明智君に案内されたのは都内でも有名な高級ホテル。立地、スタッフ、食事に至るまで間違いなく一級品だとセレブや要人御用達と言われている場所だった。
「あの人はこのホテルの最上階を自分の城にしてる。高い機密性がある、のはもちろんだけど性格的にもこういうところが好きなのさ」
そう話しながら前を歩く明智君について行けば、フロントカウンターにいるスタッフに何かを伝えてカードキーを受け取っていた。
「最上階はカードキーが無いとそもそもエレベーターで上がることが出来ない。これを受け取ることが出来るのは限られた人間だけだ」
その言葉はつまり、これから僕と明智君が向かう場所には敵しかいないということ。それでも尚、僕と明智君はここで逃げ帰るという選択肢を取ることは無い。その選択をするなら、そもそもここに来ることは無かったのだから。
二人だけしかいないエレベーターの中、徐々に目的の階へ近付いていく表示を眺めながら怪盗団のことを思う。今頃、彼らは獅童議員の認知世界へと侵入を果たしているのだろうか。どうやって、どこから侵入するのかは分からないけれど、あの大胆不敵な予告を叩きつけた以上、そう間を置かずに彼らが改心を試みるだろうことは予想できる。
「ここまで来ておいて何だけど、本当に君は馬鹿だと思うよ」
「そうかな? ……いや、そうかもね」
「だけど、その馬鹿さ加減に救われたんだ。ここから先は誰も味方はいない。正真正銘、二人だけで立ち向かう必要がある」
だから、君だけは何があろうと守るよ。
あまりにも真剣な顔で明智君が言うものだから、ホームズに例えて返す、なんてことも出来ずに僕は彼の顔をまじまじと見つめ返した。そして思う。明智君にとって、獅童議員に立ち向かうことは想像以上に重たい意味を持つのだと。彼がここまで思い詰めた表情になる理由、それが分かってしまうが故に。
「頼りにしてるのは嘘じゃないけど、そんなに思い詰めた顔をしないで欲しいな」
「……君が能天気に過ぎるからね」
「そういう告白染みたことは、女の子を口説くときに取っておくものだと思うよ」
僕の答えに、明智君が苦笑する。自分で言っておきながら随分と能天気だなと思って僕も釣られて笑ってしまった。そうしていると、エレベーターがチンと小さな音と共に目的の階に着いたことを告げる。そしてエレベーターの扉が左右に開いた先には、スーツ姿の強面の男が二人。フロントから明智君が来たことについては当然連絡が行っていたのだろう。恐ろしい出迎えだ。
「海藤徹だな?」
僕をサングラス越しに見下ろしながら、男は低い声で問う。それはこちらを威圧する意図を隠そうともしない高圧的なもの。ただ、生憎と僕はそうした高圧的な態度についてはここ最近の出来事で慣れてきてしまっているのだ。我ながらおかしなことを経験したと思うけれど。
「はい。獅童議員に会いに来ました」
「……ついて来い」
僕が怯まないことが予想外だったのか、それとも単に気に入らなかったのか、ピクリと頬を震わせたと思うと男は振り返って廊下を歩いて行く。その後ろについて行くと、廊下の一番奥にある扉まで案内される。僕の前にいた男が、扉をコンコンとノックする。
「入れ」
来客は僕以外には予定されていなかったのか、誰が来たのかを聞くこともなく、不機嫌そうな声が扉の向こうから帰って来た。その言葉に、スーツ姿の男は二人とも扉の脇に控えると、僕と明智君に向かって顎をしゃくって扉を示す。自分で入れ、ということだろう。それに従って扉のノブに手を掛け、ゆっくりと開く。
扉を開けてまず目に入ったのは、壁一面がガラス窓となり、そこから見える東京の夜景。最高級ホテルの名に恥じない光景だ。そしてその夜景を背に、こちらを鋭く睨みつけている男の姿。テレビでもよく見るようになった顔だ。カメラの前では冷静な面持ちで、時には笑みすら浮かべていたのが、今は僕と明智君を視線だけで射殺さんばかりに怒りに満ちた表情になっていた。
「……ようやく来たな。クソガキどもめ」
「初めまして、教授。いや、獅童議員。僕の名前は既にご存じでしょうけど。海藤徹と言います」
