窓も無い部屋、あるのは無機質な机と椅子だけ。この部屋唯一の出入り口である扉から最も遠い位置にある椅子に座らされた僕は、目の前に座る細目の刑事をじっと見つめていた。
「さて、重要参考人として君に任意同行してもらったわけだが」
任意同行、と言いつつあれは殆ど連行と言っても良かったと思う。両脇をこの刑事と扉の付近で腕を組んでこっちを睨みつけている強面の刑事に固められ、文化祭が終わりに近づき、学生たちがこの楽しい時間が終わるのを惜しむように後夜祭に向かっていくのを尻目に僕はこの刑事達にこうして連れられて来たのだ。周囲からの好奇の視線にどう返して良いものか分からなかった。
「いや楽しいところを邪魔してしまって悪いとは思っているんだ。だけど、君に一刻も早く話を聞きたかったからね、我々としても心苦しかったんだよ」
そう言ってニヤリという擬音がピッタリな笑みを浮かべる目の前の刑事。以前も感じたけれど、本当に蛇のような印象を与える人だ。
「今、我々は怪盗団を捕まえることに全力を注いでいる。その為にも、君から得られる情報がとても必要なんだよ。君が少し話してくれれば、私達もすぐに君を解放してあげられる。でも、君が何も話してくれなければ君をここから帰してあげられないんだ」
悲しいことにね、と心にもない様子で続けた刑事。そして一息つくと、机に肘をついて僕の方に少し身を乗り出した。
「どうだろう、話してみる気になったかい?」
顔を僅かに傾けてこっちの様子を窺う刑事に対し、僕は何も言わずに刑事を見つめ返す。しばしの沈黙、僕も相手も、一言も発さないまま時間が流れていく。部屋には時計が無いから、どれだけの時間が流れたのかは分からないけれど、恐らく僕が体感しているほど長い時間が経ったわけじゃないだろう。
僕と刑事が黙ったまま睨み合っていると、扉の近くに立っていた強面の刑事がツカツカと机に近寄ってくる。
「いつまで黙ってるつもりだ!」
そして怒鳴り声と共に掌を机に叩きつける。怒鳴り声と机を叩く大きな音が先ほどまで静かだった部屋に実際以上の迫力を伴って僕に襲い掛かって来た。二人いるんだからこういうこともやってくるだろうと心構えをしていなければ、突然の大きな音に肩が跳ねてしまってもおかしくない。
強面の刑事が腰を屈め、僕の顔を覗き込むようにして睨みつける。
「いっちょ前に黙秘権でも行使するつもりか? 大人を舐めるのも大概にしろよガキィ……!」
静かに、けれどドスの利いた声で僕に詰め寄る強面の刑事。まさにドラマで見たような高圧的な取り調べの一幕だ。これがこの人達のいつものやり方だということは、悲しいことに同じような経験を最近もしたから分かってしまう。僕は努めて何も言わないように口を閉ざす。
「黙秘権は君に認められた権利だ。当然行使することに否やは無い」
対面に座っている細目の刑事が口を開く。
「だけどね、そんな人の口を何としても割らせるのが私達のお仕事なんだ。大丈夫、今日はこの前と違ってたっぷりと時間はある」
これ見よがしな動作で腕時計を確認した刑事は、さっきよりも深い笑みを浮かべた。
「安心して欲しい。お手洗いはきちんと連れて行ってあげるとも。喉が渇けば水も飲ませてあげよう」
その笑みはまるで、獲物を見つけた蛇のようだった。
「寝るな!」
その声と共に頭から冷たい感触が僕に襲い掛かる。ガランガランという音を立てて床に転がったバケツを見るに、意識が朦朧とした僕に水を掛けたんだろう。
「中々強情だね、君も」
いつの間にか机は部屋の隅に追いやられ、椅子に腰かけた細目の刑事が興味深そうに僕を観察している。
「君が黙っているほど、取り調べは苛烈になっていく。ここまで強情だと、もしかすると君が本当に怪盗団なのかもしれないと私達の疑いが深まっていくばかりだよ? お子さんが凶悪犯だと聞かされた親御さんはどう思うだろうね? 君の同級生も、君を怖がるだろうし、進学も就職もまともに出来なくなるだろうね?」
