第三筆 龍神、目覚めて

 三二〇年前に文明が突如崩壊した。

 今を生きる人間、妖怪にしてみればむしろこの状態がデフォルトだから滅ぶ前の世界なんて知る由もありはしないが、俺は知っている。本で、あるいは画像データで見た。


 世界を滅ぼしたその現象は「大萌芽」と言われているらしく、世界は突如、大氾濫した緑に没した。


 外宇宙から飛来した隕石に付着していた種子が芽吹いたとも、

 異次元から送り込まれた植物型侵略兵器とも、

 自然を愛する「神使」の一柱が、当時の大地を踏み荒らすが如き人類の悪行に怒り狂ったのだとか、

 あるいは狂気の植物学者の偏愛が生んだ技術の結晶とも言われ——


 ——そのほとんど映画の見過ぎだとしか思えない推論や憶測が飛び交っている。


 とにかく俺が生まれるずっと昔の世界は、天を貫かんばかりの超高層ビルがあちこちに建っていたそうだが、今はその代わりに、阿呆なほどの巨大な木が生えていた。


 だからその廃神社を記す公式な地図は、存在しない。というより、そもそも公式に地図と言えるものが、もうこの土地にはない。

 せいぜい周辺地域に居着く者たちの間で流通する手書きの地図があるくらいだ。


 ……でっけえ街にでも行けば別なのかなと思うけど。

 ——と言ってもこの惑星——玄慈球げんじきゅうの遥か上空を人工衛星ってのがとんでのは三〇〇年も前だろ。鉄の塊が三〇〇年、手入れなく浮かんでられるか?

 もちろん三角測量とかそういう方法で地形を測ることはできるだろうが、化獣が跋扈するこの土地でそれは至難だ。

 極めて困難であり、厄介、極まりない。


 今もまだとんでいる人工衛星があれば——この星はどう見えているだろう?


 そこまで考えてありえない、と思った。俺にはそんな魔法のような機械があるように思えない。


 キャラバンで旅をする中、抑圧下にあった俺の楽しみは読書だった。商品の落丁を調べると言い張り、俺は物語——空想科学からファンタジー、自伝、伝奇小説まで読んだし、恋愛やミステリーはよくわからなくて本当に誤字脱字探しくらいで流し読みだった。

 他にも自己啓発系の本や、歴史書、生物学の本を馬鹿なりにわかるよう、自分にできる限りで噛み砕いて読んでいた。

 読み書き計算も、最低限の話術も、本で学んだと言っていい。大人は誰も、教えてなんてくれなかった。


 あの牙豚について知っていたのだってそうだ。

 俺は書物で見聞きした知識を、——あるいは思い込み、妄想癖とも言える短所でもあるが——自分ごとのように解釈できる特技があり、それによって俺は諸々の知識を身につけてきた。


 さても俺は、名もなき——あるいは失われて久しい——廃神社の拝殿にいた。

 小さな神社である。拝殿。それから社務所らしき建物があり、境内は広いが、やはり人の姿も気配もない。


 藍色の鳥居を抜けた先にあった拝殿で、俺はお参りした。

 供物と呼べるものがない俺は、——一魄貨いちはっか硬貨を投げ入れたあとで腰の袋を弄って「参詣札」を取り出す。

 これは俺が綴った「神への感謝の文」を書き記したもので、それを苔むして朽ちた賽銭箱に入れ、二礼二拍手して瞑目。

 静かに、これまでの反省を内なる宇宙へ語りかけ、そして、一礼した。


 神闇道主神、混沌と黒闇、月——あるいは暴威の荒神・女神常闇様曰く、ヒトは死後、己の信奉する宇宙へと輪廻していくらしい。

 例えばその宇宙が異世界ファンタジーの世界なら異世界へ、宇宙艦隊の総司令になっている宇宙なら宇宙艦隊がある宇宙へ。


 そのように輪廻を無限と言えるだけ繰り返した果てに、常闇様の胸の内——「可能性のうねり」たる混沌へ還っていくのだそうだ。


 俺が信じる宇宙は、まだ曖昧だった。でもやっぱり、旅人でいたいと願っている。

 中世ファンタジーの冒険者? 未知の開拓惑星のパイオニアとして? あるいは、やっぱり滅んでいる世界で?


