ララさんのところに逃げ込んでからの日々はどこか熱を孕んだように過ぎていった。
世間では怪盗団を捕まえた大手柄として連日テレビに引っ張りだこの明智君、選挙前であちこちで称賛と期待の声を浴びる獅童議員が話題に挙がらない日は無い。怪盗団のリーダーが死亡したという報道と共に明智君と獅童議員の支持率は天井知らずと言っても良かった。
「怪盗団のリーダーが自殺したって分かったときは結構ショックだったんじゃないの?」
お昼の生放送バラエティ番組。そのゲストとして登壇している明智君に対し、司会者が怪盗団の話題を振る。
「そうですね。正直言えば、眩暈がしました。大仕事の後で精神が昂ってたのかもしれませんけどね」
明智君はそう言って顎に手をやる。
「とはいえ、リーダーがいなくなっても怪盗団の残党はまだいます。被害者の皆さんの為にも、僕は止まらない。止まっちゃいけないと心に誓っています」
大仰な身振りを交えた明智君の宣言は、バラエティ番組のセットの中では浮いてしまいそうなものだった。けれどテレビの向こう側にいる彼の姿は不思議と見る人を惹きつける。宣言を終えて恥ずかしそうに椅子に座り直す明智君に観覧席からの歓声と拍手が飛んだ。
「……やっぱり似てる」
その姿を見れば見るほど、僕の脳裏には別の人間の姿が浮かび、明智君と重なって見えてしまう。
見る人を惹きつけ、大袈裟な動きが似つかわしく思える振る舞い、分かりやすく自らの主張を伝える言葉選びのセンス、自信に満ちた姿、そのどれもが。
「徹ちゃん、ちょっと手伝ってくれる?」
「分かりました。今行きます」
カウンターの奥から聞こえたララさんの声に思考が現実に引き戻される。居候の身としては夜はともかく昼間くらいは手伝わせてくださいと頭を下げた結果、ララさんに渋々と言った様子でお手伝いをさせてもらえることになった。近頃は深夜になるまではカウンターに立って手伝うことも少しだがある。
ララさんにお願いされた掃除や食器洗いをこなしながら、僕の頭の中は取り留めも無いことをぼんやりと考え始める。最後の最後、王手をかけるのは怪盗団だ。僕の、何の力も持たない一般人に出来ることはもう無い。過熱する獅童首相待望論も、怪盗団に対する世間の冷ややかな視線も、もう誰もコントロールが出来ない領域に達してしまった。
「怪盗団は精神暴走事件を引き起こし、マッチポンプで名声を得ていたのでしょう」
「その人気が過熱していた頃に頻発していた特殊詐欺、それにも怪盗団が関与していたと思われます」
「怪盗団の改心が特殊詐欺グループに及んでいなかったのはまさしく彼らが実行犯であった証左でしょう」
テレビからは評論家と名の付いたコメンテーターがしたり顔で語る声。なるほど、その論は確かに一見すると筋が通っているように思える。僕だって、怪盗団が彼女らだと知っていなければそう考えたと思う。この絵を描いたのは獅童議員だろうか、あるいは明智君か。どちらにしろ見事としか言いようがない。
「政治家だから大衆心理を読むのも、操るのもお手の物か」
そんな怪物相手に、さて僕は一体どうやって立ち回るべきか。どう動けば、彼女らは動きやすくなるのだろうか。
「怪盗団を陥れた手法は、その前段から綺麗にお膳立てされていた」
鴨志田、斑目、金城と立て続けに改心が起こったのは予想外だったはず。けれど、そこから先は全て敵の手の内にあったとすれば、状況操作能力はただの一般人では足下にも及ばない。メジエドという匿名ハッカー集団の名を使った怪盗団潰しが頓挫したのち、一転して怪盗団の名声を高める方向へ舵を切り、奥村社長の改心を廃人化によって塗り替えることで高い評価を反転させて地に墜とす。そんな中、大衆のバッシングにも負けずに怪盗団を糾弾し続けた自身の名声は反比例するように高まるように、マスメディアを利用し、警察を操り、世論を煽った。
「その影響力はそのまま獅童議員の手の広さだ」