それは僕が怪盗団かもしれないということを僕の周囲の人間に吹聴すると言っているようなものだった。口調はどこまでも優しいけれど、言っていることは容赦が無い。こんなことを言われては心が折れても仕方がないと思う。
だけど、僕は何も口にするつもりが無いことをハッキリ示す様に口を引き結んだ。
「この……!」
その様子が癇に障ったのか、強面の刑事が僕の胸倉を掴み上げる。
「待て。傷を残すのは良くない」
まだその子は重要参考人兼容疑者でしか無いんだから。
細目の刑事は先ほどまでの一見すると優し気な雰囲気ではなく、鋭い口調で強面の刑事を制止した。なるほど、僕に対して怒鳴りつけたり、水を掛けたりはしても殴りつけたりしてこないのは目に見える傷を残さない為か。
「ここでの様子は外に漏れることは無いが、傷を付けたら証拠になる。それはあまりよろしくない」
部屋の隅に設置された監視カメラが全く機能していないことを暗に示す言葉。強面の刑事が激昂して僕を殴りつけそうになったのも、それを細目の刑事が止めたのも、全てが僕に心理的圧迫を行う為なんだろう。たかが高校生に本気でこの人達がムキになるはずが無い。
「……驚いたよ。君がここまで精神的にタフな人間だとはね」
「……チッ」
どこか感心したような口調で、細目の刑事は言う。
「本当に残念だよ、君みたいな人が私達の味方だったら心強いことこの上ないのだけどね。ただ、このままだと埒が明かないのも確かだ」
そう言いながら懐に手を差し入れた細目の刑事。懐から出てきたのは、袋に入った細い注射器。
「あまりこういうものを使うのは気が進まないんだがね」
袋を開けながらやれやれとため息を吐く細目の刑事と、僕の背後に回り込んで羽交い絞めにする強面の刑事。
「おや、抵抗しないんだね? こういうのを見せると大抵の人間は取り乱して暴れるんだが」
天井の照明を反射して先端に付いた針が怪しげな光を放つ。注射器を手にした刑事が見せつけるようにゆっくりとこっちに近づいて来て、僕の首筋にその先端を近づけようとしてくる。それを睨みつけながら、どこまでも見下げ果てた人達だとどこか他人事のように考えを巡らせる。
けれど、幸いなことに僕の首に注射器の針が埋まることは無かった。その僅か手前で、目の前の細目の刑事のポケットから携帯の着信音が響いた身体。
「おっと、マナーモードにし忘れていたよ。失敬失敬」
わざとらしく言いいながら、注射器を机の上に置き、携帯を取り出しながら取調室を出て行く。それと同時に、僕を羽交い絞めにしていた強面の刑事が乱暴に僕を解放した。ガタン、と音を立てて椅子に落とされた僕は荒れた息を整える。羽交い絞めにされたせい、というだけではない鼓動の速さを落ち着かせるために、何度か深呼吸をしていると、再び取調室の扉が開き、細目の刑事が姿を現した。その右耳には携帯が宛がわれている。
「はい、では今代わります」
そう言いながら僕のところまでツカツカと歩いてくると、僕に携帯を差し出す。
「良かったねぇ、君が使い物にならなくなる前に話したいって人がいるよ」
携帯の画面を見れば、番号を盗み見られるリスクを考えてなのか、ご丁寧に非通知の表示。
「ほら、あんまり待たせるんじゃない」
そう急かされて、僕は携帯を受け取ると、自分の耳に宛がう。
「……もしもし」
随分長い間黙りこくっていたからか、僕の第一声は思った以上にしゃがれた声になってしまった。
僕の言葉に、少しの間相手から何の反応も無かった。
「お前か、コソコソ嗅ぎ回ってるガキっていうのは」
そして電話口から聞こえてきたのは、高圧的でぶっきらぼうな男の声。
「その挙句に今は情けなく捕まってるらしいな、ガキが粋がった結果だな」
そして僕を嘲るように小さく笑う。ほんの短い今の言葉だけで、僕は電話口の向こうにいる相手について大体の想像が出来てしまった。
