すこと。もし仮にハイネが俺以外に禁呪を使えば、呪いの対象を自分に移すことは可能だろう。しかし標的が俺である場合。この力はあまりにも無力だった。

 

インナーも脱いで上裸になり、体中にある瘴気の跡を(まさぐ)る。

 

「何か、無いのか?」

 

都合の良い瘴気(のろい)が。ハイネの呪文は、彼女と俺の魂を解けない鎖で縛りつけるようなものだ。他者との繋がりを断ち切るような瘴気(のろい)があるならば、それで上手く打ち消しあってくれるのではないか。

 

身体中の瘴気を観察するために、手を肌の上に執拗に滑らせる。その時、ふと鏡の中の自分と目が合った。

そこに映っていたのは、滑稽な動きで自分の体を弄っている無様な男。

 

 

「………何やってるんだろ、俺」

 

忙しなく肌の上を這わせていた手を止める。今の短時間触れていただけで、手のひらにヒリヒリとした痛みが走っていた。その痛みによって、混乱していた思考が冷静になる。なってしまう。

 

瘴気によって少し燻んだ色になった手をぼんやりと眺める。こうなることは分かっていたのに、俺は無駄に手を傷つけたのだ。自分の行動の愚かさに呆れの感情が浮かんだ。

 

禁呪を相殺!なんて都合の良い追加効果なんぞ、瘴気にあるはずがない。ただ侵されれば、苦しんで死ぬだけだ。そもそも、なぜ俺は全ての元凶に救いを求めようとしているのか。

無性に腹が立って、脇の下にある切り裂かれたような瘴気跡(きずあと)を握りしめた。

 

「い″ッ!」

 

焼けるような痛みが俺に主張してくる。当然の末路に、口から舌打ちが漏れた。

 

 

 

ぐちゃぐちゃになった感情をなんとか整理しようと、大きい吐息を一つ漏らす。

そして半裸のままベッドに腰掛けて、ロザリオを両手で包み込んだ。このくらいの瘴気ならば、ロザリオにかけられた祝福で治すことができるだろう。

 

実はこのロザリオ、教会で聖水に浸しながら祝福をかけてもらうと、超微小の持続回復(リジェネ)アイテムになるのだ。瘴気にも効果のある優れものだが、ロザリオで治すくらいなら、さっさと聖水を買った方がほうが良いと言われるくらいの弱い効果なので、あくまでお守りみたいなものである。

 

 

ふと思い出す。このロザリオは、ソアレとお揃いであると。

気づいたらソアレも同じやつを持っていたのだ。彼女のロザリオは教会で女神様の祝福を受けていない。「ラスタの祝福が良い」って言われても、俺にそんな能力は無い。まあ、無意味なことを分かっていながら俺のなんちゃって祝福を受けて、嬉しそうにしていた彼女に、俺からはもう何も言うことは無いが。

 

思考を別のところへ飛ばして明るい過去()()を振り返っていると、だんだん混乱に沸騰していた頭が冷えてくる。

 

 

落ち着け、大丈夫だ。ハイネによると、この禁呪のトリガーは「俺か彼女、どちらかの死」のみのはず。であれば、俺が何もしなければ事態は悪化することが無いだろう。その上、いくら湯水のように命を削って治癒をしていたからといって、女神様に創ってもらった俺の最強健康ボディが今すぐに崩壊することはないはずだ。

つまり、まだ禁呪を消すために足掻く時間はある、と言う事。

 

よし、冷静になってきた。いくら禁呪といえども、所詮は地上の魔族が作ったもので、神の権能には叶わないに違いない。女神様となんとかコンタクトを取ることができれば、可能性はゼロじゃない。

 

大きく息を吐く。まだ終わっちゃいない。俺の自業自得の死に、彼女を付き合わせる訳にはいかない。たとえそれが俺のエゴだったとしても。

 

 

思考が一段落したところで、再び手の痛みを自覚する。身体の恒常的な痛みはもう慣れっこだが、手先はこまめに浄化して健常を保っていた。そのためか、手先の些細な痛みは、むしろ腹の呪いによる痛みよりも主張が激しい気がする。

 

ロザリオをぎゅっと握って、両手のひらに感染った瘴気を浄化。だいたい一時間くらいだろうか。………そこそこ長い。

そういえば俺、上半身裸のままだった。半裸のままだとちょっと寒いし、とりあえず服を着よう。辺りを見回して、脱ぎ捨てたインナーと法衣を———

 

 

「ラスタッ!! 一人でギルド行くって本当で…………す、か?」

 