クソ、という言葉を殊更に強調して吐き捨てた獅童議員に向けて、いつもの調子で挨拶をする。その様子が彼にとってまた気に入らないものだったのか、色付き眼鏡の奥で彼が僕に向けて目を剥いたのが分かった。
「明智ィ! 裏切ったんだな、この俺を!」
その怒りの矛先は今度は明智君に向かったようで、大きな音を立てて机を叩いた獅童議員が、椅子から腰を浮かして唾を飛ばした。
「元からそっちも俺を利用するだけ利用して捨てるつもりだったんだろうが。生憎だが、僕はそう易々と出し抜かれてやったりしない」
「ふざけやがって……! お前のようなクズは俺に利用されるくらいしか価値が無かったものを!」
「それが本音か。ホント、笑っちゃうくらいに似た者同士だよ、あなたと僕は」
「何の身寄りもないガキが、誰かに自分を認めて欲しいなんて女々しい考えで俺にすり寄って来やがって! 誰でも良かったんだろう! お前も結局は他のクズどもと何も変わらん! 海藤とか言ったか? お前も知らんだろうがこの明智という男はな……!」
いっそ冷たいとも思えるくらいに平静さを保ち続ける明智君と対照的に、獅童議員のボルテージは上がっていく。そして獅童議員が、自分の握っている秘密を暴露してやろうと僕へと視線を向けたと同時、彼がこれ以上言葉を続ける前に僕も口を開いていた。
「あなたと血が繋がっているとでも言いますか?」
「俺のガキ……は?」
自分が言おうとしていたことを先に言われた。それを認識した獅童議員は、先ほどまでの激昂が嘘のようにポカンとした表情に変わった。横にいる明智君も驚いたように僕を見ている。
「確証はありませんでしたが」
これは僕が冴さんにも告げず、ずっと秘め続けていた情報。大宅さんが掴んでくれた信憑性も怪しい情報だ。だから彼女から渡されたスクラップノートにもこれは書かれていない。大宅さんからは走り書きのメモを貰っただけだった。そしてその真偽不明の情報は、こうして直接獅童議員を顔を合わせることで僕の中で確度を増していた。
「それを知ったとして、僕が明智君への評価を下げると思ったんですか?」
答えはノーだ。
「誰かとの血の繋がりが、その人の価値を左右するものにはなり得ないですよ。少なくとも僕にとっては」
明智君に対する僕の評価は、あくまでもこれまで僕が見てきた明智君と彼自身の所業によってのみ下される。
「こ、コイツは何人も認知訶学で殺して……」
「そう指示した人間がいたから。もちろん、だからといって明智君が許されるべきだとは言いません。ですが、罪に向かい合おうとしている明智君は自分でケリをつけるでしょう」
「だからコイツは許されて、俺が許されないとでも言うつもりか!? 何様のつもりだ貴様ァ!」
獅童議員は声を荒げて机を回り込むと、僕の胸倉を掴み上げた。首が少し絞まり、呼吸が苦しくなるけれど獅童議員から目を逸らすことはしない。明智君が犯した罪を裁くのは僕じゃない。怪盗団でも、ましてや獅童議員でもない。
「この国が、幾人もの先人が築き上げてきた法という秩序が裁くんです。明智君も、あなたも」
「法だと……!」
「あなたが僕を呼んだ理由。怪盗団の改心を防ぐ方法について、僕が知っていることを教えますよ」
僕が明智君によって廃人化されない理由は分からない。だけど、怪盗団による改心が対象の認知世界に作用するものであるとしたら。それを防ぐには認知を自分から変えるしかない。怪盗団の改心対象にならないように。それはつまり。
「怪盗団に改心される前に、あなたが自分から改心するしかない」
「な……!? ふざけるなよ、それじゃあ何の意味も無いだろうが! 法、法が俺を裁くと言ったか? 俺みたいな特権階級の人間を裁く法がどこにある!? 法が平等なんておままごとみたいなこと言いやがって! ここに来るまでどれだけの犠牲を払ってきたと思ってやがる。腐った無能な老害どもに諂って、尻拭いだってしてやった。ドブ攫いみたいな真似だって喜んでやったんだぞ! それを都合よく切り捨てようとしやがった! その末に掴んだ最大のチャンスを、自分から投げ捨てろだと!? お前みたいなガキが粋がって俺を引き摺り落とそうとしやがって。俺以外の誰がこの国を導ける! 老害がダニのように寄生して、下民共は文句言うばかりのこの腐った国を! 自分一人じゃ何も考えない能無しの愚民どもは、黙って俺の舵取りに従っておけば良いんだよ!」
