「ではどうあっても面会は認められない、と?」
「さっきからそう言っておるだろう。警察も領分を荒らすなとカンカンだ」
検察庁。刑事事件有罪率脅威の99.9%を誇る、まさしく日本一の捜査機関と呼んでもよいこの場所で、新島冴は眼鏡を掛け、くたびれた雰囲気を纏う自身の上司たる特捜部長と対峙していた。
「そもそも怪盗団に関しては私が陣頭指揮を執っていたはずですが」
「その君から捜査情報を抜かれたと向こうさんは見てるんだ。これ以上無理を押し通せば要らん借りを作り過ぎる」
彼女と特捜部長が言い争っている原因とは今まさに警察によって拘束されている海藤徹について。徹が連行されたという知らせを受けてからすぐに彼女は徹への面会を申請したが、その許可は下りないまま、既に警察が実施しているであろう尋問に関する情報すら得られていなかった。
「警察の捜査情報を流してなどいません」
「君がそう言ったところで信憑性など無いよ。我々は警察に手柄を持って行かれた訳だ」
「まだ彼が怪盗団と確定したわけでは無いでしょう!」
暖簾に腕押しとも言える特捜部長の様子を見かねた冴がつかつかと詰め寄るが、詰め寄られた側は眉すらぴくりとも動かさないままそんな彼女を考えの読めぬ目で見つめ返していた。
「君のその態度が余計に被疑者が怪盗団だという疑いを強めているんだよ」
「……っ!」
まさしく痛いところを突かれた、と言わんばかりに冴の表情が歪む。
「君が今やることはここで息巻くことかね?」
「…………捜査に戻ります」
これ以上は話すことは無いと窓の方を向いてしまった特捜部長にそう言い残すと、小さく頭を下げて冴は特捜部長の執務室を後にする。
窓の反射でそれを見送った特捜部長はポケットから携帯を取り出すと耳に当てる。数度のコール音の後、相手がそれに応答した。
「はい、私です。やはり相当に焦れている様子。先生の予想通りですな。あの様子では早晩無茶な捜査で怪盗団をでっち上げることでしょう。そうなれば兼ねてからの予定通り、内部告発で捜査の不備を指摘し、失脚するでしょうな。もし本物の怪盗団が出て来てあれを改心させてくれたなら奥村と同じ手も使えましょうが……」
そう言いながら窓の外の風景を眺めつつ、特捜部長の口元には歪んだ笑みが浮かぶ。
「ま、あれには精々引っ掻き回してもらいましょう。人材は有効活用しないといけませんからな」
それから電話口の相手から受けた言葉に何度か頷いたのち、特捜部長は携帯電話をしまう。
「楽園に向かう船の席は限りがある。奥村はそれに乗り損ねたようだが、私はそうはいかん」
そう呟いた特捜部長の顔には、常の気怠そうな表情ではなく醜く歪められた笑みが浮かんでいた。
「……大方、そんなことを話していたりするのでしょうね。私もそう思わせるように振る舞っているのだけど」
部屋の外、壁に背中を預けて腕を組んだ冴がそう呟く。部屋の中から何かを話しているような気配は感じられるものの、その内容までは聞き取れない。しかし予想はついていた。
「……まだ動くな、とでも言うつもり?」
そう言ってパンツスーツのポケットから取り出したのは一枚のメモ。
明智吾郎は既に怪盗団の正体を掴んでいる。
それはあの日、徹から託された
「これが本当ならとっくに怪盗団を捕まえていてもおかしくない。けれど、あなたは今まさに囚われの身になっている」
怪盗団の正体を知りながら、明智吾郎が未だ動かないのは何故か。海藤徹が警察に連行されたことは彼にとっても知るところのはず。冴がそうであるように、明智吾郎も徹を信頼し、友人だと考えていただろう。
「……酔っ払ったホームズを追い掛ける、そういうこと」
かつて徹が言った言葉。それが指す意味を今の今まで冴は取り違えていたことに気付いた。
「だとするとそんな相手と今まさに一人で対峙しているというの?」
壁から背を離し、廊下を歩き始める冴。メモには更に続きがあった。
「渡したファイルは次に会った時に……。今私が知ってしまうのはマズいということ。私があなたを守っているつもりだったのだけどね」
徹から渡されたファイルは肌身離さず持っていた。口に施された封印はそれが彼の手を離れてから一度も開封されていないことを示している。この中にある情報は冴がどのタイミングでそれを知るかまでを計算に入れた上で徹が託してきたものだ。
認知訶学の存在を知り、冴と徹は自分達の無意識が何者かによって覗かれる可能性、そして無意識を何者かによって操られる危険性まで知り得た。
徹が冴に託した情報は、彼女が想定しないタイミングで認知してしまえばその身に危険が及ぶ可能性が高いと考えた徹によって封印されている。この処置は徹が冴の身の安全を最大限に慮った結果だ。それ故に、彼女は徹の言葉を全面的に信用することに決めた。
「次に会った時なんて適当なことを言って……、無事に帰って来ないと許さないわよ」
そう口にした冴の口元には、その言葉とは裏腹に笑みが浮かんでいた。
その夜、何日も検察庁に詰めていたことを見咎められた冴は、渋々といった様子で帰宅する。それを出迎えた真に力無く笑みを浮かべると、汗を流すだけの短いシャワーを済ませて再びスーツに身を包んでいた。
「その、こんなのがポストに入ってて……」
「これは……」
