第二筆 作家、あるいは獣狩
一文を書き出してしまえばあとは早い。重い腰を上げるというが、まさにそれだ。立ち上がれば筆の乗りはよく、今朝は充分に書けたように思う。
俺は筆記具を片して野営したそこを後にした。石で囲った焚き火。拾い集めた薪は全て炭と化し、火の気配はない。
それでも土をかけて完全に消火した。森林火災なんてごめんだ。妖怪である俺は、自然が好きである。己の棲家でもある、そして糧をもたらす土地を焼くなど愚図の権化だ。
ザックを背負い、胸と腰でバックルを結ぶ。相当に頑丈な軍用バックルであり、そりゃあもう硬い。多分子供の力じゃびくともしないんじゃないかな。
狐は細身でしなやかな印象から、その妖怪である妖狐は「パワータイプに見えない。スタミナはなさそうだ」と、たまに言われる。
まさか、俺たちほど体力のある妖怪はいない。
獲物を追い回すしつこいほどのスタミナ、疲れたところに飛び掛かる瞬発力、さらには複雑な地形を一瞬で見切り最適なルートを導き出すある種の賢さ。
俺たちの筋肉は赤筋——すなわち遅筋が多く、持久型なのだが、そこは妖怪。霊力の補助で、瞬発力も担保できた。
さて、俺の体力論はさておき、今朝の朝食は先日採った山菜の塩煮込みであった。
旅の飯としては上等だ。
——俺の旅路に決まった目的地はないが、ぼんやりと名所や珍所、奇妙な物を見て、色々な文化に触れたいと思っている。
知らないことは怖い。無論、情報の取捨選択はする。いらない情報は入れない。俺にどうしようもできないことで、俺が悩んだって時間の無駄だ。どうせなんとかなる。今までだってそうだった。
歩く、歩く。一人、森林を。
背負っているザックは重たく、ベルトが肩に食い込む。腕から抜けて滑り落ちないように、俺は手ずから改造してバックルを取り付けて、胸と腹で固定していた。
ザックには貴重なものが多く入れられており、最悪の場合胸に巻き付けている筆記袋と握っている「筆」さえ無事ならばいいのだが……。
ただまあ、それは綺麗事だ。実際のところ、多くのサバイバルグッズ、いざという時のレーション、保存水なんかが失われるのは、とても困る。
普段俺は朝イチに起きて草に溜まる朝露を飲んで、喉を潤すのが日課だ。
特に木々に巻き付いている共生植物である「
本来的な生態としては溜め込んだ水を他の草木に食い込ませた根を通して分け与える代わりに、光合成で得られる養分をもらう一種の共生植物であり、木々にとっての水槽でもある。
あるいは、動物や、霊力適合生物——
俺は性懲りも無く文車ノ巻物を開き、スケッチをする。筆記道具にも
デッサンというほど細かくないし、精緻でもない。だいぶ荒っぽい、ラフスケッチである。
十分ほどのクロッキーだが——我ながら自画自賛がすぎるとはいえ、そのシルエットと、ざっくりとした特徴を捉えられていて、ちょっとだけ自己満足を得ていた。
ただ——俺は他人との付き合い方がわからなくて、下手くそな自覚があるし、一人が気楽と思うのだが……ときどきこういう時に意見をくれる存在が欲しいと思ってしまう。
物作りをする以上、たとえそこに「自己満足」という内発的な動機づけがあっても……この感情に封をしてしまうことは難しい。一時的にはできても、すぐに、承認欲求は荒れ狂い吹きこぼれる。
評価をされたい——なんて、俺にはきっと過ぎた贅沢だけど。
望んでしまう。同時に、恥いる。
そこは、俺が求めるものじゃないのだと。
あるいは、それを目的とした大勢が、筆を折って作家の魂を砕いてきたことを思えば、時に他者の評価は作家の、表現者の、芸術家の魂を砕き蝕む毒牙であると認識すべきかもしれない。
毒も調剤次第では薬になる。けれどもやはり、前提としてそこに、毒性があることをしっかり自覚しなくてはならない。
俺はスケッチを終えると巻物とめ、筆記袋にしまった。俺の旅路に寄り道はつきものだ。
筆を