獅童議員の口から漏れるその言葉は、その大半が怒りに満ちたものだったかもしれない。その名声はマッチポンプで得られたものだとしても、獅童議員は今の政治を変えることを期待されていた。その高みに至るまでに、獅童議員が舐めた辛酸は僕の想像が及びもつかないのだろう。それでも、僕は自分の信条に照らして、獅童議員を肯定することは出来ない。
「そう思うのなら、あなたは認知訶学を悪用すべきじゃなかった。正面から、自身の正当性を訴えて支持を受けるべきだったと僕は思います。そうして戦っている人を、僕は知っている」
駅前で一人、地道に演説を続けている政治家がいる。その人は過去の過ちに向かい合い、それでも自身の信じるものを貫くために
「人は皆綺麗なところばかりじゃない。汚いところだってある。清廉潔白な人なんていないことは皆知ってます。だから、あなたは自分が正しいと思うなら手段を間違えちゃいけなかったと僕は思います」
「綺麗事ばかり言いやがって……!」
「綺麗事一つすら言えないような信念が貫き通せるわけが無いでしょう!」
今にも僕を殴ろうと振り上げられた獅童議員の右拳は、僕が声を荒げたことでピタリと止まった。今までここまで大きな声を出したことはあっただろうか。ちょっと記憶にない。明智君も、呆けたように口を開けて僕を見ていた。
「獅童議員。僕は本気で言っています。怪盗団に改心させられる前に心の底から改心する、そうして出直すことを。僕は僕の信念に従ってここに来ました。無事に帰ることが出来る保証もないこの場所に。それが僕の貫くべき信念だからです。あなたにはありますか? 命を賭してでも貫くものが」
怪盗団は獅童議員を改心させる。けれど、その前に彼自身が自らの行いを悔いることが出来たなら、それは怪盗団の力に頼らなくても人が自身の過ちを正せることの証拠になる。それを証明するために。正しい手段で、正しい結果を得るために僕はここに来た。獅童議員の心を僕の言葉が変えられる保証が無くとも。
襟を掴んだ獅童議員の左手が震えている。それは怒りによるものか、何かを逡巡しているのかは分からない。少しの沈黙の後に獅童議員は僕を解放した。
「命を賭して貫くとほざいたな、海藤」
僕の言葉を繰り返しながら、獅童議員は机に向き直り、何かを手に取ったかと思うと再び僕の方を向いて右手を差し出した。その掌に乗っているのは小さな白い錠剤。
「認知世界はその主の現実世界での状態と密接に関わっている。なら、俺が現実で仮死状態になれば認知世界も崩壊する。これがその為の仮死薬だ」
それが獅童議員の持つ奥の手。怪盗団による改心を防ぐための最後の砦ということらしい。
「俺は俺の採った手段も、それによって得られた結果も正しいと
命を賭してと言ったなら、お前もその覚悟があるんだろうな。そう獅童議員は言った。その言葉と、彼の右手に乗せられた二錠の薬。なるほど、意味するところは理解出来た。
「俺が命を賭けると言ったなら、お前も当然同じものを賭けるんだろうな?」
「なっ!? ふざけるなよ獅童! こっちだけがリスクを負うようなことをどうして……!」
獅童議員が発した言葉に真っ先に反論したのは隣で聞いていた明智君だった。だけど僕は明智君が言い終わる前に獅童議員の手から薬を受け取る。
「何してるんだ! そんな馬鹿みたいな賭けに乗ろうとするんじゃない!」
薬を取った僕の腕を取り、必死の表情で僕を説得しようとする明智君。けれど、これが獅童議員にとって命を賭すに値するものだと言うなら。僕と獅童議員の信念を天秤に乗せて量ろうというなら。
「これによって怪盗団の改心が失敗したとして、それでも僕が目覚めたとき。どうしますか?」
「その時はお前が言う正しい手段とやらに従ってやる……!」
「……分かりました」
「徹、止めろ!」
「大丈夫だよ、明智君」
もしこの薬が認知世界に侵入した者を殺すことを目的としているなら、認知世界の主を殺してしまっては本末転倒だ。そうならない為に薬の成分は考え抜かれているだろう。それでも拭えないリスクはあるということなんだろうけど。
僕と獅童議員は、薬を同時に口に含んだ。