勢いよく部屋の扉が開いたかと思うと、中へ飛び込んできたのは切羽詰まった様子の和装の少女。

 

だんだんと尻すぼみになっていくキキョウの声。彼女の目線は、俺をしかと捉えている。…………瘴気塗れの上半身を晒して、ロザリオを両手で包み込んで祈っている体勢の(ラスタ)を。

不安一色だったキキョウの顔色が、すぐさま驚愕に染まった。

 

「あーっ、と……キキョウ。おはよう。えー、今日もいい天気だな」

 

誤魔化すのが下手すぎる。てんやわんやになった頭でなんとか違和感の無い会話を試みるも、彼女の顔は真っ青なまま変わらない。そもそも、今の言葉が耳に入ったかすら分からない。

 

キキョウの視線が俺の足元から順に上がっていく。その目線は俺の手元でピタリと止まった。

黒水晶のような瞳が激しく揺れている。唾を飲み込んで、彼女は小さな声で言った。

 

「……もう、女神にしか縋れないんですか」

 

「え?」

 

「私たちは、邪魔でしたか?」

 

震える声。固く、固く握られた拳。彼女はまるで何かに怯えているようだった。

彼女の視線を追って、自分の手元を見る。そこには、あたかも祈りを捧げるように俺の手に握られた愛用のロザリオ。

 

確信する。俺は今、最悪の誤解を受けている。彼女の目には、ロザリオを包み込む俺の姿が、どうすることもできなくて女神に救いを求めているように見えたのだろうか。

 

「いや違う!!あの、今の俺、かなり変な格好してるけどそれは……」

 

あ。駄目だ。先の言葉が蘇る。

「二人だけの秘密」。

ハイネの言う通りだ。これを説明するには、彼女の禁呪について話さなくてはならない。しかし、俺のことだけでこんなにも動揺しきっているキキョウに追い討ちはかけられない。

 

言葉を濁した俺を見て、キキョウもぐっと言葉を詰まらせる。

ぎり、と、彼女の握り拳から音が漏れた。その瞬間、(せき)を切ったようにこちらへ足を進める。その勢いのまま、キキョウは強く俺の両手を握りしめた。

 

「…貴方には。貴方にだけは、そんな顔をさせたくなかったから———ッ!?」

 

その手を、振り払った。

だって、今の俺の手は瘴気に侵されているから。キキョウから穢れを遠ざけたくて、半ば無意識に行った動作。間違っていない。正しい行動のはずだ。

しかしこの状況で、このタイミングで。最も愚かな行動であったことを、俺はしてから気づいてしまった。

 

瞬く間に、キキョウの顔色が変化していく。動揺に赤らんでいた顔が真っ青に、それも通り過ぎて土気色に。彼女の姿を、俺は呆然と見つめることしか出来なかった。

 

「………………失礼、します」

 

待ってくれ。

 

弱々しい足取りで遠ざかっていく背中に向かって、叫んだつもりだった。しかし、声が出ない。窓から差し込む朝日が、俺とキキョウの間に差し込んだ。まるで、俺たちを分断するかのように。

 

 

俺は治癒師だ。傷ついた仲間を癒すことが仕事であり、存在意義でもある。

 

それならば。

昨日からずっと、大切な仲間たちをただ傷つけているだけの俺は何なのだろう。

 

ロザリオが手から滑り落ちる。硬い音を鳴らすと同時に、それは床に小さな傷を作った。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

清潔感のある服装に身を包んだ給仕(ウェイター)が、俺たちの前に小洒落た料理を置く。

食欲をそそる匂いが個室に立ち込めた。にも関わらず、誰も手をつけないし、誰も言葉を発さない。

 

「………なぁ」

 

沈黙が辛くて口を開くと、それはそれは分かりやすく三人の肩が跳ねた。そしてこちらに顔を向ける。ソアレは弾かれたように、ハイネは鷹揚に、キキョウは躊躇いがちに。

 

三者三様の視線が俺に注がれる。自分が発言しようとしたのだからこうなるのは当然なのだが、それでも居心地が悪くなって誰にも目を合わせられない。

 

これから食事が始まるのに、胃はすでに激しく痛みを訴えていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

——キキョウを見送ってから約一時間後。あの後に冒険になんて行けるはずがなく、俺はキキョウの部屋の前に訪れていた。

 

ひどく居心地が悪い。今すぐ逃げ出したい。でも、せめて彼女の手を拒んでしまったことくらいは弁明しないといけなかった。

 

扉を小さく、三回ノックする。

 

