その日も何の変哲も無く過ぎていく一日だったのかもしれない。人々は迫る選挙に向けて獅童議員への期待を口にし、街頭モニターに映るテレビのコメンテーターもそれを後押しするようなことを述べる。そうして日も落ちて人々が日曜日に向けて足取りも軽く道を行く。その足を止めてしまうようなイベントが起こることを知っているのは、僕を含めたごく限られた人間だ。
「怪盗団を名乗るグループの主犯と見られる人間が身柄拘束中に死亡したことを受け、警察は今日午後、犯行は終息したとみられるとの正式見解を──」
淡々と原稿を読み上げていたニュースキャスター。その画面にノイズが入ったかと思うと、突如として暗転する。そして次の瞬間には、砂嵐を背景にかつて人々が熱狂したシルクハットをモチーフにした赤いマークとその下に掛かれたTAKE YOUR HEARTの文字が画面に映し出された。
「ニャァ~」
少し間の抜けたような猫の鳴き声。そして画面の異変に、スクランブル交差点を歩いていた人々の足が止まる。
「ハイ、皆さんこんばんは~!」
更に続けて聞こえるのは加工された音声ではあるものの、調子の良い男の声。
「我々は、皆さんに『怪盗団』の名で知られている者です」
後に続くのは少し落ち着いた調子の声。
「俺達全員、ピンピンしてるぜ?」
「けど権力者どもは、情報操作して真実を塗り潰そうとしてやがんだ」
その言葉と共に画面にはニヤリと口の端を吊り上げて笑う猫のマークが映し出され、クルクルと回る。
「これ何?」
「なんかのイベント?」
「怪盗団って言ってたよな? これ、マジなのかな?」
周りで足を止めた人々が互いに目を見合わせて何事かと推測を交わす。画面の中では猫のマークが縦横無尽にあちこちを行ったり来たりしていた。この映像を作った人は人をおちょくるのが好きだったりするんだろうな、なんて思ってしまうと、こんなときなのに少し笑えてしまった。
「てワケで、次なる獲物をハイシャクする前に、まず皆さんのお時間をハイシャクしちゃいま~す!」
「最近の要人の立て続けの不祥事、突然の乱心で起きる事故や廃人化……原因不明なんかじゃない。これらは全て、ある一人の男が欲を満たす為に企てた『犯罪』だ」
それはこれまで全て怪盗団が起こしてきたとされてきた事件。
「その男は犯罪の露見を恐れて、私達に罪を被せた。卑怯にも警察まで操ってね」
「俺らは悪人の心しか盗まねえ。なのに、テメェのした事全部おっ被せやがった。被害者のことなんかどうでも良いと思ってる証拠だ!」
「その卑劣な男の正体は……」
と、そこで画面がカラーバーに切り替わり、音声も途切れる。電波ジャックへの対抗措置が働いたのだろう。
「立ち止まらないで! 交通の妨げになるので動いてください!」
そして拡声器から聞こえる誘導の声。交差点の途中だろうとお構いなしに歩行者が立ち止まって街頭モニターに見入っていたことで、車が長蛇の列をなしていた。けれど、運転手も皆街頭モニターに視線を奪われているのか、歩行者に浴びせられる怒号は意外なほどに少ない。
「その男の正体は、あろう事か現職の閣僚! 特命担当大臣、獅童正義!」
その言葉と共に画面に映し出された獅童議員の顔に、モニターを見ていた全員が驚きの声を上げた。
「獅童!?」
「獅童が怪盗団に罪を着せたってこと?」
「んな馬鹿な」
「マジだったらすげーぞコレ!」
半信半疑、突如降って湧いたお祭りのような状況に興奮し始める人。反応は様々だったけれど、少なくとも今この場にいる人は皆、このモニターから流れてくる言葉に釘付けになったことだろう。
「コイツの言葉はぜ~んぶウソ! その証拠に……」
そして画面は切り替わり、八人の人間のシルエットが映し出される。
「この通り、私達は誰も死んでなんかないよ!」
「嘘かどうか、お偉い人とか分かる人は分かるよね? 彼がどんな罪を犯してきたかは、近く本人の口から語られることになるでしょう。どうぞお楽しみに」
「悪党がテメェ勝手に国ごと沈めちまうのを黙って見ているつもりはねぇ。だろ、リーダー?」