「……そんな子ども相手に、非通知の電話越しじゃないと話すことすら出来ないみたいですね?」
「俺は慎重な人間なんだ、お前のようなガキとは違ってな。それよりも俺に感謝するべきなんじゃないか? もう少しでお前の頭が使い物にならなくなるところを救ってやったんだ」
「そういうの、マッチポンプって言うんですよ」
僕をガキと呼ぶ電話の向こうの相手は、とことん僕を侮っているような口調だ。自分が絶対的に優位だと信じて疑わない。安全圏に自分はいて、それ以外の人間は自分よりも下にいると見做している。奇しくもそれは、僕が明智君や冴さんに語ったままの人格だった。
「難しい言葉を知ってるな、ガキのくせに」
「こうして僕と雑談がしたかったんですか?」
「いいや、もちろん違うさ。お前がそこから出るチャンスをやろうと思ってな」
そこまで言うと電話口の相手は勿体ぶるように少しの沈黙を挟んだ。
「認知訶学についてお前が知っていることを話せ」
告げられたのは予想通りと言っても良い内容だった。今、このタイミングで僕とこうして連絡を取ることが出来る人間。そんな相手が知りたがる話と言えば、当然認知訶学についてだろう。そしてそれを聞いてくるということは、この電話の主こそが僕が話したかった相手でもあるということ。
「知っていること?」
「……惚けるな。お前は今交渉出来る立場じゃないんだ」
聞き返してみれば、電話口からは少し苛立ったような言葉が返ってくる。以前、明智君からも聞かれたこと。僕が握っている秘密とは、認知訶学についての何か。だけど、僕は恐らく電話口の相手よりも認知訶学について知ることが出来る機会は多くなかった。自然、僕が知っている情報は相手の知っているものよりも少ないはずだ。その上で相手は何を知りたいというのだろう。
「交渉のつもりじゃありませんよ。何が知りたいのか、きちんと言ってもらわないと」
僕がそう言えば、今度は少し長めの沈黙が続いた。僕の目の前では、そんな僕を落ち着かない様子で睨みつけている二人の刑事。僕が電話をしている間は手を出すことは出来ないみたいだ。
「…………お前が廃人化出来ない秘密、それを教えろ」
そして不機嫌さを隠す気も無く、ぶっきらぼうな口調で告げた。先ほどまでは僕を嘲るような、余裕を見せた態度だったのに、今は舌打ちをするほどに機嫌を傾けている。僕が少し聞き返しただけで目に見えて気分を害した様子だ。そして相手が口にした廃人化というキーワード。その言葉を聞いて、僕は自分の推測が正しかったことを悟った。僕は今まさに、精神暴走事件の背後にいる黒幕と話をしているのだ。
「僕が怯えてないことがそんなに気に入らないですか?」
「……なに?」
「このタイミングなら、簡単に自分が欲しい情報を聞き出せると思ったのかもしれないですけど。計算が狂いましたね?」
「舐めやがって。お前みたいなガキ一人、簡単に消せるんだぞ」
「電話越しじゃ無いと僕と話すことも出来ませんか? どうせなら直接顔を合わせて話をしてみませんか、教授」
「教授……? 何のことか分からんがお前と会ってやるほど俺は暇じゃないんでな」
お前が話すつもりが無いのなら無理矢理聞き出せば良いだけだ。そう言って会話を打ち切ろうとする気配を感じたので、僕はその前にもう一度口を開く。
「教授と呼ばれるのは気に入りませんか? なら先生、とでも呼びましょうか」
「っ!?」
僕がそう言った瞬間の相手の反応は劇的だった。息を吞むような音がしたかと思うと、ガタンという物音。恐らく椅子から勢いよく立ち上がった音だろう。
先生、という称号で呼ばれる類の人間はあまり多くない。それこそ教師か、政治家。相手の反応は、また一つ僕の推測を裏付けてくれた。
通話の切れた携帯、その真っ暗な画面を見て僕は小さく息を吐いた。これで少しくらいはやり返すことが出来たかな。