「どのメディアも、『獅童総理』に太鼓判ですね。国民の期待も、ますます高まってるようです」
渋谷駅の片隅、人々の喧騒に紛れて明智が耳にスマホを当てていた。周囲を歩き去っていく人々は、皆自分の手元のスマホや隣を歩く人間と雑談に興じていて彼の会話に耳をそばだてる者はいない。
「ここまで来られたのも、お前のお陰だよ。まさに二人三脚だったな」
電話口の相手は表情こそ窺えないものの、その声の調子から機嫌が良いことはすぐに分かる。それもそうだと内心で呟きながら、明智は人好きのする笑みを意識して浮かべた。たとえ電話越しとは言え、表情を作ることを忘れてはいない。自分の顔すら騙せないで、電話口にいる相手を声で騙せるわけが無いと用心する故に。
「……光栄です」
「……そこで、一つ頼みがあるんだが」
明智の返答を受けた獅童は、それに対して少し口ごもってから話題を変えるように切り出す。その声から、明智は獅童が普段とは少し違う様子であることを敏感に察した。
「廃人化ビジネスの上客たちだが……。お前が不審だと思うヤツを、まとめて始末してくれないか?」
「今、このタイミングでですか?」
「そうだ。早ければ早いほど良い」
「何か怪しい動きでも?」
「いや、何も無い。だが、事が起こってからでは遅いだろう」
普段の獅童を知っている明智からすれば、それはあまりにも不自然過ぎた。狡猾に人を利用し、電話越しですら名前を出すことを許さない男だ。それがここに来て自身の秘密を握っている人間を多少強引にでも始末しろと言う。
「選挙後まで待たなくても良いので?」
「総理就任前にゴミは綺麗に片付けておきたいのだよ」
一見すると尤もらしい話。だが明智にとっては怪盗団と自身しか実行出来ない方法であり、その秘密を知る人間も限られている認知訶学を用いた廃人化を今このタイミングで乱発する必要は感じられない。そしてそれは獅童にとっても同じはずだと明智は考えていた。その前提が崩れたということは、獅童の内心に変化が生じたことに他ならない。そう、
「……方法は僕に一任してもらえるので?」
「構わん。お前なら、自分に疑いが向くようなヘマはしないだろう」
確認の為の質問は、獅童によってあっさりと承諾される。であればまだ自身の利用価値は高いと思われているということ。そう判断した明智は、少し考えるように左手を顎に添える。
「何か考えがあるんだな?」
「……自棄になった怪盗団残党の仕業に見せかけるというのは? 僕は更なる名声を、あなたは糾弾することでより支持を盤石にする。疑いは全て怪盗団に向くだけです。予告状が現場から発見されるだけでそうなるお手軽な手段です。しばらくは上客達から不安の問い合わせがあるかもしれませんが、無視して僕に回してください」
「怪盗団か……、なるほど、良い考えだ。お前の言う通り、しばらくヤツらからの連絡は無視するようにしよう」
自身の発案があっさりと肯定されたことに、明智は思わず吹き出しそうになってしまう。これが、自分がどうしても陥れてやりたいと考えていた男の姿か? 自分なんかじゃ手が届かない、上手く取り入って背中から刺す為に媚を売るしかないとまで思っていた男なのか?
「では、少しでもあなたへの評判に響かないようにギリギリまで泳がせるようにします。開票前日か、当日ならそのニュースに隠れるでしょう」
「そう、そうだな。お前に任せる。やはりお前は頼りになる。『トラブル処理役』にもまた声を掛けておくか」
その言葉と共に電話は切られた。通話の切れたスマホの真っ暗な画面をぼんやりと眺めていた明智は、そこに映った自分の顔についに堪えきれずに小さな笑いを零してしまった。
「……ハッ、こんな男に内心認められたいなんて考えていたってのかい? どれだけ情けない男なんだよ、俺は……」
スマホの画面に反射した己の顔は、誰かを、いや他ならぬ自分を嘲るような笑みを浮かべていた。そして足下に置かれたアタッシュケースへと視線を移した。
「あんな紙束が武器になるだなんて聞いたときはそんなに上手く行くものかと思っていたけど。どうやらまたしても君の読みが当たったのかもしれないね、ワトソン君」
その言葉と共に思い出されるのは、セントラル街を歩いている自身に唐突に声を掛けてきた大宅と名乗る記者。
「ワトソンからの伝言って言ったら伝わるって聞いたけど。聞く気ある?」
その名前を出す人間の心当たりはたった一人だ。明智が人目に付かない所なら、と条件を出せば、連れて来られたのは裏路地にあるアングラな雰囲気を放つモデルガン店。店主の男と一言二言交わすと、大宅は店の奥まで明智を引っ張って行った。
「さて、ここなら大丈夫かな。こんな時じゃ無けりゃ独占インタビューしたいんだけどなぁ」
「もしそれが用件なら僕はさっさと出て行きますよ?」
「分かってるよー」
勿体ないなぁ、などとまだ少し名残惜しそうに呟きながら、大宅は片手に持っていたA4サイズの封筒を明智に差し出した。
「彼からの伝言。これが僕達にとっての武器になる。宛名が間違っていたら修正してくれると嬉しい、だってさ」
そう言われて受け取ってみれば、その封筒はやや厚みがある。封を破って中を覗き込み、最初に明智が抱いた感想はふざけているのか、というもの。
「これをどうしろって?」
「さあね。彼は君に渡せば分かるって言ってたけど。あんまり余計なこと言う前にアタシは帰るから、それじゃね」
