さて、嫌なことがあれば楽しいことも待っている。刑事達の取り調べが終わった週末には時期がずれて平日開催となってしまったものの、学園祭が控えていた。
奥村氏が倒れ、校長が死亡した件で警察が校内に入ってくるという不穏な非日常をどうにか乗り越えた生徒達は、未だ少し乗り切れないところはあるものの、学園祭に向けて準備を進めていた。
僕のクラスもその例に漏れず、占いの館という出し物の関係からクラスの女子達が中心となって準備は進められていた。僕は当日は個別のブースで怪しげなフード付きローブを着てお話をするという、今時場末の占い師だってそんな恰好はしないんじゃないかというようなものを提案されていた。
「ふふっ、面白そう。私も見に行くね」
「知り合いに見られると思うと些か気恥ずかしい気持ちが今更湧いてきたなあ」
放課後、クラスの女子達から自分の衣装に使う生地を見繕って来いと指示を受けた僕は、占いの小道具探しも兼ねてセントラル街の雑貨屋でも見て回ろうと考えていたところ、出し物の準備を進める中で買い出しに行くことになったという鈴井さんと昇降口で鉢合わせた。向かう先は一緒だからと話しながら駅を目指して歩く。
「鈴井さんは学園祭当日は何かするの?」
「私はあんまり頼まれたことは無いかな。皆気遣ってくれてるみたいでちょっと申し訳ないけど」
僕の問いにそう答えた鈴井さんは、「だから準備は率先して手伝いたいんだ」と言って小さく微笑んだ。その姿を見て僕はホッとする。夏休みに彼女のトラウマを解消するために協力したことは、確かに今この時に結びついている。彼女はあの日からずっと、自分の足で一歩ずつ着実に前に進めているのだ。
「どうしたの、副会長? 私の顔をじっと見て」
「ああ、不躾だったね、ごめん。元気そうで本当に良かったなって思って」
「……副会長にはいっぱい助けてもらったよ。本当にありがとう」
「僕は大したこと出来てないけど、それでも助けになれてたのなら良かった」
それから、僕と鈴井さんは他愛無い雑談に興じながら渋谷駅はセントラル街へと向かった。
「荷物まで持ってもらって、ごめんね?」
「これくらいなら問題無いよ、むしろ僕の方こそアドバイスもらえて助かるよ」
左手に紙袋を二つ持った僕を申し訳なさそうに見つめる鈴井さんに、気にしないでと右手を振って答える。鈴井さんが買い出しに来たのは模造紙や折り紙、ポンポンのように装飾に使うような資材でそこまで重たくもないものだ。そして僕はといえば、学園祭用のコスプレに使う生地を鈴井さんにも見てもらいながら選んでいた。
たかがローブと言いながら、どんな色が良いか、どんな生地だったら雰囲気が出そうかなんてことを僕の身体に布を当てながら真剣な表情で考えている鈴井さん。これでは僕の方が手伝ってもらっている割合が大きいくらいだ。
「どうだろ、むしろ私の方が役得かも……」
「鈴井さん?」
僕の言葉に鈴井さんは顎に手をやって小さく呟く。うまく聞き取れずに聞き返せば、彼女は何でもないと少し大げさに首を振って生地選びに戻った。
「紫色っていうのも安直だしなぁ……でも予算もあるし」
「ローブって簡素なデザインだし、下には制服着てるから色と素材くらいでしか差別化出来ないよね」
「あ、そっか。制服と合わせるんだもんね、それじゃあ……」
鈴井さんは何かに気付いたように顔を上げると、また棚をゴソゴソと漁って数枚の布を取り出し、僕の身体に宛がう。女性は服選びに時間を掛けると言うけれど、それは自身の服でなくともそうであるらしい。
そして鈴井さん自身の買い出しよりもたっぷりと時間を掛けた生地選びは無事に終了し、折角だからと渋谷駅の地下にあるジューススタンドで少し休憩していくことにした。
「なんだか悪いことしてる気分だね」
「普通の放課後なんだけどね、これからまた学校に戻るって考えるとちょっと非日常感あるよね」
10月に入って過ごしやすい季節にはなってきたけれど、セントラル街を歩き回って色々と物色したらちょっと冷たい飲み物も欲しくなる。
近くに備え付けられたカウンターに荷物を置き、僕と鈴井さんは購入したジュースを飲んで喉を潤した。
「それにしても、良かったの? ジュースまで買ってもらって……」
「気にしないで。鈴井さんのお陰で良い買い物が出来たんだもの。むしろ僕の買い物の方が長くなっちゃたからね」
