暗く、照明の灯りすら頼りない特別尋問室。その中で、怪盗団の首魁たる雨宮蓮と新島冴は冷たい金属製の机を挟んで向かい合っていた。
片や度重なる暴力によってあちこちに痣を作りながら。
「私の改心を狙った結果、警察の待ち伏せにあって捕縛され、今あなたはこの場にいる。……なるほどね。それが、君がここに至った経緯の全てというわけね」
調書の纏められたファイルの上に視線を滑らせながら、冴がそう呟いた。
「犯行の手口はまるで夢か何かみたいだけれど、今の私なら信じられる点もいくつかある」
冴の言葉に、蓮がピクリと反応する。蓮にとって、ターゲットの認知世界に侵入し、認知の歪みを引き起こす核≪オタカラ≫を手に入れることによって改心を起こすという怪盗団の改心手口が、それを目の当たりにしたことの無い人間に簡単に受け入れられるものとは予想していなかったからだ。そして今の冴が、蓮のそのような反応を見逃すはずも無かった。
「意外かしら? 私には心強いパートナーがいるの。そのお陰ね」
そう言いながら、冴は机越しに蓮に向かって身を乗り出す。調書を蓮に向かって広げ、そこに挟まれた幾人かの写真を見せつけながら。
「時間ももう少ししかない。これからあなたにいくつか質問をするわ。怪盗団に関わっていたとされる人物かどうかを教えてちょうだい」
その言葉と共に冴の指が写真を一枚ずつ指していく。
転校初日から友人となった、『坂本竜司』。
鴨志田事件の被害者、『高巻杏』。
斑目一流斎の弟子、『喜多川祐介』。
……一色若葉の娘、『佐倉双葉』。
……オクムラフーズの社長令嬢、『奥村春』。
それと……秀尽学園高校の生徒会長、私をしきりに探ってきた、『新島真』。
「怪盗団事件の共犯者よね?」
半ば確信したような様子で、冴は蓮に向けて問う。これまで積み上げてきた冴の精緻な捜査資料、そして特別尋問室での蓮からの聞き取りから、冴はこれらのメンバーが怪盗団であると実際に確信していた。それをあえて問い掛けたのはただの確認でしかなかった。
「……知らない」
そして蓮から返ってきたのは否定を示す言葉。
「そう、仲間は売らないってわけね」
それを聞いた冴の反応は、口元に薄く笑みを浮かべるという蓮の予想を裏切ったもの。内心に広がる動揺を抑えつけ、表情を冷静に保ちながら、蓮は何とか冴と交渉をする糸口を探していた。
そもそも、蓮にとっては冴との現実世界での初対面から奇妙だったのだ。警察に囲まれたパレスから仲間を逃がすため、一人囮となった蓮。ナビゲーターとなった双葉の懸命なアドバイスにもかかわらず、更に裏を掻かれた蓮は最終的に警察に捕縛され、この特別尋問室と呼ばれる陰鬱な一室に閉じ込められた。
二人の刑事からの暴力的な取り調べをどうにか耐え忍んでいたところにやってきたのが冴だ。
「暴力、それに薬まで。……どこまで見下げ果てた連中なの、奴らは」
尋問室で二人っきりになった冴の第一声はそれだった。
「顔を合わせるのは初めてね。けれど私はあなたとずっと話したいと思っていた」
だから今から始めましょう。勝負はまだこれからよ。
そう言った冴の強い意志の籠った瞳が、蓮の脳裏に蘇る。
「……っと! しっかりして!」
と、そこで蓮は強く肩を叩かれる衝撃で朦朧としかけた意識を覚醒させる。目の前には、心配そうな表情でこちらを見つめる冴の姿。
「もう少しだけ頑張ってちょうだい。怪盗団の仲間以外にも、あなた達の活動を支援する協力者がいたはず。それは誰か教えてもらえる?」
「……協力者などいない」
ここに至るまで、怪盗団は多くの協力者の力を借りてきた。パレスの潜入に不可欠な道具、それ以外にも蓮の能力向上という形で力を貸してくれた人間もいる。だが、その人物たちについて口を割るつもりも蓮は無かった。
「メンバーも協力者も、一切『知らない』。そう言いたい訳ね」
蓮の答えを聞いた冴は、言って腕を組む。
「もう一人確認させて。『明智吾郎』」
その名が出た途端、蓮が一瞬だけピクリと反応した。
「彼が怪盗団と行動を共にしていた、という報告もある。彼も怪盗団の仲間だったの?」