身支度を整えた冴に、真が躊躇いがちに差し出したもの。それは黒い下地に新聞の文字を切り抜いたようなフォントで書き連ねられたカード。
少し前であれば、駅前で似たようなものが土産物として売られていただろう。斑目、金城に宛てた怪盗団のそれを目にした人間は数多くいる。それを模倣することも容易だ。だが、今の情勢でそのような真似をする人間がいるとは思えない。本人を除いては。
「嫉妬の大罪人、新島冴殿……」
文面を見れば、それはまさしく怪盗団が自身に宛てたであろう挑戦的な文章。調査を進める中で、秀尽学園の校長の執務室からも似たようなものが発見された。あそこに書かれていたのはどのような文章だっただろうか。冴はぼんやりと予告状の文面を目でなぞりながら、頭の中でそのようなことを考えていた。
「ついに私をターゲットにしたのね、怪盗団は」
「お姉ちゃん……」
不安そうに胸の前で手を握り締めている真を安心させるように冴は笑った。
「大丈夫よ。怪盗団がそのつもりなら私は正面から受けて立つ。海藤君もきちんと連れて帰ってくるわ」
そう言って冴は真の頭に手を乗せる。徹が真とも友人であることは冴も関知しているところであり、冴も捜査情報まで流すことは無いものの、徹が頼りになることを口にすることだってあった。
「お姉ちゃん……、でも」
「正しい結果を、正しい手段で。私は怪盗団には負けないわ。この件が片付いたら少し休みでも取ろうと思うの。真も受験で忙しいと思うけれど、ひと段落ついたら旅行にでも行って羽根を伸ばしましょう」
なおも心配そうにしている真に冴はそう言って微笑んだ。もしも徹からの情報が無く単独で捜査を進めていたのであれば、余裕も無く怪盗団を捕まえるのに躍起になっていたことだろう。彼女の中では今も怪盗団を捕まえることは目標の一つではあるものの、その先にある目的こそが強く根を張っている。
「真がご執心の海藤君も誘う? 私も彼にはお世話になってるから、お礼も兼ねて招待しようかしら?」
「お、お姉ちゃん!?」
冴がイタズラ気に言えば、真は分かりやすく顔を赤くした。そんな揶揄いも交えられる程度には、今の冴には余裕がある。
「フフ、冗談よ」
「もう! ……本当に大丈夫なんだよね、お姉ちゃん?」
「ええ、真は心配しないでも大丈夫。私も彼も、ちゃんと無事で帰ってくるわ。この予告状も、私をターゲットにするというならちょうど良いわ」
真から離れ、バッグを肩に掛けた冴は予告状をまたしげしげと眺める。そこに書かれた文章を何度か頭の中で反芻すると、好戦的な笑みを浮かべた。
後ろから見ていた真にはその表情は見ることは出来ない。しかし、怪盗団として冴のパレスに侵入し、パレスの主とも会話した彼女には冴の無意識、シャドウが現実世界の彼女に重なって見えた。
「真剣勝負をしましょう!」
そう言って真に指を突き付けた冴のシャドウは、まさしく真剣を真に突き付けているような雰囲気を纏っていた。
「よくここまで上り詰めてきたわね!」
コロッセオを模した彼女の認知世界の中、シャドウ冴はその中心で怪盗団と対峙していた。彼らを囲うように設置された観客席からは歓声とも野次ともつかぬ大声が彼らに浴びせられている。
「喚くだけの外野は私達の勝負には不要」
しかし、その大声はシャドウ冴がそう言って腕を振るうと一転して静かになる。怪盗団が周囲を見渡してみれば、観客達の姿は掻き消え、このコロッセオにいるのはシャドウ冴とそれに対峙する怪盗団のみ。
「あなた達が正義だというなら私を倒していきなさい!」
「正義だとか、どうでも良い」
シャドウ冴と対峙した蓮は彼女の言葉を一蹴する。正義、悪という区分けは今の彼女の中では意味を成さない。
「私達は自分の美学を貫く。そしてその先で、私たち自身の手でけじめをつける」
そしてそれ以上に。
「今はあなたに負けたくない。モナ、クイーン、クロウ、行ける?」
「おうとも!」
「行けるわ!」
「任せといてよ」
蓮、ジョーカーに声を掛けられた三人はその言葉と共に彼女の隣に進み出る。モナはその小さな身体に不釣り合いな厳つい青龍刀を肩に担ぎ、クイーンは両拳を火花が出るくらいに激しく打ち合わせ、そしてクロウもSF映画から飛び出してきたようなレーザー銃を携えて。三人とも皆戦意を漲らせてシャドウ冴と対峙した。
「始めましょう、互いの譲れないものをぶつける真剣勝負を!」
その言葉と共にシャドウ冴の身体が黒くドロドロとしたものに溶け、その形を変じていく。
黒い煙がシャドウ冴の身体に纏わりついたかと思うと、次の瞬間にはそれが霧散し、その姿を現した。
「あなた達に決闘を申し込むわ!」
黒い甲冑を身に纏い、その右手には常人が片手では扱えないと思えるほどの大きさを誇るガトリング銃、そして左手には大の大人を簡単に真っ二つに引き裂いてしまえそうな両刃の剣。それらを扱う体躯は元の冴の身体からは想像も出来ない身の丈に巨大化した、これこそがパレスであるコロッセオの主として君臨する血染めの騎士の姿。
「さあ、あなた達の力を示しなさい!」
「言われなくとも!」
「ワガハイ達が正義だ!」
「行くわよ、お姉ちゃん!」
「悪いけど、僕の私情もあって負けてやれないね!」
「「「「ペルソナァ!!」」」」
そして戦いの火蓋が切られる。