リーダー、と呼ばれた中央の人物がアップで映し出され、一歩、カメラに向かって踏み出せばそのシルエットに光が当たり、目元を覆う白と黒の仮面が姿を現した。仮面から覗く黒い瞳が、画面を通して見ている人間を真っ直ぐと貫くような感覚さえ引き起こす。
「その前に、我々がこの国を頂戴する」
この一言だけ音声加工が弱められたのか、少し低く、凛とした彼女の声がモニターから聴衆の耳に届いた。
そして画面は暗転し、始まったときと同じく唐突に彼らの大胆な予告状は終わりを告げる。
「やべーぞ! かなりやべーこと起こってんじゃね!?」
「怪盗団マジで生きてたのかよ!?」
「しかも獅童が悪者?」
「電波ジャックまで出来るとかヤバくね!?」
騒然となったスクランブル交差点では、人々が熱に浮かされたように先ほど見たものについて語り合っていた。その様子を見る限り、怪盗団による宣言は少なくとも獅童議員への全幅の信頼を確かに揺るがせることに成功しただろう。
「でも、この熱が冷めるのも時間の問題だ」
今のこの熱が冷めやらぬうちに、彼らが獅童議員の改心を成功させる必要がある。恐らくすぐにでも獅童議員はこれに対抗して声明を出すはずだ。そして同時に、疑わしい人物をなりふり構わず捕まえようと動くだろう。
「怪盗団は動いた。君にももうひと働きしてもらおうか?」
暗くなった街頭モニターを見上げていた僕の隣から、聞き慣れた声が響く。
「まさかここまで堂々と出歩いてるなんてね」
「ここにいれば君に見つけてもらえるかもしれないと思ったんだよ、明智君」
「君の作戦でアイツは目と耳を失くしたようなものとはいえ、こうなったら形振り構わず動くよ」
怪盗団の正体は押さえられている。ならば獅童議員は蓮の近くにいる関係者を片っ端から捕まえようと動くだろう。誰でも予想出来ることだ。彼らが手荒に扱われてしまう可能性が無いとは言えない。そのことは明智君にも少し相談していたことでもある。
「冴さんが心配だ。蓮を最後に取り調べしたのは冴さんだろうし、今一番危険が迫っているとしたら彼女だと思う」
「その為に、自分はまた危険に身を晒すのかい? 冴さんも、怪盗団に改心させられたって言い訳が使えるんだ。君が思うほど危険な目には遭わないかもしれないだろう?」
明智君が僕を試すように問う。だけど、僕はそれに対して笑みを浮かべることすら出来た。そんな僕を見た明智君が怪訝そうな表情に変わる。
「怪盗団に改心させられたって言っても、冴さんが全ての責任を被せられる形で犠牲になる可能性は捨てられないよ。それに、そこまで危険かな?」
「君が今からどこに乗り込もうとしてるのかを考えたら、誰だって危険だと言うだろうけど?」
「僕には頼りになるホームズが付いてるじゃないか」
僕がそう言えば、明智君は一瞬呆けたような表情になったかと思うと、少し顔を伏せて楽しそうに笑った。
「ハッ、ライヘンバッハの滝にワトソン君が同伴するのかい?」
「放っておいてまた酔っ払って足を踏み外されても困るからね」
「……君もつくづくお人好しだよ。なら、案内するよ。ちょうどさっきから煩くてね」
その言葉と共に明智君が掲げたスマホには、誰かからの着信が入っていた。画面に映っている名前は、獅童正義。
先程の怪盗団からの鮮烈な予告状を受け、何とかして明智君と連絡を取ろうとしていることが容易に想像できた。
「君が話すかい?」
「良いのかい?」
「これが最後の手紙さ。そして真の招待状かな。君は僕のことをホームズだって言うけど、僕にとっては君がホームズだ」
「……買い被りなんだけどなぁ」
けれど、明智君が僕に電話を取らせたい理由についても思い当たるところはある。想像でしかないけれど、蓮が死んでいなかったということに加えて明智君が始末したであろう僕が生きていることも獅童議員に知らせることで更に動揺させたい。そうすることで、怪盗団にとって何か有利なことが認知世界で起こるかもしれない。大した意味があるかは分からないけれど、打てる手を全て打って獅童議員を破滅させる。明智君にとってはこれもまた重要な一手になる。