「それに関しては私のせいかも……」
僕の言葉に鈴井さんはストローを咥えて少し気まずそうに目を逸らした。確かに鈴井さんに時間を掛けて選んでもらったわけだけど、自分一人だと値段優先で適当なものを選択してクラスの女子陣からブーイングを受ける可能性もあったのだと考えると、鈴井さんに手伝ってもらえて良かったのだと思える。何より一人で買い物に来るとただの作業で楽しくない。鈴井さんのお陰で楽しい買い出しになったのだからお釣りが来るくらいじゃないだろうか。
そう伝えれば、鈴井さんはホッとしたような顔で笑い、小さく良かったと呟いた。かと思うと、視線を落として不安そうな表情に変わる。
「その、最近杏の様子がおかしくて……」
何かあったのかと聞いてみれば、鈴井さんの口から出てきたのは高巻さんに関することだった。
鈴井さんと話していても上の空になったり、スマホを見て深刻そうな顔をしていたり、かといってそのことを気遣った鈴井さんが聞いても何でも無いと言って濁すという。その原因に心当たりがある僕としては実際のところを打ち明ける訳にもいかず、とはいえ自分から話を振った手前何も言わないのも申し訳ないという気持ちになる。
「友達だからこそ言いにくい悩みもあると思うし、そういうときは歯痒いかもしれないけど見守るっていうのも良いのかもね」
「そうなのかな……、副会長もそういうことあったりするの?」
鈴井さんに聞かれ、自分を改めて振り返ってみれば思い当たることだらけだ。それは蓮や真に対して踏み込んでいけていないこともそうだし、逆に彼女らを踏み込ませていないということもそう。
「そうだね、そういうことばっかりだよ」
だから僕はそう言って自嘲するように笑うしかなかった。
「今ちょっと時間良い?」
買い出しを終え、鈴井さんと昇降口で別れた直後、僕はその言葉と共に真に連行されていた。本当のことを言えば買って来たものをクラスの女子達に渡してしまいたかったのだけれど、有無を言わせない雰囲気が今の真からは滲んでいる。
「鈴井さんと買い出し?」
うん、逆らうのは得策じゃない。ドスの利いた声だもの。
「たまたま僕の買い出しと一緒になってね」
「へぇ、そうなの」
僕の答えを聞くとそう言ったきり黙って先を行く真に合わせ、僕も黙って後ろをついて行く。彼女らは今大きなストレスに晒されているところだ。そんな中で事情を知っているであろう人間が暢気な顔をしていて言いたいことの一つや二つが出て来ないわけが無いのだから。
真に連れられて来たのはやはりと言うべきか生徒会室。既に生徒もチラホラと帰り始める時間帯、生徒会室には僕と真以外は誰もいなかった。
僕は荷物を部屋の隅に置くと、いつものポジションに置かれた椅子に腰かけ、その前に真が座る。昇降口から生徒会室に来るまでに、真から漂っていた恐ろし気な雰囲気は薄れてしまい、今は気まずそうに視線をあちらこちらへとさ迷わせていた。
「……何か相談に乗れることはある?」
「なんでそう優しくいられるのよ……」
僕の言葉に、真が沈んだ口調でポツリと零した。
「僕以上に真達の方が今はしんどい時期だろうからね。例えば学園祭の準備だったりとか。真は実行委員も兼ねてるしね」
もちろん本当のところはそれだけじゃないというのは分かっていながら、僕はそう言って微笑む。真はそんな僕を見て何かを言おうと口を開いたものの、考えが形にならないまま霧散したように口を閉じた。
「話せないことの方が多いよね」
「……無理矢理聞き出してはくれないのね」
「僕じゃどうしようもない問題かもしれないからね」
「……嘘つき」
その言葉は責めるような口調ではなく、ただ寂しそうなもの。それだけに僕の中に顔をもたげた罪悪感で苦しくなる。そう言われたとしても、明かせないことだらけなのが申し訳ないのだけれど。
「その言葉は甘んじて受けるしかないかな」
だから僕が言えるのはそれくらいだ。追い詰められてしまっているだろう真達を助けてあげることは出来ない。ただ手をこまねいているだけでも無いけれど、それを真達に明かすことも出来ない。
「それより、僕に声を掛けたのはまた別の理由があるんじゃない?」
「なんでもお見通しってこと?」
鋭い目を真から向けられるけれども、僕はそれに肩を竦めて返した。
