渓流詩人の徒然日記

知恵の浅い僕らは僕らの所有でないところの時の中を迷う(パンセ) 渓流詩人の徒然日記 ~since May, 2003~

最高のハンドリングなのに…ざんねんなバイク辞典

2025年04月13日 | open

[最高のハンドリングなのに…]
ヤマハのTRX850が残念すぎる!!
[ざんねんなバイク辞典]


ヤマハTRX850。
うちの関東のMCブラザーが
昔乗って
いた。
曰く「遅いが楽しめるバイク
だった」との事だ。
ヤマハのパラツインへの固執
はただならぬものがあった。
代表例は2ストパラツインの
ロードレーサーだった。
2ストパラツインのヤマハ。
4ストでもパラツインでの開

発を進めた。
ヤマハは社名の通りエンジン
屋だ。トヨタの歴史的名車な
どの多くはヤマハのエンジン
だった。
ヤマハはTRX850で270度ク
ランク
という世界初のエンジ
ンを作
った。
味のある二輪だったようだ。
だが、販売としては大コケだ
った。
パラツインのヤマハ。
だが、しくじり先生バイクの
ように
なってしまった。
残念というか不幸なモデルだ
った。

パラツインのヤマハ。
1976年~1978年。私は幻の
ヤマハワークスマシンの49cc
ツインエンジンの車両を週に
何度も
目の前で眺め、磨い
いた。世界に2台しか作ら

なかったヤマハのワークス

マシンだ。ヤマハが強すぎた
ために世界グランプリのレギュ
レーションが改正されて日の
目を見なかった不幸のマシン
だった。
歴史の中で、不幸なバイクは

時々存在する。
特に競技の世界では強すぎる
日本車締め出しのために西欧
有利な規則にたびたび改変さ
れてきた。現在の世界選手権
の電子規定なども日本車の性
能の優位性排除が目的だった。
結果、10年程前から日本車は
全く勝てなくなった。この先
も勝てない。日本の二輪車が
世界の頂点に
君臨した40年の
歴史は完全に
幕を閉じた。

私が生まれて初めて二輪に
乗せてもらって走ったのは
ヤマハのパラツインYDS1
だった。1962年2才になる年
の事だ。

鮮烈な体験として記憶に深く
刻まれている。
私は満1才からの記憶が残っ
ているが、このヤマハ
パラ
ツインに乗った時の記憶

衝撃的すぎて、運転者の淑

祖父の言葉も慌てた母の様
も全て正確に鮮明に覚え
てい
る。
世界が変わった。
爾来、私は大きくなったらオ
ートバイに乗るのだ、と心に
決め
た。
私の人生はモーターサイクル
とは切っても切れないものだ
が、始まりはヤマハのパラレ
ツインだった。
YDS1。1959年当時、国内最強
のオートバイ。
私の二輪人生はヤマハから始
まっ
た。



 
 
 


 
 

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