「……明智は違う」
「そう。なるほどね」
蓮の答えを聞いた冴は、何故か頷きながら捜査資料が纏められたファイルを閉じた。
「あなた、今自分がどれだけ危うい立場にいるか分かってる?」
そして再び口を開いた冴から出てきたのは、蓮を脅すような文句。しかし、その後に続く言葉は。
「それでも、まだ諦めていないのよね?」
「……当然」
そう言って冴の目を見つめ返す蓮の双眸には、蒼く燃え上がる焔が宿っていると思わせるほどの熱が籠っていた。
「私のパートナーは言っていたわ。怪盗団そのものは認めない。けれど、友人として彼らを裏切る訳にはいかないと。そして私達は正しい手段で、正しい結果を手に入れないといけないとも。あなた達を利用して、今も認知世界を悪用しようとしている黒幕がいる。それを私達は捕まえなくちゃいけない。それが私達の掲げる正義、いいえ、美学よ」
あなた達のそれは何か、聞かせてちょうだい。
問い掛ける冴からも、蓮に負けず劣らずの熱量が感じられる。
「悪党は許さない」
「……過程は認められない。その力に頼ることの不甲斐なさを嘆くこともある。だけど、その一点については、私とあなた達は協力できるはずね」
冴と蓮は互いに頷き合う。そこで扉を乱暴に叩く音が二人の間に割り込んだ。
「時間ね。余計なことは聞かないわ。何をすれば良いの?」
背後の扉に視線をやって目を細めた冴だったが、すぐに気を取り直して蓮へと向き直った。それに対し、蓮は冴の傍らに置かれたスマホに視線を向ける。それは蓮の持ち物であり、証拠品として押収されたものだった。
「スマホね。これをどうすれば?」
「……彼に見せて」
「見せるだけね、分かったわ」
そう言ってスマホを手に取り立ち上がった冴に向かって、蓮は小さく声を掛けた。それはともすると聞き逃されてもおかしくない程の声量だったが、冴の耳に届く。
「何かしら?」
「徹は……」
蓮の口から出たのはこの場で出ることが無かった名前。それを聞いた冴は少しだけ押し黙ったかと思うと、再び口を開く。
「私もまだ会えていない。けれど、もうすぐ会えると思うわ」
そう言って冴は笑った。
汝ここに、契りを血盟の絆へと転生せしめたり
絆は反逆の翼となりて
魂のくびきを打ち破らん
今こそ汝、「審判」の究極なる秘奥に目覚めたり
無尽の力を汝に与えん……
「怪盗団のリーダーが捕まったそうだよ。君の努力はすっかり無駄になってしまったね」
嫌味ったらしくそう残して取調室を去って行った刑事の言葉が耳の奥にこびりついて離れない。
怪盗団のリーダー。そう言われて頭に思い浮かぶのはただ一人だ。彼女が本当に捕まってしまった、それはどこまで彼女たちの計画の内で、どこからが想定外の事態なのかは僕には計り知れない。だからこそ、大丈夫だと言い聞かせる自分と、あるいはと不安に思う自分がない交ぜになっていた。
そんな僕だけが取り残された取調室の外から、カツン、カツンと硬質な足音が反響しながら近づいてくるのが聞こえる。今更まだ僕に何か聞きたいことでもあるというのだろうか。
まともに休憩も取ることが許されなかった僕の頭は、今にも深い眠りに落ちていってしまいそうだったけれど何とか意識を繋ぎ留めながら扉に視線を向ける。
少しして、扉が開いた先にいたのは随分と久しぶりに近くで姿を見る人物だ。そしてそれは、僕にとっては嬉しい誤算でもある。
「……ようやくホームズが帰って来たのかい?」
「そうなるかどうかは君次第だ」
硬い表情のままそう言った明智君は、僕の隣に来ると肩を貸して立ち上がらせてくれる。身体の自由もあまり許されていなかったせいか、立ち上がろうとした際にふらついてしまうが、予想以上に明智君のしっかりとした腕に支えられて無様に床に転がることは無かった。
「怪盗団のリーダーは捕まった。僕の計画通りにね」
僕を支えながら取調室から出て、明智君は小さな声で独り言のように呟く。
「怪盗団として君に掛かった嫌疑は晴れ、重要参考人だった君は解放される」
少なくとも表向きは。
そう口にした明智君の言葉の裏には、それだけで済むわけが無いということを確信させるものがあった。
