怪盗団のリーダー、取り調べ中に自殺す。
あらゆるニュースメディアが一斉に取り上げたその内容は奥村社長の会見時以上のインパクトを人々に与えた。
僕と冴さんも、スマホに届いた通知でそれを知ることになった。待合室のソファに並んで座りながら、ニュースサイトの文字を目で追いかける。
「死体も無いのに自殺報道?」
「既定路線ということでしょうね。ろくに確認もされていない。それにしても確認が甘いのは明智君のお陰でしょうけど」
明智君の言葉を冴さんに伝えれば、彼女も納得するように頷いた。
「あなたはちゃんとホームズを連れ戻したのね」
僕が手に出来たもう一つの奇跡だ。そして、これを奇跡だけで終わらせてはいけない。
「後はどうやって詰みまで持って行くか」
「相手は選挙期間中。私達が告発しても強引な手法を使ってでも揉み消してくるわ。投票前なのに支持率は鰻登り、既に次期首相確実とまで言われている人物よ」
僕達が何か動いたとしても相手の力が大きすぎる。冴さんの言葉に僕もどうしたものかと頭を捻る。冴さんの言う通り、相手は司法にもその手を伸ばしている化け物だ。更に僕達にとって不利になるのは相手の手口を立証する方法が心許ないということ。一体誰が信じると言うのだ。無意識の世界に潜り込み、人の認知を歪め、その命まで脅かす手段があるなどという話を。
「……正しい手段で、正しい結果を。けれどもう時間が無いわ」
「選挙結果が確定してしまえば何を言おうと無駄になる」
なら、僕達が頼れるものは。僕の視線は自然と診察室に繋がる扉へと向けられる。およそ僕が受けたものよりも苛烈な仕打ちを受けただろう彼女に、まだ背負わせなくちゃいけないんだろうか。僕と同じ考えに至っただろう冴さんが、僕の肩に手を置いた。
「明智君は……」
「一人でなんて、それこそ無茶な話です」
「それなら、もう……」
打つ手は一つしかない。葛藤を整理しようと思う暇も無く、診察室に繋がる扉が開かれ、武見先生が顔を出した。
「ああ、君も起きてたのね。あの娘も目を覚ましたわ」
「そうですか、良かったです」
「……あんまり嬉しそうな顔じゃないけど」
武見先生はそう言うと、僕に向かって手招きをする。
「あなたと話したいんだってさ」
「僕と、ですか?」
そう言いながら僕はソファから立ち上がる。武見先生は身体をずらすと、僕一人だけが診察室に入るようにと告げた。蓮のお願いだからと。それを聞いた冴さんが鞄を肩に掛けて立ち上がった。
「それじゃあ私は佐倉さんに事情を伝えてくるわ」
「私もしばらくは外出てるから。ごゆっくり」
少し意味深にも聞こえる武見先生の言葉を背に受けながら、僕は診察室へと足を踏み入れる。待合室よりも強くなった消毒液の臭い。壁際に設置されたベッドの上に、蓮は横たわっていた。
「目が覚めたんだね」
「ん……」
部屋に入った僕に目を向ける蓮は、僕が普段目にする彼女とは違って眼鏡を掛けていなかった。眼鏡は伊達だったんだろうか。
僕はベッドの傍に椅子を寄せると、じっと蓮の顔を覗き込む。頬の痣、多分身体にも同じような痣が付いているんじゃないだろうか。やっぱり僕よりも酷い扱いをされてしまったんだろう。
「……どうしたの?」
何も言わずに蓮をじっと見つめていたからか、彼女は気まずそうに口元まで毛布をずり上げると目を逸らした。確かに女の子の顔を無言で見続けるってかなり不躾なことをしてしまった。ごめんと謝りながら僕は頭を下げた。
「大変だったみたいだね」
「そっちこそ」
「蓮に比べたらどうってことないよ」
君の方が、いやいや自分なんてというやり取りが少しだけ続き。僕と蓮はおかしくなってどちらからともなく笑った。クスクスと声を押し殺した笑いが収まった後、蓮は相変わらず口元を毛布で隠したまま、申し訳なさそうに目を伏せた。
「徹には謝らないといけない」
「謝られるようなことがあったかな?」
「……私達は徹をずっと疑ってた」
ごめん、と蓮は小さく呟きながら話し続ける。怪盗団が改心を進める中、僕が敵と内通しているのではないかという疑いをずっと持っていたのだと言う。その疑惑が完全に晴れたのは、奇しくも明智君の口から僕が警察に取り調べと称して連行されたことが告げられてから。
「僕が怪盗団を追い掛ける冴さんに協力していたことは事実だし、明智君とも一時協力関係にあったのも確かだからね。謝られることは無いよ」
「警察に私達のことを言うことも出来たのに、それをしなかった。徹は私達を信じていたのに、私達があなたを信じきれなかった。だから、ごめんなさい」
そう言う蓮があんまりにも押し込んだ顔をしているものだから、僕はまた少しおかしくなって笑みを浮かべながら蓮の頭に手を置いた。目を丸くして頭に置かれた手を見ようと視線を上げる蓮がまるで猫みたいで、それもまた見ていて微笑ましく感じた。
「気にしないよ。前にも言った通り、僕は君達が大事だからね。僕も隠していたことがあったから、こっちこそごめんね?」
「……むぅ」
気にしない、と言ったのに蓮は少し拗ねたように目を細めると口元までだった毛布を鼻先まで被せるように上げてしまった。
「本当にズルい」
「えぇ……? 互いに謝ってめでたしじゃない?」
「そういうことじゃない」
どうやらそういうことじゃないらしい。じゃあどういうことなんだろうと思っていると、蓮の頭に置いた手が取られる。