蜘蛛の巣のように張り巡らされた策謀の網は怪盗団を間違いなく絡め捕った。
じゃあその蜘蛛の巣は盤石な砦となり得るだろうか。
僕の答えは否だ。
獅童議員は抜け目ない。正体も掴めぬ怪盗団の功名心を見抜き、それを増長させる頭脳も手腕もあった。だけど彼一人だけで全てを動かせたわけじゃない。そこには様々な協力者がいたはず。マスメディア、検察、警察、それらが獅童議員と結びつく利益は何かと問われれば、まず間違いなく明智君の力だ。明智君が望みの人間を廃人化させ、その見返りとして各界の大物が獅童議員に利益をもたらす。廃人化ビジネスとでも呼ぶべきものが、政財界では行われていたのだと推測出来る。
「なら、手の広さはそのまま獅童議員の不安材料だ」
廃人化ビジネスは獅童議員のチョークポイントになり得る。与太話と一蹴されるだろうその話が、様々な人間の口から揃って出れば要らぬ疑いを自身にもたらしかねない可能性を獅童議員が見逃すだろうか。それも次期首相確実と目されるこの選挙目前に。
廃人化ビジネスは手を広げれば利害が噛み合わなくなることも増える。そうなれば自身の勢力基盤を盤石にするために獅童議員が次にすることは何だ。廃人化ビジネスの威力を知った獅童議員の取り巻きが、絶対的な忠誠を主に捧げる為に必要なものは。
「特大の飴の次に鞭」
自身の敵を特定し得ない方法で排除できるという特大の飴の次は、その矛が自身に向かうかもしれないと言う恐怖。その見せしめとしても、奥村社長が狙われたとするならば。奥村社長だけで鞭が終わる可能性はあるか。廃人化ビジネスを知る人間は少ない程、今後の自身の政治生命は安泰になる。いや、廃人化という札を使う機会を意図的に減らしたいはずだ。明智君に傾き過ぎたパワーバランスを引き戻す為にも。ならば次に獅童議員が考える手段は。
「希望の船に乗る人間の選別」
けれどそう安易に動くことは無いと確信できる。選挙を控えた今の時期に、不用意な動揺を陣営に与えたくは無いだろう。けれど不安は残るはず。その不安にこそ、何の力も無い一般人でも付け入る隙が生まれるはずだ。
「徹ちゃん、掃除ありがと。いつも助かるわ」
そんなことを考えているうちにもうすぐ開店時間だとララさんがカウンターに出てくる。僕が手伝いますよと言いながら大宅さんが買って来てくれたエプロンを腰にまけば、ララさんが何か言いたげに僕を睨みつける。けれど結局何も言わないまま、ため息を一つだけ零して自身も準備を始めた。
「高校生を夜も働かせてるってタレこまれたらおしまいよ」
「法には触れない時間ですから。それにお客さんも皆良い人ばかりですし」
仕事に疲れたサラリーマンから、夜の仕事を生業としている女性、それにララさんと同じような人まで、普段あまり話す機会が無いような人と多く接する機会が得られた。中には僕が高校生だと分かっている人もいただろうけど、誰も何も言わずにお酒を楽しんで帰って行った。僕としてもそういった人たちと話すことが楽しかったので、ファミレスのバイトが無ければこのままララさんのお店でバイトを続けさせてもらいたいとまで思うほどだった。
「うちの常連共があんたに付き始めてるのもタチ悪いわ……」
僕がそう言うと、ララさんは頭が痛いとばかりに手を額に当ててため息を吐く。
店の入り口がノックされる音。店の入り口はまだ開店時間前だと鍵が掛かったままだ。ノックの音にララさんが僕の肩を掴んで店の奥を顎で示す。僕もそれに頷くと、大人しくカウンターの奥に引っ込んだ。開店してから来る人間はともかく、開店前に来る人間が客である可能性はあまり考えられない。だからこそララさんも僕に引っ込んでいるように指示してくれた。
「やっほーララちゃ~ん!」
「……ハァ、しばらく見ないと思ったら。変に緊張させんじゃないわよ。徹ちゃん、出て来ても良いわよ」
