第四筆 文守

 どうやら神社に来るまでの道のりと龍神像の掃除に、俺は相当に時間をかけていたらしく、気づけばもう遅い時間だった。

 あたりは夕暮れ時。俺たち妖怪の時間。

 夕暮れと夜、そして昼間は俺たちが活性化する時間——と思われがちだが、実際そうなんだろうけど、人間のコミュニティで暮らしてきた俺は昼型である。

 焚き火を起こす。俺はマッチを擦って火を藁クズに移して、シラカバの樹皮に火をつける。


「どうしてシラカバなんですか?」

「油が多く含まれてて燃えやすいんだ。いい燃料になる」


 あたりの転がっていた枯れ木を投げ込んだ。石で囲った簡易な焚き火だが、充分だ。


「俺は蕾花。君は?」

潤花うるかです」

「……潤花は笑わないな。ずーっと仏頂面だ」

「蕾花に言われたくないです。あなたもずっとむすっとした顔をしてる」


 そうでもない、と言おうとして自分の顔を触ると、その表情筋は凝り固まって、口はへの字に曲がっていた。

 俺だって笑う時は笑う。

 それはどんな時だっけ。


「潤花はお笑いは好き?」

「お笑い?」

「漫才とかコントとか。コントはまあ、ラジオじゃ聞けないけど。というか見れないけど、携帯受信機があるからそれで見れるよ」

「……漫才、コント……?」


 俺は唐突に立ち上がる。そして、我ながらとち狂ったことを口走った。


「君がウケるまで一発ギャグをする。これがお笑いの源泉だ」


 俺はいつからお笑い芸人になったのだろう? ありもしない理想に取り憑かれていることはわかっていたが、困り顔の彼女を見ていると笑わせたくなった。

 目覚めた世界が破滅の途上にあれば、誰だって気が参るだろう。

 俺は全力で馬鹿になった。元から馬鹿だが、それを取り繕わず、全力で曝け出した。


「ドウモワタシ、ミッコウシャデス」

「ミッコウシャ?」


 だめだった。そもそも単語の意味が通じていない。


「世界はまだ、終わってなぁああああああい!」

「はぁ……」

 勢いでは押せないらしい。呆れている。


「俺は君だ」

「はぁ?」という顔をされた。

 こいつを笑わせるのは至難だ。その後も「喜怒哀楽、俺は大体哀、世界は気楽に怒ってる、誰も喜んでない」と言ったり、去るように歩くふりをして振り返り「いないこともないばあ!」とおどけてみる。


 全部スベった。潤花はもう俺じゃなくて焚き火を見ている。

 彼女の横に座り、ぼそっと「俺はとても良からぬことを企んでいる」と言ったら少しウケた。

 嬉しかった。


 俺は巻物を広げる。光の帯が淡く浮かび上がり、潤花はそれを横から覗き込んだ。

 文車ノ筆で執筆する俺を、じっと見ている。


「〈文守ふみもり〉……」

「なんだって?」

「大昔にいた、文章で世界を記録する一族です。あなたは〈文守〉……?」

「そんな大したもんじゃない。ただの捨てられ妖怪だ」


〈文守〉——聞いたことがない単語だった。

 彼女が何か、妄想とか空想を現実と取り違えている可能性もあったが、天下の龍にそんなことがあり得るだろうか。

 いずれにせよ俺は今日一日のことを書き殴る。

 相変わらず最初の一文で躓いたが、「及第点」といえるそれが書けた段階で突っ切ることにした。


 俺は一度筆が乗れば本当に速いタイプだ。

 一時間もする頃には今日一日の出来事を書き綴り、巻物を丸めようとして、


「読ませて欲しいです」

「えっ」


 潤花が血色の目で俺を射抜き、そう言った。

 どう返せばいいのかわからなかった。君のために書いているわけではない、人に読ませられるもんじゃない、自己満足にすぎない——随筆を兼ねたノンフィクション小説だからつまらない。

