治癒を騙って仲間の呪いの肩代わりしてたのがバレた


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作:甘朔八夏
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3.堕陽


 

 

英雄譚が嫌いだった。表紙を飾る勇者様は、みんな屈強な男だったから。

 

聖書に縋った。悪い魔物を、女神様が自らの手で薙ぎ払っていたから。

 

 

 

「——ボクね、大きくなったら冒険者になるの!それでね、女神様みたいに魔物をいっぱい倒すんだ!」

 

そう語ると、母はいつも困ったように笑って、そっと少女の頭を撫でた。今なら分かる。それは母なりの優しさであり、逃避だったのだろう。母は伝えなかった。いや、伝えられなかった。「不可能だ」と。

 

八つ当たりだとしても、恨めしく思ってしまう。最初からこうなることを知っていれば、苦しむことも無かったのに。……諦めることも、できたかもしれないのに。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「…よし」

 

丑三つ時。静まり返った世界でただ一人、ソアレは草原に立っていた。その手には、手作りの不格好な木剣。刃渡りは一メートルにも迫り、まだ幼い彼女には分不相応な長さであることは、誰の目に見ても明らかだった。

 

ゆっくりと木剣を高く上げて、腰の位置まで振り下ろす。しかし重さに負けて、剣は激しく地面に激突する。手に衝撃が伝わって、堪らずソアレは木剣を手放した。

 

 

———そんなの時間の無駄だ。

 

———「おままごと」は楽しいか?

 

———弱い上に馬鹿なんだね。いい加減諦めたら?

 

 

「…っ!」

 

唇を強く噛んで木剣を拾う。耳に、心にこびりついた否定の言葉を振り払うように、素振りを再開した。

 

「一ッ!………二ッ!」

 

 

しかし、十回にも満たないうちに体力が尽きて、その場に倒れ込む。

肺が握りつぶされたように痛い。全身が悲鳴をあげている。立つことも億劫だ。…でも、やめる気は毛頭無い。

震える身体に鞭を打ち、再度立ち上がった瞬間。

 

「駄目だろ。夜遅くに子供が一人でこんな所に来ちゃ」

 

「ッ!?」

 

その場から飛び退いて、声の聞こえた方を見る。そこには、自分よりも数歳年上であろう少年が立っていた。幼さを感じさせない端正な顔つきに、サイズの合っていないぶかぶかの法衣。ソアレはこの少年のことを知らなかった。この小さな町で、自分が一度も見たこともない子供が存在したことに、彼女は密かに驚いた。

 

「……誰?」

 

「俺のことはどうでもいい。それよりお前、冒険者を目指してるのか?」

 

どきりとした。先ほどの素振りを、見られていた。

途端に自分を否定する言葉が蘇ってきて、ソアレは耳を塞ぎたくなった。でも、夢に嘘は吐きたくない。

躊躇いがちに、こくりと頷く。

 

「お前、まだ十歳かそこらだろ?昼間の訓練に加えて特訓してるなら、ちょっとやりすぎだと思うぞ。休息も大事———」

 

「参加できるならしたいよ!!!」

 

突然の大声に、少年は驚いて口をつぐむ。

 

「ボクのことなんにも知らないくせに、口出ししないでよ!!」

 

 

 

——呪いは遺伝する。生まれつき、ソアレの肺は瘴気に侵されていた。

確かに彼の言うとおり、日中には引退した冒険者が子供達に剣術を教えている。しかし激しい運動ができない彼女が、訓練に参加することなんて許されるはずが無い。

深夜の特訓は、ソアレの最後の悪あがきだった。

 

 

 

ハッとして口を押さえる。初対面の少年に向かって叫んでしまった。恐る恐る彼を見ると、少年は感情の読めない顔でこちらをじっと見ていた。

 

「なんで冒険者になりたいんだ?」

 

また、彼の質問にどきりとした。これを言えば笑われる。否定される。夢を汚される。

しかし、彼の目はひどく真剣だった。その質問が彼にとって大切なことであるのが、痛いほど伝わった。

 