「…………ラスタ?」

 

少し眠たげな声が聞こえる。キキョウじゃない。声の主はソアレだった。途端に頭が真っ白になる。二人は同室なのだから、ソアレも居るに決まっている。そんな当たり前のことすら頭から抜けてしまっていた。

 

「……今は開けないで。どんな顔すればいいか、わかんないから」

 

声と共に足音が近づいてくる。その音は、扉を隔てた目の前で止まった。

 

「悪い夢じゃ、ないんだよね」

 

「…ごめん」

 

ソアレが息を呑んだのが扉越しに伝わった。瞬間、昨日の記憶が克明に蘇る。弱々しい背中。昏い瞳から絶え間なく(あふ)れる涙。

 

辛い。もう何を言っても逆効果だとしか思えない。

ソアレの心も、ハイネの呪いも、キキョウへの謝罪も。心労だらけだ。

 

だが逃げっぱなしでは、この辛さは延々と続く。目を背け続けていても何も解決しない。

 

「……いつも祝いの席で使ってる店の個室、予約しとくから」

 

臆する内心に喝を入れて、ソアレに食事の誘いを申し出る。あの店には個室がある。秘密の話にも最適だ。だから、

 

「皆で話そう」

 

これからのことを。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「…まず、これだけは伝えさせてくれ。瘴気を受け取るのも、治癒するのも俺がやりたくてやってたんだ。だから、できれば気に病まないでほしい」

 

「そこまでして早く死にたかったの」

 

少し棘のある声で、ハイネは俺の言い訳をぶった斬った。一番ネガティブな解釈をされて言葉が詰まる。

 

「……はぁ」

 

彼女の吐息だけが個室に響く。

まるで水の中にいるかのようで、全く息継ぎができない。まだ何も食べていないのに吐きそうだ。

話題を逸らす。

 

「…あの、さっきキキョウの手を払ったのは、俺の手が瘴気に侵されていたからなんだ。拒んでしまった形になって、すまなかった」

 

瘴気、という言葉が聞こえると同時にソアレの肩がびくりと跳ねた。キキョウはそちらに一瞥を送った後、当然の疑問を口にする。

 

「何故、半裸であのような事を?」

 

「……その。動揺してたんだ」

 

「質問の答えになっていません。…何があったんですか?」

 

「…ごめん。それは言えない」

 

また、重苦しい沈黙が場を支配する。控えめに言って地獄だった。

言えないようなことをした元凶である、羊角の女に視線を送る。するとハイネはいつもと変わらない調子で微笑んだ。

 

その表情を見た瞬間、言いようもない衝動が頭を支配した。立ちあがろうと脚に力を込めるも、寸前で思いとどまる。

ここでハイネに感情をぶつけても何にもならない。それに、ソアレとキキョウにこの事は言えない。

 

目の前の水を一気に飲んで頭を冷やす。

 

そんな俺の心中はお見通しだとばかりに、ハイネは穏やかな顔で俺を見ていた。

 

「ねぇ、ラスタ」

 

その時、ソアレが店に入って初めて、震える声で言葉を発する。唇をきつく引き結びながらも、彼女の目は無感情に凪いでいた。

 

「……冒険者、辞めようよ」

 

ソアレの言葉に、ハイネもキキョウも全く反応しない。午前のうちに三人で話し合っていたのだろうか。

 

 

「嫌だ」と。普段の俺なら言うだろう。冒険者は前世からの夢だから。自分の命なんだから、自分で好きに使うことに問題は無いだろう、と。

 

しかし今では、彼女の提案を拒めない。

 

もう俺だけの命でなくなってしまったから。

 

 

 

だからと言って、やはり彼女の言葉を受け入れることには躊躇いがあるし、仮に受け入れたとしても引退(それ)は簡単には出来ない。

 

俺たちはA級の冒険者パーティだ。一部の例外を除けば実質、最上級のパーティだと認められている、ということである。

 

冒険者は等級に応じて様々な特権がある。専属の受付がついたり、素材の売値が上がったり。

それと同時に、高ランクの冒険者には()()が生じる。

 

力には責任が伴う。

冒険者ギルドのモットーだ。前世にも似たような言葉があるのを思い出し、感動した記憶がある。

 

 

 

つまりまだ若い俺たちが冒険者を引退するためには、それ相応の理由が必要なのだ。その理由はもちろん、(ラスタ)になるだろう。

 

その事を三人は分かっている。それに、俺がこの能力を隠したがっていることも勿論知っている。

 

「…考えさせてくれ」

 