「神社……こんなところに集落でもあったってのかな」
俺は自分で言うことでは決してないが、コミュニケーションが苦手な方だ。
とはいえできないなりに、なるべく人に話を聞くようにしている。経験を積まねば、何も上手くならない。
——〈二日前・旧軍道にて〉——
「お兄さん、旅人かい。なんか買っていかないか。おお、妖怪なんて久々に見た。狐じゃ」
朽ちた旧軍道を歩いていると、前方から「
俺は持ち合わせていた金——
物々交換でも応じてくれるだろう。むしろ、今の時代金より物で取引した方が、いい。
「狐だよ。……取引は物々交換でも大丈夫か」
俺は他人を敬わないわけではないが、誰彼構わず敬語を使うのは危険だと、キャラバン時代に学んでいた。
下手に出るとつけあがる馬鹿もいるのだ。
「ええよ。できれば弾薬がいいな」
「六・八ミリ弾がワンケース五十発。これ三つで?」
「見せてくれ」
俺はケースから弾を一発抜き、渡す。
行商人はそれをじっくり見て、
「軍の制式ライフル弾薬だね。しかもファクトリー弾じゃないか。……これなら新生神楽軍の二型レーション二つと、水を一リッターかな」
「取引しよう」
レーションはワンパッケージで、切り詰めれば二食、うまくいけば三食凌げる。
基本的に軍の糧食はハイカロリー、高糖質、高塩分だ。当たり前である、苛烈な軍の仕事をこなすエネルギーを補給するのだから。
なのでこんなものを普通の暮らしをする奴が常用してしまえば、間違いなく肝臓をやってしまうか、よくて一生付き合う生活習慣病だ。レーションというのはそれくらいの代物である。
俺のようなのらりくらりの旅作家にとっては、そんなレーションを一度に食べるのはむしろ危険。実質二日分の食料と、そして水だ。
レートが崩れていないか、だって? ……弾は命を守る最重要アイテムだ。時に、金属片にすぎない硬貨より価値が出る。今は平和な泰平の世ではない。いつ何が起こるかわからない時代だ。
俺が使う、
この弾は、壊滅したキャラバンを漁って手に入れた「現物通貨」だ。
互いに品物を交換する。
「お兄さん、参詣に興味ある?」
「まあ、それなりに」
「妖怪だし、そうだよね」
別に妖怪ならみんな神様敬うわけじゃないけどな。とは、言わない。そんなことを言って気分を害するのは、人と話す上で馬鹿の一手、ということくらいわかる。
言わなくていいことはたとえ真実でも言わなくていい。
俺たち妖怪とは、元来、神であった存在が何か理由があり野に下り、「何かの境界」に佇まざるをえない存在になったモノである。
俺たちは人と神、死と生、朝と夜、夜と朝——あるいは山と里、四つ辻、普段使わぬ部屋、浜辺などの「境の住民」だ。
俺は、あるいは執筆というある種の空想と、この現世の境界に立つ旅作家として。
——だからこそ、何者にもなれないという不安が、俺は特に強いのかもしれない。
「この先の森を分け入った先に、神秘的なお社があるんだ。小さいし、朽ちてるけど。パワースポットって感じが凄くしたよ」
「場所はわかるか?」
「ちょっと待っとれ、地図、書いてやる。そうだ、お兄さん
「いや。変な名前だな。センチョウグウってのは……?」
「戦死者を弔うお宮とかいて、戦弔宮。
千石戦弔宮……。
「気になるって顔しとるよ。そこへの道も書いておこう」
「ありがとう。……これ、お礼だ、貴重な弾丸だ」
俺はザックから、霊石弾を取り出した。
「霊石弾なんて貴重品……有難い。これがあれば、大型の
「情報料だ。千石戦弔宮の情報は有難い」
——〈現在・旧軍道外れの森林〉——
——そのようにして二日前にすれ違った行商人と取り引きしつつ聞いたところによれば、千石戦弔宮の手前のこの辺に、静謐で美しい廃神社があるらしい。
簡素ながらも、紙切れに地図を書いてもらっていたのだ。
取材になる、と俺は意気込んだ。実体験以上に勝る資料はない。己で見聞きしてこその旅、そして、