その気迫に当てられて、ぽつりと、本音が漏れ出た。

 

「かっこいいから」

 

それを聞いた瞬間、少年の口元が大きく(ほころ)んだ。

 

「いいね。最高だ」

 

それがラスタとの出会いだった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

それから毎日、ラスタは草原でソアレを待っていた。

 

「…今日も来たのか。最近は昼間の訓練も参加してるだろ?もう呪いは治したんだし」

 

「訓練以外の時間はずっと寝てるから大丈夫!」

 

「お前さぁ…そんなんじゃ友達できないだろ?」

 

「でもラスタだってボク以外に友達いないじゃん」

 

「ゔっ」

 

あの日、この少年はいとも簡単にソアレの呪いを消し去った。生まれてからずっと彼女を襲っていた息苦しさが消えて、ソアレはむしろ違和感しかなかった。

 

「呪いは消しといたから。特訓は適度にしろよ」と、なんてこともないように言ったラスタ。彼の力が異常であることは、魔法についてからっきしであったソアレでも分かった。

 

そんな()()な少年が、今自分の前でばつが悪そうに目を逸らしている。彼との関係が自分だけの特権であることが、なんとなく嬉しかった。

 

 

「…それで?今日は何を見せてくれるんだ?」

 

「今日は手の腱の斬り方を教わったよ!これで相手に大きな怪我をさせずに無力化できるんだってー」

 

その言葉に、ラスタは少し顔を青くした。

 

「子供に教えるにしては技が生々しすぎる…」

 

「とっても繊細で難しいんだよ?訓練中に上手く先生の真似できたの、ボクだけなんだから!」

 

自慢気に胸を張るソアレを見て、ラスタは微妙な表情で後ずさる。

 

「…こわ」

 

彼の言葉は、幸い彼女に聞こえることは無かった。

 

 

 

 

 

 

 

 

端的に言って、ソアレは天賦の才を持っていた。

一度の指導で十を知り、度重なる自主練習によって、それを研ぎ澄まして新たな技術へと歩みを進める。

 

三年も経たないうちに、ソアレは師を超えた。

 

 

 

「ラスターーー!!」

 

「んぐえっ」

 

無防備な彼の背中へ飛び込む。反応できなかったラスタはその勢いに負け、彼女の下敷きとなった。恨めし気な目線を送る。しかし当の彼女は屈託の無い笑みを満面に浮かべており、ラスタの怒りは行き場を失ってため息と化した。

仮に彼がソアレを警戒していたとしても、彼女の突進(かまって)を避けられるほどの力量をラスタは持ち合わせていないが。

 

「昨日ぶり〜!…あっ、ごめん掃除中だった?ボクも手伝うよ!」

 

「いや、厚意だけ受け取っておくよ。大体は終わってるからもう掃除完了でいいだろ——」

 

「絶対ダメ!!それじゃ女神様に失礼!!」

 

彼女の迫力に押されて、ラスタはたじたじと頷いた。

 

 

 

 

 

 

ラスタが教会で働いているのを知ってから、ソアレは足繁く教会へと通った。それを続けているうちに、憧れの対象であった女神は、いつのまにか信仰の対象へと変わっていた。

 

 

長年一緒にいると、ラスタへの印象も大きく変わる。いや、本性が見える。

 

初めはどんな病気も治してしまうすごい人だと思っていた。町のみんなのためにずっと教会から出ずに修行している高潔な人だと思っていた。

 

 

「女神様ねぇ…こんくらい適当な方があの人に合ってると思うけどなぁ…」

 

渋々掃除を続けながらぼやく少年を一瞥する。

 

実際、彼はただのだらしない人間だった。仮にも聖職者なのに聖書の暗唱もできず、女神様への敬意もない。

何が「女神様はもっとフレンドリーな方が喜ぶ」だ。とんでもないことを言っている自覚をしてほしい。

それに、最初の印象が間違いではないことも複雑だ。不精さと高潔さを両立させた人なんて、彼くらいではないか。

 

 

 

 

「ラスタ、治癒を頼めますか」

 