「君をただ解放するために僕が来たとでも思うのかい? これは最後の手紙、あるいは招待状だよ」
隣に立つ明智君から刺すような視線を向けられているのを感じる。最後の手紙、招待状。その言葉が指す意味は酷く単純だ。
明智君が正道に戻ってくれるのか、それとも酔っ払ったホームズのままになるのか。その選択を迫られているのが今ということだ。
「いつかの取調室での取引。覚えてるかい?」
「君を驚かせる、それが条件だったね」
僕が危ない橋を渡っていると言うなら、明智君はそれ以上に危ない橋、もはや綱渡りと言っても良い状況にある。そんな彼から協力を引き出すなら、生半可な条件じゃダメだ。
「獅子身中の虫になれって言うなら、せめて俺の想定くらいは越えて欲しいね。そうじゃないなら、俺は負けてやれない」
この警察署を出るまでがリミットだ。
明智君から示された期限はあまりにも短くて、もう少し手心を加えてくれても良いんじゃないかとも思ってしまうけれど。
「ここを出たら、俺は君を更に深い闇の底に連れて行く。そして怪盗団のリーダーを始末する。君が何かを出来るとしたら、こうなる前までに全てを整えておくしか無かったんだ」
視線を横に向ければ、前を向いた明智君の横顔が見える。その顔は、何故か辛そうで。
「君にとってはどう転んでも……。いや、むしろ僕が負けた方が楽なんじゃないかい?」
「……随分と意地悪なことを言うんだな」
そう言った明智君の声は、少し震えていた。
「俺が好き好んで君にそういう目を遭わせたいんだったら、どうして俺は今まで君を利益も無いのに庇い続けていたんだ……!」
食い縛った歯の隙間から絞り出すような明智君の声。それはともすれば、取り調べを受けた僕以上に疲弊したような声色だった。
「初めてなんだよ……。腹の底まで見せても友達だって言ってくれたのは。泥まみれの俺に手を差し伸べようなんて馬鹿は!」
一歩ずつ、僕と明智君は着実に外に向けて歩を進めている。それはつまり、下手をすれば僕が外の世界を見る最後のチャンスになってしまう時間が迫っているということ。
「鍍金だらけの明智吾郎じゃない、俺そのものを見つめ続けた友達だ! 俺が認めたんだ。だから俺の予想くらい超えてみせろよ! 怪盗団にも、あの女検事にだって譲ってやるかよ。君は、俺の助手なんだろうが!」
僕に向けて、あるいは神様にでも祈るようなその言葉も虚しく、僕達は警察署を出て、目の前に止められている真っ黒な車へと近づいて行く。あれが僕を連れて行く車なんだろうか。スモークが貼られた窓ガラスのせいで車内を窺い知ることは出来ない。
「……さあ、これが最期のチャンスだ。まだ何か俺の想定を超える何かはあるかい?」
酷く落胆したような明智君の声。恐らく彼自身、もう諦めているのだと思わせるようなその声。
「……僕が君の頭脳を越えられるだなんて自惚れたことは思ってないけどさ。それでも、諦めちゃいないさ」
僕の言葉と共に、後部座席の窓ガラスが下へと降りていく。
「君が助けてくれと言ったのは、こういうことで良かったのかね?」
「あなたは……!?」
車内から僕達に声を掛けてきた人物を見た明智君の第一声は、それこそ先ほどとは打って変わって驚愕に満ちたものだった。もちろん、僕も予想出来ていた訳じゃないから驚かされたのだけど。
「……冴さんのお陰かな、これは。ともあれ、助かりました」
「気にすることは無い。私が先に救われた側だ。ビジネスの基本はギブアンドテイク。これで十分とは、思っていないがね」
そう言いながら後部座席の扉が開かれ、僕と明智君が招き入れられる。声の主と明智君に挟まれるように真ん中に座った僕は、改めてこの窮地に現れてくれた救い主へと頭を下げる。
「ありがとうございます。奥村社長」
「礼なら、あの検事に言うべきだな」
そして僕は今度は明智君へと視線を向けた。
「少しは君の予想を越えられたかな?」
「……ハッ、ハハハ! 本当に君は凄いよ、ワトソン君」
そう言って笑う明智君は、憑き物が落ちたようにどこかスッキリとした顔をしていた。