俺は色々な物を背負っていた——というのは比喩表現ではなく、ザックに物を取り付けながらという意味で、それはピッケルであったり、寝袋を兼ねた衣——丸めた
そして手には。現在、山鉈を握っていた。
こういった森林では、どこに
決して、俺は、決して運動音痴——というほどではない(と信じている。信じ込んで、プラシーボ効果で強引に克服している)。
仮にも旅のキャラバンで育ち、その後半年も一人旅をすれば、嫌でも体力はついてしまうものだ。
歳もまだ、十九歳。体力は、まだまだ横溢。そもそもこの大陸では霊力の関係で、体も脳も、使い続ける限りは現役である。
頭脳にしろ肉体にしろ、何らかの活動に精力的に従事するものは、皆若々しいのだ。
霊力と生命力は密接に関わっており、活力的な人間は、霊力の効果で寿命——要するに細胞分裂の回数を決定し、老化のプロセスを踏む細胞の端っこの部分である、「テロメア」が修復され、若返るらしい。
加えて俺は妖怪だ。寿命なんてものはあってないようなもの。大妖怪クラスになれば、八百年、千年生きた者もいるというほどである。
と、茂みが揺れた。
俺は咄嗟に構えを取る。
草むらを、何かが掻き分けて出てきた。
そこにいたのは黒毛の豚だった。ただし
食料として狩っておくのも、悪くない。
レーションは保存が効くから、そう急いで食べる必要なんてなかった。
俺は呼吸を整え、足踏み。
勢いをつけて、斬りかかった。
「ふぅっ!」
大上段から山刀を振り下ろし、油断している牙豚の眉間に叩き込む。
山鉈の鋭い刃が鋭利な角度で輝き、ずだんっ、と牙豚の眉間に切り込まれる。が、丸みを帯びた頭蓋骨に阻まれ、両断には至らない。
——砕いたな。
頭蓋骨は砕けた。だが、脳は無事だろう。
「ブギィッ」と悲鳴。牙が振り回されて、慌てて距離を置く。
獣の牙にやられた場合、恐ろしいのは直接的なダメージより雑菌による感染症だ。
抗生物質がなければ、たとえば傷口から破傷風菌というどえらいのが入って、体が弓形にそっくり返って背骨が折れ、死ぬこともありうる。
破傷風になって回復期に入れるやつなんて、少ない。妖怪は平気か——というと、やはり答えはノーだ。俺たちも、ヤバい菌には勝てない。
ふらつく牙豚。無意味に苦しませるのは、狩人——獣を狩る者、
追い詰めたら、一息に介錯の一撃を与える。
「御免」
俺はすかさず牙豚の喉笛を抉り、心臓に山鉈を叩き込んで、トドメを刺した。
俺みたいな中肉中背——と言ってるが、実際は筋肉質なのもあって小太りに見えるらしい——の男なんて、そんな立派には見えまい。
ただ、真似事とはいえ誇りはある。命への、感謝も。
——
——獣狩たる者、
化獣を狩る連中——それを生業とする
俺は合掌し、一礼。牙豚の解体にかかる。
肉を刈り取って
牙を抉り取って回収し、素材袋に入れた。
回収しきれない素材は、「自然への回帰」を祈り、あえてそのままにする。
残された肉を他の生物が喰らい、骨は土壌に還り、あるいはキノコや虫の棲家となる。
命は巡り、廻る。
山鉈の血と脂を布で拭い、そうしてまた歩き出した。
地図を見ている限り、そして自分が歩んだ獣道を見る限りでは、このルートで間違いはないはず。
「……あれかな」
木々の梢、その天然の門が前の向こうに、藍色の鳥居が見えた。
なぜこんなところに
昔はこの辺にも、村落なり、そういったものがあったのかもしれない。
石段は隙間から生える草花で埋もれ、あるいは強靭な緑の生命力に押し負けて、石が砕けている。
苔むしたそこを滑って転ばないよう気をつけて登り、俺は藍色の鳥居の前で深く一礼。
奥に進むと石碑がある。
『ココハ龍神■■ノ加護地、■花常闇之神社』
——居留まっていた黒い、変わった色のフクロウが俺をじっと見下ろしていた。
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