「こういうこと、簡単にするところがズルい」
「ご、ごめん……?」
何故か蓮にジトリとした目を向けられながら、一方で僕の右手は蓮の両手に捕まえられてしまっている。蓮の両手が僕の右手をにぎにぎと弄ってきて少しくすぐったい。
「というか僕は何をされてるので……?」
「ん、役得」
何が役得なのか分からないけれど、蓮が満足気なので好きにしてくれと僕は自分の右手の主導権を放棄することにした。
ひとしきり僕の手を触って満足したのか、僕の右手のくすぐったさは収まったものの、拘束は解かれていない。それどころか、指を絡めるように手を握られてしまえばも逃げることは叶わない。
「……蓮、僕は今から君にとても残酷なお願いをすることになると思う」
「……聞かせて」
僕の口調で深刻な話だと察した蓮は毛布をずり下げて僕をじっと見つめた。僕の右手は握られたままだけれども。
「怪盗団の改心。それを隠れ蓑にした精神暴走事件。その背後には、明智君を駒として扱える何者かの意図が潜んでいる。僕と冴さんはその何者かを明らかにするところまでは届いた。だけど、あと一歩が足りない」
自分で言っていて何と情けないことだろうと思う。彼女らを守ろうとしていたのに、結局は怪盗団の力に頼らざるを得ない。僕が否定した力に最後は頼るしか無いのだから。所詮、僕は一介の学生でしかない。
「蓮が大変な目に遭ったのは分かる。だから無理をして欲しくない」
だけど、僕が握った情報をどこに出したとしても、それは揉み消されてしまうだけだ。立証するまでに、僕やその周囲が無事でいられる保証は今度こそ無い。
敵を明るみに引き摺り出すための最後のピースは、他ならぬ怪盗団にしか出来ない仕事だ。
「無理な願いは承知だ。だから断ってくれても構わない」
そう言って右手に力を籠める。繋がれた手から、蓮に向けて僕の言葉を届かせようとするように。
「鴨志田先生のときからずっと、君達に頼りっぱなしだけど。もう一度、君達に頼っても良いかな?」
そうしないと助けられない人がいる。友達を助けるために、別の友達をまた危険に曝そうとしている僕の姿は滑稽かもしれないけれど。
「……取引?」
僅かな沈黙の後、蓮が微かに首を傾げて返した言葉を咀嚼するのに少し時間が掛かった。
「取引、そうだね。取引だよ。僕に差し出せるものなら、何でも」
「少し嫉妬する」
「へ?」
蓮は真剣な表情からまた何故か少し拗ねたように僕から目を逸らした。
「徹がそこまで言うほど助けたいって言うから」
「たとえそれが蓮だとしても、僕は同じことを言うよ」
「…………だから、ズルい」
だけど、取引って言うなら受ける。蓮はそう言ってにやりと笑った。物静かな普段の彼女からは想像つかない挑発的な表情。それは、いつか鴨志田先生を改心させる前にも見たものと同じ。この表情が、怪盗団としての蓮の顔なんだろう。
「対価はキチンと請求する」
「何を求められるのかが今から怖いけどね」
「大丈夫。手加減はする」
その言葉と共に僕と蓮はまた笑う。取引は成立した。
汝ここに、契りを血盟の絆へと転生せしめたり
絆は反逆の翼となりて
魂のくびきを打ち破らん
今こそ汝、「大蛇」の究極なる秘奥に目覚めたり
無尽の力を汝に与えん……
「それに悪党を見逃すなんて、怪盗団の美学が許さない」
だから徹にお願いされるまでもなかった。と蓮はしてやったりな表情を浮かべて僕に告げた。
「僕が対価を出すまでも無かったかな?」
「もちろん対価はきっちり受け取らせてもらう。徹から言い出した」
「何だか出し抜かれたみたいな気になってきたよ」
僕がそう言うと、蓮に掴まれたままの右手がグイっと強く引かれた。思ってもみなかった力が加えられ、僕は少しバランスを崩して蓮の寝るベッドに頭から突っ込みそうになったので慌てて左手で自分の身体を支える。見ようによっては僕がベッドに横たわる蓮に覆い被さって今にも襲い掛かりそうだと誤解されてもおかしくない様子だ。
「怪盗だから。騙されないように目を光らせて」
「……僕は名探偵じゃないんだけどね」
「だとしたらあなたはオタカラ」
「オタカラ?」
蓮の言葉に僕の頭には疑問符が溢れるけれど、それ以上に今はこの体勢が色々とマズいんじゃないかと何とか身体を起こそうとする。だというのに蓮が僕の身体を引っ張ってそれを邪魔しようとするのでどうしたものか。
「おい蓮! 無事だったってのは本当か!? お前が死んだってテレビじゃニュースで……!」
そんな言葉と共に診察室の扉を慌ただしく開いた先に立っていたのは、ピンクのワイシャツにトレードマークのエプロンを身に付けた喫茶ルブランの店主。
目を丸く、血相を変えた表情で入って来たかと思えば、僕と蓮の姿を見て一瞬フリーズする。
「お、お前ら、そういう……? いや、悪い、邪魔したな」
そしてぎこちない動作のまま扉を閉めて出て行ってしまった。これが誤解だと説明したらしたで僕は佐倉さんに最低でも一発は殴られてしまう気がする……!
「蓮、対価っていうのはこれのこと?」
「……さあ」
僕が冷や汗を浮かべているのが面白いのか、蓮は惚けてクスクスと笑う。そしてようやく僕の右手が解放され、身体を起こすことに成功した。
「ズルくても欲しいものを手に入れたなら、怪盗の勝ち」
「……ただの助手には手に負えないね、この怪盗は」