渡すものだけさっさと渡してしまうと、大宅はさっさと店から出て行ってしまう。一人残された明智は中に入っていた紙束、予告状を模したそれを見て怪訝な顔を隠そうともしなかった。
そしてそれを受け取ってから少しして、獅童の電話を受けた明智。その時に、彼は自分に求められているものを完全に理解したのだった。
「ヒントが少ないのは、僕に対する仕返しを兼ねていたりするのかい?」
そう言って明智はニヤリと不敵な笑みを浮かべた。そういった意味が無い、とは言い切れないが、それ以上に言葉少なにこれを自身に託したのは徹からの信頼だろうと明智は考えた。自分なら、徹の考えを十全に読み取ることが出来る。直接会話を交わさずとも、今この瞬間に自分達がどう動くべきかを示し合わせることが出来る。
「なら、その期待には応えてやらないとな。教授の周りは他ならぬ教授自身の不信によって綻び始めた。君の推理に敬意を表するよ、ワトソン君。宛名の修正くらいは僕が承ろうじゃないか」
それに、と呟いて明智は口を噤む。そこから先に続く言葉を万が一にも誰かに聞かれたくなかったから。
獅童の心変わりはすなわち怪盗団の改心がおよそ順調に進んでいる証左でもある。
そんなことを口にしてしまっては、自分があれらを認めているように思えてしまうからだ。そんなことは真っ平ごめんだと明智は内心吐き捨てた。
「滝つぼに落ちる所まで僕がエスコートしてやるさ、教授」
そう呟くと、明智はアタッシュケースを手に渋谷の雑踏へと溶け込んでいった。
「ジョーカー、気付いた?」
「クイーンも?」
国会議事堂をそのまま載せた豪華客船が、海の底に沈んだ日本の上を悠然と航海する。それは日本が既に沈んだ国であり、そこから助かるのは自らが率いる船に乗った人間だけだという傲慢な認知を形にした獅童正義のパレス。
そんなパレスの中、認知の歪みが比較的少ないセーフルームと呼ばれる場所で休息していた怪盗団。そのリーダーに近寄った真が、そっと耳打ちする。
「ここ最近、明らかに船内が慌ただしい雰囲気に包まれてる」
「それに、人気も少ない場所が増えたように見える。カジノで遊んでいる人間の数が減った代わりに、警備員が増えた」
二人が交わす会話は、今潜入しているパレスに生じた変化について。現実世界の人間と全く変わらない姿をとるパレス内の認知存在だったが、その認知存在の数が減り始めている。仮面を付けて仮想パーティーを楽しんでいた彼らは、やや緊張した面持ちで交わす会話もぎこちない。
「議場に入る為の招待状は後一枚だけ。これまでの招待状強奪でターゲットの認知に変化が出た?」
「だとすると変化するのは私達が奪った招待状の相手に対するものだけだと思う。ここまで全体に変化を及ぼすような影響は出ないと思うわ」
蓮の言葉に、真は首を横に振った。ターゲットであるシャドウ獅童がいるであろうパレスの最奥部、議場に通じる扉は五枚の招待状を揃えねば開かないギミックとなっていた。招待状の持ち主は獅童にとって特別な上客と認知された五人の認知存在。そのうちの四人を下し、残るは『トラブル処理係』と呼ばれるものだけになった頃、蓮と真に生じた違和感がピークとなったのだ。
「この前、船の縁から警備員に突き落とされていたヤツもいた」
「きっかけは分からないけれど、獅童にとってその人間が船に乗るに値しない人間だと見限られたってことね」
蓮と真はセーフルームで休息を取る傍ら、自分達が目にしたものについて思案を巡らせる。今回の相手はこれまでで最大のターゲットになる。違和感一つを見逃した結果、失敗するということは絶対に許されない大仕事だった。
「けど今になって選別を始める? 選挙も目前に控えているのに。ジョーカーを捕まえるときでも表に出て来ないくらいの慎重派よ、相手は」
「大一番の勝負前で少しでも不審だと思った人間を処理している、とか」
「悔しいけれど世間では獅童総理コール一色よ。そこに余計な火種を生みかねない動きをするなんて、それこそ何かきっかけでも無いと……」
「私達が招待状を持った人間を倒したから、それで信頼が揺らいだとか」
蓮と真がああでもない、こうでもないと頭を捻っていると、休息を終えた他のメンバー達も二人の様子に気が付いたようで話に加わってくる。
それからは怪盗団メンバー全員がしばしの間、獅童のパレスに起きた変化について頭を悩ませたものの、結局結論は得られないままで議論は終結した。
「とにかく、今は招待状を五枚揃えることを優先する」
「獅童の認知が変化したからか、警備にあたっているシャドウも増えているみたいだから気を付けないといけないわね」
蓮と真の言葉に他のメンバーは力強く頷いた。
残すは『トラブル処理係』が持つ招待状。獅童の船の警備を統括し、乗客を船から突き落とすことも行う実行部隊の長。その性質上、怪盗団にとっても強力な敵となることは容易に予想が出来る。
「よっし、それじゃ行くか!」
「なんでスカルが仕切るのよ」
「ここはジョーカーの号令で行くべきだろう」
竜司が膝を打って立ち上がったのを杏がツッコミを入れて止め、祐介がそれをいつものことだと横目に蓮へとバトンを渡した。
祐介からのパスを受け取った蓮は、一度頷くと椅子から立ち上がり、怪盗団の面々を見渡す。
「残すは後一枚。今日中にオタカラへのルートを確保する」
静かに、けれど力強く言い切った蓮の言葉に、怪盗団全員の気合の入った声が返った。