 言い訳が無数に浮かぶが、俺は求めていた読者を得ようとしているのに、どうしてそれを拒絶してしまうのだろうかと、はたと現実に立ち返った。


「文字は、巻物が補正して読みやすくしてくれてる。霊力を込めながら読んでいくと、勝手にぺーじが更新される」


 俺は巻物を手渡した。


 彼女が俺の物語を読んでいる間に、俺はキャンプ用の飯盒はんごうを取り出して飯盒炊爨はんごうすいさんをする。

 必要分の生米を裏で取ってきた水袋草の水で研いで、濁りがなくなったら水に浸す。

 その間にツガイモ(=神津垓かみつがい大陸で取れる芋のこと)を角切りにしてポイポイ飯盒にぶち込む。

 そうして蓋をし、焚き火に引っ掛ける。


 ザックから小鍋を取り出して俺は野草とキノコをナイフと化した文車ノ筆で刻み、今朝獲った牙豚の肉と炒める。

 味付けは醤油と砂糖。残った肉は、直に炙る。どうせ腐ってしまうなら、腹の足しにしておきたい。


 自炊を覚えたのはこの半年。ご立派に知識だけはあったが、経験はなかった。

 醤油砂糖の甘辛い香りが広がる。牙豚の脂が溶け落ちて、焚き火がばちばちと爆ぜた。


 あたりはもう暗い。俺は霊力ランタンを高周波モードで設置する。


 書いては消して——それを繰り返した俺の物語は、せいぜい短編一本分程度。三、四十分もあれば読める。序盤の俺のがたなんてほとんどダイジェストだ。

 飯盒からおこげの匂いが立ち込め、俺は飯盒を焚き火から離し蓋を底にし、裏返す。このまま十分ばかり蒸らせば米は充分だ。


 肉はうまく焼け、脂が滴る。

 潤花が巻物を丸めて、一息ついた。 


「……あなたの物語は、独創的で愉快。きっと、読み手は選ばれるだろうけれど、私はもっと続きを読みたい」

「…………!」


 ——全部が。

 俺の、これまでの一切が報われた気がした。


「どうしました?」

「え、あ……いや……どう、面白かった?」

「詩的なのに写実的な表現が愉快でした。魂が揺すぶられる……ただ、万人には受け入れられ難いのも事実」

「うん、それは自覚してる」


 キャラバンでも俺の書く物語は、商品にしてもらえていたが、買っていくのはどっか変わった連中で、そして九割が妖怪だった。


「でも、面白い。どうして書こうと?」

「俺にはそれが生きることと同義だからだ。書いてないと死ぬから書く。それは人間が呼吸をして、食べて、眠るのと同じだ。俺はたまたま、そこに執筆という活動が付随しているだけだ」

「カッコつけてません?」

「俺の随筆小説自伝の初めての読者の前だ。格好くらいつけたくなる」


 本当は、雄叫びをあげたいくらい嬉しい。作家とはそういうものだ。プロだろうがアマチュアだろうが、読んでもらって感想がつけば、そうなる。

 特に俺のように、ずっと鳥籠の中で、惨めな「飼育下」におかれ、自由を剥奪されていた者にとっては——。

 潤花は小さく頷いて、そうして、でも巻物を返そうとしない。


「おい、返してくれよ」

「あなたの物語に、私も一緒に寄り添いたい」

「はあ? お前はここの土地神だろ」

「守るべきヒトも、参詣する者も流れ者——土着の民を失った私は、もはや神ではなく妖怪です。それに、蕾花には護衛役や推敲役がいります」


 返す言葉もない。

 俺は幸い、山賊に出会したことは今のところないが、万が一そんなことがあれば、一人で乗り切れるかわからない。


「わかったよ。……でも、まずは飯だ。飯食って、寝て、明日に備えよう」

「はい……!」


 俺たちは手を合わせ、夕飯に手をつけた。

 遠くから、不気味なフクロウの鳴き声が響き渡るのが——何かの始まりを告げるようにも思えた。

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或る狐のをかしき紀行 — 終末を語り継ぐ者、或いは夢と現実の狭間に立つ者 — 磯崎雄太郎 @Rafe-Next

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