明智君からスマホを受け取り、今も尚バイブレーションを続ける着信に出てスマホを耳に当てる。
「ようやく出たか! このクソガキ! 奴らが生きてるとはどういう事だ!?」
僕が何かを言う前に、電話口からは怒号が響き、僕の耳を貫いた。少しキーンと耳鳴りがしてしまう程。まさかこれを予想していたから僕に電話を取らせたんじゃないだろうな、と抗議の意を籠めてジトリと睨みつけてみれば、明智君が声も無く楽しそうに笑っていた。
「あのふざけた映像は何だ!? ガキどもの残党はお前が押さえておく手筈だろうが! この使えない愚図の役立たずめ!」
怒号はなおも収まらない。僕が口を挟む間もなく繰り出される罵詈雑言に、あの鮮烈な予告映像がもたらした衝撃の大きさが計り知れる。
「何とか言ったらどうだガキィ!」
「……全てが掌の上だと思いましたか?」
そう言うと、先ほどまでの怒号がピタリと止んだ。息つく間もなく捲し立てたせいか、電話口で少し荒い呼吸がしていたが、それすらも止まった。
「明智じゃないな……?」
「この声に聞き覚えは無いですか、
「貴様ッ……!?」
教授、という言葉で僕のことにようやく思い至ったのか、驚愕で息を呑む音が聞こえてきた。怪盗団はともかく、僕はすっかり死んだものだと思って頭の片隅からも忘却してしまっていたのだろうか。
「何故、お前が……!」
「生きているはずがない、ですか?」
「明智か! ただのガキ一人すら始末出来ない愚図め!」
毒づく獅童議員だが、僕が生きていることで明智君の離反を悟ったらしい。思いつく限りの悪口雑言がまた電話口から聞こえてくる。
「チッ、お前みたいなガキ一人、大人しく怯えて隠れていれば見逃してやったものを!」
こうやって俺に存在を知られたんだ、無事でいられると思うなよ。とドスの効いた声で言われる。直接的な脅迫だけれど、これを録音して警察に持って行ったところで何の意味も無いことは分かる。むしろこれ幸いと僕が捕まってしまうのがオチだろう。けれどそれで良い。獅童議員の注意が僕に集中するのなら、その分だけ他の人に向かう危害は少なくなるはずだから。
「覚悟しろよ。お前はもう二度と人前に出ることが出来なくなるんだからな!」
「覚悟はしてますよ。あなたと対峙する覚悟を」
「何……?」
僕が何を言ったのか理解できないと言いたげに、獅童議員が怪訝な声をあげる。僕はスマホを耳に当てたまま、隣に立つ明智君を見る。僕の言いたいことを分かっているように、明智君は一度コクリと頷いた。
「以前あなたが僕に質問したこと、それも忘れてしまいましたか?」
僕が廃人化出来ない理由。それは獅童議員が権力を手にする為の基盤となった廃人化ビジネスの弱点になり得るものであり、そして今、怪盗団による改心の危機に直面している獅童議員にとっては最大の防衛手段になるかもしれない情報が手に入る可能性がある。そのことを遠回しに伝えるように告げてみれば、先ほどまでの騒々しさが一転、考え込むような沈黙が流れる。
「……何が望みだ」
僕が言わんとしたことを察したのは獅童議員が先ほどよりは冷静になった声で、しかし静かな怒りがいまだ満ちたまま、僕に問い掛ける。
そしてそれに対する返答は僕の中では決まっている。
「電話越しじゃないと僕と話すことも出来ませんか? どうせなら直接顔を合わせて話してみませんか」
尋問室で電話越しに会話したときと同じセリフ。意趣返しの意味も込めたその問いを、今度は拒否されることは無いという確信を持って口にした。
「……良いだろう。その馬鹿げた度胸に免じて会ってやる」
場所は明智に聞けとだけ吐き捨てて、電話は切られてしまった。画面が暗転したスマホを明智君に返せば、彼は僕を馬鹿だと言って笑いながらスマホをポケットにしまい込んだ。
「無事に帰れる保証も無いのに、よくあそこまで挑発できるね」
「そうすれば彼は僕だけに意識を集中させると思ったからね。それに、怪盗団は必ず改心を成功させるさ」
「……なんだか少し妬けるね」
「一体何に?」
「何でも無いよ。それじゃ、案内人は僕が務めさせてもらうよ。決着をつけようか、ワトソン君」
「頼りにしてるよ、ホームズ」