さらに15年後の"その街のこども"たち~映画『その街のこども 劇場版』(阪神・淡路大震災30年特別再上映)~
あれから15年(『劇場版』としては14年)の年月を生きてきた中田勇治と大村美夏に会えて、それだけで嬉しかった。
私個人としては15年間(今年も)、毎年1月上旬に二人を見ているが、それはあくまでも「阪神・淡路大震災」から15年後の二人だった。
テレビ或いはスクリーンの中ではなく、ステージに立つ森山未來と佐藤江梨子は間違いなく、あれから15年の年月を生きてきた中田勇治と大村美夏だった。
映画『その街のこども 劇場版』(渡辺あや脚本・井上剛演出、2011年公開。以下、本作)は、子ども時代に被災した後東京へ移住し、震災から15年後の2010年1月16日に神戸に戻ってきた男女が偶然?出会い、1月17日午前5時46分を迎える、ドキュメンタリー風ロードムービーだ。
本作は2010年1月17日にドラマとしてNHKで放送され、好評を得て、翌2011年1月に、当時の子どもたちが描いた絵などを追加して『劇場版』として公開された。
本作については個人的に思い入れが強すぎて書きたい事がいっぱいあるのだが、収拾がつかなくなりそう(意味合いは違うが、勇治の言葉を借りれば『その話やめよか。何か……怖いわ。あてどがなさ過ぎて』)なので手短に。
ドラマ版を見た私は嗚咽した。それはドラマ自身に対しての感動でもあったが、何より「エンターテインメントにもまだ、出来ることがあった」という喜びであった。
本作制作陣の本気度は、至るところに現れている。
まず、実際に"その街のこども"だった森山未來と佐藤江梨子をキャスティングし、二人から聞いた話を基に渡辺あや(「エルピス」など名作多数)が脚本に落とした(上映後の舞台挨拶で佐藤江梨子が『よく「(セリフは)アドリブですか?」と聞かれるんですけど、ほぼ台本どおりです』と実際の台本を手にして語った。本作を観ればわかるが、あれがほぼ台本どおりというのは俄かには信じられない。私が好きな『へなちょこ』とか『薄情者』とか美夏の言葉のセンスの良さは台本にあり、ということか。さすが渡辺あやであり、さすがの俳優陣)。
さらに、本作は終電の無くなった深夜に三宮駅から御影にある美夏の実家を経由して「1.17のつどい」が行われる東遊園地を「歩いて」目指すロードムービーだが、ゴール地点の東遊園地で午前5時46分に皆に混じって美夏が黙祷するシーンは当日撮られたものだ。当日早朝に撮り、編集して、当日深夜の放送に間に合わせた。
本作は何より、「子どもを含めた被災者のその後」にこんな形で寄り添う術があったのか、ということを示してくれた。
しかもそれは、「エンターテインメント」でしか成し得なかったことだ。
被災から15年後も、そこからさらに15年後の今も、そしてこれからも……
『忘れようとすればするほど、心が冷えてくからな。ガッツリ考えたほうが、ええんかなぁって。(略)辛い時になってもうたとき、どしたら、ちょっとでも辛くなくなるんかを、考えて工夫する。(略)みんなが、みんなで』という美夏の言葉を繰り返し思い出し、考え続ける。
実際にはそれは、勇治が『うっさいわ』と言ってしまうように、『うっさいで。言うんは簡単やけど、難しいねん』と美夏が弱音を吐いてしまうように、まさに『あてどがない』ことだが、それでも、いや、だからこそ『ガッツリ考えたほうが、ええんかなぁって』思って、考え続けよう。
こうしたことは恐らく「エンターテインメント」でしか言えない。
本作が「エンターテインメントの希望」であるのは、最終盤、明るい商店街に向かって走り出す二人に現れているし、何より、「1.17のつどい」に誘われた勇治に『やめとくわ…………今年は。また……来年』と言わせたことに尽きる(さらに言えば、その直後に勇治を抱擁したときの美夏(=佐藤江梨子)の表情が慈愛に満ちていることも。この表情は、ほとんど奇跡と言ってもいい)。
劇場版の公開最終日は3月11日を予定していたという。
その日、本作内で語られる『100年に一度の災害』という概念は残酷にも覆され、その後地震だけでなく様々な自然災害(さらに3.11では理不尽な人災まで)によって、毎年のように"その街のこども"が生まれてしまっている。
舞台挨拶での「勇治」と「美夏」は、そのことに心を痛めていた。
だからこそ、本作は「希望」であり続ける。
毎年、関西ではこの時期に本作が上映され続けている。震災から30年の今年、14年ぶりに東京で上映された。上映後のティーチインでは、観客から「関西のように、定期的に上映を続けて欲しい」という声が上がった(大賛成!)。
『忘れようとすればするほど、心が冷えてくからな』
美夏の言葉が心の中で蘇る。
だから私は、今までも、そしてこれからも、毎年1月上旬にドラマを見続ける。
メモ
映画『その街のこども 劇場版』
2025年1月18日。@シネマート新宿(舞台挨拶あり)
その後、私には毎年3月上旬に見るNHKドラマが増えた。それはもちろん「LIVE! LOVE! SING! 生きて愛して歌うこと」(一色伸幸脚本・井上剛演出、石井杏奈主演。2015年3月10日放送)だ。
以下は、元ネタが探し出せず、私の記憶違いかもしれないので個人的な想いであることをご承知置きください。
クランクアップ(当日撮影のラストシーンを除く)後の記者会見の場だったか、その後の会見だったかで、佐藤江梨子さんは以前熱愛が報じられた歌舞伎役者の結婚報道についての質問が相次いだことに涙を流したという。
それは元彼の結婚についてではもちろんなく、「スタッフや俳優が真剣に作ったドラマなのに、自身のプライベートなことしか聞かれなかったこと」についての悔しさであり、申し訳なさからだった(と、どこかで報じられた)。
2011年の1月17日、テレビを始めマスコミは神妙な面持ちで「あの時を、忘れてはいけない」と語った。
それなのに、劇場版公開の舞台挨拶に関して、マスコミ各社は作品の内容ではなく、「森山未來さんが冬なのにビーチサンダルで撮影現場にいた」などというエピソードばかりを報じた(という記事をどこかで読んだ)。
本文にも書いたが、劇場版の本作上映最終日。
「忘れてはいけない」と語ったマスコミ自身が全てを忘れてしまい、「あの時」と同じ過ちを繰り返した。
それは、"その街のこども"だった佐藤そのみ監督が撮った映画『春をかさねて』に詳しい。
ちなみに、佐藤江梨子さんの悔し涙の理由は本作を観ればよくわかる。
本文にも書いたが、美夏の存在(特に表情)は、どのシーンにおいても、ほとんど奇跡と言ってもいいくらいだ。
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