米国で大成功!遭難→無人島→渡米→金塊ザクザク!数奇な運命を辿った「ジョン万次郎」
日本人初の英語通訳家として知られるジョン万次郎。
今回は、遭難・無人島生活・渡米という数奇な運命を辿った彼の波瀾万丈な生涯を振り返ります。
※本記事の内容は様々な方に魅力を感じていただけるよう、筆者が足を運んだ歴史スポットとともに史実を大筋にした「諸説あり・省略あり」でお届けしています。
・遭難と出会い
1841年1月、14歳の少年「ジョン万次郎(中浜万次郎)」は漁の途中で嵐に襲われ、太平洋の無人島「鳥島」へ漂流します。
漂着から143日後、偶然通りかかった米国の捕鯨船ジョン・ハウランド号に救助されることに。
この出会いが万次郎の人生を数奇な運命へと導くことになります。
ジョン・ハウランド号に救助された万次郎一行ですが、当時の日本は鎖国状態で外国船は近づくことができません。
困り果てたハウランド号の船長は、万次郎たちをハワイへ連れて行くことにします。
ハワイまでの航海中、勤勉で真面目な性格の万次郎は船長に気に入られ、彼の養子となり単身で渡米することを決断しました。
・黄金と万次郎
渡米後、万次郎は米国の高等教育を学ぶ一方で日本に帰国する方法を模索。
卒業後は帰国資金を稼ぐため、学んだ航海術や測量術を用いて副船長として捕鯨活動に尽力しました。
1848年に米国で金鉱脈が発見され、金を採掘する坑夫が集結するゴールドラッシュが起きます。
日本に帰国する資金を獲得する好機と捉えた万次郎も参加し、1ヶ月前後を働いて200ドルを稼ぎました。
しかし、雇い主が博打に負けて夜逃げ。給料が支払われることはありませんでした。
どんな状況でも諦めなかった万次郎は独立を果たし、金鉱脈の仕事で600ドルを稼ぐことに成功します。
養子として面倒を見てくれた船長宛に感謝の手紙と金・銀などの財宝を残し、日本への帰国を叶えました。
高知県はジョン万次郎の生まれた故郷です。
高知県室戸市はジョン万次郎も挑戦した捕鯨が盛んに行われた地域として有名で、「鯨館-鯨資料館-」には鯨や捕鯨に関する資料が数多く展示されています。
気になった方は足を運んでみてください。