暫く掃除を続けていると、裏口の扉を開けて司祭が彼を呼んだ。その声にラスタは慣れたように頷くと、教会の中へ戻っていった。ソアレも彼に静かに付いていく。

 

そこに居たのは、派手に転んだのか、膝からかなりの量の血を流している少年。

 

「泣くの我慢してここまで来たんだな。えらいぞ」

 

ラスタは少年の頭を優しく撫でると、患部に手を添えて目を閉じ、そっと祝詞を寿いだ。

 

すくいを

 

 

……ラスタはずぼらだ。どうしようもない程に。先週なんて、作った夕食をついでに女神様への供物にしようとしていた。それに、助祭の職についていながらも偶に礼拝の時刻を間違える。本当にどうしようもない。

 

それなのに。

 

彼の祝詞は、祈りは、ソアレが知る中で最も美しいものだと確信できた。少年の怪我が消えていく。まるで宗教画のような光景。

 

その祈りを捧げられる女神様のことが羨ましい。不思議とそう思った。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

ずぅん、と重い音を鳴らして、鋼鉄の巨体が地に伏せる。ぴくりとも動かなくなった魔猪を呆然と見つめながら、ソアレは剣を地面に落とした。

 

「……やった。やった!!やったよラスターー!!」

 

指先すらも動かせない程の疲労を無視してラスタの胸に飛び込んだ。

血だらけになった。ボロボロになった。それでも、ソアレは初めて魔物に勝利した。

 

「ぐほっ!?だから飛び込むなって…!あと怪我してるんだから激しい動きは——」

 

彼の言葉が詰まる。その目の先には、積年の夢の第一歩を果たした、希望に瞳を輝かせて太陽のような笑顔を浮かべる少女の姿。

 

「……おめでとう、ソアレ」

 

その言葉を待ち望んでいた。ソアレは限界まで頬を緩めて、ラスタをより強く抱きしめた。

 

 

 

「…ただ、一個だけ言わせてくれ。無茶はするなって言ったよな?」

 

ぴしり。自身の血でラスタの法衣に染みを作りながら、ソアレは凍りついたように固まる。

 

明らかに刺々しい彼の声色に、抱きしめた腕にこめていた力を緩めて、説教から逃げ———

 

「…いひゃい(いたい)

 

ようとするも、両頬をつねられる。懲りないソアレの態度に、ラスタは大きくため息をついた。

 

「気持ちは分かる。すごく分かる。初めての魔物との戦闘で、尚且つ魔物を良いところまで追い詰めていた。……現に倒せた訳だし」

 

でひょ(でしょ)おく(ボク)ひゅっぎょく(すっごく)がんば(がんば)っひゃん(ったん)あよ(だよ)?」

 

「…でもな、いくら治せるったってお前…腕折ったまま戦闘続けるのはどうかと思うぞ??」

 

別に逃げる選択肢もあったんだからさ、とか、一度戦闘中にストップかけただろ、とか。ラスタの否定的な言葉を聞いて、ソアレは無意識の内にむくれていた。

 

応援してくれるのではなかったのか。不満を視線に込めて、それを彼に送りこんだ。ラスタはその表情を見て苦笑する。

 

「ソアレはまだ十四歳じゃないか。まだ子供だ。夢を止める気は全く無いが、もっと自分の身体を大事にしてほしい」

 

真剣な顔で彼女の頭を優しく撫でた。「ラスタだってボクより二歳年上なだけじゃん」なんて茶化そうとしたが、やめた。できなかった。

 

「!?……おい、ソアレ?」

 

彼から飛び退くようにして離れてそっぽを向く。そして自分の頬をむにむにと弄った。

 

大切に思われている。

 

そのことに顔がにやついているのを、彼に見られたくなかった。

 

「な、なんでもない!ラスタの言う通り、怪我には気をつける!!」

 

心配そうに近づいてきたラスタからまたもや距離を取り、そう叫んだ。

なんにも分かっていない彼のきょとん、とした顔が憎らしかった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