「こうして改まって呼び出されたんだもの。何か大事な用事があると思うじゃない?」
「……講演会に呼ぶゲストが決まったわ」
今年のゲストは明智君よ。
そう言った真に、僕は呼び出された用件に思い至った。
「あなたなら連絡先を知っていると思って」
真の言葉に、僕はあの名探偵はやはりどこまでも優秀だと思わされる。一体どの地点から今の絵図を描いていたのか。金城を逮捕したときからか、もしくはもっと以前、怪盗団の捜査を始めてからなのか。僕の考えも加わっているとはいえ、怖いくらいに明智君の読み通りに事態は推移していた。
「僕から連絡しようか?」
「お願い出来るかしら」
スマホを取り出しながら真に聞けば、彼女は緊張したような面持ちで頷いた。それを確認してから僕はスマホの画面をタップし、久しぶりになる人物へと電話を掛ける。
まるで僕が連絡するのを分かっていたかのように、すぐに電話に出た。
「久しぶり」
「……そこに新島さんもいるんだろう?」
迂闊なことを言うなと言わんばかりの静かな口調で、電話口の向こうにいる人物は第一声を放った。真が僕と一緒にいることまでお見通しとは恐れ入った。
電話の声が漏れ聞こえないようにという気遣いの為か、明智君の声は普段よりも静かなもの。
「用件を先に伝えても良いかな? 学園祭の講演会に君をゲストとして呼びたいって話が出てるんだけど」
僕と明智君にとっては改めて口にするまでも無いこと。互いに分かり切っていることだけど、まるで初めて伝えるように僕は明智君に提案した。
「構わないよ。スケジュールは調整してある」
「それは良かった。最近の騒ぎで君の株も鰻登りだ。そんな有名人の怪盗団についての見解を聞きたいって声が生徒から上がっていてね」
「……本当に良いんだね?」
明智君の一言は、最後の確認だ。この先に踏み出すことの意味を、僕と明智君は理解している。それは互いに正反対の方向ではあるけれど。
「ぜひお願いするよ」
明智君の返答は小さな舌打ちだけだった。それが否定の意味を含むものではないことは分かっている。僕はスマホを耳から離すと、真に向かって頷いた。
「オーケーだって。スケジュール調整してくれるみたい」
「そう、良かったわ」
真はホッと息をつくと、先ほどよりは緊張の抜けた表情になった。明智君は今やあらゆるメディアに引っ張りだこな上、怪盗団捜査も本格化している。断られることも危惧していたんだろうと思う。
「当日は僕が対応しようか?」
「それは私がやるわ。ここまで助けてもらったんだもの。それに講演会の司会は私なんだし」
そう言われたので僕は大人しく引き下がることにする。当日は一観客として講演会を聴講させてもらうことにしよう。
「分かった、任せるよ。それじゃあ僕は戻るね」
これで用件は終わりだろうかと僕が席を立つと、真が何か言いたげな表情で腰を浮かせた。
「と、徹……!」
「ん、どうしたの?」
呼び止められて聞き返したけれど、真は目線を左右に泳がせながらあー、うー、と言いづらそうな雰囲気だ。
「言いづらいことなら後でメッセージで送ってくれても良いよ?」
「い、いや、言うわ!」
僕の言葉に真は首を左右に振ったかと思うと、気合を入れるように両手で頬をバチンと挟んだ。……痛くないのかな?
「と、徹!」
「はい!」
気合の入った声で呼ばれたものだから思わず返事をしてしまった。
「こ、後夜祭は誰かと回る予定はあったりする……?」
「後夜祭?」
「そ、その、もし予定が無いんだったら、折角だし後夜祭だけでも一緒に回ったりとか……。こ、今年で最後の学園祭なわけだし!」
「ああ、そうだね。確かに最後の学園祭だね……。うん、今のところ何も予定は無いし。トラブルとかも起こらなければ一緒に見て回ろうか」
「……! い、言ったわね! や、約束よ!」
そう言って僕に指を突き付ける真に向かって、僕はうんうんと頷いて返した。去年まではと言えば、先輩方が思い出作りを出来るように、あるいは自分達が中心となって運営しているのだからと最後まで走り回っていてあまり観客として楽しんだ覚えはなかった。最後くらい、友達と一緒に見て回ることが出来れば楽しいだろう。
嘘つきか、本当に言い訳のしようがない嘘つきだ。
嬉しそうに頬を染める真を前にして僕は何も言えないまま、生徒会室を後にした。