少しばかり走った緊張は、店の入り口から聞こえる能天気な声に霧散した。ほぅ、と一息ついてからカウンターへと顔を出せば、ニコニコと上機嫌な笑みを浮かべた大宅さんと額に手を当てたララさんの姿が目に入った。
「お、海藤君もおひさー」
「お久しぶりです。と言っても数日とかですけどね」
「いやぁそれでもしばらくだよ。今日はしっかり飲んで帰るから、サービスして欲しいな~って」
「サービスの前にアンタのツケを清算して欲しいもんだけどね」
普段以上に上機嫌に話しながらカウンターに腰掛ける大宅さんに向かって、ララさんがフンと鼻を鳴らしながらもドリンクの準備を始める。なんだかんだと言いながらもこうして大宅さんを甘やかすあたり、ララさんと大宅さんは親友と言っても良いくらいの間柄なんだろうと思う。
僕は大宅さんの前に氷を入れたグラスを用意すると、ララさんから手渡されたボトルをグラスに向けて傾ける。
「にしてもエプロン姿も様になるねぇ。このまま事が落ち着いてもバイト続けない? アタシ通っちゃうよ?」
「ここはホストクラブじゃないんだけど?」
大宅さんの言葉に何と返したものかと曖昧に笑っていると、言葉に僅かに怒りの色を滲ませてララさんの眦がつり上がる。その様子に大宅さんが手を後頭部にやってこれは失敬と言いながら早速とグラスに口を付けていた。
「っくぅ~、一仕事終えた後の一杯は染みるね」
「……一仕事ってことはまたなんかネタでも探って来たっての?」
大宅さんの仕事、という言葉が引っ掛かったのかララさんがそう問いかけるも、大宅さんは違う違うと言いながら僕を指差す。
「海藤君に頼まれた仕事だよん」
「アンタら、まだ何かしでかそうっての……?」
ララさんの鋭い視線が今度は僕にも突き刺さる。しかし、今回に関してはあまり危なくない、はずだ。
「そんなに危険なものじゃない、と思ってます」
「……どうだか」
「まま、そんなことより。仕入れてきた物を忘れないうちに渡しといても良いかな?」
「ええ、無理を言ってすみませんでした」
「なんのなんの。普段からネタ探しにあっちこっちドサ回りしてるのに比べたら楽なもんだったよ」
ま、あの騒ぎがあってからは中々表立ってばら撒いてるようなのはいなかったから探すのにちょっと手間取ったけどね。なんて言いながらも、ざっと見ても数十枚はくだらないだろう枚数の紙束を鞄から取り出した大宅さんは、僕にそれを差し出して確認するように促した。
「アタシが見たことある実物と比べて出来るだけ似たようなのを選んだつもりだけど、大丈夫そ?」
「……ええ、これなら十分使えると思います」
「一体何なのよそれ?」
ララさんが手元を覗き込んで来るので、紙束から一枚抜き取ってカウンターに置く。赤と黒を基調とした下地に、特徴的になシルクハットとモノクルモチーフのマークが印刷されたカード。
「……予告状?」
ララさんの言葉に僕と大宅さんは頷く。これこそまさに、ただの一般人である僕にも出来る僅かばかりの抵抗だ。
「怪盗団のマークには当然ながら商標権なんて設定していませんから。怪盗団の人気が白熱していた頃には予告状を模したグッズなんかも大量に出回っていました」
中にはこんな予告状に似たものまで。これに新聞の切り抜きのような文字を印刷してやれば、怪盗団の予告状の完成だ。怪盗団を名乗る特殊詐欺グループが使用していたことだってある。一般人からすれば、怪盗団が送り付けたものとそれ以外のイタズラグッズの区別なんて付きようが無い。
「これが今の僕達には、一番の武器になるはずです」
怪盗団の予告状。それを差し出された対象の内、世間に広く知られる形でむごい結果になった事例を知らない人間は今やいないはずだ。特にその内実を深く知る人間であればあるほど、あの光景は深く脳裏に焼き付いているに違いない。その矛先が自身に向く可能性を示唆されたとき、人はどこまで冷静さを保てるだろうか。
蜘蛛の糸を解くカギは、まさにその巣を掛けた本人が採った手段そのものだ。