俺の優柔不断な返答を非難する者はいない。しかし彼女らの顔は、俺の言葉にひどく落胆したように見えて。その眼から逃れるために、俺はすっかり冷めてしまった眼前の料理に手をつけ始めた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

結局あの後、俺たちの間に話の花が咲くことは無かった。せっかくの良い店であったが、どれを食べても味がよく分からずに機械的に食べ終えた。

 

誘ったのは俺だからと、財布を取り出した手をかなり強く押さえつけられた。俺の分まで三人が払ってしまった。普段は奢り、奢られなんて気にしない。でも今日はなんだかショックだった。

 

 

 

 

 

室内用の法衣に着替えて、自分の部屋のベッドに横たわる。

また、何も成さずに一日が終わってしまった。

こんな風に一日を無駄にした感覚が苦手で、予定のない休息日はいつも教会や孤児院を訪れている。

 

しかし、今日は足を向けようとも思えない。一人になると蘇る。俺の頭の中は、ハイネの言葉でいっぱいだった。

 

 

「…できる訳、ないだろうが」

 

店を出た直後にハイネがしてきた耳打ち。

 

『貴方が冒険を続けたいのなら、私はそれでも構わない』

 

ハイネは分かっている。俺が「雷霆への祈り」の仲間たちを特別視していることを。普通に考えれば、「構わない」なんて嘘だろう。自分を人質にした脅迫のはずだ。冒険者を続けることは、俺の死が早まることに等しいから。

 

でもハイネの意図は違う。俺の行動に枷をつけようとしたわけじゃない。

無論、冒険者を辞めることが理想的だとは思っているだろう。しかし、「別に死を選んでも良い」と言っているようにも聞こえた。

 

本気なのだ、彼女は。真剣に、ハイネは俺と心中しようとしている。

 

「そう言うのは、好きな人とやれよ……」

 

妥協が過ぎるだろう。詳しくは知らないが、魔族は生産年齢が長いと聞く。確か三十歳には成人の儀を済ませて、三から四百歳までは現役である、と記憶している。

 

ハイネの実力ならば、「雷霆への祈り」の解散後に別のパーティで活躍することも容易だろう。それに、俺が死んだ後に好きな人と結ばれてくれれば、そいつがハイネを癒してくれるだろう。

 

禁呪、なんて。

いつも冷静な彼女が衝動で使ったとはとても思えない。しかし、ここで「俺のことが好きなのか…?」なんて巫山戯(ふざけ)た考えを浮かべられるほどに、俺は調子こいたラブコメ思考を持っていない。

 

そもそも、好きな人がいれば一緒に生きたいと思うのが普通だろうし。

 

 

考えても、ハイネの胸の内は分からない。でもこれだけは言える。

俺はハイネに死んでほしくない。そのためには、やはり禁呪を解かなければならない。なんとしてでも女神様とコンタクトを取らなければ。

 

となると、やはり教会に行くのが正解だろうか。それなら今日はさっさと寝て朝一番に………駄目だ。またハイネに背後を取られるような予感しかしない。

 

部屋の中をぐるぐると歩き回りながら考える。

ハイネの呪文を解くための行動だ。つまりハイネだけには絶対にバレてはいけない。

 

「……深夜か?」

 

流石に寝ている時に行動すれば大丈夫ではないか。

時計を見ると、今はゴールデンタイムを少し過ぎた頃。遠くから微かに酒屋での喧騒が聞こえる、気がする。

 

………酒。結構好きだが、全てがバレたあの日からずっと、図らずも禁酒を続ける事になっている。荒んだ心を癒すために、作戦決行の深夜になるまで一服するのもありかもしれない。でもほろ酔いの状態で教会へ行くのはやはり躊躇われる。…いや、あの女神様なら大丈夫だろうか。

 

迷っているうちに時間は過ぎていく。

 

結局、酒を準備する面倒さが勝った。諦めてぼけーっとしておこうと思ったまさにその時。

 

「……ラスタ?いますか?」

 

「!」

 

控えめに、部屋の扉が叩かれた。

一瞬の硬直のあと、おずおずと立ち上がる。無言でドアの前まで行き、ゆっくりと扉を開ける。

 

 

「………キキョウ」

 

「こんばんは。よかったら、久しぶりに一杯やりませんか?」

 

いつものキッチリとした和装は脱ぎ去って、ゆるい寝巻きに身を包んでいる黒髪の少女。

キキョウは俺を見上げると、葡萄酒(ワイン)の瓶と二つのグラスを掲げて控えめに笑った。

 

 

 

 

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