 しばし瞑目し、体感で十分じっぷんほどそうしていたか、俺はゆっくりと目を開けた。


 このまま出て行ってもいいが、俺は妙に「力」を感じていた。

 それはある種のパワースポットと言えるものであり——あの行商人がそう感じたのも頷ける——、俺は霊力の導きに従うままに拝殿の裏手に回る。


 そこにはこの神社の御神体だろうか、龍神の道祖神(?)が安置されていた。いや、表に加護地とあったから土地神だろうか。

 常闇之神社における龍とは大地の守り神だ。山と谷、川。人の生活に欠かせぬ存在として敬愛され、あるいは畏怖されている。

 龍神像はすっかり蔦と苔に蝕まれており、俺はよしと頬を立ていて、荷物を置いた、——無論、筆記袋は離さない。


 俺はザックから雑巾を取り出す。ボロボロになって使えなくなった衣を縫い合わせたリサイクル品だ、この雑巾がさらに使えなくなれば、焚き火の種火として使う。

 近くにあった水袋草みずぶくろそうの水で雑巾を濡らし、龍神像を丁寧に磨く。

 絡まる蔦をグローブ越しに掴んでひっぺがし、なるべく丁寧に、綺麗になるよう拭いて、磨く。


 不思議と心が洗われていく気がした。ありがちな表現だと思う。だけど、てらった物言いだけが表現のよさではない。時にシンプルすぎるくらいのが、面白い。


 俺なんかが龍の体に触れるなどおこがましいにも程がある。龍にしてみれば、一介の、たかが三尾ごとき狐の俺なんぞは塵芥も同然だ。その気になれば、鼻息ひとつで吹っ飛ばせるに違いない。

 だが、だからこそその龍が汚れているのは見過ごせない。


 拭いて磨いて、雑巾を濡らしに行って、また拭く。

 そして綺麗になった道祖神を前に、俺は手を合わせた。


「この土地にします龍神様、どうか小さき者の旅路をその鼓動で明るく照らしてくださいますよう、お祈り申し上げます」


 瞑目。大きな深呼吸を繰り返す。

 朽ちた木と、緑と、水気に湿気った土と腐葉土の匂い。


 ——ほのかに香る、甘い、花のような匂い。

 ——誰かの囁き声のような風が吹き抜ける。


 お参りを済ませた俺は目を開けて、「おわっ」と声をあげて後ろ下がろうとし、何かに——多分めくれた石畳——つまづいた。

 転びかけた俺を、目の前にいた子・・・・・・・が慌てて腕を掴んで、助けてくれる。


「大丈夫?」

「…………!」


 そこにいたのは白銀の髪に真紅の目を持つ、龍の女。背は俺よりずっと高く、余裕で頭一個は大きい。大きいのは頭だけでなく、乳房も、全体的に大きいのだ。太っているわけではないが——その大きさの印象の一助であるのは、尻尾だろう。

 両腕と両足、そして尻尾には水色の鱗が生え、青白い毛がたなびいている。

 角は赤く、和装を着込んで、手には赤い弓を握っていた。


「この世界は随分と様変わりしましたね。……そうですか、眠りについて五〇〇……? 六〇〇年ほど経ちますが、ヒトの文明は終わりましたか」


 ぶつぶつと言う龍の女。

 こいつも妖怪だろうとは思うが、もっと霊的な——神に近い存在なのは確かだ。

 ふとみれば、あの龍神像が消えている。


 そして龍の女は、俺をまっすぐに見て、


「あなたの言葉の力に……呼ばれました」

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