それから程なくして、ソアレとラスタは故郷を発った。

冒険者になる。

そんな過去の自分にとっては荒唐無稽な夢を現実にするために。

と言ってもソアレはまだ十四歳。町中から上がった制止の声を、彼女は魔猪の死体で悉く黙らせた。

それだけではない。ラスタと一緒に行く、というのも大きかった。町の衛生の根幹を握っていたと言っていい彼の旅出を、渋ることなく祝福してくれた司祭には頭が下がる。

 

彼のように、瘴気由来の病気を治せる人物など聞いたことがない。これもきっと女神様のお導きだ。期待に胸を躍らせて、たくさんの人の助けを貰って。二人ならどこへでも行ける気がした。

 

 

 

——ロザリオは彼と同じものを探した。彼に秘密で入手して、何も言わずにつけ始めた。それに気づいた時の彼の驚いた顔は今でもしかと覚えている。

 

 

 

——雷の魔法に適性があった。ラスタに褒めて欲しくて、裏でずっと魔法剣の練習をした。剣術に魔法を纏わせることはかなりの高等技術のようで、習得には非常に苦労した。

 

その苦労も、なんとか習得した魔法剣を見せた時の彼の反応で、賞賛で全て吹き飛んだ。

 

憧れの英雄を見るようなきらきらとした瞳を向けられて、ソアレは努力して良かったと心から思った。

 

 

 

——パーティの名前はソアレが決めた。彼が「小っ恥ずかしい」なんて言って丸投げしたのだ。だから欲を出した。

 

『雷霆()の祈り』。

 

露骨すぎたからか、受付嬢に肘で突かれたのもいい思い出だ。しかし、ラスタは未だにそれに気づいていない。正直、この名前を考えた時は自分でもどうかしていたので、彼が鈍くて本当に助かった。………ほんの少しだけ残念だと思ったのは内緒だ。

 

 

 

 

 

 

それから仲間が増えて。二人きりだったパーティが賑やかになって。姦しくなったパーティ内で、ラスタは存外うまくやっていた。

ラスタが自分だけの特別でなくなっていく。そのことに少し寂しさを感じたが、四人になってからの「雷霆への祈り」はそれ以上に楽しかった。

 

心から信頼できるパーティメンバーとの共闘には心が躍った。

 

かつて自分を救い上げてくれたラスタを、今度は自分が護りながら戦えることに密かな悦を抱いていた。

 

魔物から傷を受けるのを恐れなかった。ラスタが自分に対して祈ってくれるから。

 

 

今が人生の絶頂だと断言できるほど幸せだった。

本来なら致死の呪いである瘴気。それを無力化し、数多の魔物を切り伏せるソアレのパーティはあっという間にA級の称号を得た。

 

このまま四人で、ずっと一緒に居るものだと信じて疑わなかった。大切な人と、信頼できる仲間と一緒に過ごせる「今」が、そして希望に溢れた「未来」が大好きだった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

その幸せが一人の犠牲によって作られた虚構であったことを思い知った。

 

 

 

 

教会でラスタにばったり会った後。気まずそうに口をつぐむ彼の手を引いて、人っ子一人いない路地裏へと入り込む。

 

「あの、ソアレ?そろそろ手を離してくれると助かるんだけど…」

 

「なんで?痛かった?………嫌だった?

…そうだよね、ボクずっとラスタの言うこと聞かずに怪我ばっかりしてたもんね、嫌いだよねボクのことなんか。ボクのせいでラスタは——」

 

「ちょっ、待って待って!ストップ!」

 

制止の声も聞こえないほど、ソアレの心はぐちゃぐちゃだった。

 

「我が儘だって分かってるの、でも嫌なんだラスタとお別れなんて。お願い捨てないでボクを見て生きて笑ってよ」

 

抱きしめたかった。でも、彼の身体は瘴気に(まみ)れていた。自分が受けた呪いで、彼の身体は埋め尽くされている。

せめてものかわりに、彼の手に縋り付く。

 

「…ボクを、置いてかないでよ」

 

夢を追う黄金の瞳は、もう輝いていなかった。

 

 

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